時遊人~La liberte de l'esprit~

優游涵泳 不羈奔放 by椋柊

養源院

2009-12-07 | 神社仏閣
豊臣秀吉の側室淀殿が
父浅井長政の追善の為
長政の21回忌に
秀吉に願って養源院を建立し
長政の侍従で叡山の僧であった
成伯法印を開山として
長政の院号を以って
寺号としたのは文禄3年(1594年)である


本堂への参道

其後程なく火災にあい
元和7年(1621年)
徳川秀忠が夫人崇源院殿(お江与の方)の願いにより
伏見城の遺構を移築したのが今の本堂である

以来
徳川家の菩提所となり
歴代将軍の位牌を祀っている

                「養源院略由緒」より引用


                              養源院本堂

こちらの本堂は
自由に拝観することが出来ません

住職の説明
或いは
テープによる解説を聞きながらの見学となります

「徳川家の菩提所となり歴代将軍の位牌を祀っている」
と言う割りには※■$%△
時代を感じさせる本堂でした


                             本堂への参道

こちらの養源院は

血天井
此の本堂の左右と
正面の三方の廊下の天井は
伏見城落城の時
鳥居元忠以下の将士が城を死守し
最後に自匁した廊下の板の間を天井として
其の霊を弔つたもので
世に血天井と称して名高い
               
                「養源院略由緒」より引用
 

                           正面は三千院です

元は赤い血とは言え
時の流れと共に
茶色くなっている板の色に馴染んでまして
平成の世となっては
長い棒で
「ここが腕で…この辺りが腰です」
と指し示しながら説明して頂いたんのですが
全然解りませんでした

ただただ
茶色い染みが
天井を多き尽くしておりました
壮絶な最期だったのだろうことが
想像できます


     俵屋宗達筆「唐獅子図杉戸絵」

この他にも
左甚五郎作「鶯張廊下」
狩野山楽筆「襖絵」
俵屋宗達筆「唐獅子図杉戸絵」「波と麒麟図杉戸絵」「白象図杉戸絵」
見所が多い!

何気に
鶯張廊下を往復しまくり
独り
はしゃいでしまいました

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