昨日の午後は、風が落ち西日の暑い堀江海岸で、生のウクレレを初めて聞いた。地元愛媛はもとより、この6月だけでも滋賀、名古屋と演奏活動に忙しい「ブルーラグーン ストンパーズ」のボーカル・ウクレレ、Yさんの生演奏を数曲。
https://bluelagoonstompers.com/
いろいろ楽しいお話しを交えながら耳を傾けていると、だんだん眠たくなってきた。今朝は5時半起き。上質のウクレレの音(ね)には、人を眠りに誘う効能もあるらしい。写真やビデオも少し撮らせて頂いたので、編集して後にUPする。私の中で眠っていたあの音楽の虫が、またまた目を覚ますかもしれない。
前日、家内と帰省の折、花屋に寄った。蝶が数頭飛んでいた。いつも色とりどりの花に囲まれて・・・良い仕事だと思う。類は友を呼ぶ。ゴミにはゴミが集まるように、花には花が寄ってくる。隣家の庭の花壇も丁寧に手入れがされていて、紫陽花がきれいだった。
26日の夜のフェリーで東予港から大阪南港に渡ったのが27日の早朝、陸路で東進し、富士市のビジネスホテルで一泊。 翌日は湘南近くの非常にきれいなホテルで一泊。
東京で旧友に会い、この夜から車中泊。 翌日は埼玉県奥地・日高市のクラウス先生宅へ、泊まっていけという話もあったが、その夜も近所のコンビニで駐車場で車中泊。
昨日は山梨側からの富士山を見ながら南下して、白糸の滝、大石寺を見物。 さらに浜松から渥美半島に進路を取り、途中のサーフィンエリアである伊良子近くのロングビーチで車中泊。
そして今夜は大阪南港で最後の車中泊。もう4日も風呂に入ってない。さすがに幾らか疲れが出てきた模様。明日は1日少しゆっくりしようか、それとも・・・と思案しているところ。
手術といっても、内視鏡検査の時と同じ要領で、今回は先端に輪っかを付けてャ梶[プに引っかけ、グッと締め付けて(二つの内一つは電熱を加える)切り取るだけ。痛くもかゆくもない。
出血はほとんどなかったが、念のためホッチキスより小さいクリップ3個で傷口をパチンと挟んでおしまい。これは4~5日で新しい大腸膜ができたら自然に排泄されるそうだ。
自分の身体を内側から見る機会などそうあるものではない。15分ほどの間、無数の毛細血管に覆われた大腸のひだを観察しながら、やはりこの身体は何か不思議な力で自ら生きようとしている、生かされているんだなぁ・・・などと考えていた。
病室はちょうど空いていた特別室を個室料金で用意してくれた。風呂はもちろんキッチンまで付いている。ちょっとした一泊旅行のような気分で快適だった。
初日は、母方の祖父が軍需工場の空爆で戦死し、父が終戦時、砲台長をしていた佐世保で一泊。
昨日は長崎市に移動して一泊。
今夜は熊本のホテルにいる。
いろいろと感じ想うことはあり、ちょっと書いておこうと思ったのだが、携帯での入力はとんでもなく骨が折れる。
とりあえず長崎港の写真を一枚付けてみる。
水曜日の朝、頭痛を感じた。身体もなんだかダルイ。そのうち熱も出てきた。年に1度や2度はある風邪の初期症状だろう・・・と測った体温は38度を超えていた。こんな熱は17年前・南アのアフリカ風邪以来だ・・・ちょっと用心することにした。
ところが、翌木曜日朝になっても熱は下がらず、38.6度、体はますますダルく、咳は苦しく、肺は痛く、頭はますます熱く重い。家内曰く、「ひょっとしたらインフルエンザかもしれんよ・・・病院行ってみたら!」
行きつけの内科に行った。インフルエンザA型だった。私の記憶の及ぶ範囲で、初めての感染症だ。吸い込んで細菌を殺すなんとか薬のほかに、頭痛・咳止め薬をもらって帰った。我が家の住人には非常事態宣言が出され、全員がマスク着用となった。
さてそれからが大変・・・昼過ぎには体温は39度を超え、夜には40度に迫った。もう何もできない。何もできないは何も考えられないを含む。ところが、意識がほとんど形を成さない自分の傍に、そんな自分を意識しているもう一人の自分がいた。
ただひたすら寝た。布団が濡れるくらいの寝汗と小便で何度も目が覚めたが、それが功を奏したのか、翌金曜日は体温が一気に37度にまで落ちた。まことに急激な変化だった。土曜日になると、ほぼ平熱に落ち着き、食欲も元に戻った。今は病み上がり特有の爽やかな気分だ。
釈尊は人生を「生・老・病・死」の四苦の連続ととらえる。これは誰人も逃れることはできない運命・宿命みたいなものだ。そして、後の小乗仏教ではそこからの解脱法を、大乗仏教では、煩悩即菩提とか苦即楽とかの「即」法理が登場し、四苦の根本的解決法を説く。
私には老・病・死の多くが苦であるということは分かるが、生がどうして苦の一類になるのか、未だによく分からないのだが、ともあれ、時々訪れるこのような病に限って言えば、自分の生命の奥深さや不思議や有難さを感じ取ることのできる、しんどいけれどもそれなりに貴重な契機になっていることは確かである。
味はともかく、店の装いが面白い。「かき小屋」というビニールハウス。婆さまも一緒に家族四人でたらふく食べた。
ここでは、カキ食えど鐘は鳴らずだったが、北西の強風がピューピュー鳴る中で炭火に跳ねる焼きガキをつつくのはなかなかの趣だった。