庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

翼よ北に

2006-09-28 10:41:39 | 大空
C・リンドバーグには心強い同伴者がいた。ベストセラー作家であり、大空では彼の生徒であり時にクルー(搭乗者)でもあった妻のアン・モロー・リンドバーグだ。

彼女の自然観や人生観が集約されているように思える随想集「海からの贈りもの」は、ずいぶん前に、黄ばんだ文庫本を古本屋で見つけて読んでいた。後にC・リンドバーグの「翼よ、あれがパリの灯だ」の原書に目を通した時、その中のかなりの部分に彼女の手が入っているような気がした。もっとも私はまだ彼女自身の原著を読んだことはない。

今、手元にある「翼よ、北に」は彼女の処女作で、ごく最近(2002年)、中村妙子氏によって見事に訳出されたものだ。最初の末{は既に1935年(昭和10年)に原書“North to the Orient”が出て間もなく、深沢正策訳で「北方への旅」が出ている。このころ日本は軍国主義の道をひたすら走っていたわけだが、日本人の多くがまだ大空を見上げていた、ある意味、夢多き時代だったのかもしれない。

C・リンドバーグ同様、彼女についても想う事々が多くあり、これからも幾つかの角度から拙い考察を書き連ねていきたいと考えているが、今回は「翼よ、北に」の末メ・中村妙子氏について、少し驚いたことを記しておく。

彼女は1923年生まれ。私が生まれた1954年に東大の文学部西洋史学科を卒業している。現在83歳、この末ャした時は既に80歳直前の高齢だったのだ!

充分吟味された訳語、全く無理のない日本語、洗練された文体、女性作家の末メとして女性ならではの感性と表現手法・・・私は再び唸ってしまい、その生年を知って大きく肯いてしまった。実に末ヘ件pである。

この本の何章かは、途中立ち寄ることになる日本とその文化への考察に宛てられている。アンの瑞々しい感受性と表現力が充分に発揮されている部分でもある。また後で少し引用しながら、感想を書いてみたい。



秋の歌

2006-09-25 19:51:11 | 拾い読み
寺田寅彦の作に『秋の歌』という短い随筆がある。大正11年に書かれたもので、後に海軍に志願して職業軍人となる私の父が3歳の頃だ。

大正の後に続く昭和の戦争の歴史を学んだ私は、大正デモクラシーと呼ばれることになるこの時代の文化の質と深さに長く疑問を持ってきたが、この秋の静かな夜に寺田のこういう随筆に目をさらしていると、どうしても「ちょっと待てよ」という気持になる。どんな時代でも一つの時間区分の内容を、単純安易に評価してはやはりいけないのだ・・・という気持である。

戦争によって昭和前期に失った物や精神文化のうち、片方については戦後の昭和後期になっても更に平成の時代になっても取り戻すことができないでいる現代日本人の有様についても少々考えさせられる秋の夜長だ。

「・・・独り静かにこの曲の呼び出す幻想の世界にわけ入る。北欧の、果てもなき平野の奥に、白樺の森がある。歎くように垂れた木々の梢は、もう黄金色に色づいている。傾く夕日の空から、淋しい風が吹き渡ると、落葉が、美しい美しい涙のようにふり注ぐ。・・・」

こんなみごとな幻想的情景描写ができる作家が現代にいるだろうか・・・父がその青春前期に寺田寅彦を読み込んでいたら果たして軍人への道を選んだであろうか。

短編なので以下全文を掲載しておく。

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秋の歌
寺田寅彦

 チャイコフスキーの「秋の歌」という小曲がある。私はジンバリストの演奏したこの曲のレコードを持っている。そして、折にふれて、これを取り出して、独り静かにこの曲の呼び出す幻想の世界にわけ入る。
 北欧の、果てもなき平野の奥に、白樺の森がある。歎くように垂れた木々の梢は、もう黄金色に色づいている。傾く夕日の空から、淋しい風が吹き渡ると、落葉が、美しい美しい涙のようにふり注ぐ。
 私は、森の中を縫う、荒れ果てた小径(こみち)を、あてもなく彷徨(さまよ)い歩く。私と並んで、マリアナ・ミハイロウナが歩いている。
 二人は黙って歩いている。しかし、二人の胸の中に行(ゆ)き交(か)う想いは、ヴァイオリンの音になって、高く低く聞こえている。その音は、あらゆる人の世の言葉にも増して、遣(や)る瀬(せ)ない悲しみを現わしたものである。私がGの絃で話せば、マリアナはEの絃で答える。絃の音が、断えては続き続いては消える時に、二人は立止まる。そして、じっと眼を見交(みか)わす。二人の眼には、露の玉が光っている。
 二人はまた歩き出す。絃の音は、前よりも高くふるえて、やがて咽(むせ)ぶように落ち入る。
 ヴァイオリンの音の、起伏するのを受けて、山彦の答えるように、かすかな、セロのような音が響いて来る。それが消えて行くのを、追い縋りでもするように、またヴァイオリンの高音が響いて来る。
 このかすかな伴奏の音が、別れた後の、未来に残る二人の想いの反響である。これが限りなく果敢(はか)なく、淋しい。
「あかあかとつれない秋の日」が、野の果に沈んで行く。二人は、森のはずれに立って、云い合わせたように、遠い寺の塔に輝く最後の閃光を見詰める。
 一度乾いていた涙が、また止(と)め度(ど)もなく流れる。しかし、それはもう悲しみの涙ではなくて、永久に魂に喰い入る、淋しい淋しいあきらめの涙である。
 夜が迫って来る。マリアナの姿はもう見えない。私は、ただ一人淋しく、森のはずれの切株に腰をかけて、かすかな空の微光の中に消えて行く絃の音の名残を追うている。
 気がつくと、曲は終っている。そして、膝にのせた手のさきから、燃え尽した巻煙草の灰がほとりと落ちて、緑のカーペットに砕ける。
(大正十一年九月『渋柿』)


すき間に

2006-09-19 22:29:57 | 創作
騒がしい日常生活の
あれこれの作業のすき間に

突然スッと入ってくるあの特殊な感覚
体と心の深いところから湧き出てくる 
あの懐かしい情感

「ここに帰って、ここから出発せよ」と
強く語りかけているような静かで確かな意思

それはまだ明瞭な形を伴っていないが
私の内外に確かに存在する巨大な何かで

私の来し方行く末をつらぬき通して
流れ続ける何かにちがいない

これに従って生きれば間違いないと直感するのだが
それはいつも意識の外から突然やってきて
またたく間に消え去ってしまう

今夜もあれを少しでも形に残しておきたくて
こういう下手な散文詩を試みているが
あれはもう立ち去ってここにはいない

台風

2006-09-17 23:53:19 | 自然
大型台風が通過している。福岡を過ぎてもう日本海に抜けた頃か、東風が南風に変わりビュービュー電線を鳴らしている。朝までには南西に変わるだろう。20cmほど開けた南向きの窓から吹き込む突風が時おりこのPCの液晶モニターも揺らしている。雨は降っていない。

私は子供の頃から台風が好きだ。生家は漁村にあり、夏休みが終わる頃から年に何回かやってくる台風が待ち遠しくてしかたがなかかった。その進路が学校の直撃コースに入って臨時休校になるかもしれないという楽しみも含めて、テレビで台風情報が流れ出すとワクワクして何度も進路を確認する。当時は現在のように確率円ではなく分かりやすい扇状の進路予報だった。

南向きの漁村は海が東に開いていて西側は岬で守られいる。今回の様に台風中心が島の西側を通ると、東風(コチ)がまともに入って高波が押し寄せ、突き出た防波堤が波をかぶるようになる。私たちの楽しみは、その防波堤のコンクリート柵にじっと隠れて次々突進してくる高波を待ち構え、壁にぶつかった大波が白波を垂直に打ち上げた直後そこらじゅうを洗って内港になだれ落ちる間、その場に存在し続けることができるかどうか・・・という、肝試しみたいな遊びだった。

もちろん下手をすると膨大な海水と共に内港に落ちる。今の親が見たら卒唐オそうな遊びを・・・いや、当時もかあちゃんの目を盗んでやっていたのだが・・・小中学校を通して楽しんでいた。

更に、台風は滅多に大波の立たない瀬戸内海でサーフィンができる唯一の機会でもあった。もちろんサーフボードなんてものはない。漁船のイケスの蓋が代用品だ。しかしオーバーヘッドのビーチブレイクで揉みくちゃになるだけで満足だった。そして、台風が過ぎ去った後に残る、あの突き抜けた秋空にも似た体や気分の爽やかさ。

今の私は台風は地球大気を大循環させて、地上の芥(あくた)類を大聡怩オようとする大自然の有り難い自浄作用に違いない、ととらえているが、本来自然から生まれ出る子供たちはそんな難しいこと知らなくても、この母なる自然の恵みを、あのじっとしてられなくなるような生命の躍動と共に本能的に感じ取っているものなのだろう。

星に祈りを

2006-09-10 19:43:42 | 自然
今日の Nature Quote は久しぶりにピンと来た。狂気の画家と言われるゴッホの言葉だ。

「私が、あえて言葉にすると“宗教”というものを、どうしようもなく必要とした時は、野外に出て星を描く」
<Sッホ

When I have a terrible need of - shall I say the word - religion. Then I go out and paint the stars.
-Vincent Van Gogh


あらゆる自然の生きものは「信じる」ことによって存在し活動している。樹木は大地を信じ、魚は海洋を信じ、鳥は大空を信じ、子供は親を信じることで、自ずと成長しその分に応じてこの世界での使命をはたすことができる。この場合「使命」とは文字通り「命を使う」ことであり「生きること」と同義だ。日々大自然の恵みと厳しさの中で生き死にする彼らの世界に、疑いや不信の入り込む隙間はないはずだ。

さて、元々は自然的存在である人間の世界はどうであろうか。人間の作った社会や国家はどうであろうか。あらゆる自然存在が相互信頼の上に成り立っているのに比べて、あまりに嘘やまやかしが多すぎはしないか。それに従って、疑いや不信という伸びやかな成長にとっては阻害要因ともなる不幸が多すぎはしないか。

西洋近代は神に対する疑いと人間理性に対する信頼から始まったとされるが、日本の近代は堕落した仏教を中心とする宗教界への疑いと明治政府が持ち上げた神道への信頼から始まったと言えるのかもしれない。何を疑い何を信じるかによって個人や集団の命運が決まっていくのも当然だろう。

いずれにしても、どこまで行っても大自然の一部である人間が、まっとうに存在を続け成長していくためには、信じるに値する何かが不可欠で、人並み外れて感受性の優れた件p家が嘘まやかしだらけの人間社会や神の世界に愛想をつかして、天空の星々に祈りをささげようとしたとしても何も不思議なことではない。

時間について

2006-09-01 13:38:00 | 自然
もう9月だ。あれほど元気だったクマゼミのジャージャーが夕方のミンミンやツクツクに替わった。毎年確実に季節が推移して行く。今年も秋が近い。

再び、時間について考える。時間とは一体何か。

時計を見る。秒針がコツコツ動いている。これが1回転すると分針が一つ進み、分針が1回転すると時針が一つ進み。時針が2回転すると1日が進む。とりあえず、これが最も身近な時間の捉え方だが、実はこれは利便上、人間が作った単なる一つのモノサシしにすぎない。

小は我が心臓の鼓動や呼吸、大は地球の自転やら公転やら小宇宙の回転やら、更に大きな銀河団の動きやら・・・規則的リズムを奏でながら絶えず運動を続けているこの世界のありさまを、人間の感覚で測れるように工夫して作った道具の一つだ。

時計の進行は余りに確実な物理的事実で、小さい頃からずっとこれで生活上のあらゆる運動を測ってきたから、時間とは客観的で絶対的なもの、つまりいつでもどこでも何に対しても変わらない普遍性を持っている・・・と長い間思っていた。

しかし、歳を重ねるにつれ、様々な自然現象や多くの生命のあり方により深い興味と共感を得るようになってからは、この考えが徐々に怪しくなっていくのを感じている。

この宇宙世界の生命現象がほとんど無限に多様であるように、時間の多様性も無限であるのではないか・・・つまり、時間の相対性を生命レベルで感じるようになってきた、ということだ。

さて、そうすると、その時間の相対性を基にした世界観や価値観はどう変わらざるを得ないのか・・・。物質の三態に喩えて言えば、あれほど堅固でガッシリしていた個体的世界が、徐々に溶け出して液体的なものに変わり、遂には気体的な身軽さと自由の空気を特質とする相対的世界観とあらゆる価値観に絶対性を認めない価値相対主義に向かうのは自然な流れのように思える。

ただしかし、この地上世界のあらゆる構造物が固い個体の大地の上にはじめて成り立つことができるように、簡単には揺るがぬ堅固な普遍的原理や倫理を求める真摯な努力無くしては、人間世界は善悪の基準を失い、浮遊的で軽薄なものに流れ、価値相対主義はその真の美徳を失うであろう。

この世界の物質変化が個体・液体・気体という3つの主要形態をとること一つとってみても、宇宙や世界のあり方はそれ自体で、人間のあり方や生き方を正しく導く善き指針になっていることが良く分かるような気がする。

水を例にあげるなら、大気中に水蒸気がなければ、人間はすぐに喉を痛めて病気になるだろうし、地球規模でも水の大循環はあり得ない。氷がなければ、オンザロックが飲めないだけでなく、地上は灼熱の地獄模様になるだろう。

一つの物質が、最も不動で堅固な個体や、変幻自在の液体や、最も自由な気体へと、条件に応じて変化してくれることの有り難さ・・・時間について想いにまかせていたら、こんなところまで流れ着いてしまった。