庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

雷雨

2007-08-29 11:01:30 | 創作
炎天を にわかに覆う 雷雲(らいうん)の 猛(たけ)きを願う 夏バテの朝

♀ー太郎 


ずいぶん久しぶりに、しかも午前中に、前線がらみの雷雲がやってきて大粒の雨を降らし始めた。今日も早朝から30℃を超え、幾分ウンザリしていたところなので大いにありがたい。

気象庁のデータベースから、松山の8月の気温をグラフにして昨年のと重ねてみたら、意外にも初旬は最高気温も平均気温も1~2℃低く、お盆過ぎてから安定して高くなっているのが分かる。

しかし、日差しはすでに秋色だ。今朝の雷雨がどうやら秋雨前線の到来ということだろうから、これから日増しに涼しくなっていくだろう。春の来ない冬が無いように、秋の来ない夏も無いのだ。



独りの自覚

2007-08-24 17:01:49 | 拾い読み
私たち日本人にいちばん欠けているものは何か、といいますと、自分が独りでこの地上に生きている、たった独りで生きているのだという自覚ではないでしょうか。
£メ邦生 『言葉が輝くとき』

彼は学生時代に急性肝炎で生死の境から蘇り、楠(くすのき)の新緑の輝きに包まれて、「死を見つめ、感じたときに、かえって生きているという誰にも当たり前の平凡なことが、突然考えられないくらいすばらしいものである」ことに気づく。

いよいよ退院となって、ちょうど5月でしたが、東大病院を出て、大学の構内を歩いていましたら、大きな楠がたくさん茂っているのですね。楠はちょうど燃え立つような新緑です。この緑の輝きの美しさに、これが「命」なんだと感動し、その時初めて生きているって本当に嬉しいことなんだと思いました。そして、この嬉しさは「死」というもの、自分が死んでこの世からなくなってしまう、一人ぼっちでお墓の中へ入ってゆく、そういうことと裏腹にあるということに気づいたのです。

人間は、否応なく、たった独りで生き死にする実存であり、深く見つめてみると、その在り方が実はとんでもなく素晴らしいことであるということ。この感覚がその後の彼の生き方の基調となる。



匂いの記憶 ライアル・ワトソン

2007-08-16 11:25:06 | 拾い読み
 彼女(ヘレン・ケラー)は嵐の到来を、視覚的な兆候が現れる何時間も前から、「期待感の脈動、かすかな震え、花の中に感じる濃密さの感覚」によって感じることができた。彼女はまた、風景を匂いの配置によって描き出すことができ、干草畑と納屋とスギの林を正しい場所に位置づけることができた。大工と鍛冶屋、画家、薬屋をそれぞれの商売道具の匂いによって識別できたし、「人がある場所から別の場所にすばやく移動した時、私はその人がそれまでにいた場所を匂いによって感じ取る¢苡鰍ノいたのか、庭にいたのか、病室にいたのか分かる」のだった。
 彼女は他の人と会うときにこそ、最も活発な反応を示した。「親密な友人なら、たとえ何年も会わなかったとしても、私はその人の匂いを、アフリカのど真ん中でも識別できると思う」。 p250



41歳寿命説 西丸震哉

2007-08-16 11:09:19 | 拾い読み
 私の見るかぎり、少なくともこの30数年、日本の親たちは自分の子供をオオカミ少年にするためにわざわざむなしい努力をしてきたように思える。
 はたして最近の子供たちは、日本人らしい能力をしっかり備え、自分から自発的に何かを行い、時間をかけて興味の対象を見出し、そこに向かって進んで行く、というまっとうな生き方をしているかどうか。
 何もかもが、誰かがやっているから俺もそれをやろう、というやり方であって、自分の性格や好みにあう何かがどこかにないかと、一生懸命探してみるという態度はまったくない。暴走族がやたらと出るのはその典型だ。目の前に単車がある、他のものは何も目に入らない、それじゃこれに乗ろう、こんなふうにして仲間が集まっていく。
 本当に自分がやりたいことをするのではなく、みんながやるならおれもやろうという付和雷同型のやり方だから歪が出る。 p134



山小舎を造ろうヨ 西丸震哉

2007-08-16 10:40:40 | 拾い読み
夢を追ってやまない徹底した人は存在するもので、徳川末期に近い頃、蓑虫山人(1836≠P900)という風変わりな人生を送った人がいた。死んだのは明治の中ごろだから、明治になってからやったものかどうか知らないが、生活条件は徳川期とそう違いがなかったと思われる。
 私がその頃を生きていたら、きっとそうしたに違いないような発想と行動だ
 折りたたみ式の寝台、それをかついで歩く、おそらくはカタツムリでも見て思いついたのだろう。
 宿屋のある場所に束縛されず、したがって宿賃も要らず、雨が降っても一応濡れない場所があり、気分のいいところでは、その寝幌の中で悠々と景色を楽しみ、何を食べていたのか分からないけれで、餓死したわけではないのだから、その頃の人たちとあまり変わらないものを食べていたのだろう。
 定職もなく、たとえば、生活費はわずかですんだかもしれないけど、どうやって、何年くらいそんなたび寝の暮らしをしたのか、とにかく近代装備の何もないときに、やる気だけで実行した人がいたとは見上げたものだ。 p52 



人生密度7年説 西丸震哉

2007-08-16 10:22:55 | 拾い読み
私はいつも桃源郷を求めている。
 山の彼方に幸せがあるんじゃないかと思って行ってみるのだが、何もない。それならもうひとつ越えたらあるかもしれないと思ってまた行くのだが、やはりない。 
 ただ確実にわかることは、いままでのところ、ここまでにはそれがなかったということが一つひとつ確認できたということであって、行きもしないで何かがあるかないかなど思いわずらわない。行ってみてはじめて、ないことが確認できると同時に、そこで別な何かおもしろいものに遭遇することもありうる。 
 これは山に限った提案ではなく、同じことは人生にも言えるようだ。
 ともかく自分の目的を大切にして、夢を捨てずに、遠回りしても時間がかかってもいいから、人とちがう自分だけの道を歩むのは、結果がどうあろうと、すること自体が楽しみとなる。何かに出合うことを目指してみて、なかったことの確認を続けていくと、ありそうな方向が直感的に分かってくる。 p173