マッシュムラムラ(仮) ――クラ鈴が斬る!――

SINCE:2002.2.24
氷室京介、あぶない刑事、マンガ etc

ブラスズキ 鎌倉編

2018-04-30 12:15:44 | 旅行
ブラリと、鎌倉を散策してきました。
まずは鶴岡八幡宮


小6で初めて日本史習ったとき、源平にハマッてねぇ。友達の両親に連れていってもらったときは、感動したなぁ。隣の市なんで、すぐに行ける距離であるにもかかわらず(笑)。
で、鳥居をくぐると、

向かって右に源氏池、左に平家池

   

この画像も、向かって右が源氏池、左が平家池となってます。

源頼朝のファンながら、傍流、それも女系ながらも伊勢平氏の子孫らしいオレとしては、どっちも見物しますよね。
あ、日本人はみんな、何らかの形で源平藤橘、そして天皇家につながるようですよ。別にオレが貴種というわけではない(笑)。みんな、どっかしらの一族にはつながってるし、どの一族にもつながってるかもしれん。オレもさらにいえば、どっかで源氏や藤原氏にもつながってるかもしれんし。
それはともかく、源氏池にある旗上弁財天社の裏には、

通称・政子石


源頼朝が、奥さんである北条政子の安産を祈願したとされる石で、子宝、夫婦円満、意中の人との距離を縮めるパワーがあるとされています。
オレにも皆さんにも、良縁がありますように。
源氏池の裏には牡丹園がありまして、



どれも綺麗でしたね。

そんなこんなで参道に戻り、お参りを。




上の画像ですが、この階段を登ってた際、「漫画 日本の歴史」の1コマを思い出しちゃいました(笑)。

境内から東側の鳥居を抜け、

源頼朝公の墓と、



大蔵幕府跡へ。



頼朝公の墓は、子孫とされる島津家が建てんだってね。「西郷どん」の斉彬公の一族ね。
大蔵幕府跡は、源氏三代の将軍が政務を行った場所のようです。

で、八幡宮を経由して、源氏山方面に。
途中、

壽福寺にある北条政子さんの墓を見て、



源氏山にある源頼朝公像に。


ちなみにこの山、「丘」って言いたくなるくらい低いですが、めっちゃ、険しいです。「鎌倉は、三方を山に囲まれ、南には海が広がる天然の要害」なんて習いましたが、たしかに要害だわ。道も悪いこともあり、簡単には落とせそうもない。
ともかく、同じ源氏山にある葛原岡神社。ここには、

縁結びの石が。


恋愛運、異性との良縁に恵まれたい場合、男性は向かって左の、女性は向かって右の石に、赤い糸を結びつけます。恋愛以外の良縁を望むなら、両方の石をつないだ、真ん中の紐に赤い糸を。
オレにも皆さんにも、良縁がありますように。

その後、源氏山を下り、銭洗弁天を経て、

鎌倉大仏に。


鎌倉は、その後も何度か訪れてますが(単車に乗ってたころなど)、ここは前述の小6のころ以来かな。
やっぱ雄大です。混んでたんで、中には入りませんでしたが(ひとりでなければ、並んでもよかったけど)。
大仏のあとは、数分歩いて、成就院に。

不動明王像


成就院はアジサイの名所ですが、この不動明王像も人気あるようです。何でも、恋愛運がアップするとか。
その後、何となく海に出ました。



湘南の海を眺めるのは久しぶりだなぁ。


そんなこんなで、鎌倉散策でした。
いや、わかってたことだが・・・





やっぱ鎌倉は、一日では回れない(笑)。



オレ、何度か「泊まろうかな」なんて思っちゃったもん(笑)。
それと、4月、5月はまだ寒いかも。木陰や、海の近くは、オレのような寒がりには寒いくらい。
仮にGW中に鎌倉を訪れようとしている方がいらっしゃったら、その辺には注意したほうがいいかもしれません。
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ブラスズキ 水戸編(二日目)

2017-11-12 14:34:52 | 旅行
二日目。まずは千波湖


水戸駅から徒歩で15,6分ってとこですかね。あ、オレは歩くの速いらしいんで、+2,3分から5,6分で考えたほうがいいかもしれません。
この千波湖、散歩やジョギングにはうってつけですね。水辺はそれだけで景色いいし、道もとことん平坦なんで。
それに、いろんな水鳥もいて、そいつらが人に慣れているせいか、陸に上がって呑気に寝てるし(笑)、犬の散歩コースにもなっているなど、思わず頬が緩んでしまう光景も。
で、水戸駅方面から入った地点の対岸といえる場所まで達すると、



徳川光圀像が。

この黄門様、じつはほとんど江戸にいたんだよね。水戸藩にいたのは、幼少期と隠居後の話のようです。
それはそうと、この光圀像の近くには、徳川斉昭(烈公)と、幼き日の慶喜の像もあります。
で、この地点からは偕楽園につながる道も通ってます。
その道を歩き、まず最初に目に入ったのは、



大日本史完成の碑

「編纂の碑」は、初日に行った水戸城址にあったんですが・・・まあ、光圀公としては偕楽園の風景を眺めながら、好文亭内で編纂したこともあったんでしょう。
で、偕楽園の敷地内にある、







常盤神社。

「ときわ」と読みます。
この本殿の隣には、



常盤稲荷神社。

これらに隣接している、というか常盤神社の敷地内にある義烈館も見学。
義公(光圀)と烈公(斉昭)に関する資料などが展示されています。
って、光圀さんが人気あるのはわかりますが、斉昭さんも地元では人気あるんですね。この義烈館でも、前日に行った弘道館でも、明君として称えられる資料ばかりでしたね。司馬遼太郎の小説では、あまりいい書かれ方してなかったんで(まあ、司馬さんのはあくまで小説であり、史実ではありませんからね/笑)。
この常盤神社からすぐの場所に、



偕楽園東門が。

ここから偕楽園に入ります。
もちろん、いい景色でしたが、今度は梅の時期か桜の時期に来たいかなぁ。じつは20数年前に来たことあって、そんときは梅の時期だった気もするが・・・さすがに覚えてない(笑)。
この偕楽園の奥、っていっても「東門から見て奥」であって、表門からはほど近くなんですが、





好文亭が。

この中からの眺め、とくに三階部分からの眺めは絶景でしたね。


この好文亭を出て、表門までの道に、



いい感じの竹林が。

いや、とくにエピソードもなく、また、偕楽園内のスポットというわけでもないんでしょうが、なんかよかったなぁ。
その後、

表門から偕楽園を出て、



茨城県立歴史館に。徒歩5分くらいです。



ここでは特別展として、「志士のかたち」というイベントをやっててね。


幕末の尊皇、勤皇思想は、元々は水戸学からの影響が強いですからね。桜田門外関連、長州や薩摩といった討幕側に与えた影響、あるいは新撰組のことなんかも。
新撰組は元々、芹沢鴨、新見錦、そして近藤勇の「三巨頭体制」で、芹沢と新見は水戸藩出身ですからね。
まあ、そんなこともあって、ただし、芹沢、新見が殺されたあとのメンバーかと思われますが、



新撰組の英名録も展示されてました。

これを見ると、斎藤一の出身地は江戸になってますね。資料や作品によって、江戸だったり明石だったりするんですが・・・「父親の出身地が明石」だったのかもしれません。

そんなわけで、水戸をブラリと観光したレポでした。
この水戸、都心やその近郊からも近く、なにより観光スポットが駅から徒歩圏内であることが多いんで、なかなかおすすめですよ。
次は、千波湖を一周してみようかな。今回は半周しかしてないんで(笑)。

そうそう、やっぱり水戸周辺こそ、「他県の人間から見た茨城県」って感じがしたかな?  やっぱ、常陸国だった地域のほうが「茨城県」って感じなのかもしれません。
県南の取手、守谷、つくば、あるいはその周辺は、やっぱ下総国、「千葉北西部の延長」って感じかもしれません。「基本は千葉北西部と茨城県(常陸国部分)がブレンドされた感じ、プラスちょっと栃木南東部の雰囲気も」って感じがするかな、個人的には。つくばは常陸国の一部だったのかもしれませんが、位置的に。
これね、ウチの地元なんかも似たようなことがいえるんですよ。
ウチは横浜市なんですが、神奈川県の内、川崎市全域と横浜の北半分くらいは旧武蔵国なんですよ。神奈川の旧国名といえば、相模国というイメージが強いでしょうが。
ですんで、横浜北部は旧相模地域とは、気風がちょっと違うと思います。少なくとも、人心に関しては、多分、旧江戸の延長みたいな感じ。ただし、山の手ではなく、下町ね(笑)。距離的には山の手のほうが近いけど。
先祖代々、この地域で暮らしている人は、「ソフトなべらんめぇ気質(かたぎ)」です(笑)。まあ、オレ自身はどうなのかわからんが。
風土は「多摩地区+ちょっとだけ旧相模地域」って感じかな。
ですんで、「他県の人がイメージする神奈川県」とは、かなり違うと思います。「他県の人がイメージする神奈川県」とは、多分、旧相模地域でしょう。とくに、東は鎌倉や逗子辺りから、西は小田原、箱根の辺り。
あ、横浜中心部――昔からの横浜である、関内、桜木町、本牧辺りは、またちょっと違うよ。あそこら辺は“横浜県”(笑)。「他県の人がイメージする横浜」は、その辺のことを指すのでしょう。
まあ、神奈川の場合は、さらに横須賀、三浦や、あるいは足柄、山北なんかも違った地域性になるんですが・・・神奈川県の話は、また機会があったら。
話を戻すと、あるいは水戸だけでなく、大洗や鹿嶋辺りも、「これぞ茨城」って感じなのかもね。時間がある方は、それらの地域とセットで行ってみるのもいいかもね。
あ、茨城県南も、見どころはありますよ(笑)。東京からはより近いし。
そんなわけで、水戸の観光日記でした。
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ブラスズキ 水戸編(初日)

2017-11-05 13:29:42 | 旅行
1月辺りに、本家(?)ブラタモリで、水戸をやっててね。それ見て、「行こう」と思ってたんですよ。
水戸に来たのは10年ぶりなんですが、駅周辺、とくに南口はすっかり開けちゃいましたね。「東京の郊外にも、こういうトコあるぞ」くらいにね。

で、初日。
水戸駅前(北口)では、

水戸黄門(徳川光圀)御一行が迎えてくれました(笑)。



そんな黄門様御一行に見送られ、まずは弘道館跡へ。水戸駅から徒歩圏内(5,6分かな?)です。





水戸藩の藩校ですね。ここでの教育が、(水戸藩士のみならず)多くの幕末志士に影響を与えたようです。
で、ここからは、二日目に行った常盤(ときわ)神社内の義列公資料館なんかにあったことですが・・・
まあ、「水戸学」とは、簡単にいっちゃえば、「徹底した尊皇」なんですよ。二代藩主・徳川光圀が、上下関係がやかましい儒教(朱子学)の信奉者らしく、





「将軍家は徳川一門の宗家にすぎない。我らの主君は天皇である」


「将来、朝廷と将軍家が敵対したとしても、水戸徳川家は朝廷に弓を引いてはならない」




――簡単にいっちゃえば、こういった思想も教えてたらしいんですよ。
この思想があったから、勤皇派が生まれ、やがて討幕につながるんですが・・・そりゃ、ご先祖様から代々、子供のころからこういった思想を植え付けられたら、水戸家出身の徳川慶喜も及び腰になるよな、戊辰戦争において。
たとえ将軍の身であっても、たとえ佐幕勢力のほうが圧倒的な動員数を持っていても、朝敵となることを恐れるよなぁ。もちろん、「早く内戦を終わらせないと、諸外国につけこまれる」といった判断もあったんでしょうが。
まあ、それはいいとして、弘道館のことに話を戻します。





こういう武家屋敷っぽい雰囲気、いいよなぁ。

まあ、高級な武家の屋敷でしょうけどね。身分の低い武士の家は、こんなに立派ではないでしょうが。

このあと一度、弘道館の敷地を出て、水戸城址に。




途中、義公(徳川光圀の諡)生誕の地(『源義公』とあるのは、徳川氏、松平氏の本姓は源氏だからでしょうか)とされる場所や、



大日本史の編纂が行われたとされる地を経て、



水戸城址。

まあ、現在は学校になっててね、義公生誕碑は中学校(だったかな?)、水戸城址は高校になってます。
もっとも、戦争中までは、三の丸は櫓状で残っていたようです(写真は残ってます)。空襲で焼けたらしいですが。

で、来た道を戻って、再び弘道館の敷地内に。







弘道館鹿島神社。

鹿島神宮の分祀ですかね。ここで引いたおみくじ、オレにとってはうれしい記述でした(内容は内緒/笑)。

このあと、敷地を出て、水戸東照宮へ。








そうそう、東照宮の直前で、



猫が迎えてくれました(笑)。

神社で動物に出会うというのは、歓迎されてるってことらしいですよ。動物は神様の化身らしいです。
こんなに近くまで来てくれるとはね。って、その前に高校生がお菓子あげてたんで、「こいつ(オレ)もなんかくれるだろ」思って、近寄ってきたんでしょうが(笑)。そのせいか、なにもあげなかったオレに対しては(顎をなでてあげたけど)、ちょっと不貞腐れたような視線を(笑)。
ともかく、この神社は名前からして徳川家康を祀っているのはもちろんのこと、徳川頼房(威公。初代水戸藩主)も祀っているようです。
で、境内には、



カノン砲も。

水戸藩沖に現れたイギリス船の打ち払いに使用されたようです。

そんなこんなで、初日の散策はここで終わり、ホテルへ。
まあ、距離的にも旅程的にも、日帰り可能ではあるんですけどね。年のせいか、強行軍が厳しくなってきてるんで、のんびりとしたスケジュールにしときました(笑)。
二日目のことは、後日。
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鳥取・島根に行ってきました(出雲編) 

2017-08-20 16:05:56 | 旅行

3日目(8/11)です。
まず、特急に乗って、出雲に。
で、レンタカーで、



須佐神社










初めて出雲に来たのは6年前なんですが、そんときからコースに考えてたんですよ。ただ、出雲市街から路線バスで40分くらいなんでね。トイレに不安のあるオレとしては敬遠してました。
それでも、やっぱり行ってみたかったんで、今回はレンタカーを申し込んでね。自分で運転する分には、トイレ行きたくなっても、コンビニなり、観光地や道の駅なりに、好きなときに寄れますからね。
この須佐神社は、須佐之男命(スサノオノミコト)を祀った神社です。
この人の子供が(諸説あり)大国主(オオクニヌシ)という神様で、こちらは出雲大社で祀られてます。
神社内、雰囲気あってよかったです。








すぐ上の画像は、須佐之男命の奥さんである櫛名田比売命(クシナダヒメ)がお産をした際、産具をこの木の葉で包んだとされる、落葉の槙です。
須佐神社の近所にあるんですが、ここと神社の間にあった食堂の雉蕎麦がめちゃめちゃ美味かった。とくに雉肉。ちょっと硬い食感ですが、軍鶏肉ほどではなく、味もあっさりしてて美味でした(笑)。

その後、八雲風穴に寄り、さらにちょっと寄り道で、



立久恵峡

ちょっと眺めただけですが、ここもよかったなぁ。
そのうえで、出雲大社に。

やっぱいいわぁ~(笑)。





大社のうさぎ。



縁むすびの碑。



大国主。

で、ここからは本殿。















当日、が降っててね。それもあって、周囲の山々も頂上のほうで霧がかかっててね。より一層、神々しい感じがしたなぁ。
で、君が代の一節にもあるさざれ石を見て、



神楽殿へ。








で、さらに出雲大社から足を延ばして、

まずは稲佐の浜


前回(3年前)同様、潮が引いてたんでしょうかね。間近で見ることができました。ちなみに、3年前のことは、こちら(『出雲・松江に行ってきました! ――出雲編――』)で。
6年前は、潮が満ちてて、もうちょっと遠かったような気がする。
ってことは、16:00から17:00ごろに来ると、近くで見ることができるのかもね(笑)。
その後、

日御碕神社






ここは、天照大御神(アマテラスオオミカミ)と須佐之男命が祀られています。姉と弟みたいですよ。
で、その周辺の海。




日御碕灯台までは行きませんでした。
そんなこんなで、車をレンタカー業者に返却し、ホテルへ。この日の散策は終わり。

翌日(8/12)、飛行機まではまだ時間があったんで、またも出雲大社へ。
前日は車で行ったので、この日は一畑電車に乗り、大社へ向かいました。




周囲には地元の女子高生がかなりいたんで、あんまり写メ撮ってるとイタいかな、思ってましたが・・・やっぱ観光地の人たちなんで、とくに気にしてなかったみたい(笑)。
で、ここが出雲大社前の駅舎。




そこから徒歩数分で、出雲大社に。



しかし、やっぱ出雲大社、そして出雲、好きだわぁ。
このあと、神社のこととか日本の古代神話のこと、ちょっと調べたんですが、とりあえず前者について(後者については、機会があれば)。




人と神社との相性って、あるみたいですよ。



こちらのサイトさん(『Mikata Labo』さん)なんかにありますが、

1.神社に参拝した際、雨が降っていると、歓迎されている。この雨が参拝中のみの現象であると、とくに縁起が良い。
2.五感でよいものを感じる。
3.動物と出会う。

などといった現象などがあると、その神社とは相性がいいようです。
どうりでね。
今回はまず1.でした。2日とも雨だったし、2日とも神社に参拝したときだけ雨が降ってたし(上の画像は、大社を出ようとしたときだったと思う)。
それと、2.についてもね。オレ、出雲大社は三度目だけどさ、ここは何度来ても、心が洗われる、というか、いい意味で無心になって、風景に目を奪われる。
初めて来たときは、夜神楽に参加するため、完全に日が暮れた時間だったんですが、「真っ暗な神社」っていうと、大なり小なり「薄気味の悪さ」みたいなものもあるじゃないですか。それがこのときは、木々や枝と枝の間から見える月の美しさもあって、すげぇ感動したもんな。
それに、今回も境内の中で本殿や周囲の山々を眺めながら、「もうちょっと、こうしていたいなぁ」なんて思わされたし。
とにかく、居心地がいい、というか。
そして、3.については、前回は、今回はを見かけました(笑)。
ちなみに、オレにとって、出雲大社以外で、上の1.から3.のいずれかが該当したのは、(ほぼ)地元の神社。そこはいまんトコ、2.のみですが。あとは熱田神宮。軍鶏がいましたので3.ですかね。
寺もアリなら、もう20数年前に行った中尊寺(ここは1.で、あるいは2.もあったかも?)と、2年前(だったかな?)に行った鈴虫寺(ここは1.と、鈴虫もアリなら3./笑)、鞍馬寺(2.)と、去年行った山寺(2.ですかな)。
それと、今度はこちらのページ(『スピラボ』さん)。ここによると、オレは地属性らしく、この属性は、





やはり出雲大社と相性がいいようです。



そんなわけで、





オレは出雲大社とは相性がいいようですね。



どうりで、居心地がいいはずだ(笑)。
皆さんにとっても、相性のいい神社(パワースポット)、きっとあるんじゃないでしょうか。

そんなこんなで、出雲縁結び空港へ向かい、帰りの飛行機を待つことに。




しまねっこたち、ありがとう。来てよかったよ(笑)。
で、飛行機で羽田へと。

いや、ホントに、須佐神社のほうも、そこへ向かう道中も、そして大社の周辺も、「初めてなのに懐かしい」「故郷ではないけど、懐かしい」って感覚が生じてしまう地でしたね。ホントにいい所です。もちろん、松江や鳥取も(笑)。
ってわけで、旅行記でした。

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鳥取・島根に行ってきました(松江編) 

2017-08-14 15:01:56 | 旅行
はい、2日目(8/10)のお昼ごろ、電車で松江に。
まずは、駅からタクシーで、



八重垣神社に。













すぐ上の画像は暗くて見えにくいかもしれませんが、古代結婚式発祥の地のようです。



で、ここの鏡の池




神社のほうで占い紙を貰い、100円玉をその紙に乗せ、心の中で願い事を唱えながら、この池に浮かべます。で、15分以内に沈んだら、早い時期に良縁に恵まれる(20分以上かかると、良縁が遅れる)と、いわれてます。
オレがやってみたら、10秒くらいで沈んでいったんですが・・・





ってことは、オレはめちゃめちゃ早く、良縁に恵まれるってことか!



まあ、いいように考えましょ(笑)。

その後、バスで松江駅に戻り、徒歩で宍道湖(島根県立美術館)へ。







松江はホント、水の街ですよねぇ。この宍道湖も絶景ですね。
宍道湖畔の島根県立美術館ですが、その庭には宍道湖うさぎと呼ばれる兎の彫刻が。



何匹かいるんですよ。ほぼ縦一列で並んでいる、その兎たちの内、二番目の兎の頭を撫でながら、西の方角を向いて、願い事を心の中で唱えると、その願いが成就する、なんて言われてます。西の方角には出雲大社があるようですよ。

で、まあ、そのあとは松江城にいったんですが・・・じつはこの松江、以前も訪れており、その際のことをこちら(『出雲・松江に行ってきました! ――松江編――』)で書いててね。松江城のことも書いてるんで、よろしかったら、そちらのほうも。
それと、8/10はその松江城で観光を終え、ホテルにチェックインしたんですが・・・翌8/11のことは、また今度。
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