庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

自己信頼

2007-06-29 22:25:11 | 言葉
It is easy in the world to live after the world's opinion; it is easy in solitude to live after our own; but the great man is he who in the midst of the crowd keeps with perfect sweetness the independence of solitude.
- Ralph Waldo Emerson 

世間では世間の意見に従って生きるのが簡単だし、一人のときに自分の意見に従って生きることも簡単だ。しかし偉大な人間とは、群集のただ中にあって、完全に穏やかでありながら、一人ある時の独立性を保っている人のことだ。
- R・W・エマソン


エマソンが論語を読んでいたかどうか知らないが、この『自己信頼』の一節は「君子は和して同ぜず」そのままだ。ともあれ、日本という島国の、付和雷同型、閉鎖的ムラ社会の中で、心穏やかに一人の独立性を保つことは容易ではない。しかしもちろん不可能でもない。

加藤周一は先の講演で、自由な学生が就職などで社会に出たとたんに職場団体からの強烈な圧力に晒されることになるが、それに対処するのに2つの方法があるとする。大多数は集団に同化するという楽な方を選ぶ、ごく少数は外と内、建前と本音の二重生活に耐え、定年退職の後に本音の言動を始める・・・と言っている。

この国で心穏やかに独立の道を歩むには、集団の圧力を楽しめるくらいの強靭で柔軟な生命力、そしてその本源となる何らかの原理や信念が不可欠になるだろう。

Nothing can bring you peace but yourself. Nothing can bring you peace but the triumph of principles.

自分に平和をもたらすものは自分自身以外にない。自分に平和をもたらすものは信念の勝利以外にはない。


これが『自己信頼』の最後の2文だ。

疑問符

2007-06-27 12:09:29 | 言葉
In all affairs it's a healthy thing now and then to hang a question mark on the things you have long taken for granted.
- Bertrand Russell

あらゆる事々(ことごと)において、長い間当たり前だと思っていたことに、ときどき疑問符を付けるのは健康的なことである。
- バートランド・ラッセル


自転車を淡々と漕いでいたり、海辺で風に吹かれていたりしている時、仕事の合間にふと窓外に心を移した時などに、突然、ものごとの新しい見え方が始まることがある。それはたいてい美的な感動を伴っていて、多くの先人の言葉を借りると、“自然万物への畏敬の念”の一部ということになるのかもしれない。

例えば、見慣れたはずの風景や道端の草や街路樹、動き回る虫や鳥の鳴き声・・・それらがそこにそうやって存在し生きていること自体の不思議さ、有り難さ。もし状況が許すなら、一本の街路樹の幹をつたう樹脂の彩りや、その横を忙しく上下するアリたちの一挙一動をいつまでも眺めていたいという気持ち・・・。

その瞬間に疑問符の入り込む余地はないが、あらゆる社会常識を、たまには疑問を持って点検してみることは、自分の住む世界をもっと多様で伸び伸びとしたものにするにちがいない。

風変わり

2007-06-27 10:58:09 | 言葉
Do not fear to be eccentric in opinion, for every opinion now accepted was once eccentric.
- Bertrand Russell

風変わりな意見を持つことを恐れるな。現在受け入れられている意見の全ては、かつて風変わりだったのだから。
- バートランド・ラッセル


どこまでも自分を大切にし個性的であれということだろう。そして、そのために恐れるなということだ。人が3人集まれば3つの意見が現れるという彼の国でさえ、個性的であるのに恐れるなと言っているのだから、100人集まっても滅多に珍奇な意見を聞くことのない此の国ではなおさらのことだ。

不足

2007-06-26 16:09:42 | 言葉
To be without some of the things you want is an indispensable part of happiness.
- Bertrand Russell

欲しいものを幾つか持っていないということは、幸福の欠くべからざる部分である。
- バートランド・ラッセル


この世界に求めて得られないものは多いが、求めていることを忘れた途端に手に入るものもある。ひょっとしたら、それがいっそう確かな幸福を暗示しているのかもしれない。

愚と知

2007-06-26 15:06:19 | 言葉
The trouble with the world is that the stupid are cocksure and the intelligent are full of doubt.
- Bertrand Russell

この世界でやっかいなことは、愚者は自信たっぷりで、知者は疑いに満ちているということである。
- バートランド・ラッセル


この世界のたいがいの人の中には、愚者と知者が同居しているのだから、次の問題は、何を、どのように疑い、どのように信じるか、ということになるだろう。

教育

2007-06-25 16:32:37 | 言葉
Men are born ignorant, not stupid. They are made stupid by education.
- Bertrand Russell

人は無知に生まれるが、愚かに生まれるわけではない。人を愚かにするのは教育である。
- バートランド・ラッセル


1872年から1970年まで一世紀近くを生きた彼は、2度の世界戦争をつぶさに体験し、40歳代と80歳代に2度の懲役刑に服している。人を愚かにし、戦争へと向かわせる教育の弊害については知悉していたであろう。

1955年にアインシュタインや湯川秀樹など10名の科学者と共に発表された「ラッセル・アインシュタイン宣言」の最後には「およそ将来の世界戦争においては必ず核兵器が使用されるであろうし、そしてそのような兵器が人類の存続を脅かしているという事実から見て、私たちは世界の諸政府に、彼らの目的が世界戦争によっては促進されないことを自覚し、このことを公然と認めるよう勧告する。従ってまた、私たちは彼らに、彼らの間のあらゆる紛争問題の解決のための平和的な手段を見出すよう勧告する。」として決議署名を呼びかける。

今なお、この世界には山のように核兵器が存在し、存在するものは使用され得る。半世紀前と何も変わっていない。

愛国心について

2007-06-24 17:41:19 | 言葉
富士山を私は嫌いではない。富士は日本一の山っていうのは、私は歌わないけど、そういうことを歌う人がいても、ちっとも厭な感じはしない。だけど、私が憎悪するのは、富士は世界一の山だって言うこと。そんなバカなことはない。それは井の中の蛙っていうものだ。美しい姿であるって言うけど、そりゃ火山なら同じ形になる、大体。そういうのが実に愚劣だと思う。
- 加藤周一


東京大学での講演(2006年12月8日主催:加藤周一氏との対話実行委員会)で「愛国心をどう定義するか」の質問に答えた一部。自然発生的な郷土愛・・・それを組織的に使い始めた19世紀ヨーロッパ諸国・・・初めて戦争に利用したナャ激Iン・・・ハイネの詩・・・葛飾北斎・・・と続く話の流れの中で出てくる言葉だ。

ある部分を部分として観ることができず、全体へと一般化することの愚かさ。その愚劣を意図的に行う欺瞞を憎悪する彼の口調は激しい。しかり、虚偽を深く憎むことができなければ、真実を深く愛することはできないに違いない。そして、カール・クラウスによれば「戦争とは虚偽の体系である」(『人類最後の日々』1922年)。

反復

2007-06-22 17:35:38 | 言葉
As a single footstep will not make a path on the earth, so a single thought will not make a pathway in the mind. To make a deep physical path, we walk again and again. To make a deep mental path, we must think over and over the kind of thoughts we wish to dominate our lives.
-Henry David Thoreau  

一歩では大地に足跡を残すことは出来ないように、一度くらい考えても心に痕跡を残すことは出来ない。深く明らかな足跡を残すには何度も歩かなければならない。心の中に深い痕跡を残すには、私たちの人生を支配させたい考えを、繰り返し想起しなければならない。
- H・D・ソロー


道理だ。知識にせよ技撃ノせよ、何かの能力を身に付けるには自分に出来る限りのことを繰り返すのに限る。これは天才秀才の類に限らず誰にでもできるのだから。非凡と凡の才能の違いは、この反復を如何に飽きず楽しみながら継続できるかにあるような気さえする。

自然の容貌

2007-06-22 12:01:59 | 言葉
The stars awaken a certain reverence, because though always present, they are inaccessible; but all natural objects make a kindred impression, when the mind is open to their influence. Nature never wears a mean appearance.
Neither does the wisest man extort her secret, and lose his curiosity by finding out all her perfection. Nature never became a toy to a wise spirit. The flowers, the animals, the mountains, reflected the wisdom of his best hour, as much as they had delighted the simplicity of his childhood.
- Ralph Waldo Emerson

星々はある種の畏敬の念を呼び起こす。常に目に見えるところにありながら手が届かないからだ。しかし、心を開いてみれば、自然万物はみな同様の印象を与える。自然は決して卑劣な容貌を現さないものだ。
賢い人が自然の秘密を聞き出し、その完全性を全て発見したとしても、それで彼が好奇心を失うことはない。自然が賢人の単なる玩具(おもちゃ)になることはないのだ。花々や動物たちや山々は、子供の頃の素朴な心を喜ばしたと同様、賢人の最も分別ある年代の智恵を映し出してきた。
- R・W・エマソン


小学3・4年の頃だったろう。自宅の裏に別居していた“おタメ婆さん”の前庭を耕して、小さなお花畑を作ったことがある。デージーやグラジオラスの名前を覚えたのもこのころだ。大小色とりどりの花々に囲まれた時の、あの溢れるような幸せを忘れることはない。今はガレージ周辺をジャングルにしようとしている時計草にはまっている。

兆民

2007-06-20 23:04:15 | 拾い読み
切れた煙草を買いに伊予鉄高島屋まで行ってきた。私のパイプ煙草は市内ではここにしか置いていない。自転車散歩で往復約1時間の道程はなんも苦にはならないが、梅雨空や暑い季節には多少億劫になることがある。夕方の買い物のついでにと家人にたのんだら、あんな遠い所まで・・・と軽く断られ、必需品ならまとめて買っておくべきだと諭された。

自宅から高島屋まで自転車を漕ぐ道中に、堀ノ内公園があり県立図書館がある。せっかくだからと帰りにちょっと寄って、兆民を2冊。まだ通読したことがない『続・一年有半』と、拾い読みの域を出ていない『三酔人経綸問答』。三酔人の方は、本箱のどこかに隠れているはずだが、探し出すより早いだろうとついでに借りた。

久々に見る三酔人の面白いこと。夕食をはさんで一気に読み終えた。やっぱり兆民はすごい。ほとんど日本近代の預言書として読んでも充分に面白いのではないかと思われる。加藤周一がこれを兆民の「不朽の作品」の一つにあげ、「けだし、三酔人のいうところの多くは、ほとんどそのまま一世紀後の今日の政論家の説に通じる」(日本文学史序説・下・p286)と評したままの感想だ。

洋学紳士の言説は、その後、豪傑君の情熱の大半が現実のものとなり、現実化されたが故に厳しく破綻するという歴史を経てきた日本だからこそ、100年以上後の現在に正しく強く響いてくるものがある。豪傑君の間違いは歴史的に証明され、南海先生の憂慮は歴史的に解消された・・・と理解することもできるだろう。

それと、嬉しかったのは『続・一年有半』。係りが書庫から引っ張り出してきたのが、この明治38年20版のものだ。定価金参拾八銭(38銭)とある。これはこれから、過ぎた世紀の匂いを楽しみながら、少しじっくり読みこむことにする。