時遊人~La liberte de l'esprit~

優游涵泳 不羈奔放 by椋柊

オーヴェール城  

2009-04-05 | 仏蘭西探訪(郊外/地方)
観光シーズン前
ちょっと肌寒い3月の終わり
パリ北駅から列車を乗り継ぎ
オワーズ川沿いの町
オーヴェール・シュル・オワーズ(Auvers-sur-Oise)に
行って参りました

ゴッホが最後に住んだ町です


オーヴェール城から見た風景

まずはオーヴェール城
現在
城内は印象派博物館となっております
オーディオ・ビジュアル・システムを駆使しております
日本語による解説を聞きながら回れますので
安心安心



ブルジョワ生活を夢見る
印象派画家の理想と現実…



印象派が現れた時代背景
フランスの内乱
オスマンによるパリ改造計画

印象派の画家と
女性の服装との関係とは!?



働く女性達の様子

毎夜催される
男達と踊り子の宴と
印象派の作品との関連について



サン・ラザール駅完成に伴い
気軽に郊外へ出かけるが用意になった
印象派画家たちの歓喜が
いかなるモノであったのか!

「印象派の旅」と称する体験を
することが出来ます



お城のテラスを降りると
お庭が段差になってまして
その一番下にある地下スペースでは
現代の画家達による
絵画展が開かれていました



見学無料
その上ドリンク&スナック
ご自由にどうぞ~

ちなみに
作品には
2,000ユーロ前後の
お値段が付いておりました



こちらのお城
ゴッホが自殺を図った場所だったとか?





お城の裏あたりらしい

裏と言っても色々あって…



こちらは
旧ドビーニーの庭
現在は
ゴッホ公園となっています

右側の写真
右後方に写っているのは
ゴッホが描いた
ノートルダム教会です

その数3万冊

2009-04-03 | 仏蘭西探訪(郊外/地方)
国立図書館に次いで
フランス第2の地位を誇るのが
こちらの「図書館」なのだそうです

300点以上の彩色装飾を施した写本を含む
700点の写本
3万冊の蔵書を所蔵していて
その中には
印刷技術が発明された直後(15世紀末)の活字本
インクナブル版のコレクションもあるそうです

展示されているのは
その一部



洋書の製本って
どうしてこんなに
美しいのでしょうか

ヨーロッパでは
今でも
破損してしまった
古い本や大切な本を
製本屋に持ち込み
修復して
大切にする習慣があるとか?



自分以外の誰も存在しない
静寂につつまれた
この空間で
本を読む

本と一体化した
この空間は圧巻です
これだけで芸術性を感じる

美しい
     

この美しさに興奮し過ぎて
小生はこの後
グラン・シャトーのコンデ美術館
行きそびれたのよ



レストラン&カフェ「ラ・キャピテヌリー」



いい感じのレストラン&カフェ
「ラ・キャピテヌリー」

入り口に
映画「宮廷料理人ヴァテール」の写真がありました

実は
「宮廷料理人ヴァテール」の舞台となったお城なんだそうです
コンデ公がルイ14世を大饗宴でもてなした際の
大宴会の責任者フランソワ・ヴァテールを描いている作品なのでしょうかね

壺の中身は…

2009-04-02 | 仏蘭西探訪(郊外/地方)
礼拝堂へ続く廊下



エクアン城から移した
16世紀の寄木細工

確かに
エクアン城には
この手の木彫装飾が沢山ありました



J.サラザンの彫刻装飾
中央に見えるのは…
‘壺’

この壺中には
コンデ家親族たちの‘心臓’が…



ジャン・グージョンの作とされる祭壇
礼拝堂を二分する衝立のような感じで
ほぼ中央にありました



こちらのステンドグラスも
エクアン城から移したもの

ほろ酔いで散歩

2009-04-01 | 仏蘭西探訪(郊外/地方)
広大な庭の一角で
シードル頂きました
アルコール度5%とは言え
朝&昼を食べていない胃袋には
結構な刺激


リーヴァン・クリュイ作「1680年頃のシャンティイ城」     フランス式庭園全景 

コンデ公が亡くなる直前に描かれたこの絵から
14世紀末に建てられた
オルジュモン家の要塞の様子が解ります

大運河の水路が
フランス式庭園の側まで引かれていたんですね~

現在フランス式庭園及び
一部の建築物が
大規模な改修工事をしているようです
興醒めするので
お見せ出来ませぬ



ちなみに
こちらの鹿さんも
全身黒いビニールに覆われて
そのお姿を拝見すること叶わず…



庭園には
マリーアントワネットのプチ・トリアノン
(2009-02-14)
(2008-04-16)に類似した
「集落」英国&中国風庭園
ボーヴェの滝
愛の島などがあります
現在一部立ち入り禁止でした



トップシーズンには
オープンすると思われる庭園内のレストラン



黒い物体(鯉?)が
恐ろしいくらい泳いでます



シャンティイ城の周囲の堀も
渇水の時季なのか…
雨季には
右の写真のような景観が見れるかも!?

シャンティイ~プチ・シャトー~

2009-03-31 | 仏蘭西探訪(郊外/地方)
池に面した建物が
1560年頃
大元帥アンヌ・ド・モンモランシーのため
建築家ジャン・ビュランが建てた
プチ・シャトー
別名:キャピテヌリー



アンヌ・ド・モンモランシーと言えば
エクアン城(2009-02-09)
エクアンでの実績を高く評価した
モンモランシー大元帥が
お城の建築を再び
ジャン・ビュランに依頼したのであります

アンリ2世とその王妃カトリーヌ・ド・メディシスの時代
フォンテーヌブローの宮殿拡張にも携わっている建築家です



こちらの門をくぐり
いざいざ~


来賓用階段(19世紀)


2階には
17、18世紀の装飾が施された
コンデ公(モンモランシー家との婚姻により親戚となったブルボン=コンデ家当主)のための
一連の大きな居室
地上階には
19世紀の装飾によるオマール公の小居室があります


大コンデ公の武勇ギャラリー

コンデ公が勝利を収めた戦いを描いた
11枚の戦争図が展示されています


大猿の間(1735年頃)

当時の高名な装飾家クリストフ・ユエによる
中国風装飾と群猿装飾

雄猿と雌猿が貴族のように
娯楽を楽しむ様子を風刺的に描いた
装飾パネルが4面の壁全てを覆っています

壁だけではありません!
室内のテーブル椅子全てに
猿が描かれています

天井の丸形額縁には
フォンテーヌの寓話
「きつねとこうのとり」「2羽の鳩」「きつねと胸像」などが
描かれていました


バカラのシャンデリア

この部屋は…
「殿下の寝室」だったかな?



ヘルクラネウムのモザイク
略奪品らしい


ステュディオに戻り
自分の写真とパンフレットを見て
気づいたことがある

そう
あろうことか
グランド・シャトーの
コンデ美術館を見てくるの忘れていたと言うことに…

シャンティイ(Chantilly)へ

2009-03-30 | 仏蘭西探訪(郊外/地方)
パリの北駅から
SNCFに乗りこみ25分
シャンティイ・グヴィーユー駅で下車



SNCF到着に合わせ
駅のバスターミナルに停まっている
巡回バスらしきバスに乗り込み
シャンティイ城へ~


お城ではありません!18世紀に建てられた馬小屋です!!

と思いきや
バスは
お城の近くには停まらにゃい(笑)

現在は
馬の博物館となっている
Grandes Ecuries(Musée Vivant du Cheval)前でバスを降り
隣接しているノートルダム教会へ



こちらの教会は…



こんな感じ…



です



祭壇を見下ろす感じで
両サイドに
ボックスシートらしきものが…



ステンドグラスも
こんな感じ~

馬の博物館には
競馬場も隣接しております

ポカポカ陽気に誘われて
一面グリーンの芝生の上で
ピクニックをする人たちの姿も多く
実に
平和~な風景が広がっておりました

ヒカリノドケキハルノヒニ

2009-03-21 | 仏蘭西探訪(郊外/地方)
引き続き
フェリエール城のお庭へ…

周囲の30kmの森の一部を
公園と庭園に変身~させてしまったようです
日本庭園などもあるらしい

日曜の午後
ゆる~い日差しを浴びながら歩く

説明はいらない(笑)














フェリエール城拝見

2009-03-19 | 仏蘭西探訪(郊外/地方)
パリの東方26キロに位置するマヌル県
セーヌ川の支流にあるこのお城は
ジェームズ・ロスチャイルド男爵によって
1855年から1859年にかけて造られた
イタリアルネッサンス様式のお城です

 
やたらと大小と称される‘食堂’が多かった

プライベート・ハウスとして
用いられていたので
客室も寝室・居間・浴室が揃った
スイート・ルームタイプ

建築を担当したのは
イギリス人造園家・建築家のジョセフ・パクストン1851年
第1回ロンドン万国博覧会で
クリスタル・パレスを建設した人物として有名です


昨今 このフロアでは結婚式が出来るとか?来年はここで式挙げなさい!と言われたけど…ありえないから!!

ちなみに
こちらのお城
1862年と1870年には
ナポレオン3世も訪れたと言う
由緒ある?お城

ジェームズ男爵は
アートにも目がなかったらしく
そのコレクションも膨大な量だったとか?

ですが
1870年から71年におきた
ドイツとフランスとの戦争(普仏戦争/独仏戦争)
そして
第二次世界大戦を経て
多くの芸術コレクションが
略奪されてしまったそうです


洋式です

また
このお城自体
1959年まで空家となっていたそうで
最終的には
1975年に
ジェームズ男爵の子孫である
ギードロスチャイルドとその妻が
フェリエール城をパリ大学の大使公邸に寄付し
今日に至ったいるそうです



白い椅子が見えますが
この椅子の後ろの壁




なにげに
集中暖房なんです


一応バスルームなんですけど普通にテーブルとかあるし…

隣には
バスルームとは思えない
フロアが…



1階のフロアは
殆どが応接室として使用されていたようです
木の温もりを感じるお城でした



見学に疲れてしまった子供たちは
あろう事か
展示品の椅子に腰掛け…
でも
ガイドのマダムが
何も言わなかったから
いいのか??

プチ・トリアノン

2009-02-14 | 仏蘭西探訪(郊外/地方)
昨日のことです

ステュディオの玄関から通りを見たら
雪が降っているではありませんか!

「え~ゆきぃ~
と叫んだら
フロアを掃除していた顔馴染みの兄ちゃんに
「どうした?」と声をかけられました

「雪降ってるから出かけたくないな~と思ってさ」
「大丈夫だよ!行っといで!!」

と言う訳で
追い出されるように通りへ出たσ(^^;)



市内の雪は
すぐ雨に変わったんですけど…
RERで10分も走ると
外は
一面の雪景色

何処へ行ってきたかと申しますれば
ベルサイユ宮殿


                

ベルサイユ宮殿まで
何しに
行ったかと申しますれば
プチ・トリアノンを見るため



普通は
プチ・トラムが
広大な敷地内を走っているはずが
あいにくの天気…


この写真の遥か後方まで
ひたすら徒歩で直進した後
右折…
グランド・トリアノン&プチ・トリアノンに向かいました



雪景色…
なかなか綺麗でしたよ
こう言う風景も
滅多に遭遇出来ないし
ラッキーと思うことにしました

結構皆さん歩いてるんですね~

雪合戦している家族の姿もちらほら
雪だるまも何体か見つけました



AFR BB News(2008-10-1)の記事によれば
プチ・トリアノンは
1774年に
夫であるルイ16世から
結婚の記念に
アントワネットに贈られたもの

3階建てのピンク色の外観で
ルイ15世に仕えていた
建築家ガブリエルが設計した

アントワネットが
宮殿の厳格な慣習から逃れるために
使用したといわれ
劇場や小さな農村も作られている
 

                           ビリヤード場

この建物は
以前も一般公開されていたが
使用人の部屋などは
事務所として使われていたため
来場者が見ることはできなかった

確かに
去年の春に来た時は
見ていない


                               娯楽室

530万ユーロ(約8億円)が投じられた
今回の修復では
アントワネットが使用していた
当時とほぼ同様に
絵画室、寝室、家具、使用人の部屋、台所などが
再現されている

との事
修復&再現され
メデタク
10月2日から一般公開になった訳です

食堂
                                                               
マリー・アントワネットが
プチ・トリアノンを最後に離れたのは
1789年10月5日

ルイ16世とともに
革命派により
ベルサイユ宮殿から
パリに身柄を移された日とされているそうな…

そして4年後
1793年
国家への反逆罪で処刑


                  マリー・アントワネットの寝室

オーストリアのハプスブルク家から
わずか14歳のとき
政略結婚のため
フランスに送られた
マリー・アントワネットは
その贅沢指向と
フランス革命の最盛期に
処刑されたことでよく知られ
長い間
悪女として描かれいたそうですが


                  マリー・アントワネットの寝室

近年
マリー・アントワネットに対して
好意的な意見が増えているらしい…

確かに昨年は
マリー・アントワネットを題材にした
映画も上映されたし
展示会もありました

日本の漫画「ベルサイユの薔薇」の逆輸入も
マリー・アントワネット人気に
貢献しているとも…


                                トイレ

年間数百万人に上る
ベルサイユ宮殿への来場者の中で
プチ・トリアノンを訪れるのは
わずか数百人のみらしく

今回の改修で
その数が増加すると見込んでいる
らしいよ

σ(^^;) は
その数百人に入っているわけね?

台所(18世紀の調理台)


新たに公開された部屋を
見学させて頂いた訳ですが

ん~
一体何処に
530万ユーロ(約8億円)もの大金を
叩いたのか…


                                                   チャペル
 
                       展示されていた食器

家具や絵画は
ベルサイユ宮殿の
公開していない部屋の家具を
持ってきたんだろうし…

装飾品の移動代?



                                          インターネット・ルーム 

新たに購入するモノと言えば…
やはり
このインターネットの装備とか
配線工事費用とか?
このフロアに一番
費やしている気がします


                        Temple de l'Amour

今回
Versailles(2008-04-11 )は見学していません
3度見る気にはなれない(笑)





                             王妃の家

冬のプチ・トリアノン周辺は
こんな感じでした

ちなみに
春の様子は
マリー・アントワネットの離宮Ⅰ(2008-04-16)をご覧下さい

季節ごと
雰囲気が違うので面白いかも


                          マールボロの塔

                         

                             水車小屋

調子こいて歩いていたら
17時30分をとうに過ぎており

気づけばあたりに
誰もいない



ま まずい…
宮殿まで何分かかるんだ!?

置いてきぼり=遭難&野宿
まさか



                       新たな入場口っぽい

取り合えず
プチ・トリアノンのエリアから
脱出に成功し(笑)
ひたすら本陣のベルサイユ宮殿をめざすσ(^^;)

巡回の車とすれ違い
いざとなれば
乗っけてくれるだろう
っと期待しつつ…



何処からともなく
ゾロゾロと湧き出てきた
同類さん達と
正門が閉まる前に
無事
ベルサイユから無事生還した次第です




これで見納めベルサイユ~

グランド・トリアノンについては
マリー・アントワネットの離宮Ⅱ(2008-04-18)
にアップしているので
宜しければご覧下さい

そうそう
入場料は
ルーブルの学生証提示して
スルー出来ました(*^^)v 

ルネサンス美術館 - エクアン城Ⅱ

2009-02-10 | 仏蘭西探訪(郊外/地方)
エクアン城では
2月2日まで
MARIE STUART Le destin français d'une reine d'Ecosse
(仏語)
が開かれていました

系譜だとか
歴史だとか解説されていたんですが
読む気力がなく…

始めに
こんなこと書くのもあれですが…
フランスの美術館・博物館情報のルネサンス美術館 - エクアン城
一読されることをお薦めします

σ(^^;)
毎度お世話になってます



2階の東翼はほぼ全面的に
ルネサンス美術館の代表作『ダヴィデ王とバテシバ』の
タピスリーの展示に充てられています

これは
旧約聖書に書かれた物語を描いた
タピスリーの傑作だそうです



今回これは!
と思ったのがこの金細工の
‘からくり船’&‘からくり人形’

船本体もからくり人形のごとく
前進するのですが
それだけではありません!

音楽隊は
各自太鼓を打つ
ラッパを吹く動作をします



司祭達は
音楽に合わせ行進しますし

船の先端にいる人形は
縄を引っ張る動きをします

とにかく
すべての人形が
それぞれ別々の動きをするのです

船上で与えられている自分の任務を
遂行する様子がお見事でした



こちらにある美術コレクションの多くは
19世紀前半の収集家のAlexandre Du Sommerardと
その息子のEdmond Du Sommerardが集めた
当時の彼らの邸宅であり
現在のクリュニー中世美術館の
コレクションの一部だそうです

そして
Salzmannのオスマン・トルコの陶器コレクションや
Baronne Salomon de Rothschildのルネサンスの金銀細工など
貴重な作品群の寄贈が加わり
現在に至ったそうです



マダム達の目を釘付けにした
『ダフネ』をはじめとする金銀細工は
3階のフロアに展示されていました

陶器・ガラス細工・琺瑯細工
非常に手の込んだレース
壁一面に陶器の大皿とか…



何処からが
『MARIE STUART Le destin français d'une reine d'Ecosse』の
特別展示で
何処から通常展示だったのか
さっぱり解かりませんでした

無知をひけらかすつもりは
毛頭ないんですが

Marie Stuartはスコットランド女王で
イングランド国王Henry8世に言われて
息子のEdward6世と婚約して
でもフランスに逃げて
フランス国王Henri2世の息子と結婚?
その旦那さんがFrançois2世で…

とか
Marie Stuartが
イングランド王位継承権者であることを示す紋章を
発表したとかで
Elizabethの逆鱗に触れた
とか
ちなみにElizabethはElizabeth2世の母后で…
殺人未遂事件までおこしてるとか

 

私の乏しい言語力では
解説全てを理解するのは無理です
説明聞いても頭に残りません

西洋史は
東洋史より
ごちゃごちゃしてて
解からんです

系譜出されたひにゃ~
もう…

家に戻り
サイトで検索して
後から納得することばかりでした