庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

どうしてこんなに

2005-01-31 08:43:15 | 自転車
どうしてこんなに自転車は楽しいのか・・・。今日はいつもの市内コースをゆっくり走りながら考えた。

私が自転車に復帰したのはおよそ3年前、その1年ほど前からヒザに不自由を感じ、軽い屈伸や正座ができないくらい痛みが激しくなってからのことだ。

生まれて初めてハリ治療も試みたが、まったく効果なく、これはやはり運動不足に違いないと思い至って、市内移動は全て、車から自転車に切り替えたのが始まりだった。

効果てきめん・・・ヒザの痛みは3ヶ月ほどできれいサッパリなくなって、おまけに体全体に「軽さ」が出てきた。

最初のバイクは近くのホームセンターに飾ってあったパナソニックのクロスバイク。クロス・・・なんて言葉自体もその時初めて知ったのだが、実にかっこよく見えた。

学生時代初期、確かロードマンと呼ばれていた自転車で何回かサイクリングをした。東京から10時間近くかけて九十九里浜までキャンプに出かけたこともある。しかしそれは、単なる移動の一つの手段であって、こんなに楽しいなんて思ったことはなかった。だからしばらく後に単車が私の脚になった時、ロードマンは粗大ゴミになった。

ところが、この30年で自転車はとんでもなく進化していた。フロントにサスペンションが付いている!ハンドルの両端から合計4本も出ているチェンジレバーはどう使えばいいんだ?無線で動くスピードメーターのこの便利な機能はなんだ!

5000km程走った頃、このクロスバイクは後ろのスメ[クが折れ、しばらくそれに気付かなかった為に後輪がグニャグニャニなって修復不能になった。

しかし、自転車の楽しさに気付かせるには充分な役目を果たして、付いていたアルミのハンドルとスペシャライズドのサドルは、現在のノーブランドに相続された。

もうじきGIANTのバイクが来る。どうして自転車がこんなに楽しいのか・・・新しい自転車でもうちょっと考えて、また近いうちにいろいろ書いてみたい。

鳥をまねる

2005-01-26 20:10:10 | 大空
海岸道路を走っているとカモメをよく見かける。海鳥としてはたぶん最も数が多くて世界中どこにでもいるような平凡な鳥だが、私は全体的なフォルムがスッキリ整ったとても美しい鳥だと思う。

近くで見ると大きいのはスパン(翼長)が1.5m近くあって結構迫力がある。サーマル(熱上昇風)を利用しているのはあんまり見たことはないが、海風の強い時は、海岸道路に沿った防波堤のリッジで発生する斜面上昇風に乗ってソアリングを楽しんでいる。『カモメのジョナサン』を書いたリチャード・バックも、あの優しい眼差しで飽くことなく彼らの飛行を観察したのだろう。

人類の飛行の歴史はほとんど例外なく、鳥類への憧憬から観察に至り、その飛行態様を真似るところから始まっている。

近いところでは、ライト兄弟に大きな影響を与えた19世紀末ドイツのリリエンタールはコウノトリを観察しながら何種類かの体重移動型グライダー(現在のハンググライダーに近い)を作り、5年間で2000回以上も滑空飛行を繰り返している。

残念なことに、2500回目辺りで突風にあおられ墜落し翌日50歳に満たない年齢で亡くなるのだが、「犠牲は払われねばならない」"Opfer mussen gebracht werden!" ("Sacrifices must be made!")
というのが有名な最後の言葉だ。彼も間違いなくこの世界の偉大な冒険家でありパイオニアだった。



もっとも、イギリスのジョージ・ケーリーはリリエンタールより半世紀近く前に人間を載せたグライダーで130mの滑空飛行に成功している(彼の御者だった10歳の少年を説得して飛ばせた^^;)。この人はエアロフォイル翼や飛行の基本要素(推力・抗力・揚力・重力)など航空の分野で語られることが多いが、実に博学多彩な人で、電気や光学の研究の他、例えば自転車のスメ[ク車輪や重機のキャタピラなどを発明したのも彼だ。政治家でもあった。生涯を通じて自然を鋭く観察しそれを丁寧に記録していたというのも心引かれる。

↓ケーリーのグライダー(当時の業界紙:「調節できるパラシュート」という見出しが面白い)


更にイギリスには興味深い人がいて、11世紀の中世に修道院の屋根から飛んだ人がいる。マルズベリーのエルマーと呼ばれる僧侶だが、「彼はイカロスとその息子ダエダロスが両腕に翼をくっつけて飛行することで監獄から脱出した・・というギリシャ神話を真に受けて、同様に両腕に翼を付け塔の先端に吹き上げてくる風に乗ってジャンプした。その結果200mも飛んだが渦巻く気流に落とされて両足を骨折した」と僧侶仲間のウィリアムという人が記録に残している。

正確な離陸高度が分からず、高さが50mを越える修道院も幾つもあるから、単純にその滑空性能を比較することはできないが、飛行距離200mというとケーリーはもちろん、リリエンタールの記録も超えているわけだから、後にビッコの神父として町の有名人になるエルマーさんが、一時(いっとき)空中で味わった感動と恐浮ヘ想像に余りがある。

UFO

2005-01-24 20:11:54 | 大空
昨日の毎日主要ニュースに、夕暮れ時に紅く染まった飛行機雲を「謎の飛行物体」と見た人たちから多くの問い合わせが気象台にあった・・・とあった。

秋からこの季節にかけては空気が乾燥しているので、水蒸気や水滴の乱反射が少なく遠くのものがクッキリ見える。西の空高度10000m辺りに輝く鮮やかなオレンジの光彩は私も何度も目にしていて、目を凝らして良く見るとその先端にジェット機の小さな機影を確認できるものだが、それはともかく美しい。

「謎の飛行物体」といえば、私の知人にちょっと変わったUFO研究家がいる。(およそこの種の方たちは延べて変わっているのだが)彼は愛媛の西条市という田舎町で味のある木工剣iを作りながら生活している。ところが、或る夜突然、裏山に現れたUFOを目撃して以来不思議な能力が芽生えて宇宙人の声を聞くようになりUFO研究家に転身したという面白い人だ。

この数年はテレビのとんでも番組などにも時々登場して珍妙な話をしているTさんだが、10年ほど前に、「こんな写真を預かったので、航空の視点からちょっと分析して欲しい」といって↓のような写真を渡された。彼の知人が35年ほど前の修学旅行で琵琶湖大橋を渡っていた時にバスの窓から撮ったものらしい。スキャナでPCに取り込んで色々やってみたが、詰まるところ私にはよく分からない。



着陸前の航空機のようにも見えるがこんな所に空港はないし、普通のジェット旅客機がこの角度で着陸進入すると間違いなく地上に激突する。拡大してみると上部から三角形のアンテナのようなものが出ていて、そもそも通常の航空機の体を成していない。

私はこの広大な宇宙のことだから、地球以外にも高度な知性や技術を持った生き物がいて、彼らが何かの縁と興味でこの地球に接近して来ることがあったとしても、なんも不思議だとは思わないが、この15年ほど空を飛んでいて、大空で起きる現象にはかなり注意していても、未だそういう類のものを目にしたことがない。

この画像を見て何か思い当たる節のある方はメッセージを頂けるとありがたいと思う。大空の向こうに側に、もうちょっと夢が広がるかもしれない。

ブローライン

2005-01-21 12:53:10 | 自転車
昨日の風読みは正しかった。昼過ぎに北条を過ぎた辺りから沖合いの海の色が変わり始め、ブローラインが押して来るのが見えた。つまり冬の高気圧の張り出しに伴う北北西の強風がやって来ているのだ。

この辺りの海の風は、以前15年ほど風読みスメ[ツ(セーリング)に熱中していたので手に取るように分かる。大概、「・・・鼻」と名が付く小さな岬付近の風は収斂されて強くなる。これを収束風と言う。北上進路から東に折れるこの岬は「波妻の鼻」と呼ばれていて、小さな海岸はきれいに整備され、ますます南国風に姿を変えた。ちょっと洒落た「サンゴ礁」というレストランは海に向かって明るいテラスを持つ。前の海水浴場は夏場のシーズンには人でごった返すが、この季節はカモメの砂場になっている。

波妻鼻と海水浴場

ちょうどこの鼻を通過して東に向かった頃から、心地好い追い風になった。これから先はだいたい↓このような風景が今治まで続く。

途中で昼飯を食べていたら、スーパーカブに乗った釣りのおじさんが完全防寒の姿でやってきた。「今日は何を釣りますか~?」と声をかけたら「メバル・・・なんとかかんとか・・・」とボソボソと言い、慣れた足取りで磯場をタカタカっと歩いて行って、その先の小さな防波堤で釣竿を伸ばした。

例外を除いて釣り人はあまり喋らない。彼らが、「ひねもすのたり」の海が好きで、細い釣り糸の先で魚たちとの駆け引きに心を躍らせるのは、もともと無駄に喧騒の多い世間や人間(じんかん)の日常から離れるためなのだ。

寡黙な釣り人

いつもの友人宅で2時間ほどお話しをして、夕刻今治を発つ。およそ瀬戸内の風は日が落ちるとともに落ちる。

変速ギア周りがギーギー鳴っていた自転車は、道中壊れることもなく、今回は往復正味6時間で90kmを走ることができた。

権力は腐敗する

2005-01-20 20:13:00 | 大空
「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する。」・・・遠い昔、このフレーズを初めて目にした時、なんて見事な表現だろう!と感動したのを覚えている。

子供たちとは英語で、妻とはドイツ語で、義理の姉とはフランス語で、義理の母とはイタリア語で話していたというアクトン。その肖像を見てみると、若い頃からの見事なあごひげは変わらないが、年を重ねるにつれてその眼光が鋭くなる。どこかトルストイの晩年の面影と重なる、と感じるのはあごひげのためだけだろうか。


ロード(卿)・アクトン (1834-1902)

アメリカも含め西欧の歴史については驚異的な博識者であり、19世紀も後半に活躍したイギリス人だから、遠くはギリシャ古代から近代市民革命、更に産業革命や帝国主義への突入に至るまで、真の「自由」に向けての人類の絶える事のない道程については、その美醜、明暗、裏表など、窮めて深いところまで知悉(ちしつ)していたに違いない。

「少数者に抑圧されるのは良くないことだ。しかし多数者に抑圧されるのはもっと良くないことだ。」
(It is bad to be oppressed by a minority, but it is worse to be oppressed by a majority.)

「その日の終わりに最高に満足した一日を見てみよ。それは君が何もせずにぶらぶら過ごした一日ではなく、成すべきことが山ほどあり、それをやり遂げた一日である。」
(Look at a day when you are supremely satisfied at the end. It's not a day when you lounge around doing nothing; it's when you've had everything to do, and you've done it.)

キャブレターの調整

2005-01-20 09:32:00 | その他
 
ダイヤフラム型キャブレターの調整

アレックス・バーブ著/渡辺寛爾訳    
どんな内燃機関も適切に作動するためには、燃料と空気を適切に混合してやる必要があります。これがキャブレター(気化器)の役割です。

キャブレターにはフロート(ボウル)型と、メンブレーン(ダイヤフラム)型の2種類があります。
ほとんどのPPG用ユニットのキャブレターにはメンブレーン(ダイヤフラム)型が使われていますが(例えばワルブロ・ミクニ・チロットソンなど)ここでは、最も一般的なワルブロのメンブレーン型(以下ダイヤフラム型と呼ぶ)で説明します。ちなみに「メンブレーン」の原義は「膜」。
調整方法について詳しく説明する前に、フロート型とダイヤフラム型の違いを分析し、次に長所と短所について触れます。

言うまでもなく、最も理想的なキャブレターは最近の自動車で使われている「スロットル・ボディ・インジェクター」いう、コンピューターで制御されるものです。
イタリアのPPGユニットメーカー「ザンゾレッタ/Zanzoretta」やその他の航空用エンジンでは現在このタイプのシステムを採用しています。
「スロットル・ボディ・インジェクター」を装備したザンゾレッタのパワーユニット?span lang="EN-US">MZ351が昨年オシュコシュで披露されました。

しかし、今のところダイヤフラム型は量産されている最も一般的なキャブレターです。
ダイヤフラム型の長所は、
1どんな位置にでも取り付けることができる。
2軽くて、安くて、メンブレーン(ダイヤフラム)と呼ばれる自己真空ャ塔v内臓している。
ということです。
フロート型と比べてダイヤフラム型はこのような長所があるわけですが、同時に非常に大きな短所もあります。
それは調整するのが難しいということです。

適切で安全な燃焼のためには、どんなエンジンも広い範囲の回転域で適切な空気と燃料の混合が必要です。
エンジンの運用は、およそ通常2000~3000回転のアイドリングから、エンジンの種類やリダクション、プロペラのタイプやサイズにも拠りますが、最高6000~6500回転の範囲をカバーしています。
アイドリング時の理想的な空気と燃料の混合比は12対1から16対1ですが、それは運用高度、燃料の種類、オイルの混合比、温度、エンジンの種類によって異なります。

ダイヤフラム型のキャブレターには4つの調整装置があります。
燃料計量システム(ダイヤフラムの下にあるャbプアップバルブ)、アイドリングスクリュー、HI調整用スクリュー、LO調整用スクリューです。

ほとんどのPPG用エンジンはオーバーホールまで300~500時間は運用可能ですがキャブレターの調整が正しくできていない為に、多くのエンジンの寿命はそれよりも短くなっています。
私は、多くのパイロットが知識と経験が足りない為に、キャブレターの調整にあまり注意を払っていないのだろうと思います。
その上、DKと2、3のメーカーを除いては、マニュアルの中でキャブレターの調整について全く触れもしていません。

私はおよそ2年間、多くのパーツ(部品)を使い、苦心惨憺しながら実験をかさねてきましたが、その値打ちはあったと思います。

私はオシュコシュの大会でザンゾレッタ氏とエンジンとキャブレターについて随分お話することができました。また、ソロ(SOLO)エンジンの最高の専門家であるドイツCTAのトーマス・デートリッヒ氏、とも非常に長い時間電話でお話できたことにも感謝したいと思います。

さて、それでは空気と燃料の混合形態についての分析に進みましょう。
空気と燃料の混合をオイルと燃料の混合に取り違えないようにして下さい。
これから分析するのは空気と燃料の混合についてです。

リーンミクスチャ (薄い混合)
リーンミクスチャは燃料が多すぎる空気の中で燃焼するときにおきます。
リーンミクスチャでは、どれくらいリーン(薄い)かによって、最大出力を出すか、充分出力が出ないかどちらかに分かれます。

リーンミクスチャでは、通常よりもエンジン温度が高くなるので、カーボン(炭素堆積物)が付きにくくなり、エンジンはより滑らかに、より熱く、よりきれいに稼動し、煙が出ません。
警告! オーバーヒートが非常に起こりやすい。

この状況では、ピストン上部の温度は即座に上昇し、ピストンやリングやシリンダーだけでなく、シリンダーヘッドまで、燃やしてしまうことがあります。
オーバーヒートはCHT(シリンダーヘッド温度計)では即座には検知できません。
温度の上昇が検出部分に到着する前に、スパークプラグやピストンは既に損傷し、焼きついたり、燃えたりしているでしょう。
エギゾーストマニホールドに直接付けられたEGT(排気温度計)だけが、この温度を即座に検出できます。
通常、非常にリーンな状態のエンジンは数秒でだめになります。したがって、キャブレターを調整する際、ミクスチャをリーンにしたときに回転数が落ちたら、速やかにリッチの側に調整しなければいけません。
リーンミクスチャの一般的な症状は、エンジンを止めたときにバックファイヤが起こることです。
注意:
プラグのセラミックと電極部分は白か灰白色になる。

リッチ・ミクスチャ(濃い混合)
リッチミクスチャはリーンの反対です。
この場合は充分でない空気の中で多すぎる燃料が燃焼します。
燃焼は不完全で、遅く、煙が多く、エンジンの回転はスムーズでないため、フルパワーが出ず、多くのカーボンが出ます。
リッチミクスチャの他の危険性は次の通りです。
(エンジンパワーが足りないので)助走距離が長くなり、カーボン粒子が付着したプラグはギャップ(隙間)が小さくなって、フライト中に止まりやすくなります。

同時に、急速にカーボンが堆積するとプラグの点火時期が早まり、シリンダーの壁面を傷つけることにもなります。
これがエンジンの圧縮を減少させます。
カーボン堆積物はエンジンの始動を容易にする為にシリンダー開けられたデコンプホールを詰まらせるかもしれません。
さらに、もし圧縮が普通より高ければ、プラグの色をチェックすることで、カーボンの堆積状態を推測することができます。(スターターのロープを引くときの力加減である程度分かる)

注意:
DKやアドベンチャーやその他多くの痘ァ型のエンジンで突然圧縮が高くなったら、かぶっているのかもしれません。.
スパークプラグの色:
セラミックや電極部分の色はこげ茶色か黒で、カーボン堆積物は目で見えるでしょう。

ノーマル・ミクスチャ(通常の混合)
ノーマルミクスチャはリーンとリッチの妥協点ですが、わずかにリッチ寄りです。
この状態ではエンジン性能は通常、最高回転数より大体80100回転低いところになります。
この場合、ほとんど最適量の燃料がリーンな状態よりも少ない空気で燃焼します。
ミクスチャは少しリッチ気味です。
出力はリーンの場合より劣りますが、エンジンはオーバーヒートしないので安全であり、振動も少ないか全くありません。そしてカーボンの付着も許容範囲です。

注意:
スパークプラグの色:
セラミックと電極部分は茶色かこげ茶色になります。
カーボン堆積物も見られません。.
簡単で正確な調整の為には、アイドル、HILOスクリューを調整しやすくなければなりません。
全てのワルブロ(WALBRO)キャブレターで、HIスクリューだけがエンジン運転中に回しやすいハンドルが付いています。

注意:
全ての調整はエンジン運転中に行われるべきです。
エリザベス・バーブ撮影
(Photo courtesy of Elizabeth Varv)
アイドルやLOをスクリュードライバで調整しようとすると、エンジンの振動によって大概ねじ溝から外れてしまい、この作業は非常に困難になります。
指から滑り落ちたスクリュードライバが2000回転かそれ以上で回っているプロペラの上に落ちることは簡単なことです。

以上のことを頭に入れて私はワルブロを改良・調整しました:
(写真を見て下さい) ねじ頭の溝に「L」型の釘をハンダ付けしました。
ハンダ付けする前に、釘の頭はハンマーで平らにして、スクリューの頭にある溝自体よりも少し薄くしてスクリュードライバー型にしました
隙間はハンダで埋めて、頭の上にさらにハンダを盛って円錐形にしました。
こう改良することで、エンジン稼動中に2本の指で全ての調整をするのが大変楽になります。
これは安全で、調整しやすい方法です。
ハンダ付けが十分厚いと、これが振動によって壊れることはありません。
私は1年以上この改良型のスクリューを使っていますが、その結果は素晴らしいものです。
調整は非常に簡単かつ正確になります。ちろん、この改良は他のキャブレターでもできます。

もう一つ私がしたことは:
回転計をスロットルに取り付けたことです。そうすることによって、片手で調整しながら回転数を確認することができます。
エリザベス・バーブ撮影
(Photo courtesy of Elizabeth Varv)


また、他の利点もあります。
空中でどれくらいの出力が出ているか知ることは重要なことです。例えば、フルパワーで6200回転のところを6400回転出ていれば、リダクションベルトが滑っているかもしれないと推測することができます。
そしてベルトが切れるか燃える前に、プロペラを回したまま安全に着陸することができます。

他方、上昇中に(600m~900mの高度で)ゆっくり継続的に回転数が落ちるとき、これは「厄日」にサーマルソアリングしようとするときによく起こりますが、たちまちミクスチャがリッチになっていることを知ることができるでしょう。
エンジン回転計をスロットルに付けることは、「特別にデザインされたハーネスのャPット」に入れておくよりはるかに良い方法です。

キャブレターの調整(チューニング)
エリザベス・バーブ撮影
(Photo courtesy of Elizabeth Varv)

ワルブロやその他のダイヤフラム型キャブレターの調整をする前に、次のことチェックしておくべきです。
.燃料
燃料とオイルの混合は、72時間以内であること。
その理由は燃料混合物は72時間より長い時間経過するとその特性が変化するからです。
注意:
72時間以上問題なく保存できるオイルは一つしかありません。
それはカストロールのTTS・完全化学合成油です。
が、残念ながら、それは米国で見つけるのは困難です。

2.燃料タンクの通気口を開く。

3.エアフィルターを聡怩キる。

4.燃料チューブの取り付け口をしかり閉める。プリマーバルブがあればそれも。

5.クランクケースのガスケットやクランクシャフトのシール、キャブレターのガスケットや真空ホースに漏れが無いように。
これらは、キャブレターの調整中にラフなアイドリングやリーンミクスチャの原因になる場合があります。

6.燃料チューブや燃料フィルターには完全に燃料が満たされていなければならない。気泡はリーンミクスチャや故障の原因になる場合があります。

気泡を除去するのに最も良い方法はメンブレン(ダイヤフラム)を押し下げながらプライミングバルブを絞ることです。
そうすれば、ニードルバルブが開いて、気泡がチューブから出て行きます。
エンジンのカブリを防ぐにはエンジンをキャブレター側に傾けて余分な燃料を抜くようにすればよい。
しかしこの段階でエンジンがかぶってかからなくなった場合は、プラグを抜かないで始動する良い方法があります。
メインスイッチをオフにして不意にエンジンが始動しないようにする。
スロットルを完全に開いたままにして、プロペラを正規の回転方向とは逆に3~4回転させる。
もし、かぶりが深刻でなければ、これでエンジンは始動するでしょう。
これでだめなら、プラグをはずして、リコイルか電動スターターで空回りさせてシリンダ内をクリアにする。

これらのチェックを済ませたら、調整に進みましょう。

同じフライトエリアでも、密度高度(大気密度)あるいは気圧は(訳者注:気圧は大気密度を決定する3要因の1つである)しばしば変化するので、フライトごとにキャブレターの調整をするべきです。
大気圧が上がると、空気はより濃くなり酸素の量も増える、そうなるとそれ以前のキャブレター設定のままでは、リーンミクスチャになってしまうでしょう。
逆に大気圧が下がったら、ミクスチャはリッチになるでしょう。
また、飛行高度が高くなればなるほど、ミクスチャはリッチになり、およそ900mまで上がると、リッチになりすぎているでしょう。
高い高度フライトをする場合は、市販の器具で作ることができるこのようなリーモート・ミクスチャ調整器を強くお勧めします。

キャブレターの調整をする前に、エンジンをウオームアップしておかなければいけません。
私は、少なくともCHT(シリンダーヘッド温度計)と回転計を使うことを勧めます。
取扱説明書を見るか、メーカーに問い合わせて、通常運用時のCHTを調べておいて下さい。

注意:
ウオームアップ時やエンジンを始動した直後(エンジンが温まっていない状態)では、それ以前に調整されていても、ミクスチャーはリーンになります。
これは、キャブレターやクランクケースやピストンやシリンダーの温度が低いので、液体である燃料が気化しにくい為です。
だから、大気圧に合わせて正しくキャブレター調整をしたとしても、エンジンはうまく吹き上がらず、振動したりします。
この場合、LOスクリューを1/8ほど時計と反対方向に回してください。
これで、ミクスチャーはリッチになるので、回転数が上がりエンジンがよりスムーズに回るようになります。
しかし、Solo 210などのエンジンは、回転がスムーズでなく振動します。
燃料流動のわずかな増加が不必要な振動を防いで、ガードやエンジンマウントを保護することになります。
まだスロットルを開ける必要はありません。
それは時期尚早なエンジンの摩耗を引き起こすでしょう。
エンジンが暖まると、ミクスチャーはリッチになるので、回転数が明らかに下がってきます。
そこで、反対にLOスクリューを少し閉じて元の位置に戻します。

       Solo 210DK Whisper GTHILOスクリューの初期位置

Solo 210:
LOの最小・・完全に閉めた状態から1/81/4回転
最大・・完全に閉めた状態から1/3回転
HIの最小・・完全に閉めた状態から3/4回転
最大・・完全に閉めた状態から1回転

DK GT
LO 完全に閉めた状態からの1回転
HI 完全に閉められた状態から1回転

どんな調整も左右1/8回転ずつ行われるべきです。
これらのユニット以外については、取扱説明書を見るか、メーカーに問い合わせて下さい。
初期設定を正しく行うのは重要です。

注意:
もし以上のセッティングでエンジン調整がうまくいかない場合は、スクリューを最大から更に開ける必要があるのですが、そうするとキャブレターが詰まるかもしれません。

アイドリング゙温度がおよそ100度に達したら、キャブレターの調整を続けることがでます。
LO、HIスクリューを初期値に設定したら、次にアイドリング回転数の設定をします。

この段階で、回転計が非常に便利になります。
DK GTのアイドリング回転数は2000回転±200回転です。
それより低い回転数だと止まるか、スムーズでないアイドリングになります。
アイドル回転数は常に高めに設定しておくと、上昇中にエンジンが止まらないですみます。
115cmプロペラのSolo 210エンジンのアイドル回転数は2200~2300回転ですが、正確には取扱説明書を見るか、メーカーに問い合わせて下さい。

アイドル回転数が設定されたら、LOスクリューの設定をします。
エンジン音を聞きながら、スロットルをわずかに開いていきます。
エンジン回転数が上がりにくければ、LOスクリューを1/8回転開けます。

スクリューを開けすぎると、回転はスムーズに上がらず、振動を始めます(ミクスチャーがリッチすぎる)
この場合はLOスクリューをしっかり閉じます。
エンジンがスムーズに反応するようになるまで、この手順を繰り返します。
その間、アイドリング回転数の再調整が必要になるかもしれません。

LOミクスチャが調整されたら、HIスクリューの調整をします。
ユニットをしっかり固定してフルスロットルにします。
まず、HIスクリューを右か左に回して最高回転数にしてください。

この位置から、ちょっと右に回すと、回転数が急激に落ちるはずです。
これは、ミクスチャがリーン側になったことを意味します。
すぐに、スクリューを左に回して、エンジンがオーバーヒートするのを防いでください。

この危険なステップをもう一度繰り返しましょう。
最高回転数までフルスロットル、そして回転数が落ちるのが分かるまでHIスクリューを閉める。
回転数が落ち始めたら、最高回転数になるまで再度HIスクリューを開ける。そして、更に60~100回転落ちるまでスクリューを開ける。

この位置でキャブレターは若干リッチ(安全)な側で完全に調整されたことになります。
次に、スロットルを閉じてアイドルとLOスクリューを再チェックすべきです。
キャブレターが適切に調整されていれば、アイドルは上記のように正常なセッティングに戻るでしょう。

要約すると、エンジンがアイドリング時も回転数上昇時もスムーズに回って、煙が出ず、最高回転数より80~100回転低ければ、キャブレターは正しく調整されたことになります。
4サイクリング

「4サイクリング」について少し触れておきましょう。キャブレターの中には「4サイクリング」になりやすいものがありますが、それはHILOのスクリューが部分的だが同時に働くことによって起こります。
これはエンジンに害は無いのですが、出力を低下させ、始動時に少し振動が出ます。
もし、スロットルを上げたとき4500回転以上でエンジンがスムーズに稼動しないときは、この回転域を維持しながら、LOスクリューを少し閉めた方が安全です。
LOスクリューの変わりにHIスクリューを閉めても同じ効果を得ることができるが、高回転域でリーンミクスチャになります。
低回転域でのわずかなリーンミクスチャの方が高回転域より安全であることを覚えておいてください。

更に、2サイクルエンジンはアイドリングで長時間稼動されるべきではありません、何故ならエンジン内で燃料が循環しにくく、エンジン温度が低いのでカーボンの堆積が早く起こり、従ってプラグが汚れるからです。
この状態で長時間経過すると、エンジンは止まるかもしれません。
したがって、航空機用のエンジンのように、アイドリングで降下中には時々スロットルを開けて、エンジンをきれいにしてやる方が賢明です。
                    エンジンの運用温度

Solo 210Hirthエンジンでは、通常のアイドリング温度は大体100℃弱です。
決して超えてはいけない温度は250℃です。次にあげる注意事項はエンジンを焼きつきから防ぐ為に非常に重要です。
適切に調整されたキャブレターでは、めったに180℃~190℃を超えません。
CHT(シリンダーヘッド温度計)が装備されるのが良いことは明らかです。
エリザベス・バーブ撮影
(Photo courtesy of Elizabeth Varv)
スパークプラグの色
フライト毎にプラグの色をチェックした方が良いのですが、新しいプラグは約1時間使わないと正しい色になりません。
例えば、真新しいプラグを完全に調整されたキャブレターで15分間しか使わないと、色は明るすぎて見えるでしょう。
先にあげたリッチ・リーン・初期の混合比でのプラグの色はごく一般的なものです。
プラグの色はオイルと燃料との混合比、燃料の種類、オクタン価、燃料添加剤の種類などによっても異なってきます。
ある種の洗浄剤を含んだ燃料の場合も、より明るい色になります。
また、プラグの色はそれがシリンダーヘッドのどこに付けられているかにも影響を受けます。
例えば、Solo 210エンジンでは、プラグのキャブレター側の方が排気メ[ト側よりも随分明るくなります。
DKのエンジン(GT)はプラグがシリンダーヘッドの中心に付いているので、より均等な色です。

何ヶ月にも渡る実験の結果、結論として言えることは、もし適切に調整されたなら、ダイヤフラム型キャブレターはフロート型に比べて、いくつかの長所を持っているということです。
しかしながら、ダイヤフラム型キャブレターはBING(フロート型)のようには簡単に始動しないし、スムーズにアイドリングもしません。

ちなみに、これは危険なのであまり奨励しませんが・・BING(フロート型)のキャブレターを付けたSolo 210エンジンは手でプロペラを回すだけで簡単に始動できます。

常に心に留めておいてほしいのは完全に調整されたキャブレターはエンジンの寿命を長くし、フライトを安全なものにするということです。
私の知識と経験から言うと、この世界に同じ人間は2人といないし、同じことはエンジンにも言えます。

この記事が「アエロ・コネクション誌」に掲載されてから、多くの読者から電話を頂きました。そして分かったのは全てのキャブレターが、メーカーのものでさえ、おおよその調整になっているということです。
これが私が自分のエンジンとキャブレターで実験することにした理由です。
この記事をステップバイステップで実行すると、適切なキャブレター調整について、エンジンそれ自体が語るようになるでしょう。
<忘れないで下さい>
2回調整してから、1回フライトしなさい!
では、大空でお会いしましょう!!

この記事は「アエロ・コネクション誌」1999年12月号に掲載されました。



音楽の虫

2005-01-19 10:50:00 | 追憶
私の中の音楽の虫がまた騒ぎ出した。虫といっても私の虫はクワガタやカブト虫のような強固な外殻などは持っていない。フラフラ飛んでいつの間にかいなくなってしまう蚊トンボのようなものだ。

明治の学生時代、新宿の安下宿の隣室に奇妙な青年が入居した。一応、法政大学生の身分を持っていたが、彼の部屋にはほとんど書物というべきものはなく、代わりにギターと音譜が散乱していた。年中、裸で寝る北陸出身のこの男は、時々思いついたように私の4畳半にやってきて、当時最盛期だったピンクレディーなどの歌をフリ付きで歌い始めるのだ。

私が彼のギターに興味を示すと、「これは、ギブソンの何とかかんとか・・・」とひとしきり熱く語った後、ホテルカリフォルニアなんかを弾き始める。これがかなりうまいので感心していると、「音楽は素晴らしいですよ~。先輩も是非ギターを始めたらどうですか~」と勧めるのである。

昭和40年代の後半に、高校の音楽の授業で「海行かば」などというとんでもない時代錯誤の歌を披露して、戦中女学校出身の音楽教師を感心させていたような音楽オンチの私が、ギターなんて・・・と躊躇したが、結局数日後には当時5000円の入門用アコースティックギターを手にしていた。

それからほとんど毎日のように遊びに来るこの変な後輩の指導のおかげで、幾つかコードや流行歌の弾き方を覚えた。しかし、決して「素晴らしい」ところまで行くことは無く、私の初めてのギターは、後に質屋で流れて法律の基本書に姿を変えた。

しかし、彼との出会いが私の中の小さな音楽の虫を刺激したのは確かで、その後社会人となった後も、何年か置きにこの虫が騒ぐ。いやおう無く成長してゆく子供の興味にも合わせて、オカリナ、ハーモニカ、電子ピアノ、電子ホルン、数年前はフルート・・・色々手を出してきた。だがまあ、どれも1年も続かない。

それがまた、懲りることもなく近頃、「あ~・・・ギターを弾きたい!!」と天井を見上げることがあるのだ。

思いついたら取り敢えず始めてみないと気がすまない性分はどうにもならないものらしいから、近いうちに多分また、私の事務所の片隅に入門用の安ギターが鎮座することになるだろう。

フロントディレーラー/漱石の自転車

2005-01-17 12:55:01 | 自転車
夏目漱石の『自転車日記』の某月某日は「人間万事漱石の自転車で、自分が落ちるかと思うと人を落す事もある、そんなに落胆したものでもないと、今日はズーズーしく構えて、バタシー公園へと急ぐ・・・」と始まる。

自転車はイギリスで神経衰弱になった漱石を、宿の女主人が心配して気分転換に勧めた健康法であったが、この書き出しは、帰国後書いた『草枕』の冒頭とどこか似ている。

彼の自転車修行は散々転唐オたり落車したりで、結局「その苦戦云うばかりなし、しかしてついに物にならざるなり・・この二婆さんの呵責に逢てより以来、余が猜疑心はますます深くなり、余が継子根性は日に日に増長し、ついには明け放しの門戸を閉鎖して我黄色な顔をいよいよ黄色にするのやむをえざるに至れり」と結んでいる。

しかし、『吾輩は猫である』や『坊ちゃん』に見られる軽快な文体は、この『自転車日記』にも充分に現れていて、この時点で彼の病気もたいぶ快方に向かっていたことが伺われる。自転車が健康に良いことは改めて言うまでもないが、漱石も知らぬ間にその効用に浴していたのかもしれない。

ところで、『坊ちゃん』の舞台はここ松山だ。登場人物にキザな英語教師の赤シャツというのがいる。実は私の高校三年の担任がこの赤シャツを見事に現実化したような先生で、やはり英語教師。進路指導などで散々お世話になった恩師ではあるが、ほとんど毎日替えてくるカラーシャツや奇妙な英語なまりの日本語など、何度も密かに笑わせてもらった珍教師のお一人であった。

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『フロント・ディレーラー』

こないだ坂道を走行中に変速しようとして初めてチェーンが外れた。それが原因かどうか分からないが、フロントの3枚変速ギアの一番外側にチェンジができなくなった。昨日は何時間か修理を試みたがどうにもならない。ネットには親切なサイクリストやサイクルショップのサイトがあるので少し調べてみたら、このフロントのギアが「フロント・ディレーラー」と呼ばれていることが分かった。

この世界も随分奥が深そうだ。本格的に「はまっている」方々のサイトを見ていると、走り方の基本から主要部品の選択や設定に至るまで、それぞれに熱いこだわりがある。シンプルなものほど多様で貴重な人の個性が生きてくるのだ。さまざまな耳新しい部品名称も私には新鮮な言葉だ。

インナーとアウターのボルトを調整すればなんとかなると思ったのだが、結局なんともならなかったので、今日は近くのホームセンター「ディック」の自転車コーナーに持って行く。親切な係の青年2名が30分近く調整に苦労してくれて、何とか最高速ギアーが使えるようになった。原因はギアとディレーラーの磨耗だそうだ。丁重にお礼を言う。これが全くの無料サービスなのだ。

このマウンテンバイクはネット通販で14800円で買ったノーブランド(一応Raychellとは書いてある)の折りたたみ式で、基より過大な期待や要望はないが、なるべくこまめに整備しながら乗り続けてやりたいと考えている。しかし、私のようにかなり負荷の大きい使い方では1年耐えるかどうか・・・。

瀬戸内海120kmフライトレメ[ト

2005-01-11 09:03:00 | 大空
瀬戸内海120kmフライトレメ[ト
(愛媛県・長浜町~山口県・宇部市)
 1999年8月12日~13日

ルートマップ


生まれ育った海の上が飛びたくて10年ほど前にPPGを始めた。大概は程よい海風でテイクオフして、グライダーの滑空比で陸地まで帰ってこれる範囲の空域をフライトするものだが、それでも上空から見下ろした海の様子は海岸から見るものと全く違っていて、海面の乱反射を受けにくいため、魚の群れが観察できたり、数十メートルの海底まで見通せることもある。オープンコックピットのPPGで空と海のブルーの間をずっと飛んでいると、体ごと青い世界に溶け込んでいくような気がしてちょっと不思議な気分になるのだ。

2年前の春、動力飛行と滑空飛行を組み合わせて瀬戸内海を横断したことがある。香川県坂出市から最短距離の岡山県王子ヶ岳付近まで10km余り、海上サメ[トなしで全くの単独飛行だったが、季節的にも良いコンディションに恵まれて、非常に快適なフライトを経験した。それから徐々に「動力飛行を主体とするPPGでどれくらいの海上飛行が可能なのだろう。いつか限界に挑戦してみたい。」という気持ちが私の中で強くなっていた。

そんな折、ほんの1年前にPPGと出合ってその魅力に取りつかれ、それまでの仕事やらなにやらをさっぱり捨てて大空の夢に人生を賭けることにした・・・というちょっと変わった男に出合った。私はその生き方に共感を覚えた。今年の春、彼の小野田でのPPGスクールのオープニングイベントに参加した時、「そのうちエリア前の海からひょっこり現れてちょっと笑わせたいな。」と思いついたのが今回のフライトプランの始まりだった。

「肱川あらし」で有名な伊予灘に面した愛媛県・長浜町から直線距離で約130km。 瀬戸内海の多島美を楽しみながら、島々を跳び石伝いに飛んで行ければ一番楽で安心なのだが、最も近い八島まで35km、西に向かって伊予灘から周防灘に入るともう島影はない。

  まず燃料をどうやって増やすか、伴走艇をどうするか、季節はいつが良いか、風をどう読むか・・・。 エンジントラブルが許されない海上を100km以上飛ぶとなると、どうしても解決しなければならない課題がいくつかあった。

ともかくまず徹底的に飛行計画を検討することにした。基準として無風時・燃費10分~15分/リットルで計算を始め、風向・風速のデータから所用燃料と時間が計算できるPCソフト等も使いながら何種類ものバリエーションでフライトプランを作った。簡単に要点をまとめると次のようになる。
直線飛行距離130km  搭載燃料 35リットル
燃費
フライト可能時間(分)
15分/リットル
525分8時間45分
10分/リットル
350分5時間50分
対地速度  
予想所要時間
  50km/時間
2時間40分
  45km/時間
3時間00分
40km/時間
3時間20分
(平均対気速度)35km/時間
3時間40分
30km/時間
4時間20分
25km/時間
5時間10分
20km/時間
6時間30分

・35リットルの燃料を積むことが出来れば、燃費が最悪の場合でも5時間50分は飛べるはずなので、対地25km以上で130kmの飛行が可能になる。

・フライト高度は、最も効率的に飛べる位置を選択するが、緊急時に離脱する上での安全マージンを充分取るために最低300m(エンジン停止時に着水まで約3分)を基準にする。

・対地速度が20kmを切る状態が1時間以上続いた場合は、フライトを中止して伴走艇に降りるか、着水するか、近くの陸地に緊急ランディングする。

・その場合、姫島ウエイャCント(75km地点)を越えていれば伴走艇で目的地まで行く。その手前なら伴走クルーと相談して引き返すかどうか決める。

・今回のフライトは常に伴走クルーとの共同作業になる。ダウンウインド(追い風)はスピードが出て良いが、私が早すぎると伴走艇が付いてこれない。そういう時は、上空で旋回しながら追いついてくれるのを待つ。(実際、何度かそうなった。)

・飛行中に風向き、エンジンの調子、燃料消費量等を見ながら臨機応変に対処する。

・考えられる限りの準備をした後は、心配してもしょうがない事は心配しない。

・ともかく「楽しみながら海を渡る」を基本姿勢にして、決して無理をしない。
                    エンジンユニットの最終チェック 8月13日 朝


増量タンクは今回の飛行に合わせてアンダーシートタイプで20リットルを2個、燃料供給の確認の為に中間タンク5リットルをフレームのサイドに1個、メインタンク5リットルと合わせて50リットル積めるようにして、実際にライズアップからテイクオフにかけての動作が可能かどうか確認した。

燃料供給はミクスチャの不具合が心配なので、まずアンダーシートの20リットルタンクから手動ャ塔vで中間確認タンクに移動して次にメインタンクに落とし込む、という2段階方式にした。

30リットル増量でも装備と合わせて40kg近い重量増加になるのでかなり大変だったがタンクフレームに工夫を加えることとアメリカの友人達からヒントをもらったヒップサメ[トを使うことで、問題なくテイクオフできるようになった。(当日は全部で37リットル搭載した。)

伴走艇とサメ[トクルーはクラブの仲間達が引き受けてくれたが、皆の休日を調整してみると実行日はどうしても空気の薄い真夏のお盆休みの数日間ということになった。

「まあ、台風さえ来なければ気圧配置的には安定した夏の青空が広がるだろう。上空の風の本流も読みやすいに違いない。昼前から吹いてくる海風に合わせてテイクオフし、最も適当な風の層を選んで飛んで、向こうに近づいたら高度を下げてまた海風を利用してスピードを稼ごう。」
およそこのようなことを楽天的に考えながら準備を進めるにつれ、様々な不安要素と共に新しいアイデアが次々に湧いて出てきた。それらを一つ一つ検証しながらプランを練り上げていく作業は本当に楽しかった。
「クロスカントリーフライトの楽しさの90%はフライトプランにある・・というのはまったく本当だ。後のことは付録みたいなものかもしれない。」
 カメラクルー取材中
ところが今年の夏は太平洋高気圧が例年のように張り出すことが無く、四国近辺は梅雨が明けても次々台風がやってきて、予定の8月に入っても荒れた天気が続いていた。

8月12日

「今年は無理かもしれないな・・・」と思いながら迎えた8月12日の朝、テイクオフ場の長浜港多目的広場には、この挑戦フライトの話しを聞いた地元の方達が花束を持って前祝いに来てくれていた。
子供さん達のタンデムフライトがきっかけで取材を受けることになったテレビ局のスタッフもなんだか気合がはいっている。

四国地方はごく弱い熱帯低気圧が停滞しているものの、天気は晴れ、本流は弱い東風、小野田の風情報は西風2m、時間と共に穏やかな海風も吹いてきて、総合的なコンディションは徐々にフライトプランの許容範囲に入ってきた。

ギリギリまで良いコンディションを待って午後2時前、テイクオフ。上昇率0.2m/秒とちょっと頼りないが、エンジン音快調。500mまで上がって海上の逆転層を超えると、東風の本流に当たって対
      長浜港 上昇旋回中
地速度は40kmを超えた。伴走艇がついてこれるぎりのスピード。「この調子なら3時間ちょっとで行けるかもしれない・・」と甘いことを考えながら、燃料供給用のャ塔vを押してみると「あらら・・・」 圧力が無い・・・。
                出発地点から40kmほどの地点だったが迷わず八島まで引き返して長い砂浜に緊急ランディング。

原因は確認用中間タンクにあいた直径5cmほどの穴だった。排気口から充分距離を置いて取り付けたはずのタンクに排気熱がローターになって当たり、長時間の加熱でプラスチック容器を溶かしてしまったのだ。

「何たる情けないミス!」 しかし、この日のフライトでマイナス要素の一つが解消したので、「この天気さえ続けば必ず成功する」という確信が更に強くなった。
伴走クルーも「これなら明日は絶対行けるね。」と、元気いっぱいだ。「そうだ、失敗は目標を達成するまで諦めなければ、かえって貴重な過程になるのだ。」

8月13日
昨日と似たような空模様だが、低気圧が多少発達しているのだろう、昼になっても海風が安定
(初日 矢島上空750m

せずテイクオフ場には弱い東寄りの風が入っていた。相変わらず蒸し暑いが風的には悪いコンディションではない。

ところが、エンジン周りの確認を済ませプラグの増し締めをしようとした途端、ヘッドのねじ山がとんでしまった。非日常的な状況では日常めったに無いことが起きるものだ。急遽別のエンジンからシリンダーヘッドを取って付け替えたが、今度はミクスチャがリッチ気味で回転数が充分に上がらない。かなりリーン絞り込んでやっといつもの回転数に戻した。

今日はなんだかおかしな事が続けて起こる。しかし「これでまたマイナス要素が減ったのだから、プラス要素の割合が増えたに違いない」と考えた。要するにどうしようもない楽天家らしい。

「さて、今日で最後だ。ともかく悔のない飛びをしよう。」  
12時39分、テイクオフ。瀬戸内には薄いガスがかかっていて視程10km以下。上昇率は昨日より悪い。エンジンが100%の力を出していない
                       (伴走艇とペースを合わせて・高度400m)



それでもゆっくりゆっくり上昇し、やっと高度300mに達した頃、突然エンジンが息をつき始めた。

明らかに「かぶり」気味の兆候だ。(ハイニードル、もうちょっと絞り込んでおけば良かった・・・オーバーヒートを恐れて躊躇したのだ・・・と後悔してももう遅い。)クルージングの6000回転を維持できない。高度は徐々に下がっていく。昨日と違って近くに島影は無い。
 

これまで経験したことの無い真剣さで微妙なスロットル操作に集中しながら、回転数が持ちなおしてくれるように祈るしかなかった。

必死の思いの何分間か・・高度は下がり続けたが、ありがたいことに海面まで200mというところで、また徐々に回転が上がり始め最初の危機を脱することができた。

やがて昨日降りたひょうたん島みたいな矢島が近づいてきた。その向こうの岩礁だらけの祝島も見えてきた。取材ヘリが今日もやってきた。海の上を一人で何時間も飛んでいると、こんな巨大な航空機が昔からの友人みたいに思えるから妙だ。こちらからもビデオ撮影しながら、何度も手を振った。ヘリは私の前後左右を見守るように30分ほど飛んで、帰って行った。

今回のフライトでは主にGPS航法を使った。前もって入力してある通過地点に近づくと、メッセージが表示され次の地点までの距離と方位を示してくれる。

注意深くエンジンの機嫌を取りながら45km地点の祝島沖を過ぎた。高度450m、上空からは細波にしか見えない海面もかなり波立っているのだろう、伴走艇がホッピングしながら白い航跡を引いている。

辺りは薄いもやに覆われていて遠くの島や陸地を確認するのは困難だが、回りを取り囲んでいる薄青い空間と光が自分をしっかり守ってくれているような奇妙な感覚があった。

                     
                     快走する伴走艇・萩原さんとコックピットの二宮船長、秋山記者
幾分余裕が出来て喉が渇いたので、ハーネスのャPットに入れておいた飴をなめようと思ったが、しばらく前に1個目を口に入れたとたんエンジンの調子がおかしくなったのが気になって、縁起担ぎみたいでおかしかったが到着するまで我慢することにした。
 
75km地点の大分県姫島ウェイャCントが近づくにつれ、それまで東だった本流が徐々に西に変わり、対地速度が30kmを切るようになってきた。いよいよ今回一番困難を予想していた周防灘に入ったのだ。

残り50km。ここから先は海以外何も無い。「これからが大変だから、気を引き締めて行こう。」無線で伴走クルーに呼びかけた。予想通り西風は徐々に強くなっていった。 海面には薄いブローラインが何本も見え始めた。

あと30km。 はるか前方に淡く本山岬近辺の海岸線が浮かんできたが、速度はついに20kmを切り始めた。ほとんどアップウインド、15km程の向かい風が吹いていることになる。
伴走艇を停めて海上の風を測ってもらう。「2~3m/秒」。ここよりは幾分弱い。緊急の場合の為に高度は下げたくなかったが少しでも速度を稼げるように150mまで降りた。トリムもかなり解放してグライダーのピッチを下げた。

テイクオフしてから3時間以上が経過していた。「燃料は後2時間位は残っているはずだから、風がこれ以上あがらなければなんとか小野田まで届くかもしれない。」確認用の中間タンクを反射鏡で覗いてみた。

なんと・・・空になっていた。何度もャ塔vを押す・・・上がって来ない・・・ということは補助タンクの30リットルをすでに使い切ったということになる。予想した最悪の燃費のリットル当り10分を下回って8分しか飛んでない計算だ。残りはメインタンクだけ・・・どんなに上手に使っても1時間もたないだろう。

しばらく迷ったが、本山岬をまわって小野田まで行くプランを、最も近い宇部市を突っ切ってまっ
ランディングが近い
すぐ進むプランに切り替えた。進路を北北西に転じると完全なアップウインドになった。宇部セメントのエントツから白い煙がこちらに向かって真横にまっすぐ流れている。見事なオフショアの風、海面のブローラインは黒く波状になって次々押し寄せてくる。

大気は相当荒れている。高度を50mまで下げた。伴走艇のスタッフの心配そうな顔が見える。アクセルを目いっぱい踏み込んでも速度は10kmを超えなくなった。6m以上の風だ。燃料はどんどん減っていく。

ともかくランディング場所を探した。幸い正面の宇部漁港の横にかなりの広さの広場が確認できた。残りの燃料は2リットル。グライダーのピッチは最大限下がっている。波のような乱気流にグライダーはアップダウンを繰り返している。キャノピーを潰されないようにブレーク操作が忙しい。

後1リットル、まだ海の上。広場で風に波打つ木々がもうすぐそこに見えているのに、なかなか近づいてこない。伴走艇に着水の可能性を指示して、アクセルを踏みつづけるしかない。それでも少しづつ少しづつ陸地が近づいてきた。

そして・・・5時28分、やっとランディングした時、メインタンクには300ccの燃料しか残っていなかった。広場は漁港内に設けられた網干し場だった。

目的地の小野田まで10kmほど残したが、海上フライト 5時間弱、120km。ともかく幸運にも恵まれて私にとって全力を出し切った今回のチャレンジフライトは終了した。新しい発見が色々あってほんとに楽しかった。たった24フィートの伴走艇にとっても一つのチャレンジ航海だったのだ。。ほんとによく無事に航海を終えてくれた。
(オノダスカイスクール・格納庫前にて)
最後に、私の思いつきに忍耐強く最後まで付き合ってくれたLAAの二宮船長とサメ[トクルー、あいテレビの秋山記者、応援して下さった長浜町の皆さん、大歓迎してくれた「オノダスカイスクール」の西村さんはじめクラブの皆さん、私がボランティア参加している難民救援団体AAR・NGOの皆さんに感謝します。有り難うございました。                   1999年8月

朝日新聞 99/8/14
使用機材

(グライダー)
ハトル・シンフォニーXL
(パワーユニット)
DKウィスパーGT
(増量タンク)
アンダーシート型40リットルタンク(手動ャ塔v加圧式)+確認用中間タンク5リットルタンク

その他の装備

アルチバリオメータ・GPS・無線機・ヒップサメ[トシステム・セイフティメ[チ(自動膨張式)・シーナイフ・撮影機材 ほか




瀬戸内海・横断フライト(香川~岡山)

2005-01-11 03:27:00 | 大空

          瀬戸内海・横断フライト 97年4月20日
        イカロス出版/パラワールド誌に掲載された記事を転載しました。



 7年前、海の上を飛ぶためにモーターパラを始めた。瀬戸内海の空を渡ることは、5年ほど前からの夢だった。

 海を飛んでいて一番恐いのは、言うまでもなくエンジントラブルである。テイクオフは必ずオンショアの風(海風)、もし海上でエンジンが止まっても、滑空比で間違いなく岸まで帰って来れるように注意しなければいけない。

 数年前から使い始めたDKのユニットは何十時間飛んでも全く問題が無かった。
4リットルの燃料で約1時間、コンディションの良い時は2000mまでは楽に上昇することが出来る。私のグライダーはL/D=9+とうたっているから、単純に計算すると無風で18kmは安全圏ということになる。  これなら充分、伴走艇無しで、瀬戸内海を渡れるではないか・・・と考えた。

  海洋スメ[ツの経験から、海の風は良く知っているつもりでいたが、海面の風と海上1000mの風はまた表情が違っていた。
 3年前の夏の愛媛でのトライはアゲンストの風に阻まれて、テイクオフ後30分足らずで中止した。やはり大気のまだ冷たいうちにと思い、今年3月から何度か香川の友人の海沿いのエリアに通いながら、条件が整うのを待った。

 4月20日、日曜日 快晴、東風3~5m/s、偏流飛行ではちょっと難しいかなとも思ったが、ともかく城山(きやま)テイクオフから海岸まで10km程を飛んで、獲得高度と風向、風速のバランスで決めることにした。14時15分、テイクオフ。なかなかのサーマルコンディションだった。バリオメーターは時に+5を指した。

  坂出(さかいで)近くの北嶺(きたみね)海岸エリアに到着したとき、高度は1200m余り、対地スピードは35km/h、仮り海上でエンジントラブルがあっても、グライダーの滑空比で充分対岸まで届くと判断した。

 瀬戸大橋を左手に見ながら、そのまま進路を北にとって、スロットル全開で1500mまで上げた。プラス1m/s程度で順調に上昇、エンジン音快調、安定した大気・・何の問題も無かった。

 海上を進むにつれてスピードが徐々に上がり、海の中ほどまできた頃には50km/hになった。この辺りの風はかなり南に寄っている。静寂を楽しむ為ににエンジンを切った。陸地と違って風は完全に整流されているようで、グライダーはピクリともしなかった。

 海上高度1500mからの新しい風景は、やはり格別だった。濃紺の海に、船の航跡が何本か長く白く線を描いている。 対岸の王子ガ岳はもう、すぐ眼下に見えている。 何枚か写真を撮った。

 海上フライトは約15分、岡山側海岸上空に到着した時、まだ800mの余裕があった。王子ガ岳エリア上空でローリングと旋回をして挨拶し、14時50分、東2kmほどの渋川海岸にランディングした。  
飛行距離約20km、所要時間35分、消費燃料2リットル、何種類か立てていたフライトプランの中で最も順調な結果だった。

  城山(きやま)エリアでは、川染さんはじめ、讃岐パラグライダークラブの皆さんに随分お世話になった。
 王子が岳エリアからは無線で貴重な風情報をもらった。平沼さんには以前からランディング場所やエリアの様子など、色々お教え頂いていた。合わせて感謝します。

 小さな夢が一つ実現した。そしてこれが、これからの幾つかのチャレンジフライトの始まりになるだろう。


今回使用した装備:
  • グライダー: Airwave Rave Race 95年モデル
  • エンジンユニット: 第一興商 Beat SA
  • 燃料タンク: 4リットル+スペアタンク(4リットル)
  • その他:アルチバリオ・GPS

(渋川海岸にて・たこ焼を食べる)