庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

多数派になったら

2012-12-29 11:32:00 | 拾い読み

 堅い論理で頭が疲れたときはマーク・トゥエインがいい。『トム・ソーヤの冒険』はメ[ル・ニューマン朗読のCDが出ていて、一時、私にとってのヒーリング音楽になっていたことがある。

今回の衆院選では、民主党はほとんど見る影もなくなり、自民党が圧勝した。とりあえず単独過半数。次期参院選でも同じようなことになれば、そう美しいことばかりでもなかった戦前の日本を「美しい国」と呼び、「昔を取りもどす」ことに熱心な安部政権がどの方向にこの国を誘導することになるか・・・見えすぎて目がくらみそうになるから、とりあえず今回書くのは止めておく。cbd2e238.jpeg

多数派云々の言葉を聞くごとに、マーク・トゥエインの箴言を思い出す。彼は1909年に、"I came in with Halley's Comet in 1835. It is coming again next year, and I expect to go out with it.” (私は1835年のハレー彗星と共に生まれた。そしてまた来年やって来るハレー彗星と共に逝きたい) と書き、実際その通りになた。

Whenever you find yourself on the side of the majority, it is time to pause and reflect.

自分が多数派だと分かった時はいつでも、立ち止まって反省する時だ。

ついでにもう少し・・・。

To cease smoking is the easiest thing I ever did. I ought to know because I've done it a thousand times.

タバコを止めるなんてこれまで私がしてきたことで最も簡単なことだ。そんなこと充分分かってるはずなんだ、1000回も止めたんだから。

タバコの話・・・昔、紙巻タバコを吸っている頃は、誰かに喫煙の害悪を指摘される度に、「タバコ止めるなんて簡単なことです。もう10回も止めました。」などと言って、話を煙に巻くことがよくあった。20年ほど前にも半年ほど禁煙したことがある。やはり煙の魔力に負けることになるのだが、また同じことを繰り返すのはあんまり癪(しゃく)だったのでパイプ煙草に変えた。それから「パイプは紙を燃やさないから体に良いんだよ」なんて、相変わらず苦しい言い訳をしている。

Don't part with your illusions. When they are gone, you may still exist, but you have ceased to live.

幻想を手放してはいけない。幻想がなくなってもあなたは存在するだろう、しかし生きることを止めたことになる。121227h-s.jpg

幻想(イリュージョン)といえば、R・バックだが、村上龍の末フ中に、私にはどうもしっくり来ない部分がある。もちろん原書を事実とすると末ヘ「事実の解釈」であり、ギターの楽譜と演奏みたいな関係だから、多様であるほど面白いのだが、以下の部分・・・私のいい加減な演奏ならこうなる。   (画像:一昨日の堀江海岸・冬の夕空とカイト)

You are led through your life time by the inner learning creature, the playful spiritual being that is your real self.Don't turn away from possible futures before you're certain you don't have anthing to learn from them. You're always free to change your mind and choose a different future, or a different past. (P51・・・Messiah's Handbookの初め辺り)

君は人生を通して、自己の中の「学び続ける生き物」によって導かれる。遊び好きな精神的何か・・・それがほんとうの君だ。 何も学び取るものが無いとはっきりするまでは、起こり得る未来を見捨ててはいけない。 君は常に好きなように心を変えることができるし、別の未来や別の過去を選択することが出来るんだ。

 You can't depend on your eyes when your imagination is out of focus.

想像力の焦点が合っていないときは目に頼ってはいけない。

「百聞は一見にしかず」とか「一目瞭然」とか言うが、問題はどういう目を持ってどこをどう見るかだろう。目の置きどころが変われば、世界は全く違って見えるのだから。

Do the right thing. It will gratify some people and astonish the rest.

正しいことをしてごらん。そしたら、何人かは喜び、残りの人たちは驚嘆する。

私が彼の意味する「正しいこと」をすることはめったにないだろうから、私が何か珍しいことをしても、多くの人たちが驚くことはめったになく、大概は何人かの人たちを怒らせ、悲しませる。

 Courage is resistance to fear, mastery of fear, not absence of fear.

勇気とは恐浮ェ無いことではなく、恐浮ノ抵抗し、恐浮ノ打ち勝つことである。

Civilization is the limitless multiplication of unnecessary necessities.

文明とは不必要な必需品の限りない増加のことである。

Clothes make the man. Naked people have little or no influence on society.

着ている物が人間を作る。裸の人々はほとんど或いは全く社会に影響しない。

もちろん彼は、くだらない地位や肩書きや財産で着飾った人々よりも「裸」の人々に敬意を抱く。社会に大きく影響しないからこそ、一人の人間としては幸せに生きる価値があるのだ、ということにちがいない。

Work is a necessary evil to be avoided.

仕事は避けるべき必要悪である。


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人間の地球 2

2012-12-20 22:27:00 | 拾い読み

 It is only when we become conscious of our part in life, however modest, that we shall be happy. Only then will we be able to live in peace and die in peace, for only this lends meaning to life and to death.

 "Wind, sand and stars" translated by Lewis Galantiere from "Terre Des Hommes" by Antoine de Saint-Exupery:

私たちが幸せになるのは、それがどれほどささやかなものであれ、人生の中に自らの役割を知ったときだけである。そうしてのみ、私たちは平和に生き平和に死ぬことになるだろう。なぜなら、生に意味を与えるものが、死にも意味を与えるからである。

121220sunset-s.jpg- 『風と砂と星と』ルイス・ギャランティエール仏英訳 : 『人間の地球』アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ原著 (堀口大學の仏日訳の題は『人間の土地』)

"Quand nous prendrons conscience de notre role, meme le plus efface, alors seulement nous serons heureux. Alors seulement nous pourrons vivre en paix et mourir en paix, car ce qui donne un sens a la vie donne un sens a la mort."

上がフランス語の原文だが、堀口大學はこれを、「たとえ、どんなに小さかろうと、ぼくらが、自分たちの役割を認識したとき、はじめてぼくらは、幸福になりうる。そのときはじめて、ぼくらは平和に生き平和に死ぬことができる。なぜかというに、生命に意味を与えるものは、また死にも意味を与えるはずだから」と訳している。

なんと無理のない、柔らかく流れるような日本語だろうか・・・私はまたまた唸ってしまう。やはり結局、末フ優劣を決定するのは母国語の優劣であり、詰まるところ、他国語の理解能力ではない。 (画像:興居島に落ちる今日の夕陽)


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10日ぶり

2012-12-17 16:11:00 | 海と風

ほぼ10日ぶりか・・・昨日は存分に走った。いくぶんガスティな東寄りの風が、昼過ぎから徐々に北東に触れ、安定して8m前後まで上がる。こないだまでの寒さが不思議なくらい暖かい。日中の気温は15℃近かったのではないか。海水温はまだ充分に高く、グローブもいらなかった。

田舎の用事を済ませて堀江海岸に向かったら、既に小さなカイトが上がっている。こないだから練習を始めたK君と奥さんだ。スッキリしたアウトラインのトレーニングカイトはラムエア3㎡だが、これくらい吹くと結構なパワーを生み出す。2ラインでハーネスを使うタイプでなかったので、余ったリーシュを使って開放装置付きチキンループにした。

ラムエアのリーシュシステムは、緊急時だけではなく、通常のランディング(カイトを降ろすこと)でも当たり前に使う。私が、少なくともセイフティ・コントロールという点で、インフレータブルよりもラムエアが優れると考える理由の一つはここにある。

「緊急時に使う技術は、日常的に反復練習して、必要が生じたら反射的に使えるようにしておかなければならない」。この種のスメ[ツは、そのような場合、ほとんど「考えている暇はない」からである。


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自由からの逃走 2

2012-12-15 13:41:00 | 拾い読み
We believe that the realization of the self is accomplished not only by an act of thinking but also by the realization of man's total personality, by the active expression of his emotional and intellectual potentialities. These potentialities are present in everybody; they become real only to the extent to which they are expressed. In other words, positive freedom consists in the spontaneous activity of the total, integrated personality."

- "Escape from Freedom by Erich Fromm p.257 Summary & Study Guide" by BookRags




自己の実現は、考えるという行為によってだけでなく、人間の全体的人格の実現、感情的・知性的な潜在能力を積極的に表現することよって達成される、と我々は信じている。これらの潜在能力は全ての人間に備わっていて、それらが表現される割合にしたがって現実になる。言い換えれば、完全な自由は、全体的で統合された人格の自発的な活動の中にあるのである。

- 『自由からの逃走』P257 エーリッヒ・フロム著 スタディーガイド
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人間の地球 1

2012-12-13 20:23:00 | 拾い読み
This viscous whiteness became in my mind the frontier between the real and the unreal, between the known and the unknowable. Already I was beginning to realize that a spectacle has no meaning except it be seen through the glass of a culture, a civilization, a craft. Mountaineers too know the sea of clouds, yet it does not seem to them the fabulous curtain it is to me.

- "Wind, sand and stars" translated by Lewis Galantiere from "Terre Des Hommes" by Antoine de Saint-Exupery:




この粘着性のある純白(雲)は、私の精神の中で、現実と非現実、既知なるものと未知なるものとの境界線となる。私はすでに、目に見える世界は、教養や文明や職能というメガネを通して観られることなくしては意味を持つものではない、ということが分かり始めている。山中に住む人々も雲の海を知ってはいるが、それは私が知るこの素晴らしいカーテンのようなものではない。

=@『風と砂と星と』ルイス・ギャランティエール仏英訳 : 『人間の地球』アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ原著 (堀口大學の仏日訳の題は『人間の土地』)
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海からの贈り物 3

2012-12-13 11:24:00 | 拾い読み
When one is a stranger to oneself then one is estranged from others too. If one is out of touch with oneself, then one cannot touch others. How often in a large city, shaking hands with my friends, I have felt the wilderness stretching between us. Both of us were wandering in arid wastes, having lost the springs that nourished us?or having found them dry. Only when one is connected to one’s own core is one connected to others, I am beginning to discover. And, for me, the core, the inner spring, can best be refound through solitude.

- "Gift from the Sea" by Anne Morrow Lindbergh


人は自分自身に対して疎遠であるとき、他人からも疎遠である。自分自身の理解がなければ、他人を理解することもできない。都会で友人たちと握手しながら、互いの間に広がる大きな距離を、私はどれほど頻繁に感じたろう。私たちは、自分を潤し育む泉を失い、渇いた不毛の荒地をさまよっている。人は自分自身の中核に繋がった時にのみ、真に他人と繋がる事ができるということを、私は発見しつつある。そして、私にとっての中核、内なる泉は、孤独を通すことで最も良く再発見されるのである。

-『海からの贈り物』アン・モロー・リンドバーグ著
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手がしびれる

2012-12-07 11:16:00 | 海と風

今朝の室温5℃。今のところ今冬最低記録だ。昨日の塩屋も寒かった。後でアメダスで確認してみると6℃台ということだから、これは例年なら1月、2月の厳冬期にあたる。北西風はかなりガスティだが7m程度。水にぬれ風にさらされた素肌は急速に冷える。121206w.JPG

まだアビーム走行までは距離があるS君は、何十メートルかは斜め風下に走れるようになり(クウォーター・リー)、カイトを左右に振りながら、スタボーサイド、メ[トサイドを繰り返しながら下っているうちに、ちょうどゴルフ場のグリーンのように緑の水草が茂っている中州に到着する。ここまで来たら、現在の彼にとってはカイトをたたんでスタート地点まで戻るしかないし、今はそれで充分だ。

「10分ほどグラハンやって、濡れたカイトを乾かしてからピックアップしなさい」と指示したが、ずいぶん手間がかかっている様子だ。後で聞いたら、手指にまったく力が入らず、エア抜きジッパーを動かすことができなかった・・・ということだった。「手が死ぬ」という真冬の海上スメ[ツでは当たり前の経験は彼にとっては初めてのもので、自分の身体の一部が自由を失う、という異常事態にいっとき驚き、少々焦ったらしい。121206s-1-s.jpg

気温は厳冬だが海水はまだ初冬の暖かさだ。晩秋にはあれほど冷たいと感じていた内水面(水溜りフラット)でも、手の神経を保つには充分暖かい。アウトサイドの海水温度はもっと高い。つまり、陸上にいるより水面を走ったり泳いだりしながら、痺れかけた手を水につけておく方が暖かい・・・という、地上の常識からはちょっと遠い、冬の海の世界のお話になるわけである。 


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朝日と夕日

2012-12-04 18:00:00 | 海と風
今日は(も)嬉しい一日だった。まず、この夏からカイトサーフィンの練習を始め、カイト操作やボディドラッグなどの基本はほぼマスターしたS君が、初めて板に乗って数十メートルを走った。天気晴朗。塩屋の水溜りフラットはほぼ満潮、風は北西から8m程度。
121204w.JPG
カイトの世界は、地上で行うランド・カイトや、海上走行の前に多くの人が練習するボディドラッグだけでも充分楽しいのであるが、やはり、板を履いたらそれなりの走りをしたくなる。その気持ちが、彼の中で徐々に強くなっているのは分かっていたが、ともかく、これからも続く「基本の反復練習」には充分すぎるぐらいの時間をかけようと考えていた。

元来インドア派の彼にとっては、海のスメ[ツも風読みスメ[ツも初めての分野である。本日を彼の初走行記念日とするが、ともかくまだ若い。これからこのスメ[ツを通して、じっくりと大自然の奥深さを感じ取って欲しいと思う。

それから、サーフィンも楽しむK君が素晴らしい夜明けの写真を送ってくれた。松山の我121204okihama-sunrise-s.jpgが家からは日の出を見ることがなく、私はめったに朝焼け時に起きることもないので、瀬戸の夕空かと思ったら、高知の大岐浜の朝日だった。有名なサーフィンエリアだ。この旭日は、来年の年賀状に使わせて頂くことになるだろう。

この浜は、ウィンド時代の初期にウィンド用のロングボードでサーフィンの真似をしたことがある。片道5時間ほどかかり、前夜はほとんど寝てなかったことなど思い出す。もう30年近く前の話だ。その後、キャンプに出かけて一泊したが、太平洋から寄せるユッタリした波音を聞きながら、長くて美しい砂浜を端から端までゆっくり歩いた。8a5bb82e.jpeg

ついでに、今日の塩屋の夕暮れ時の西空も一枚。海に囲まれた土地で、太陽と共に生活できることは、実はまったく在り難いことなのだ・・・と最近とみに思う。
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冬の蜘蛛

2012-12-03 09:58:00 | 海と風
今朝の室温7℃。すでに12月、じゅうぶん冬の季節ではあるのだが、ちょっと冷え込みが早すぎはしないか・・・。昨夜は珍しく、夜中の3時半頃に寒さで目が覚めた。薄手の鰍ッ布団2枚では足りなかったようだ。8e144c0c.jpeg

朝のタバコ一服の定位置から眺める中庭のゴールドクレストの大木は、ハトが巣を作ったり、スズメやヒヨドリが遊んだり、女郎蜘蛛が網を張ったり、西風を告げる風見になったり・・・で、いろいろと役に立っている。

昨夜は少し雨が降ったらしく、9時を回っても針葉の先端には朝の日差しを透過する水滴がいくつも付いていた。夏の間、忙しく活動していた女郎蜘蛛は、晩秋が来て一度は広い網を撤収し、どこかに隠れていたように見えたのだが、今朝の玉露を写真に収めようとベランダに出てみたら、夏ほどではないにしても、わりあいしっかりした網の中心で冬眠したように固まっていた。 

天気予報では日中15℃あたりまでは上がるらしい。昼からまた少し身体を動かしに海に出かけることになるだろう。
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