映画、観てきました。
ほとんど冒頭といっていいトコでね、総理大臣を拝命した鈴木貫太郎(山崎努)が、
「本土決戦になれば、桜が咲くことは、もうあるまい」
なんてね、満開の桜並木の下、車内で呟いてたのが、早くも印象強かったです。
これ、ホントそうだよなぁ。もし本土決戦なんてやってたら、日本全土が焦土と化し、日本人なんて、地球上から消滅してますよ。残ったとしても、ほんのわずかで、アメリカの一州の一部にいる少数民族として、インディアンのように文化も廃れていってたでしょうね。
ってか、もうひとつは原爆落とされたでしょうから、後にアメリカの核実験場になってたかも・・・
で、鈴木としては当然、そんな事態は避けようと画策します。というより、当時の閣僚はみな、同じ気持ちだったようです。
それは、陸軍大臣の阿南惟幾(役所広司)も海軍大臣の米内光政(中村育二)も同じでした。
これは正直、意外でしたねぇ。
ってのも、以前、松方弘樹が鈴木貫太郎を演じた再現ドラマ見たときなんかは、とくに阿南はポツダム宣言の受諾に強硬に反対して、本土決戦を声高に叫んでた印象があったんで(あるいは、私の理解力不足かもしれませんが)。
阿南としても、「受諾やむなし」「条件としても、外相らが主張する国体護持のみでやむなし」が本心だったようです。が、陸軍内部、とくに若手将校らが強硬に本土決戦を主張してて、クーデターも辞さない勢いだったんでね、それを抑えるために、ポーズで、「国体護持のみを条件にするのではなく、武装解除、戦犯の処罰は日本側にて、占領は最小限の兵力で」という条件を出していたようです。「それを連合国が飲まないなら、本土決戦」ってことで、若手将校らを抑えてね。
ってか、ほかの陸軍上層部(参謀総長、近衛師団長ら)も、阿南と同意見だったようです。陸軍って、とかく悪いイメージで見られがちですが、状況が見えている人たちもちゃんといたらしいですね。それも上層部に。
そもそも、対米戦始めたのは海軍であって、「陸軍としては寝耳に水」「余計な敵作ってんじゃねぇよ!」なんて思ってた、なんて話も聞いたことあるような気がします(無論、真偽はわかりません)。
ちなみに、その若手将校のひとりで、クーデター未遂の首謀者といっていい少佐畑中健二役が、松坂桃李です。自らの信念に狂信的な若き軍人を見事に演じてましたよ。
畑中の「ソ連は対独戦で本土にて決戦し、その後の勝利がありました。ドイツとて、ヒトラー生存時には本土決戦をやってます!」(概略)って台詞にはね、「ソ連は何人味方を殺してんだよ。ドイツはそのせいで蹂躙されたじゃねぇか」なんて思っちゃうほどに、松坂桃李も好演してました。
それと、本木雅弘の昭和天皇もよかったです。昭和天皇の人柄のよさ、それでいて威厳のある佇まいも、よく表現されていたと思います。
この昭和天皇と鈴木、阿南が昔馴染みでね。鈴木が侍従長、阿南が侍従武官だったのかな? この三人のつながりもよかったです。
で、数回の御前会議のうえで、ようやく昭和天皇が聖断を下し、「(国体護持のみを条件とする)ポツダム宣言受諾」を決し、玉音放送の収録を行います。
その決定のあと、阿南は鈴木のもとを訪れ、「反対意見ばかり述べて、申し訳ございません」(概略)と謝意を示します。対する鈴木は「みな、国を思ってのことです」(概略)と答え、阿南を慰め、その好意を受けたうえで、阿南は退室していきます。
このとき、鈴木が「阿南君は、暇乞いにきたんだね」と呟いてね。阿南のその後の行動を察していたんだろうね。
そして、阿南は自宅に戻り、部下と最期の杯を交わします。
その間、畑中ら若手将校は、阿南から聞かされた聖断に納得せず、クーデターを企て、実行のために皇居へ乗り込みます。ただし、それは結果として未遂に終わります。
このときの、阿南の最期はね・・・ちょっと、胸に来るものがありました。
杯を交わしていたところ、若い将校(クーデター組とは行動をともにしてなかった者)が入ってきて、阿南が「介添人がふたりになったか」といったところ、「自分も、あとからお供します!」なんて口にしてね。それを阿南が平手打ちかまして、将校を制してね。
で、クーデターが未遂に終わったころ、阿南は割腹して果てます。
前述のとおり、阿南という人は、状況が正しく見えてて、良識をもって決断、行動してた人なんですよ。少なくとも、この作品における阿南大臣はね。
そんなクレバーで良識のある人が、腹切って自害しなければならないなんて・・・
考えさせられるものがありましたね。
陳腐で当たり前なことしかいえねぇけどさ、
やっぱ、戦争なんてしないほうがいいんだよなぁ。
「良識のある人間が~」なんてのは、当たり前に降ってくる理不尽ですからね。
人生なんてのは、理不尽だらけです。それが当たり前です。「生きる」っていうのは、常にそれとの戦いです。それは平和な時代においてでさえ、いえることです。
でも、戦争なんてのは、前述の阿南大臣の最期に限らず、平和な世の中に生まれ育ち、そして生きているオレらには想像すらつかないほどの理不尽に塗れてます。オレらが襲われたら、すぐに発狂してしまうほどかもしれません。
いやね、最近の世相を見てるとね・・・まあ、「ネットの中だけ」と信じてはいますが、戦前の世相同様、多くの人が「勇ましいこと」を口にしすぎてるような気がしてね。
もちろん、国防というのは必要不可欠です。それを真剣に論ずるのは、悪いことではありません。ただ、「自分たちは絶対に安全だ」という、根拠のない前提をもって論じてるような気がしてね。そして、その自覚もない。
戦前の人たちは、それでも戦って死ぬ覚悟を持ってた人もたくさんいたけど、いまの平和が続いてる時代を生きてるおまえらに、そんだけの覚悟あんのかよ? どうせ、いざとなったら、ぴぃぴぃ喚くだけで、何もできねぇくせに。
「自分たちは絶対に安全」という前提を持てるのは、映画やドラマや小説、マンガやアニメやゲームの世界だけですよ。視聴者なり読者なりでいられるからですよ。それらの中だけにしときなさいって。君たちの大好きな(あるいは、よく知る)シャア大佐だって、「戦いというのは、ドラマのように格好いいものではない」いってるだろ。
まあ、シャアの件(くだり)はともかく(笑)。
いっとくけど、米軍や自衛隊だけが殺されるわけじゃねぇぞ。徴兵制の有無など関係なく、民間人だって犠牲になるんだぞ。蹂躙されんだぞ。「世界の目」があるゆえに、あるいは日本にとっては同盟国ゆえにお行儀よくしてる米軍だって、一部には悪さしてる連中もいるんだよ。敵対する国の軍隊なんて、非戦闘員にもなにするかわかんねぇぞ。
仮に民間人は殺されないんだとしても、前述のような「平和な時代では想像すらつかないほどの理不尽」に襲われるんだぞ。
当然、覚悟のうえで、「勇ましいこと」いってるんだよな?
まあ、君たちよりはいくらか年取った人間による、ちょっとしたお節介でしたかね。でも、ちょっと考えていただけると幸いです。同胞の若い人たちが蹂躙される、あるいは想像もつかないような理不尽に襲われるなんて事態は、見たくもありません。もちろん、自分がそうなりたくないというのもありますが。
肝心の作品のほうは、見応えのある作品でしたね。って、だからこそ、感想書いてるんでしょうが(笑)。
ともかく、歴史、とくに近現代史も好きな人には、おすすめです。