連れ合いと話をしていたら、急に思い出して懐かしくなりました。
まだ日本にいたとき、こんな映画の上映運動にかかわったことがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/00/6d1473ef66ccb59d678a55c3b86047ed.jpg)
もう20数年も前の話なので、知っている方は多くはないと思いますが、このドキュメンタリーは関東大震災のときの朝鮮人虐殺を扱ったものです。今村正平の横浜映画学院(だと思います)の卒業制作として作られたものです。
監督は呉充功(オ・チュンゴン)という在日2世。たしか84年ぐらいから2年間ほど、上映運動のスタッフをしたことがあります。一般の映画館での上映ではなく、各地の市民団体や学校などで自主上映をするために16ミリフィルムを送ったり、会報をつくったりしていました。
ビデオ・カメラもほとんど普及していない時代、ドキュメンタリーといえば16ミリ映画でしたね。このあと、在日や韓国をテーマにしたドキュメンタリーが何本か出ましたが、ぼくにとって「隠された爪跡」を超えるものはありませんでした。主人公の「アボジ」のお店にも何度か行ってオモニの作った料理を食べたりしたこともありました。あのとき集まった人たち、いまどこにいるのでしょうか?
まだ日本にいたとき、こんな映画の上映運動にかかわったことがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/00/6d1473ef66ccb59d678a55c3b86047ed.jpg)
もう20数年も前の話なので、知っている方は多くはないと思いますが、このドキュメンタリーは関東大震災のときの朝鮮人虐殺を扱ったものです。今村正平の横浜映画学院(だと思います)の卒業制作として作られたものです。
監督は呉充功(オ・チュンゴン)という在日2世。たしか84年ぐらいから2年間ほど、上映運動のスタッフをしたことがあります。一般の映画館での上映ではなく、各地の市民団体や学校などで自主上映をするために16ミリフィルムを送ったり、会報をつくったりしていました。
ビデオ・カメラもほとんど普及していない時代、ドキュメンタリーといえば16ミリ映画でしたね。このあと、在日や韓国をテーマにしたドキュメンタリーが何本か出ましたが、ぼくにとって「隠された爪跡」を超えるものはありませんでした。主人公の「アボジ」のお店にも何度か行ってオモニの作った料理を食べたりしたこともありました。あのとき集まった人たち、いまどこにいるのでしょうか?