庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

粟井のブリーズ

2023-06-16 20:29:20 | 海と風

天気晴朗。梅雨明けを思わせる南西からのフレッシュブリーズ。海面はフラットに近い。それなりにスピード出しても問題なし。最高速は45km/hほど。気分良し。

ナッシュのフォイルがだいぶ馴染んできた。空中翼の動きと水中翼の連動・調和が、気分と体調によってもかなり違うことが良く分かる。滑らかなジャイブにはまだ時間がかかる。まぁ、タックもジャイブも、今の私のカイト・スタイルだと必要ないことではある。

そうそう、何年かぶりにトビウオと並走してワクワクした。50mほどの滑空・・・見事なものだ。今回もちゃんと風上に向かってテイクオフした。私より少し速かったから対地速度30km/hくらいだろうか。アップウィンドで45度は取れるフォイリングならではの楽しみの一つだ。

おもしろいことに、滑空・動力含めた私の空の経験では、たいがいの鳥の通常の滑空速度は秒速10m程度だった。サーマル(熱上昇風)を拾って高度を上げるときなどは、彼らはすぐ近くに寄ってきて、時にはこっちが寄って行って、横目でチラチラ見合ながら一緒にソアリングを楽しんだものだ。もっとも、まれに獲物を見つけて急降下する時などは、彼らは伸縮自在の翼をたたんで翼面加重を上げ、自由落下に近い速度を出すこともできる。

やっぱり、自然の生物は皆、生来それなりの驚くべき能力を持っているということだ。大聖人曰く「鳥は飛ぶ徳、人に優れたり・・・」。

 

 

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脚漕ぎSUPで和気から粟井まで

2023-06-14 20:57:52 | 海と風

堀江の沖で、ずいぶん久しぶりにスナメリに会った。ゆったり泳ぐ姿を楽しみながら、写真に残そうと思ったが、そう簡単には撮らせてくれない。

脚漕ぎSUPは巡航5~6km/h。頑張れば7km/hくらいはいくだろう。しかし、とりあえずそんな必要はない。海上サイクリング2時間余り・・・充分な運動になった。

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長良川(木曽川)の出会い その2 聞き上手

2019-06-21 10:33:00 | 海と風
Yさんは、警察官と私のやり取りの始終を側(そば)で見ていた。これはちょっと、とんでもない人がやって来た・・・と思ったかもしれない。ただ私は、当たり前のことを、(私なりの)丁寧な言葉遣いに、ほんの僅かな愛情と感謝の気持ちを添えて、「真っすぐ正直な姿勢」で話したに過ぎない。
風待ち潮待ちの様子なので、「ちょっと座ってお話ししませんか?」とイスを出し、コンビニで当たったブラックコーヒーを渡した。彼はいつまでも立ったままで座ろうとしない。もっとも、ウェットスーツがまだ充分に乾いてなくて遠慮していただけなのかもしれない。
年齢は40代中頃。名古屋らしく自動車関係の仕事で他所から転勤してきた。しばしばタイにもカイトをしに行く。クラブ員は転勤族が多い。風がない日は河口付近でタコ釣りをする人もいる。川向かいの大きな建物はレガッタの施設。近辺の河川敷林に住むキツネが時々現れる。彼のクラブは登録上100名ほどのメンバーがいて、イントラはSFの店長T氏である。メンバーの中に、警官にウェットスーツを剥がされて連行された人がいる・・・等など、ということをお聞きした。
私は近年、所謂(いわゆる)「肩書きや外見」だけで人物を判断することはまずない。人間にとって本当に大切なのは、「何を信念として、何をどう語り、何をどう行うか」つまり「信と言と行」・・・というのが私の信念の一端でもある。
それを観るには、ある程度の時間を必要とするのが普通だが、「一目会ったその日から」ということもある。そして、彼はいかにも温厚で誠実そうな人だった。それは最初に「期限付き許可証」云々を私に伝えるときの、話し方や物腰でも推察していた。よし、この際だから少し立ち入った話しを聞いてもらおう、と思った。
それから1時間半ほどの間、かなりの早口で、まずは簡単な自己紹介から、「公共の財産」の本来の意味。自由と責任と自律の問題。コンペやレースの魅力と問題点。海や空の相当に面白い話しの幾つか。カイト特有の魅力と危険性。イントラや指導者の資質の問題。ショップスクールの意義と限界。今後のこの世界の見通し・・・等など、他愛ない笑い話も間に挟みながら・・・まあ、人にもよるけれど、私の弟子や仲間なら数年はかかりそうな内容の要点部分を、思いつくままに語らせて頂いた。
彼は、ほとんど目を白黒させ、時々大きくうなずきながら聞いていた。まったく忍耐強く、聞き上手な人だった。こういう方は、それがどんな仕事や職場でも、人に慕われ、それなりの地位を得るだろう。いやもう既ににそうなっているだろう。
その後、風も潮も少し満ちてきた頃に、同じクラブの後輩フォイルが一人やって来た。このクラブでフォイル乗りはまだ数名ということだ。ザーザーと音が聞こえそうな逆潮(風と潮流が同じ向き)の中で悪戦苦闘していたが、私は二人の微笑ましい関係を遠くから見ながら、やっぱりナチュラル・スメ[ツは良いなぁ・・・などと思っていた。
しばらくすると上がって来たので、「ほんと軽いですよ~」というオゾンのシングルバテンを少し振らせてもらった。彼が使っていたのはフォイルや板を含めて試乗用で、12㎡、ライン長22m。まあ、こんなもんだろう、というのが私の感想。やはり翼端の失速域は増大している、ピッチ角が少し浅すぎる、という印象も話させてもらった。ただ、モーゼスのフリーライド用カーボンフォイルには若干気持ちが動いた。
人生の旅の多くは、茶道でいう「一期一会」だし、私がカイト関係でここに来ることはたぶんもうないだろう(フォイル・カイトの視点から見て、そう魅力的な環境ではない)。しかし、ここでもまた、まことに良い「出会い」を得た。

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長良川の出会い その1 警察官

2019-06-18 20:16:00 | 海と風
いろいろと忙しい旅もあと数日。先だって遠くにカイトを見かけた愛知県長良川。往路、車中泊した河川敷(河口から10キロほど上流)に行ってみると、やはり今日も来ていた。

なんとオゾンのモノバテン12平米とモーゼスのフォイルが置いてある。しかし、川幅は思ったより狭く、これは私のじゃ出れそうもないわ…と道具の近くで周囲を観察していたら、持ち主(Yさん)が警官2人と現れた。

警官の一人が、「あなたもお仲間ですか?」と聞く。「初対面ですが、まあ同類です」と答えると、「ちょっと運転免許証を見せてください」と言うので、取り敢えず四人で私の車まで移動した。「この河川敷は乗り入れるだけで違法です」などということや、Yさんのクラブは国土交通省から「期限付き許可証」を得ている・・などという事情を途中で聞きながら、私はすぐにコトの次第の察しがついた。

「まあ見せてもいいが、個人情報だからね。まずあなたの所属と名前を聞かせてください」とメモを取りながら、20代中頃の警官に向かって話すと、若干ムッとした表情で「T警察の地域課のNです」と答えた。「愛媛ではこんな事はまずないがなぁ」言うと、N君が「あっちとこっちは違いますから」と、およそ予想通りの答えが返ってきた。「君、一級河川の管理はどこがやってるの?」とツッコミを入れたくなったけれども、私は今回この方達の教育をするために来ているわけではない。

免許証を入れたケースを左手に持ったまま「よくちゃんと所属氏名が言えたねぇ」と褒めてあげた。彼はどうしていいか分からなくなったらしい。「ともかく暑い中、ご苦労さんだね」「いえいえ仕事ですから」・・・可愛い青年ではないか。若手警官はこれぐらい元気なほうがいい。だんだん場の空気が変わっていくのが手に取るように分かる。

「さて、免許証どうしようか?」「もう結構です」「まぁ、ちょっと見せてあげるよ」ケースに入れたまま、水戸黄門で印籠を出すように、彼の目の前に出した。彼はチラリとだけそれを見て「ああ、確かに愛媛県ですね」と一言。私は思わず笑い出しそうになった。

このやりとりを見ていた三十代中頃の先輩警官は途中で離れて、何やら電話し始めた。このなんだか変な旅人にどう対応していいものか、と上司に相談しているわけだ。 しばらくして戻って言うには、「近頃、この辺にゴミを捨てる人が多くて、国交省の出張所が対応しきれなくなり、警察署に仕事を振ってきた。釣り糸が散乱していたり、バーベキューの後始末ができていなかったりで大変なんです・・・」ということだった。そりゃそうだ。河川管理に警察官が登場するなんて普通はおかしいだろう。「カイトでそんなことする人はいないよ。ほんとご苦労さま。車は一応移動しておくから」「はい、分かってます」…以上で終わり…と思っていたら15分ぐらいして、さっきの先輩警官がニコニコしながら再びやってきた。

「今度はどうしたの?」「このクラブのメンバーということで、ご自由にカイトを楽しまれてください!」…それだけ言うために…なんて律儀な警察官だ。どんな世界にもバカはいるものだが、我々国民の生命・安全と財産は、こういう真面目な方々によっても守られていることを、たまには思い出して良い。

「本当にありがとう!松山に来る機会があったら、道後温泉にでも入ったらいいよ」「ありがとうございます!」 私たちは握手をして別れた。この後のSFのY さんとの楽しくも濃密なお話しは(その2に)つづく。

・海抜0メートルのこの辺は、汽水域で潮の干満により川幅が大きく変わるということが後でわかった。
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SUPの効用・カイトの効能

2019-06-04 19:23:00 | 海と風
SUPの効用・カイトの効能

こないだ24.5mから20m弱に縮めたラインと、私のフォイルには大きめのカイトとの相性を見るために堀江に出かけた。不安定な北の微風。下手なジャイブでやっぱりカイトを落とした。帰り支度でリーシュを外しライン処理しようとしたら、あら~・・・チキンループが手からスルリと逃げてしまった。しばらく後を追ってみが、こんな微風でも私の泳ぎよりは速い。無駄な努力は早めに止めた。

まあ、海風だから放っていてもそのうち堀江湾のどこかに到着するだろう。とりあえず板の回収を優先して、和気港防波堤のテトラャbトを這い上がった。大潮の引き潮。カイトも後に付いて来ているようだけど、SUPで拾いに行った方が早そうだ。久しぶりに1時間以上SUPを漕いだ。

ユックリ動かないと分からないことやできないことがある。横を過ぎゆくクラゲを眺めたりしながら、パドルで左右の海面をかいていると、左右といえば左翼・右翼という言葉を安直なラベリングに使う人がいるが、「双翼」は聞いたことがない。

パドリング同様、両方適度に使わないとモノゴトは真直ぐ進まないし、鳥や航空機も空を飛べないのになぁ・・・とか、政治の世界に保守・革新というのがあるけど、私みたいに保守的でもあり革新的でもある人間を、どう呼ぶのかな? まさかどこかの節操のない政党や団体みたいに「中道」なんて言うわけにもいくまい・・・等などと、泡のような連想が次々に続いて面白かった。

カイトサーフィンには心を静める効能もあって、特にフォイルは小波を拾わず、水切り音さえなくなるから、条件さえ整えば、かなり上質の「動中静」を味わうことができる。しかし・・・「思索」の種は作っても、それを育てるには速すぎる。モノを考えるには、SUPみたいに散歩する程度の速さがょうど良いのかもしれない。


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今日の別府

2019-06-02 19:20:00 | 海と風
いろいろと作業の半日にしようと思って出かけた別府は、3時過ぎからフォイルで走れる風になった。この浜からの夕景も、まさに眩しいくらいに美しい。映像はK夫人の勇姿である。

もう何年も前から、何かの役にでも立てばと浜の片隅に置き、すでにゴミと化していたカヤックを回収した。同じ場所に、我が家の軒下で長い間寝ていたSUPを置いた。これはゴミではない。海水浴やカイトのレスキューなど、必要に応じて、誰でも自由にお使い頂きたい。ボードの表には,"Basically for RESCUE for anyone" と書いてある。


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バカの話 その3

2019-05-31 10:26:00 | 海と風
その後、彼が私の前に姿を現したことはないが、今年も五月に入ったつい先日、この男と懇意の、誰にでも愛想だけは良い無節操なカイト好き男が、先の男の話しを少し膨らませて別府海岸に持ってきたらしい。まあ、バカがバカの提灯(ちょうちん)持ちをしたわけだ。

この世界の事情を知らないカイト初心者は、それを聞いて大いに心配し不安を抱いた。近くにいた人は迷惑したかもしれない。少し良識ある人間なら歯牙にもかけないような話だが、水は方円の器に従い、朱に交われば赤くなる、ということもある。こういう悪性バカと付き合いのある方は、ちょっと注意することをお勧めする。

小さなバカの話はとりあえず以上にして、次に、「織田が浜」にまつわる少し大きめのバカの話する。ただ、これは私の高校時代(1970年代)から1990年代までの様々な出来事が、かなり不思議な縁でリンクしている。また長文になりそうなので、暇なときに何回かに分けて書きたいと思う。(そのうち、その4につづく)




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バカの話 その2

2019-05-29 20:39:00 | 海と風

塵積もりて山となる。まず小さな話から始め、少し大きめの話に続けようと思う。海や風の世界でも、余計なことで不愉快な思いをする人がなるべく少なくなるように、一つの記録として書き残しておきたい。

今治市・菊間の浜は、まだ別府の浜を知らなかった頃、35年前のウィンドサーフィンの時代から、石油コンビナートを挟んで東隣にある亀岡の浜が面白くない時など、たまに仲間と来ていた浜で、海の様子は良く知っている。真冬の大西風を狙い、細長いガンタイプの板で広島の柳井港近くの海岸から、瀬戸内海を突っ走って到着したのもこの浜だった。

昨年夏は一度カイトとの相性を見てみようと思ってフォイルで30分ほど走ってみた。北向きの浜はさして広くもなく、タンカー止めの柱が何本か目の前にある。風が南に振れたら別府以上にどうしようもない。使えないこともないがカイトには不向きだな・・・というのが私の感想だった。

その時、たまたま来ていたのが10年以上前から知るカイト好きの男で、車の置き場所について「ここは私有地で、自分は地元の住人を良く知っているから良いが・・・」などと言うので、「私はウィンドの時代からこの辺りに停めて何の問題もなかったがなぁ。何ならその所有者やらに一言挨拶しておこうか?」と尋ねると、「いや、道の端の方なら問題ない」・・・などと言葉を濁した。

どうやら歓迎されてないらしい。若干不愉快だったが、まあ人は誰でも一人になりたいことがある。彼も何かの事情で一人カイトを楽しみたいのだろう。私がこの浜にカイト関係で来ることはもうないだろうから、そっとしておいてやろう・・・などと思ったことがあった。

そして、昨年秋の別府海岸だ。西風微風の沖で落としたカイトで風に吹かれながら浜に付くと、しばらく見かけなかった先の男が私を待っていた。何かの手伝いにでも来たのかと親しく声をかけたら、ちょっとした世間話の後、いくぶん唐突に「菊間の海岸でカイトをやったか?先日、カイトの人間が浜を荒らしたと言って地元の住民が非常に怒っている」などということを言い始めた。

着岸したばかりで道具の処理に忙しいのに、うるさい奴だ。「海岸は公共の場所だ。誰でも自由に利用できるのが大原則で、カイトしたくらいで浜が荒れるわけはない。しかし、あんな所でカイトするのは君と私くらいしか居ないはずだし、私は君もいた夏の一度きりだ。それで、そのカイトの人は一体どういうことをしたの?」と聞くと、「よく知らないが、ともかく住民が怒っていて・・・中にはヤーさんみたいな人もいるから・・・」と言う。

彼の意図するところはすでに明白だった。要するに、近隣住人の取るに足りない言動に乗っかって、浜のカイト利用を独占したいわけだ。凡そ伸びやかで広々とした心を育む海のスポーツを楽しむ者には珍しいタイプの病気だろう。これは夏より症状が悪化している。ちょっとお灸を据えておくのも良いかもしれない。

「お前はチンピラバカか?それともチンピラの提灯持ちか!」と口に出かけたが、少し押さえて、「知らないことは知らないと言っておけば良いではないか。つまらんことで怒るのは人の勝手だが、筋の通らない怒りを私のような人間にぶつけると、ちょっとやっかいなことになるよ!」と強めに言うと、彼は「そういうことだから・・・」と逃げるように帰って行った。

当たり前のことだが、公道や河川などと同様、海岸は公共の財産であり、よほど正当な事由でもない限り「占有」はできない。だから海岸管理者(多くは地方公共団体の長)が占有許可を出すときは、公共の自由利用に充分な配慮をしなければならないし公示の必要もある。海岸に興味があって詳細を知りたい方は、関係法令をちょっと眺めてみるのも良いかもしれない。たぶん眠たくなるだろうけど・・・。

その後、彼が私の前に姿を現すことはない。(その3につづく)

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バカの話 その1

2019-05-27 12:10:00 | 海と風

もう十五年ほど前になるか、解剖学者で虫好きの養老孟司が『バカの壁』という本を出した。多くの人たちが身近なところに「バカ」を抱えているのだろう、400万部を超える驚異的ベストセラーとなり、私も読んだことがある。ただ、口述筆記をベースにした文章は充分練られてなく、あちこちに論理の飛躍があって、何が言いたいのかスッキリしない内容だった。こういう本を読んでも、まず「バカ」はなくならない。

バカの歴史は少なくとも古代インドに遡り、梵語(サンスクリット語)の"baka"が中国で「莫迦」と音写され、日本で当て字の「馬鹿」となって広まったらしい。長い間、人の使役に供された馬や、神の使いとされた鹿の皆さんには気の毒な話だ。元々は「無知・愚か」程度の意味だが、現在ではもっと広く「非常識、度外れ、無能、有害」とか、単なる接頭・接尾辞として強調表現に使われることもある。

私の父などは家族の誰かが小さな間違いをすると「バカのカタマリ!」というシャレの効いた言葉で叱ることがよくあった。たぶん長い軍隊生活で身に付いた表現だと思うが、それで私たちが萎縮したり傷ついたりしたことは一度もない。叱られながらどこか楽しくなる有り難い言葉だった。

原義に従い、どんな人間も大なり小なり無知で愚かだとすると、人は皆、バカの一類ということになるが、しかし、山に高低があり海に浅深があるように、人格にも自ずと高低浅深があり、バカにも種類や段階がある。真に自分を知る方々や、真面目にその道を歩んでいる正直な方々にバカを付けてはいけない。

私の観察では、バカは大きく二種類に分類して不都合はなさそうである。愛すべき良性のバカと、タチの悪い悪性のバカである。古くは仏典に見る「修利槃特(スリハンドク)」などは前者の典型だろう。四ヶ月かけて一偈一句さえ覚えられなかった槃特に、釈尊は出離の道をはき聡怩フ修行として教え、六年の後、彼は小乗教の最高位「阿羅漢」の聖者となった。

後者の代表格は、やはり古く仏典によれば、師匠の釈尊に怨嫉して悪逆の限りを尽くした「提婆達多(ダイバダッタ)」ということになるだろうけれども、不知恩で無慚なバカは 現在、犯罪ニュースなどに登場するだけでも相当数いる。

そしてこの二種はどんな人の中にも内在していて、様々な因と縁、その善悪と濃淡により、顕著に表に現れたり、全く無きがごとく生命の奥深くに冥伏(みょうぶく)したりする。

弱い者虐めばかりしていた中学時代の不良バカは、三年のある時、無免許運転の単車事故で内臓破裂の大事故を起こして生死の境をさまよった。何ヶ月か後に再び学校に姿を現した時には、別人のように心優しい好少年に変わっていて、学校の皆が大いに驚いたことがある。良性が悪性に変わるのは簡単だが、悪性が良性に変わるには余程の試練が必要らしい。

さて次に、私が身近なところで目にし耳にした、渚(海岸)にまつわるバカの話を少し書く。(その2につづく)



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海からの贈りもの

2019-05-21 22:00:00 | 海と風
海からの贈りもの

今日の別府は静かだった。私の予定は、そこそこの西風が入るだろう3時頃までに、昼食を終え、こないだ修理したチューブを元の鞘に収めるという面唐ュさい作業を済ませて、後はアン・モロー・リンドバーグの『海からの贈りもの』でも聞きながらゆっくり風待ちしよう・・・というものだった。

別府に到着したら、すでにわずかな風が入っている。西風が上がってくる匂いがプンプンする。こういう時にカイト修理をする必要はない。珍しく先読みをして、まず9㎡を用意して一服。まだ一時過ぎ。まだまだ充分時間がある。次に12㎡を出して、海面にプカプカ浮かびながら膝のリハビリをしたり、オーディブルを聞きながら更に一服したりしているうちに、2時半を過ぎた頃から12㎡で乗れる風になってきた。



一足先に来ていたY君が順調に走り始めた。続いて私も12㎡で数往復したら、沖の方から充分な西風が寄せて来るのがよく見える。すぐに浜に戻って9㎡に乗り換え1時間半ほど、最近いくらか身に付いてきたトーサイド走行や、成功確率が50%と20%程度のエア・ジャイブの練習を繰り返す。50%はヒールサイドからトーサイドへの、20%はその逆である。私は大概のことにおいて100%を望まない。どちらも80%辺りにまで達し、「身体のどこにも無駄な力が入らないこと」を一応の目標にしている。

フォイル・カイト特有の魅力はいくつかあるが、その「静寂」と「安楽」を私の心と身体が自由に使いこなせるようになれば、後20年くらいは「海からの贈りもの」を楽しめるかもしれない。


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