庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

ジョン・ラボック

2005-05-31 13:54:00 | 自然
大地や大空、森や野原、湖や河、山や海、これらは素晴らしい教師であり、そこから書物よりも多くを学び取る人たちがいる。

Earth and sky, woods and fields, lakes and rivers, the mountain and the sea, are excellent schoolmasters, and teach some of us more than we can ever learn from books.

日没はとても美しいので、その入り口を通してほとんど天国を見ているように思える。

Sunsets are so beautiful that they almost seem as if we were looking through the gates of Heaven.

幸せはバイオリンの演奏のように練習されるべきものである。

Happiness is a thing to be practiced, like the violin.

心配の一日は、労働の一週間よりも疲労する。

A day of worry is more exhausting than a week of work.

賢明な教育システムは、人間が学ぶべきことを如何に多く残しているか、未だに知らないことが如何に多いか、というこを我々に教えるだろう。

A wise system of education will at last teach us how little man yet knows, how much he has still to learn.

休息は怠慢ではない。夏の日に時々、樹の下の草の上に寝転び、小川のせせらぎに耳を傾け、大空に浮かぶ雲を眺めることは、決して時間の浪費ではない。

Rest is not idleness, and to lie sometimes on the grass under trees on a summer's day, listening to the murmur of the water, or watching the clouds float across the sky, is by no means a waste of time.

よく過労で唐黷髏lたちのことを耳にする。しかし、その9割は心配事で苦しんでいるのだ。

We often hear of people breaking down from overwork, but in nine out of ten they are really suffering from worry or anxiety.

我々が「見るもの」は、ほとんど我々が「探しているもの」で決まる。

What we see depends mainly on what we look for.

あなたの性格はあなた自身がそうなろうと選択したものになる。

Your character will be what you yourself choose to make it.



<Wョン・ラボック
(30th April, 1834-28th May, 1913) イギリスの政治家・自然主義者・考古学者であり、「旧石器時代」「新石器時代」などの用語を創った人物。 

リリエンタールと安吾の息子

2005-05-30 15:06:59 | 大空
ことさらここに書くようなことでもないかもしれないが、リリエンタールの資料をネットで眺めているうちに、坂口安吾の長男が書いた一文に出合った。彼の本の一部分をご自分のHPで公開しているものだ。

ことさら・・・というのは、彼のリリエンタール(のみならず数人のパイオニア)に対する認識や評価があまりにも浅薄で、それを更に私が評価してもあんまり意味がないだろうと思ったからだ。ただ、長い間、私の中で鉛のように重く沈殿している或るテーマを再び意識に浮上させる切っ鰍ッになったのは事実なので、少しだけ触れておこう。

彼は少年時代にリリエンタールについて書かれたものを読み、「生まれてはじめて私が魅せられた乗り物は、飛行機・・」となり、Uコン機から始まってラジコン機の世界にはまっていくことになる。そして「こうして飛行の道を歩むようになり、たちまち立派な飛行少年になった。もう頭の中は飛行機のことだけで夜も日も明け暮れ、私の感受性をくすぐるものは美しく宙を舞う飛行機の姿と、明け方の空のグラデーションぐらいだった。」と書く。しかし今に至るまで、自ら飛行することはない。

「見ること」と「行うこと」は極めて密接な関係を持っていて、大概「行うこと」の端緒は「見ること」から始まるのだが、両者の間には厳然とした隔壁がある。そして、「見ること」しか経験しない人間が、何かを生命懸けで「行っている」人間を評価する場合は、人間として余程の節度と覚悟を持つべきだろう。

こんな考えが、先に書いた私の「或るテーマ」とリンクしてくるのだが、今回は以下に彼の一文を抜粋して終える。安吾の息子は確かに安吾ではなかった。

「私の想像では、ある日、彼はより滞空時間を延ばすべくグライダーにさらなる工夫をしたか、飛行中に冒険的な飛行術のトライをした。それは彼がそれまでもおこなってきたことの延長で、それなしでは彼の飛行の進歩は望めないのだがからリリエンタールの日常はすべてこの積み重ねにすぎなかったわけだが。そしてその中の一つの思いつきが裏目にでてしまったのである。
 その結果として突然の死が彼のうえに訪れてしまったわけだが、実に呆気なく、バカバカしくもロマンチックである。
 よく腹上死した男の葬儀などで囁かれる、あの人も好きなことをしてて死んだんだから本望だね、なんて無責任な会話と同じレベルでリリエンタールの死もくくられてしまう。
 女の上での死も鳥型木製グライダーでの墜落死もはたから見て決してカッコウのいい物ではない。ハリキリすぎて無茶をしヘマを踏んだ結果の情けない死に方なのだから、笑われて当然である。」


ハリエンジュ

2005-05-27 13:46:26 | 自然
自転車に乗り始めて、道端の植物にもよく目をやるようになった。特に道中出会う野花はかなりマメに写真を撮っている。松山はそろそろ春の花々の季節が終わりに近づき、緑繁茂の初夏というところだが、この春も実に多くの花たちと出合った。しかし、私は花や植物の世界についてはほとんど何も知らない。繰り返し見ている花でもめったに名前が出てこない。

そこで、誰が見ても見なくても、優しく、時に決然とした意思を持っているように、そこにしっかり存在している彼らに少し申し訳ない気がして、ちょっと勉強してみることにした。

こないだのサイクリング中、ほのかな香りと爽やかな日陰を歩道に投げていた下の樹花・・・調べてみたら「ハリエンジュ」という木で、日当たりの良い土地にサヤエンドウのような種の包みを風に乗せて飛ばせながら繁殖し、森になって日が当たらなくなると枯れてゆくということだ。



「いわゆる「陽樹」と呼ばれる樹の仲間で、ほかに何も生えていない、日当たりのよいむき出しの地面に好んで生える。陽樹が成長して日陰を作り、また土を肥やすことによって、安定した森を作る種類の樹が生えられるようになる。」
(“ハリエンジュ分布拡大の謎を解く” http://homepage2.nifty.com/tnt-lab/nat/harienju/harienju.htm

つまり、何もない裸の土地に森を作ってくれる、実にあり難い樹だということが分かった。 

リリエンタール

2005-05-25 13:11:49 | 大空
巡り来る春の訪れ・・・無数の幸せな生きものたちに満たされて大気は活気付き、馴染みの北のリゾートに帰ってきたコウノトリは数千マイルの長旅を支えた見事な飛行翼をたたみ、頭を背に休めて楽しげに嘴(くちばし)を鳴らしながら帰郷を知らせる。
ツバメは風を切って通りを横切り窓を抜け、清澄な大空にはヒバリが点のように現れ、その歌声で存在することの喜びを表明する。
この時、一つの確かな願望が人の心を支配する。人は大空に舞い上がり、鳥のように自由に、微笑みかける草原や、緑豊かな森や、鏡のような湖の上空を滑空することに恋焦がれる。変化にあふれた風景を、鳥と同じように存分に楽しみたいと希求する。
<Iットー・リリエンタール

"With each advent of spring, when the air is alive with innumerable happy creatures;
when the storks on their arrival at their old northern resorts fold up the imposing flying apparatus which has carried them thousands of miles, lay back their heads and announce their arrival by joyously rattling their beaks;
when the swallows have made their entry and hurry through our streets and pass our windows in sailing flight;
when the lark appears as a dot in the ether and manifests its joy of existence by its song;
then a certain desire takes possession of man.
He longs to soar upward and to glide, free as the bird, over smiling fields, leafy woods and mirror-like lakes, and so enjoy the varying landscape as fully as only a bird can do."



O・リリンエンタール博物館より
http://www.lilienthal-museum.de/olma/ebapriv.htm

リリエンタールは1891年から5年間2000回以上の滑空を始める前に、20年に渡って主としてコウノトリを観察しながらその理論的基礎を固めた。その集大成である『航空の基礎としての鳥の飛行』はこんな詩的な序文で始まる。彼は注意深い自然観察者であり、革新的な科学者であり、実際的な技術者であり、確固とした実験者であり、夢見る詩人でさえもあった。

雨中サイクリング

2005-05-23 07:55:06 | 自転車
先週末土曜日は大洲のクラブハウスまで50kmサイクリング。画像など近々UPするつもりだが、双海町から長浜にかけて、伊予灘沿いの数十キロは沿道に花が多く気持の良いサイクリングロードが整備されている。

ただこの季節、高気圧に覆われた穏やかな天候では、瀬戸内からのシーブリーズが東西どちらの方向に傾くかによって疲れ具合が違ってくる。長浜まで至れば、まず間違いなく川下から川上に吹き抜けるリバーウィンドに助けれられる。

夜はクラブハウス近くの肱川でキャンプ。安直にYahooの天気予報に頼って日曜は曇り空だろうと思っていたら、土曜夜から雨、日曜も終日雨。やはり、天気予報はあんまり人頼みではダメだ。次回から天気図をじっくり眺めることにしよう。

そういう訳で、昨日の帰り道50kmは初めての雨中サイクリング。カッパは下しか持っていない。「春雨じゃ、濡れていこう・・・」
さほどペースが落ちることも無く平均時速17kmほどで3時間。やがて濡れネズミ状態になったので、途中でシャツだけ着替えた。寒いということは無かったが、雨のサイクリングは背中から濡れて(汚れて)いくことがよく分かった。

こんな天気でも元気なサイクリストが一人いた。向こうから全身黒ずくめのカッパ姿がかなりの勢いでやって来ると思ったら黒いサイクリングスーツ(というのか?)に身を包んだ、まことに座高の高い黒人だった。軽く挨拶するとサムアップ(親指立てる)して行き過ぎた。今度また逢ったらコーヒーでも誘ってみるか・・・。

それから往路で3回目の後輪パンク。ジャイアントの総走行距離がおよそ1500kmだから、平均すると500kmに一回はパンクすると考えておいた方が良いということか。ちょっと多すぎないか・・・後輪だけ・・・と気になって調べてみたら、ちゃんと統計があった。

以下『自転車探検!』HP http://www.geocities.jp/jitensha_tanken/index.html? より

「モスキートバイト・・・前輪ではねた異物が立ったところを前輪より荷重の大きい後輪が踏むなどして、後輪は前輪よりも蚊刺しを受ける確率が大きい。」

「 どれだけの距離を走ってパンクしたかを、インターネット上でアンケート調査した結果(回答数約450件)が公表されている。それを見ると、パンクは偶発的なものであることが分かる。パンクした距離は数kmから5,000km以上までばらついている。その平均は1,300km。特定の距離でパンクが多いということはないが、300kmまでのパンクがやや多い。距離が長くなるほど、パンクの件数が少しずつ減っている。 チューブラータイヤはクリンチャータイヤよりパンクするまでの距離が平均上4倍ほど長い。しかし、パンクの偶発性から見ると、特定の個人にとっては、この違いが実感できるか不明。細幅(19および20mm)と幅広(23および25mm)タイヤの比較では、有意な結果は出ていない。」

アン・モロー・リンドバーグ

2005-05-20 15:14:12 | 大空
アン・モロー・リンドバーグはチャールズ・リンドバーグの奥さんだ。後に「大西洋単独横断飛行よりも危険で困難だった」とチャールズが述懐した北太平洋や北大西洋の商業航空ルートの開拓を、副操縦士、ナビゲーター、無線士として共にした。静かな口調で読む者を穏やかな思索に誘う『海辺で』の著作など、作家としても魅力的な人物だ。大空の喜びと同じくらい多くの地上の苦悩を乗り越え、95歳まで生きて、2001年2月に亡くなった。



唯一真実の安心は、大小の物を所有することや、要求したり期待したりすることや、希望することの中にさえ無い。人間関係での安心は過去を振り返ったり、未来に思いを巡らしたりすることではなく、現在を生きること、そしてあるがままの現在を受け入れることにある。
The only real security is not in owning or possessing, not in demanding or expecting, not in hoping, even. Security in a relationship lies neither in looking back to what it was, nor forward to what it might be, but living in the present and accepting it as it is now.

成長と修正と変化・・・逆説的ではあるが、これがほんとうの安全の在るべき所である。
Only in growth, reform, and change, paradoxically enough, is true security to be found.

人が海辺にあって手にする孤独は、個人的なもので、生き生きしている。人を征服せず、惨めな思いもさせない。それは刺激的な孤独だ。
The loneliness you get by the sea is personal and alive. It doesn't subdue you and make you feel abject. It's stimulating loneliness.

海辺から美しい貝殻を全部拾うことはできない。拾える貝殻は僅かだが、それゆえ更に美しいものだ。
One cannot collect all the beautiful shells on the beach. One can collect only a few, and they are more beautiful if they are few.

人生とは信頼されて授けられた贈り物である・・・子供のように。
Life is a gift, given in trust - like a child.

何かをやってみて失敗するのは、成功するのと同じくら勇気が要ることだ。
It takes as much courage to have tried and failed as it does to have tried and succeeded.

人生で最も疲れることは、不誠実であるということだ。
The most exhausting thing in life is being insincere.


マーク・トゥエイン

2005-05-19 15:18:00 | 大空
堅い論理で頭が疲れたときはマーク・トゥエインが良い。『トム・ソーヤの冒険』はメ[ル・ニューマン朗読のCDになっていて、私にとっては一種のヒーリング音楽だ。



タバコを止めるなんてこれまで私がしてきたことで最も簡単なことだ。そんなこと充分分かってるはずなんだ、1000回も止めたんだから。
To cease smoking is the easiest thing I ever did. I ought to know because I've done it a thousand times.

タバコの話・・・昔、紙巻タバコを吸っている頃は、誰かに喫煙の害悪を指摘される度に、「タバコ止めるなんて簡単なことです。もう10回も止めました。」などと言って、話を煙に巻くことがよくあった。15年ほど前にも半年ほど禁煙したことがある。やはり煙の魔力に負けることになるのだが、また同じことを繰り返すのはあんまり癪(しゃく)だったのでパイプ煙草に変えた。それから「パイプは紙を燃やさないから体に良いんだよ」なんて、相変わらず苦しい言い訳をしている。

幻想を手放してはいけない。幻想がなくなってもあなたは存在するだろう、しかし生きることを止めたことになる。
Don't part with your illusions. When they are gone, you may still exist, but you have ceased to live.

幻想(イリュージョン)といえば、R・バックだが、村上龍の末フ中に、私にはどうもしっくり来ない部分がある。もちろん原書を事実とすると末ヘ「事実の解釈」であり、ギターの楽譜と演奏みたいな関係だから、多様であるほど面白いのだが、以下の部分・・・私のいい加減な演奏ならこうなる。

「君は人生を通して、自己の中の「学び続ける生き物」によって導かれる。遊び好きな精神的何か・・・それがほんとうの君だ。
何も学び取るものが無いとはっきりするまでは、起こり得る未来を見捨ててはいけない。
君は常に好きなように心を変えることができるし、別の未来や別の過去を選択することが出来るんだ。」

You are led through your life time by the inner learning creature, the playful spiritual being that is your real self.
Don't turn away from possible futures before you're certain you don't have anthing to learn from them.
You're always free to change your mind and choose a different future, or a different past. (P51・・・Messiah's Handbookの初め辺り)

想像力の焦点が合っていないときは目に頼ってはいけない。
You can't depend on your eyes when your imagination is out of focus.

「百聞は一見にしかず」とか「一目瞭然」とか言うが、問題はどういう目を持ってどこをどう見るかだろう。目の置きどころが変われば、世界は全く違って見えるのだから。

正しいことをしてごらん。そしたら、何人かは喜び、残りの人たちは驚嘆する。
Do the right thing. It will gratify some people and astonish the rest.

私が彼の意味する「正しいこと」をすることはめったにないだろうからから、私が何か珍しいことをしても、多くの人たちが驚くことはめったになく、大概は何人かの人たちを怒らせ、悲しませる。

自分が多数派だと分かった時はいつでも、立ち止まって反省する時だ。
Whenever you find yourself on the side of the majority, it is time to pause and reflect.

「心配するなよ~急ぐなよ~♪」 婆ちゃんが好んだこのフレーズは私の体に染み付いている。もし世界から他の全ての歌が消え去っても、それは私に歌いかけてくるだろう。
'Don't you worry, and don't you hurry.' I know that phrase by heart, and if all other music should perish out of the world it would still sing to me.

勇気とは恐浮ェ無いことではなく、恐浮ノ抵抗し、恐浮ノ打ち勝つことである。
Courage is resistance to fear, mastery of fear, not absence of fear.

文明とは不必要な必需品の限りない増加のことである。
Civilization is the limitless multiplication of unnecessary necessities.

着ている物が人間を作る。裸の人々はほとんど或いは全く社会に影響しない。
Clothes make the man. Naked people have little or no influence on society.

もちろん彼は、くだらない地位や肩書きや財産で着飾った人々よりも「裸」の人々に敬意を抱く。社会に大きく影響しないからこそ、一人の人間としては幸せに生きる価値があるのだ、ということにちがいない。

仕事は避けるべき必要悪である。
Work is a necessary evil to be avoided.

全ての事物には限界がある・・・鉄鉱石を教育したからといって金になるわけではない。
Everything has its limit - iron ore cannot be educated into gold.

私は1835年のハレー彗星と共に生まれた。そしてまた来年やって来るハレー彗星と共に逝きたい。
I came in with Halley's Comet in 1835. It is coming again next year, and I expect to go out with it.

彼は1909年にこう書き、実際その通りになった。

ソローとギブランとリンドバーグ

2005-05-18 13:43:42 | 自然
天才的な詩人の深い言葉に出会うと、私は言葉を失いそうになる。ソローもギブランもこれから繰り返し読み込んでいくことになるだろう。リンドバーグも間違いなくソローを読んでいただろうし、ギブランの英詩「預言者」が出版されたのは1923年だから、ちょうど彼が空を飛び始めた頃だ。

人間が空を飛べないことを、大空を地上と同じように荒らすことが出来ないことを、神に感謝する。
<wンリー・デイビッド・ソロー (July 12, 1817 - May 6, 1862)

Thank God men cannot fly, and lay waste the sky as well as the earth.
-Henry David Thoreau (July 12, 1817 - May 6, 1862)

大地はあなたの素足を感じ取ることを喜び、風達はあなたの髪と遊びたがっている、ということを忘れてはいけない。
<Jーリル・ギブラン (January 6, 1883-April 10, 1931)

Forget not that the earth delights to feel your bare feet and the winds long to play with your hair.
-Kahlil Gibran (January 6, 1883-April 10, 1931)

やませ20m/s

2005-05-18 13:41:41 | 自然
今日は発達中の低気圧に伴う寒冷前線が、強烈な南風の「やませ」を生んだ。突風は20m以上。海岸近くのオフショアの風で水煙を観るのは珍しい。吹き飛ばされないようにガードレールにつかまりながら、何枚か写真を撮った。





飛行と危険

2005-05-17 19:56:55 | 大空
飛行と危険についての言葉を少し・・・。

飛行においては、自ら引き受けたリスクよりも、不注意と自信過剰の方がはるかに危険であるということを学んだ。
<Eィルバー・ライト、1900年9月の父への手紙から

In flying I have learned that carelessness and overconfidence are usually far more dangerous than deliberately accepted risks.
- Wilbur Wright in a letter to his father, September 1900

私は、危険というものは相対的なものであり、知識や経験不足による未熟さがその「拡大鏡」になり得る、ということを知った。
-C・リンドバーグ

I learned that danger is relative, and the inexperience can be a magnifying glass.
- Charles A. Lindbergh

全てのフライトには2つの危機的ャCントがある・・・始点と終点である。
-A・グラハム・ベル 1906年

There are two critical points in every aerial flight -- its beginning and its end.
- Alexander Graham Bell, 1906.

航空自体は本来危険なものではなく、海を行く船の世界を幾分上回るという程度のものだが、それは不注意と無能と怠慢を厳しく許さない種類のものである。
(イギリス航空界では名高いキャプテン・A・G・ランプルーの1930年代初頭の言葉で、その後、航空業界などで広く繰り返し使われる標語となった。)

Aviation in itself is not inherently dangerous. But to an even greater degree than the sea, it is terribly unforgiving of any carelessness, incapacity or neglect.

次の一見対照的な言葉との間には70年の歳月がある。

飛行は本来危険なことである。我々はその危険を小賢しい修辞や気休めの統計で覆い隠そうとする。しかし、重力は常に強大で、スピードは殺人的だ。この二つが連合すると特に破壊的になる。
<_ン・マニガン (ユナイテッド航空の機長、商業航空誌に多くの記事を書いている。)

Flying is inherently dangerous. We like to gloss that over with clever rhetoric and comforting statistics, but these facts remain: gravity is constant and powerful, and speed kills. In combination, they are particularly destructive.

学ぶことは楽しいことだ。航空の世界では、楽しむということがなければ学ぶということもない。そして、学ぶのを止めた時が死ぬ時だ。
<sート・キャンプベル(FAA§A邦航空局・航空安全プログラムの初代主任))

Learning should be fun. If you don't have fun in aviation then you don't learn, and when learning stops, you die.
- Pete Campbell, FAA