マッシュムラムラ(仮) ――クラ鈴が斬る!――

SINCE:2002.2.24
氷室京介、あぶない刑事、マンガ etc

義経

2015-08-30 11:21:11 | 小説
司馬遼太郎の小説「義経」の感想です。
あ、ここで述べている人物像やエピソードは、すべてこの「義経」という作品に準拠したものですからね。あくまで「史実をもとにした小説に準拠」です。

私としては、正直、義経より頼朝のほうが好きなんですが、ただ、





たしかに創作の主人公としては義経のほうがふさわしい、というか絵になりますよね(笑)。



「美しい母親の助命嘆願により、父親の政敵の情けで、一命だけは救われる」「ただし、清盛としては常盤御前欲しさで、という現実も」「寺に入るも、武士の血のためか、僧侶の枠には収まることができない、無邪気な破天荒ぶり」「やがて鞍馬を抜け、奥州へ」「成長後、兄頼朝の陣中へ駆け付ける」――そして、なにより、





常に小勢で、自ら先陣を切って白兵戦を展開する。



奇襲を得意とする戦術、アクロバティックな個人的武勇。




まあ、判官びいきなくしても、創作家としては義経のほうが動かしやすいですよね(笑)。頼朝だと、「主人公が野心満々、自身が天下欲しいがために、権謀術数も厭わなければ、冷徹にもなりきれる」といった部分も描いていい作品なら、主人公としておもしろいんでしょうが、大衆向け作品としてはね、やっぱ義経のほうが主人公らしいですよね(まあ、『草燃える』では途中まで頼朝が主人公だし、吉川英治も頼朝主役の小説を書いてますが)。
また、義経っていう人が、





よくいえば純粋、悪くいえば自己中心的で世間ズレしている



って人なんだよね。現実に、周りにいたら殴りつけたくなりますが(笑)、創作の主人公としては、それくらい個性豊かでないと困ります。マンガとかでも、「空気主人公」って、魅力ないでしょ。
義経はね、必要以上に肉親や目上の者に甘え、必要以上に子飼いの部下や自分の女をかわいがるような性格なんですよ。
兄である頼朝との「血縁」に甘え、頼朝の代官であるにもかかわらず、頼朝が付けた彼の御家人たちを自分の家臣のように扱う。「兄の家臣なら、弟である自分にも敬意を持って当然だろ」とばかりにね。
頼朝としては「家にあっては兄弟でも、国にあっては君臣」でしょうし、そもそも当時の価値観としては、「それまで会ったこともない、別腹の弟など、家臣と変わらない(対して、自分は正室の子、嫡男)」でしょうし、それは彼が付けた御家人たちも同じでしょう。
にもかかわらず、自分の家臣である弁慶伊勢三郎義盛、しかも僧兵、盗賊上がりの彼らと、有力御家人である梶原景時らを同格とばかりに扱って、さらには軍監である景時の意見は完全無視ですからね(まあ、景時もかなりアレな人ですが/笑)。
やっぱ天才肌なんでしょうね、義経は。採用しないにしても、横着せずに説明すべきなんでしょうが、「黙って従ってろよ。オレの戦術以外、勝つ方法はねぇよ」とばかりに、他人の意見を黙殺する。で、彼に代わって説明役のできる腹心がいればいいんですが、そういう人材もいない。
とくにこのころの戦っていうのは、総大将は前線には立たないらしいんですよ。もちろん、「大将が討たれたら、軍が瓦解し壊滅しちゃうから」ってのもありますが、なにより「諸将に功を立てさせてやるために、諸将とその部隊を全面に押し出してやる」といったことが、総大将に求められていたようです。それが、義経は自ら先陣切っちゃいますからね(笑)。諸将としては、「自分たちに功を立てさせることなく、自分が功を独占してしまう」と取ってしまいますよね。事実、義経は「戦勝はすべて自分の功績」と思ってますし。
たしかに、彼の常識に囚われない戦術眼は、日本史上で類を見ないでしょう。比肩できるのは信長くらいでしょうか。清盛、頼朝は「政略の人」って感じだし、秀吉、家康は、戦術眼もあったけど、「戦略の人」ってイメージがあるし。
ただ、義経が最大の功労者であることは疑いようがないけど、彼ひとりの功績であるわけではないんですよね。一の谷、壇ノ浦なんかは本隊である範頼軍が平家方を引き付けていたおかげでもあるし、屋島だって義経の奇襲後に梶原景時率いる水軍が到着して、平家側は完全に戦意を失ったわけだし。
義経個人にはなくてもいいんだろうけど(それゆえに、人物として、武将としてはおもしろい)、その腹心に「梶原殿のご意見、ごもっとも。しかし、我が殿としてはこのような考えで――」とか「武衛(頼朝)に付けていただいた諸将のおかげです」なんて気遣いできる人がいたらね・・・少しは結末もちがったかもしれませんね。
まあ、それでもこのころの武士の価値観としては、主従も親兄弟も、普通に政敵にもなり得るんですが。
頼朝はこの辺が痛いほどわかってたんですよ。平治の乱で敗れて、父親が逃げ込んだ先で殺され、それまで源氏を立てていた武士たちも当たり前のように平家に付いた現実を、多感な14歳といったころに目の当たりにしてますからね。
そもそも、日本史において、専制君主なんて、頼朝の後にも先にも、ほとんど存在しませんからね。もう、邪馬台国のころから、日本の最高権力者って「連合政権の盟主、首長」でしかないですから。
大和朝廷だって、鎌倉幕府だって室町幕府だって、豪族連合、武家連合の盟主でしかありませんからね。徳川家の江戸幕府だって、ほかの政権よりは君主格(将軍)の裁量権が大きかったけど、結局は大名領の細かい内政までは干渉できなかったし。
明治政府だって、薩長の連合政権でしょうし、ワンマンといわれた吉田茂だって、実際は党人派に気を使わざるを得なかったんでしょうし。
逆に、専制的ではあった後醍醐天皇や信長は、結果として失敗といえるでしょうからね。
ともかく、頼朝としては、自分が坂東武士たちの(後には全国の武士たちの)連合政権の盟主でしかないことを自覚していた。そもそも、子飼いの家臣、兵をほとんど持ってませんからね。
ゆえに、武士たちの所領を安堵し、また、彼らの調停役を務めなければならなかった。それらを無視して専制的に振る舞えば、前述のとおり「じつは、後の世の武士道やら忠義などからは縁遠い」といえる、まさに野武士がちょっとだけ上品になった程度の武士たちから、容赦なく捨てられる。
そして、この辺のことがわからないのが、義経の世間ズレしている部分といえるでしょう。
兄のように、ほかの武士たちに気遣いができないから、そして親兄弟であっても殺し合うといった、武家の常識がわかってないから、景時を始めとする御家人たちから嫌われ、頼朝からは警戒される。そして、そういうところを大天狗(頼朝もひどいあだ名つけますよね/笑)・後白河法皇に利用される。
義経の悲劇は、こういうトコなんでしょうね。せっかく軍事の天才であり、政治的には野心のない、鎌倉にも朝廷にも忠実な人だったんですが、自身も腹心の者たちも、そういうことができない、といったところが。

で、この「義経」という作品ですが、もちろんおもしろかったです。ただ、





義経に夢を見過ぎている歴女のみなさんは、読まないほうがいいと思います(笑)。



まず、頼朝も義経も、





かなりの好色です(笑)。



とくに義経は、作中で何人抱いてるか(笑)。
奥州への逃避行中から始まって、陣中でも草茂る原っぱで、壇ノ浦での戦勝後も船の中で・・・日常においても、頼朝が仲を取り持った川越氏の娘を嫁にしておきながら、平時忠の娘も正室として迎え、さらには静御前にも手出してます。
まあ、ふたりの父親義朝からしてそうですからね。この兄弟もそうなりますよね。ってか、権力者、身分の高い人ってのはそういうもんです(笑)。
また、義経自身も抱かれてます(笑)。それも、幼少時、おっさん僧侶に。ただ、歴女は同時に腐女子である人も多いかもしれんので、これはむしろ歓迎なのかな? (笑)
それと、義経の見た目。やはり出っ歯なヒラメ顔的な描写になってます。まあ、平安末期というのは、そういう顔の造形がイケメンとされていたわけではあるんですが。

それにしても・・・やっぱ義経が創作の主人公になりやすいことを改めて実感しましたね。遮那王にしても「ますらお」にしても、彼を取り上げるわけだ(笑)。
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京都市内・天橋立に行ってきました! ――三日目――

2015-08-20 17:17:00 | 旅行
三日目(2015.8.19)です。
朝、こちらに行ってきました。

鴨川



三条大橋からの鴨川



そして、

池田屋跡





新撰組の見せ場だった地ですね。近藤さんと沖田さんが大活躍です。あれ、沖田は病で、そんなに動けなかったんだっけ?
個人的には、るろ剣追憶編で、凱旋する斎藤が、聴衆に紛れている剣心に不敵な笑みを浮かべてたトコを思い出します(笑)。その後の、

沖田「どうしたんです? 斎藤さん」
斎藤「なんでもないよ、沖田君」

ってトコも(笑)。たしか、斎藤は土方組で、途中から池田屋に駆け付けたんだよね。

で、チェックアウトのうえで、ちょっと足を延ばします。



って、特急はしだて号に乗って、二時間かかりますが(笑)。
そんなこんなで、やってきました、天橋立!



ここから、すぐ近くの天橋立ビューランドへ。
リフトモノレールに乗って行けるんですが、オレは前者を選択。



稼働・オレが生まれる前から(笑)。


で、やっぱ絶景でしたね。

股のぞきからの天橋立



飛龍観回廊からの天橋立



別風景



なんでも、股のぞきすると龍が天に昇っていくように見えるそうです(見えるかな?/笑)。
このビューランド、ミニ遊園地的なトコもありまして、


観覧車



こういうの見てると、奥さんや子供と来たくなる! (笑)


その後、麓に下り、天橋立へ。

廻旋橋



ただし、動くのは不定期だそうです(オレが来たときも回らず/笑)。
で、橋を渡って、ついに日本三景・天橋立に足を踏み入れます!

日本三景の碑





いかにもな松(笑)。


ただし、散策の前に、入ってすぐの茶屋で、名物あさりうどんを。



マジ、美味かったです。
で、途中、

宮津湾や、



松の木なんかを眺めながら、

特別名勝天橋立の碑



ここで天橋立といわれる浜(?)は終了。
そのすぐ近くにある元伊勢大神宮龍之宮でお参り。



さらにちょっとだけ足を延ばして真名井神社に。





天の真名井の水


この水を汲んで、持って帰ると、願い事が叶うとか。ただし、汲んでいいのは、上の画像の奥にある水道からね。
私も汲んで持ち帰りました。願い事が叶いますように(笑)。
で、また天橋立付近に出て、復路はボートに乗ることにしました。観光船も出てますが、対岸まで12分かかるのに対し、ボートだと5,6分なので。

ボートからの阿蘇海



天橋立を挟んで、宮津湾と阿蘇海に分けられます。先に紹介した前者は、おもに海水浴場。
ボートから降り、すぐのところに智恩院智恵の輪で有名な所ですね。

山門



多重の塔



本殿



頭がよくなりますように! (笑)

そんなこんなで、京都・天橋立紀行でした。
どこもまた行きたいですね。
どこだったかは忘れましたが(鞍馬寺かな?)、「信心深いのはいいことだが、迷信に拘ってはならない」みたいなこと書かれていたのが、印象強かったですね。
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京都市内・天橋立に行ってきました! ――二日目―― 

2015-08-20 17:16:00 | 旅行
二日目(2015.8.18)です。

最初にいったのは、西本願寺







本殿から


「ここから、新撰組幹部たちは、隊士たちの稽古を見てたのかな」なんて。
で、中にも入れたんだが、神社の国風文化もいいけど、お寺さんの古代中国、かすかに古代インド、そして古代~中世日本の文化、芸術がごちゃ混ぜになった雰囲気もいいね。
そのあと、島原大門



新撰組幹部たちと遊女たちとのロマンスもあったかも。


お次は壬生寺。





ここも新撰組幹部たちが、本殿から隊士たちの稽古見てたのかもね。
で、壬生寺内の近藤さん像



そのすぐ隣に、



上手すぎ斎藤さん(笑)。


壬生寺の隣といえる八木邸







新撰組発祥の地で、まだ芹沢さんら水戸一派が君臨してたころの拠点です。
芹沢一派と近藤一派は、それぞれ違うはなれで暮らしてた模様。
ここで、芹沢一派が土方、沖田らに暗殺され、以後、近藤、土方らに一局集中します。
屋敷の中に刀傷がありました。血飛沫が取れず、掛軸で隠してある壁も。
その後、蛤御門





会津藩、新撰組が、薩摩藩の助けを得て、長州藩を撃退した地です。



弾痕(?)も。

その御門を抜けて、京都御所の敷地内に。広い! (笑)





御所の中に入るには、事前予約が必要。今度は絶対行きたい! (笑)
で、城南宮、鳥羽伏見古戦場







こちらは長州と薩摩が、幕府軍(会津藩、新撰組含む)を撃退した地。って、薩摩は幕末の内戦は負け知らずだな(笑)。
古戦場は、立札は城南宮内だけど、石碑はちょっと歩いた鳥羽離宮跡公園に。普通の公園です。母子かキャッチボールしてた(笑)。

鳥羽伏見のあと、出町柳まで出て叡山電車に乗り換え。
鞍馬駅



そして、鞍馬寺





初めて日本史習って、夢中になってた小6のころきてたら、感動してたなぁ(笑)。



伝説が本当なら、幼き日の義経公はこんなとこを登り下りしてたんだな(笑)。

丁度、司馬遼太郎の「義経」読んでることもあり、「昼間でも陽の光が差さない」といった表現を思い出し、ちょっと納得。上の画像は差してるほうですが。
こちらは、本殿と本殿から見た光景。





(後者について)そりゃ、俗世からはかけ離れるわな。武士の血を引く義経公が、出て行きたくなるわな(笑)。


しばらく歩き、やがて下っていくと、義経堂奥の院に。




ちなみに、ケーブルカーが来年3月まで工事中のため、オール徒歩。四十過ぎて、こんな登山することになるとは(笑)。しかも、下りも(笑)。貴船口まで歩いたよ~。

で、一度ホテルに帰ったうえで、京都駅ビルに夕飯に。

京都駅ビル大階段




二日目でした。
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京都市内・天橋立に行ってきました! ――初日――

2015-08-20 17:15:00 | 旅行
ってわけで、京都にいってました。
まずは初日(2015.8.17)から。
京都はSuicaが使えるのがありがたい。大阪まで出ると、駅によっては使えんからね。
ただ、京都の女は平気で割り込んでくるのね(苦笑)。

真っ先にいったのが鈴虫寺



ここのお地蔵さんは、お参りした人の家を訪れ、願いを叶えてくれるそうです。ゆえに、このお地蔵さんは草鞋を履いている。もちろん、お参りする際は、願い事の前に住所と氏名を念じる必要があります。
このお地蔵さん、めっちゃ穏やかなお顔でしたね。
そして、住職(っていっても総髪)の説法。「和顔愛語」「洗心」――ありがたいお話です。
なんでも、片平なぎさも来たようです。ほかにもテレビの撮影も来るらしいね。で、住職が「私も来週、撮影です。





レントゲン撮影



まあ、持ちネタなんでしょう(笑)。

で、義経と弁慶で有名な五条大橋を見てホテルに。
五条大橋付近で、外人に道聞かれて、「メイビー、ストレート」言っても信じてもらえんかった(笑)。しょうがないんで、前からくるJKっぽい集団に「君たち、地元の人?」って声かけて、助けてもらうことに。
「違います」言われたが、構わず道を聞く(笑)。
結局、オレの推測どおりだった。外人(夫婦かと)としては、怪しげな英語喋ったオレより、日本語でも堂々と答えた若い女の子のほうが信用できるのか? (笑)

あ、そうそう、オレの泊まったホテルの隣のホテルに、「新撰組最後の洛中屋敷」の碑もありました。



「屋敷」ですけどね(笑)。
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日本のいちばん長い日

2015-08-16 22:20:07 | 時代もの(歴史系)

映画、観てきました。
ほとんど冒頭といっていいトコでね、総理大臣を拝命した鈴木貫太郎(山崎努)が、





「本土決戦になれば、桜が咲くことは、もうあるまい」



なんてね、満開の桜並木の下、車内で呟いてたのが、早くも印象強かったです。
これ、ホントそうだよなぁ。もし本土決戦なんてやってたら、日本全土が焦土と化し、日本人なんて、地球上から消滅してますよ。残ったとしても、ほんのわずかで、アメリカの一州の一部にいる少数民族として、インディアンのように文化も廃れていってたでしょうね。
ってか、もうひとつは原爆落とされたでしょうから、後にアメリカの核実験場になってたかも・・・
で、鈴木としては当然、そんな事態は避けようと画策します。というより、当時の閣僚はみな、同じ気持ちだったようです。
それは、陸軍大臣の阿南惟幾(役所広司)も海軍大臣の米内光政(中村育二)も同じでした。
これは正直、意外でしたねぇ。
ってのも、以前、松方弘樹が鈴木貫太郎を演じた再現ドラマ見たときなんかは、とくに阿南はポツダム宣言の受諾に強硬に反対して、本土決戦を声高に叫んでた印象があったんで(あるいは、私の理解力不足かもしれませんが)。
阿南としても、「受諾やむなし」「条件としても、外相らが主張する国体護持のみでやむなし」が本心だったようです。が、陸軍内部、とくに若手将校らが強硬に本土決戦を主張してて、クーデターも辞さない勢いだったんでね、それを抑えるために、ポーズで、「国体護持のみを条件にするのではなく、武装解除、戦犯の処罰は日本側にて、占領は最小限の兵力で」という条件を出していたようです。「それを連合国が飲まないなら、本土決戦」ってことで、若手将校らを抑えてね。
ってか、ほかの陸軍上層部(参謀総長、近衛師団長ら)も、阿南と同意見だったようです。陸軍って、とかく悪いイメージで見られがちですが、状況が見えている人たちもちゃんといたらしいですね。それも上層部に。
そもそも、対米戦始めたのは海軍であって、「陸軍としては寝耳に水」「余計な敵作ってんじゃねぇよ!」なんて思ってた、なんて話も聞いたことあるような気がします(無論、真偽はわかりません)。
ちなみに、その若手将校のひとりで、クーデター未遂の首謀者といっていい少佐畑中健二役が、松坂桃李です。自らの信念に狂信的な若き軍人を見事に演じてましたよ。
畑中の「ソ連は対独戦で本土にて決戦し、その後の勝利がありました。ドイツとて、ヒトラー生存時には本土決戦をやってます!」(概略)って台詞にはね、「ソ連は何人味方を殺してんだよ。ドイツはそのせいで蹂躙されたじゃねぇか」なんて思っちゃうほどに、松坂桃李も好演してました。
それと、本木雅弘の昭和天皇もよかったです。昭和天皇の人柄のよさ、それでいて威厳のある佇まいも、よく表現されていたと思います。
この昭和天皇と鈴木、阿南が昔馴染みでね。鈴木が侍従長、阿南が侍従武官だったのかな? この三人のつながりもよかったです。

で、数回の御前会議のうえで、ようやく昭和天皇が聖断を下し、「(国体護持のみを条件とする)ポツダム宣言受諾」を決し、玉音放送の収録を行います。
その決定のあと、阿南は鈴木のもとを訪れ、「反対意見ばかり述べて、申し訳ございません」(概略)と謝意を示します。対する鈴木は「みな、国を思ってのことです」(概略)と答え、阿南を慰め、その好意を受けたうえで、阿南は退室していきます。
このとき、鈴木が「阿南君は、暇乞いにきたんだね」と呟いてね。阿南のその後の行動を察していたんだろうね。
そして、阿南は自宅に戻り、部下と最期の杯を交わします。
その間、畑中ら若手将校は、阿南から聞かされた聖断に納得せず、クーデターを企て、実行のために皇居へ乗り込みます。ただし、それは結果として未遂に終わります。
このときの、阿南の最期はね・・・ちょっと、胸に来るものがありました。
杯を交わしていたところ、若い将校(クーデター組とは行動をともにしてなかった者)が入ってきて、阿南が「介添人がふたりになったか」といったところ、「自分も、あとからお供します!」なんて口にしてね。それを阿南が平手打ちかまして、将校を制してね。
で、クーデターが未遂に終わったころ、阿南は割腹して果てます。
前述のとおり、阿南という人は、状況が正しく見えてて、良識をもって決断、行動してた人なんですよ。少なくとも、この作品における阿南大臣はね。
そんなクレバーで良識のある人が、腹切って自害しなければならないなんて・・・
考えさせられるものがありましたね。
陳腐で当たり前なことしかいえねぇけどさ、





やっぱ、戦争なんてしないほうがいいんだよなぁ。



「良識のある人間が~」なんてのは、当たり前に降ってくる理不尽ですからね。
人生なんてのは、理不尽だらけです。それが当たり前です。「生きる」っていうのは、常にそれとの戦いです。それは平和な時代においてでさえ、いえることです。
でも、戦争なんてのは、前述の阿南大臣の最期に限らず、平和な世の中に生まれ育ち、そして生きているオレらには想像すらつかないほどの理不尽に塗れてます。オレらが襲われたら、すぐに発狂してしまうほどかもしれません。
いやね、最近の世相を見てるとね・・・まあ、「ネットの中だけ」と信じてはいますが、戦前の世相同様、多くの人が「勇ましいこと」を口にしすぎてるような気がしてね。
もちろん、国防というのは必要不可欠です。それを真剣に論ずるのは、悪いことではありません。ただ、「自分たちは絶対に安全だ」という、根拠のない前提をもって論じてるような気がしてね。そして、その自覚もない。
戦前の人たちは、それでも戦って死ぬ覚悟を持ってた人もたくさんいたけど、いまの平和が続いてる時代を生きてるおまえらに、そんだけの覚悟あんのかよ? どうせ、いざとなったら、ぴぃぴぃ喚くだけで、何もできねぇくせに。
「自分たちは絶対に安全」という前提を持てるのは、映画やドラマや小説、マンガやアニメやゲームの世界だけですよ。視聴者なり読者なりでいられるからですよ。それらの中だけにしときなさいって。君たちの大好きな(あるいは、よく知る)シャア大佐だって、「戦いというのは、ドラマのように格好いいものではない」いってるだろ。
まあ、シャアの件(くだり)はともかく(笑)。
いっとくけど、米軍や自衛隊だけが殺されるわけじゃねぇぞ。徴兵制の有無など関係なく、民間人だって犠牲になるんだぞ。蹂躙されんだぞ。「世界の目」があるゆえに、あるいは日本にとっては同盟国ゆえにお行儀よくしてる米軍だって、一部には悪さしてる連中もいるんだよ。敵対する国の軍隊なんて、非戦闘員にもなにするかわかんねぇぞ。
仮に民間人は殺されないんだとしても、前述のような「平和な時代では想像すらつかないほどの理不尽」に襲われるんだぞ。
当然、覚悟のうえで、「勇ましいこと」いってるんだよな?

まあ、君たちよりはいくらか年取った人間による、ちょっとしたお節介でしたかね。でも、ちょっと考えていただけると幸いです。同胞の若い人たちが蹂躙される、あるいは想像もつかないような理不尽に襲われるなんて事態は、見たくもありません。もちろん、自分がそうなりたくないというのもありますが。

肝心の作品のほうは、見応えのある作品でしたね。って、だからこそ、感想書いてるんでしょうが(笑)。
ともかく、歴史、とくに近現代史も好きな人には、おすすめです。
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