製本されたものを見てみると、多くの写真やイラストがきれいに配置されていて、編集者の力量が伺える。かなり見栄えが良く読みやすいものに仕上がっていた。もともとは脚注含めて倍ほどの量がある論文で、文章は決して柔らかいものではないが、日本国の根本法である憲法を、歴史的に相当に深く掘り下げて評価する内容である。興味のある方はご一読いただきたいと思う。
製本されたものを見てみると、多くの写真やイラストがきれいに配置されていて、編集者の力量が伺える。かなり見栄えが良く読みやすいものに仕上がっていた。もともとは脚注含めて倍ほどの量がある論文で、文章は決して柔らかいものではないが、日本国の根本法である憲法を、歴史的に相当に深く掘り下げて評価する内容である。興味のある方はご一読いただきたいと思う。
カール・ユングに影響された作家の中には、UFOは現実の物体ではなく調和と均衡を求める人々によって「マンダラ」が視覚化されたものであると仮定する人たちもいる。しかし、私が期待することを正確に語ってくれた人はいなかった。つまり私が目撃するまでUFOについて適切に説明されることはなかったのだ。そして、私の観察は私が現場に到着する前後に出てきた人たちと一致していた。私は人生に調和があり、世界に均衡があることが喜びであることを否定しないが、この「マンダラ」の私たちの観察は全く同一の形態を描写しているように思える。
その円形の一団はあまりに遠くボンヤリしていたので写真に撮ることはできなかった。しかし、私はこの体験を極めて鮮明に思い出すことができるし、いまだに常識的な説明をしたいと思っている。その間、この異常な目撃は私の個人的な神話に何か影響を与えたのだろうか?
(1)科学は私たちが当惑する体験の全てに説明を与えきたわけではなかった。(2)疑いがあるとき、謎に満ちた状況に対する適切な態度は偏見のない懐疑主義である。(3)他の人々の不可解な出来事を意味のあるものにするには寛容であることが賢明である。彼らの個人的神話がはなはだしく有害でも悪意のあるものでなければ、それらは在り得る話として、当惑させるような状況を理解する試みが必要である。
加えて、これらの姿勢の一つかそれ以上が、個人的な神話を創り出すことにおいて、結果的にそのような異常性を説明するきっかけに成りえるのである。創造的な産物は、しばしば後に主流を成す文化の根っこ部分になる個人的な先見性を反映してきたのである。
仮にこれらの説明や経験が地球外生命体の証拠を提供しないとしても、それらは私たちを、人類の記憶や感情の世界の不思議により深く引き込み、まだ発見されていない私たちの内なる世界の領域の図表を作るのを助けることになるのだ。
※スタンレー・クリップナーは人間性心理学協会の前会長であり、この分野で分水嶺をなす『夢テレパシー:睡眠中の超感覚的知覚の実験』の共著者である。クリップナーは人間意識、超心理学的現象、意識の変性状態の先駆的業績において世界的に知られている。何百もの記事や『神話的道程・霊媒師になること・ヒーリングの状態』『スピリチャルヒーリングとシャーマニズム』など多数の本の著作者でもある。彼は夢や催眠や個人的神話などについて世界的なセミナーや講習会を行っている。
WEBサイト:www.stanleykrippner.weebly.com.
この前書きは、『禅・接近遭遇の技巧:狂気の智恵とUFO』のスタンレー・クリップナーによる「異常な目撃」の章をメ[ル・デビッド・パースグローブが編集したものである。
1時間もたたないうちに、グループの一員であるシャーリーから、外に出てUFOを見るようにという電話があった。私は急いでいたので靴を履き忘れ、岩でゴツゴツした地面をスリッパ履きのままで難儀したのであるが、その物体がよく見える丘の上までシャーリーに付いて行った。
到着したときには数十人のメンバーが集まっていて、彼らの注意は遠方、地平線から高い位置にある赤、色、緑色が円形に配置された物体だった。1時間の間、それは見え続けており、近づきも遠ざかりもしなかった。地平線からの角度も同じ位置に保たれているように見えた。
あまりに遠くにあったので、その大きさを推定することは難しかったが、通常夕暮れ時に西の空に見える星(宵の明星)の少なくともの4倍ほどはあった。5分か10分ごとに、一つの光点が配置から離れ、ちょっと休んだ後、また他の光点と合流する。この現象はメンバーのすべてが詳細な部分にいたるまで同様に報告している。もしこれが幻覚的なものであれば、集団幻覚ということになるに違いない。
私は通常考えられる説明を一つ一つ除外し始めた。それが静止していたことから航空機ではありえない。同様の理由で、彗星や隕石や人工衛星でもない。夜間の出現だから雲形でも日暈《ひがさ・にちうん》でも氷晶でもない。その空間位置から北極光(オーロラ)の可能性もない。脈動するのでなくキラキラ輝いていたことから球状稲妻でもなさそうである。
数個の光体であったことから、惑星や恒星の形態でもない。光の配置が静止していたことはそれらが航空機の一群ではなく、時々一つの光が配置を離れるということは、光体の配置が気温の逆転や地上光の反射であるとは言えない。特別な計測器でもなければその距離を正確に推定することはできないが、光体の配置は遠すぎて、蛍や鳥やその他のどんな地上の生物から成り立っているともいえない。
1561年にドイツで描かれた絵。UFOを描いたもので、右下には墜落して煙を上げていると見られる、と考える人もいる (ウィキペディア)
人間は人生の途上で困惑させる出来事を説明する必要があり、文化的、民族的、家族的、また個人的な、多くの段階で神話の類《たぐい》を作り出している。人間の脳は信条を探り、また事実を捜す。その結果得られた私的な神話は時に文化的神話に埋め込まれた有力な意見と衝突することがある。私がUFO(未確認飛行物体)論争にアプローチするのはこの枠組みにおいてである。
私はUFO問題について、アレン・ハイネック氏、ジョン・マック氏、マイケル・パーシンガー氏など高名な研究者たちと議論し、カール・セーガン氏やフィリップ・クラウス氏の講義を聞いてきたし、時に接近遭遇をしUFOを目撃したと主張する何十人もの人々と話をしてきた。またUFOの住人と私的な触れ合いを持ったと主張する数人の個人と会ってもいる。その中には、誘拐(アブダクション)されたという人や、身体の部位を精査されたという人や、体内に異物を植え込まれたという主張する人もいる。
そんな中、1991年の2月、私は普通でない経験をした。ノエティク・サイエンス(純粋思惟科学)学会(元宇宙飛行士・エドガー・ミッチェル氏が設立した組織)が、スピリチュアルなコミュニティーや地元の治療師を訪れるために、グループでブラジルに行かないかと誘ってくれたのである。2月22日、我々はミナスガライス洲の歴史的な採鉱町、オウロ・プレト近くの素朴な田舎ホテルに滞在していた。
夕食時、グループの一人が、私がUFOを見たことがあるかどうか尋ねてきた。私は無いと答えた。数年前、私は2人の友人と夜明けの谷に行き、ブラジル人のスピリチュアルなコミュニティーに参加したときのことを話した。屋外での瞑想セッションの間、私たちは3人は講堂のそれぞれ別の場所に座っていた。そのセッションの直後、友人の一人・ロルフがやって来てUFOを見た、と語った。それはブルーのディスク状で底の部分で光が点滅しており、およそ30秒間見えてから消滅した。
数分の後、他の友人・アルバートが駆け寄ってきて、私にUFOを見たかどうか聞いた。私はすぐに彼をロルフから引き離して、ロルフの話が聞こえないようにし、詳細をたずねた。彼の目撃は10秒以下だったという点を除いて、アルバートの説明はロルフのものと完全に同じものだった。それから夜明けの谷の住人たちは、午後の瞑想セッション時、特に音楽がかかっている時によくUFOを見ると話してくれた。
総目次
前書き スタンレー・クリップナー博士
目次
序文
序論
第一章
地球外体験の背景的探索
1 古代の伝説と現代科学
・古文書における記述
・シャーマニズム
・土着の宗教
・パンスペルミア(胚種広布説)
・宇宙生物学
2 アブダクション体験(AAE)
・アブダクション体験(AAE)とは何か
・アブダクション体験(AAE)の代替説明
3 その他の事実・拡大体験
・臨死体験
・他の惑星のリモート・ビューイング(遠隔透視・千里眼)
・例外的な体験
4 他惑星での体験についての歴史的報告
・オルフェオ・M・アンゲルッチ (1912-1993)
・ジョージ・アダムスキー (1891-1965)
・エリザベス・クレーラー (1910-1994)
・クラウド・ボリーロン (1946-)
・ウッドロー・デレンバーガー (1943-)
・ミシェル・デスマルケット (1931-)
・T・ロブサング・ランパ (1910-1981)
・ビリー・マイヤー (1937-)
地球外探検者へのインタビュー
5 カーテンを上げる
・研究の概略
・研究の限界
・将来の研究
6 アャ拷F宙船での三昧体験:エドガー・ミッチェル博士
7 アルファケンタウリ星への旅:ノーマ・ミラノビッチ博士
8 クリスタルタワー:マリリン・ヒュー
9 火星北極冠のドーム:ギャリー・ノースコット
10 異なる時空:アレクサンドラ・スターク
11 異郷の新参者(出エジプト記2:22)リチャード・クケンダル
12 木星へのミッション、1973年4月27日:インゴ・スワン
第三章
証拠が導くところ
13 調査結果:意識変容の道標
・共通のテーマ
・やや共通のテーマ
・重要な人生の変化
14 地球外生物体験に替わる説明との比較結論
付録A 質問表付録B
精神病理学的テスト結果の概要
用語集
脚注
参考文献
語彙参照
筆者について
内的習慣について
関連文献
著作権
本書は、現在、主流を成す権威筋や彼らの理論による世界観に公然と反抗し、論議を呼ぶものとみなされるかもしれない。しかし、長い間支持された理論でさえも、その誤りを正す反証の重圧を受けて粉砕され得るということを、私たちは心しておくべきである。今回の作業を完成させ、学術のまた公衆の世界に私を飛び立たせて下さったジョン・マック博士、レオ・スプリンクル博士、スタンレー・クリップナー博士のご助力とご献身に感謝します。
本書の出版は、私の個人的人生の一つの旅に終わりをもたらすことになる。ほとんどの旅がそうであるように、それは最初の一歩から始まったが、当初、どの方向に私を導くことになるか分からなかった。この旅は長く困難であり、それは私という存在の中核を病的な傾向に導く、情け容赦ない多数派的現実を支持する人々の行為やスタンスによって悪化させられてきた。
私は相当な時間を苦悩と失望に費やしたが、自身の内なる智恵を通して純粋な喜びを得る瞬間も経験したのである。この発見は、私の人生の旅を通して随伴し終着点まで導いてくれた、慈悲深い地球外生命体のおかげであると考えている。時々、私はこの個人的な信念と自分自身を分離したくなることがあるが、おそらくそれは、私の研究に参加してくださった方々がその体験を語るときに、落ち着いた雰囲気を作り出すことに役立ったのではないかと思う。
「異星人との接触と意識の拡大 」
トーマス・J・ストライカー著
本書「惑星外体験」による徹底的な分析によって、トーマス・ストライカー氏は、より深い疑問、つまり、これらの事例は単に主観的に重要な経験なのか、それとも客観的事実なのかについて、土台となる仕事を成しとげた。本書は、私たちがこれら経験的レメ[トを見逃すべきではないことを示している。
ユルゲン・クレーマー博士 (『意識と変形』ジャーナル主任編集者)
理論的な学識、詳細な証拠文書、人間的好奇心、思いやりの心によって、トーマス・ストライカー氏は地球外生物との遭遇や他の惑星文明ついて語る人々の調査結果を提供している。
レオ・スプリンクル博士(カウンセリング心理学者、ワイオミング大学名誉教授)
本書をこの研究に参加して下さった方々に捧げる。皆さんが人生の長きに渡って献身されてきた内なる旅や、UFOやET現象を語ることや、また宇宙を包含する精神的現実の中で生きることを実現する上でしばしば伴う痛みや苦しみに耐えてこられたことに謝意を表する。説明不能の現象についての報告は、同様の経験を持たない者にとっては概して奇妙なものであり、その結果、多くの経験者はあえて自らの体験をオープンに語ろうとはしない。数世紀前、空から石が落ちてくるのを報告したとき、当時の科学の専門家は、そんなことは有り得ないと主張した。しかしその後、数年の抵抗の後には隕石の存在が受け入れられたのである。私たちが新しい事実を直視するのは、そのようなパイオニアたちの犠牲??時に追放や嘲笑や全面的な軽蔑や死でさえも??を通じてである。
もう40年以上前の高校時代、ジョージ・アダムスキーの『空飛ぶ円盤同乗記』を事実として読んで以来、UFOや宇宙人・地球外知的生命体の問題は、私の心の片隅で未だに判然としないまま燻《くすぶ》っていた。
私とほぼ同年代(1955年生まれ)のストライカー氏は、幼い頃に宇宙人らしき何者かに遭遇して以来、この問題が頭から離れることがなくなり、ついに昨年の2012年、「宇宙人と接触した人間にどのような心理学的変化が現れるか」をテーマに本書を書き上げたのだ。
私の興味は、すでにUFOや宇宙人の存否の問題を超えて、彼らがどのような技術や哲学・文明や文化を持ち、どのような生き方をしているか・・・というようなことだった。UFOを未確認飛行物体とすると、何ものか確認できない飛行物体は山ほどあるし、我々地球人も大宇宙の中に存在しているという意味で間違いなく宇宙人の一類であるからだ。この気の遠くなるように広大な大宇宙の中で、高度な知性を持った生命体が地球上にしかいないと考えることほど、非知性的なことも少ないだろう。
ところが、彼の著書に感じる情熱と科学的なアプローチに触発されて、彼に関する情報を色々と探っていたら、つい先日、その彼が今年2013年の3月に突然の自動車事故で亡くなっていたということを知った。
彼はアメリカ先住民の深い精神性に強く感銘を受け、住居のあるカリフォルニアから2000km以上は離れた、(たしか)ダコタ族の先住民たちに定期的な物的援助を行う団体の創設者でもあった。その物資運搬用のバンを運転していた道中、雪道でスリップし車外に放り出された・・・ということらしかった。
本書についてはまだ邦訳が無く、余力があれば末オてみようか・・・そのためにはいずれ著者である彼とも連絡を取る必要が出てくるだろう・・・などと考えていた私にはかなりの衝撃だった。人生は無常であるという厳しい現実をここでも突きつけられたという意味でも・・・。
過去17回に渡って連載してきたクラウス先生の著書の邦訳が『平和憲法と集団安全保障』を副題とする『ドイツ人学者から見た日本国憲法』と題して、本の泉社から出版されることになった。
著作権の関係で、これらの記事は近々削除することになるが、これに関連する事々については、また触れることもあるだろう。