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庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

リチャード・バック

2016-03-15 19:30:00 | 拾い読み
もし君の幸せが誰か他人の行いに拠っているのなら、君に問題があると思うよ。
If your happiness depends on what somebody else does, I guess you do have a problem.
 
自由で幸せに生きるためには、退屈を犠牲にしなければならない。それは必ずしも簡単な犠牲ではないが。
In order to live free and happily you must sacrifice boredom. It is not always an easy sacrifice.
 
学ぶということは、君がすでに知っていることを見つけ出すということだ。
Learning is finding out what you already know.
 
人に知られてないということは、真実が真実であるということを止めるものではない。(誰が知らなくても真実は真実だ)
Not being known doesn't stop the truth from being true.
 
心からの友は、我々の人生を真の人生たらしめるものだ。
Our soulmated is the one who makes life come to life.
 
愛すべき瞬間への最高の代価は、それを楽しむということだ。
The best way to pay for a lovely moment is to enjoy it.
 
人の無智を示す印(しるし)は、不正義や悲劇を信んじ込む深さ加減である。芋虫が世の終わりと呼ぶものを、賢人は蝶と言う。
What the caterpillar calls the end of the world, the Master calls betterfly.
The mark of your ignorance is the depth of your belief in injustice and tragedy. 

最も単純なことが、たいてい最も真実なことだ。
The simplest things are often the truest.
 
君の人生に何かをもたらそうとするのなら、それはすでにそこにある、と想像しなさい。
To bring anythig into your life, imagine that it's already there.
 
君は異なった過去や異なった未来を選択する自由を常に持っている。
Your are always free ot change your mind to choose a different future or a different past.
 
人は、自分が最も学ぶ必要があることを、最も上手に教えることができるものだ。
You teach best what you most need to learn.
 


ニコラ・テスラ

2016-03-15 13:34:00 | 拾い読み
私の頭は単なる受信機だ。大宇宙には中心核があって、私たちはそこから知識や強さやインスピレーションを得る。私はこの中心核の秘密に立ち入ったことはないけれど、それが存在するということは知っている。

“My brain is only a receiver, in the Universe there is a core from which we obtain knowledge, strength and inspiration. I have not penetrated into the secrets of this core, but I know that it exists.” 

3と6と9という数字の重大性を知るだけで、宇宙に開かれた鍵を持つということになるだろう

“If you only knew the magnificence of the 3, 6 and 9, then you would have the key to the universe.”

逆説的なことだが、真実はつまり、我々が知識を得れば得るほど、絶対的感覚の中では無智になるということ。なぜなら、私たちが限界に気づくのは、悟りを通してのみだからだ。正確に言えば、知的進化のもっとも喜ばしい結果は、新しくより大きな展望に向かって継続的に目覚める、ということだ。

“It is paradoxical, yet true, to say, that the more we know, the more ignorant we become in the absolute sense, for it is only through enlightenment that we become conscious of our limitations. Precisely one of the most gratifying results of intellectual evolution is the continuous opening up of new and greater prospects.”

一人になれ。これが発明の秘訣である。一人になれ。その時にアイデアが生まれる。

“Be alone, that is the secret of invention; be alone, that is when ideas are born.”

彼らが私のアイデアを盗むことは気に留めない・・・私が気になるのは、彼らが自分のアイデアを一つも持っていないということだ。

“I don’t care that they stole my idea… I care that they don’t have any of their own.”

直感は知識を超絶する何かである。推論やその他、頭脳が行う意識的努力が不毛であるとき、真理を感知するより優れた性質を、私たちは間違いなく持っている。

“Instinct is something which transcends knowledge. We have, undoubtedly, certain finer fibers that enable us to perceive truths when logical deduction, or any other willful effort of the brain, is futile.”

ラッセル再読≠Q

2015-04-22 09:16:00 | 拾い読み
「我々は、ごまかしに満ちた世界に住んでいる。ごまかすことなく育てられた子供は、通常尊敬に値すると考えられている多くの事柄をきっと軽蔑する(軽蔑するように運命づけられている)。軽蔑はよくない感情だから、これは残念なことである。

子供の好奇心がそういう事柄に向かったときには満足させてあげなければならないが、私は、(わざわざ)そういうこと(注:偽善的な事柄)に子供の注意を促すようなことはすべきではないだろう。

正直(誠実)であることは、偽善に満ちた社会においては、ちょっとしたハンディキャップになる
しかし、このハンディキャップは、恐武Sを持たないという利点によって、十二分に償われる。恐武Sがあれば、だれ一人として、真実を語ることはできない。

私たちは、わが子が公平で、正直で、卒直で、自尊心のある人間になってほしいと願っている。

私としては、わが子が奴隷の技能で成功するよりも、むしろ、こういう性質をもって失敗するのを見たいと思っている。

すばらしい人間になるためには、生まれつきの誇りと高潔さがある程度不可欠である。そういう性質があれば、ある種の寛容な動機から嘘を言う場合は別として、嘘をつくことは不可能になる。

私は、たとえ世俗的な不幸を招くとしても、わが子には思想と言葉(発言や論文執筆)において正直(誠実)であってほしいと思っている。なぜなら、富や名誉よりも重要なものが問われているからである。」

<宴bセル『教育論』より 松下彰良・訳)
 
We live in a world of humbug, and the child brought up without humbug is 
bound to despise much that is commonly thought to deserve respect. This is
regrettable, because contempt is a bad emotion. I should not call his 
attention to such matters, though I should satisfy his curiosity whenever 
it turned towards them. Truthfulness is something of a handicap in a hypo-
critical society, but the handicap is more than out-weighed by the advantages
of fearlessness, without which no one can be truthful. We wish our children 
to be upright, candid, frank, self-respecting; for my part, I would rather 
see them fail with these qualities than succeed by the arts of the slave. 
A certain native pride and integrity is essential to a splendid human being,
and where it exists lying becomes impossible, except when it is prompted by
some generous motive. I would have my children truthful in their thoughts 
and words, even if it should entail worldly misfortune, for something of 
more importance than riches and honours is at stake.


ラッセル再読

2015-04-14 09:13:00 | 拾い読み
「全ての不幸は、ある種の'分裂'あるいは'統合の欠如'にその原因がある。'意識的な精神'と'無意識的な精神'とをうまく調整できないと、自我の中に分裂が生じる。自我と社会とが客観的な関心や愛情によって結合されていないと、両者間に'統合の欠如'が生じる。幸福な人とは、これらの統一のいずれにおいてもうまくいかないということで苦しんでおらず、自分の人格が内部で分裂していなくて、世界と対立してもいない人のことである。そのような人は、自分は'宇宙の市民'であると感じ、宇宙が提供するスペクタクルや、宇宙が与える喜びを存分に享受し、また、自分の後から来る人々(子孫その他)と自分とは本当に別個な存在だとは感じないので、死を恐浮オて悩むこともない。最も大きな歓喜が見いだされるのは、'生命の流れ'との深く本能的な結合においてである。」松下彰良・訳)
 
ラッセル著『幸福論』の最後、結論の部分である。"The Conquest of Happiness"は直訳すれば「幸福の獲得(征服)」ということになるが、何ものかを獲得ないし征服するためには、積極的・能動的な作業が不可欠となるだろう。

或る先哲は「善い事をしないことと、悪い事をすることは、同じか違うか・・・」と問うた。彼は「同じ」だという。多くの人々は「それは違うだろう」と言うだろう。しかし、この現実社会が、人間にとって不幸をもたらす根深い傾向性を持っているとしたなら、それに対して何もしないこと、つまり善いことをしないことは、結局、人間を不幸にする「悪いことをする」ことと同然となることは論理の必然。

では、何が善で何が悪か・・・何が不幸の根源的傾向性か・・・などについての私の愚考は、またそのうち少し書いてみることにしよう。


All unhappiness depends upon some kind of disintegration or lack of integration; there is disintegration within the self through lack of coordination between the conscious and the unconscious mind; there is lack of integration between the self and society where the two are not knit together by the force of objective interests and affections. The happy man is the man who does not suffer from either of these failures of unity, whose personality is neither divided against itself nor pitted against the world. Such a man feels himself a citizen of the universe, enjoying freely the spectacle that it offers and the joys that it affords, untroubled by the thought of death because he feels himself not really separate from those who will come after him. It is in such profound instinctive union with the stream of life that the greatest joy is to be found.


織り成す生命

2015-01-10 15:03:00 | 拾い読み
私たちは「生きている宇宙」の中で生きていて、更に、一瞬ごとに母なる大宇宙の生命力から現れ出ている生命形態である。生命は生命の中に巣ごもり、その生命はまた生命の中に巣ごもっている。冷たく灰色で空虚な場所に代わって、私たちの周りの世界は、活力や、底知れない生命エネルギー、計り知れない可能性の輝きで厚く覆われている。

=w生きている宇宙』

We are life-forms who live within a living universe that, in turn, emerges at every moment from the aliveness of the Mother Universe. Life is nested within life, which is nested within life. Instead of a cold, gray, and empty place, the world around us is thick with aliveness, dense with unfathomable life energy, and sparkling with immeasurable potential.

- The Living Universe


遊戯と創造

2014-02-28 11:11:00 | 拾い読み

何か新しいことの創造は知性によるのではなく、人の内側の必要性から発動する遊戯本能による。創造的精神はそれが好む対象と遊ぶのである。
‐カール・ユング

The creation of something new is not accomplished by the intellect but by the play instinct acting from inner necessity. The creative mind plays with the objects it loves.
- Carl Jung

偉大な「知識人」がユーモアのセンスを忘れることがないのは、知ること考えることを心底から、ほとんど本能的に楽しんでいるからに違いない。本物の知性が創造から無縁なわけはない。

私は遊戯本能が人間にしかないものだとは全く思わないし、人間特有の遊戯が本能だけで満足されるとも思わないが、多くの動物たちの中で、人間がモノやコトを作り出す遊戯の多様性を持っている事実に異論はない。そして人間の遊戯には巧拙があり、巧みの遊戯にはそれなりの修業が必要であることも事実だろう。

何にしても、仏典に説く「衆生所遊楽」の遊楽は創造の世界に通じ、この娑婆世界は真に遊楽する衆生によって常に刷新されてゆくのだろうと思ったりする。



他人と自分

2014-02-26 11:59:00 | 拾い読み

私たちが他人について苛立つものは全て、私たち自身の理解を導き得る。
‐カール・ユング

Everything that irritates us about others can lead us to an understanding of ourselves.
- Carl Jung

私は自分のことを相当なアホの一類と自覚しているが、時々それを忘れて他人の言動にイラつくことがある。本物のアホは自分の中にこれという何物も持たず、自分の内側にないものは、自分の外側の世界に感じることも理解することもないだろう。

長所にしても短所にしても、他人の在り方に感じ思うことのほとんどは、よくよく観察すれば自分自身の中にあるのである。

だから、他者賞賛と共に他者批判はたいがい、自己賞賛であるとともに自己批判であると心得ることが中途半端なアホの在り方ではないだろうか。



忍耐

2014-02-24 19:07:00 | 拾い読み
忍耐の要(かなめ)は受容と確信である。ものごとを在るがままに受け止め、自分の周りの世界を現実的に観ること。自分と自分が選んだ道を信じること。
‐ラルフ・マーストン (アメリカの作家)

The keys to patience are acceptance and faith. Accept things as they are, and look realistically at the world around you. Have faith in yourself and in the direction you have chosen.
ー Ralph Marston: January 18, 1955 ~

仏の別名の一つを能忍(のうにん)という。能(よ)く耐え忍ぶ人。「あるがままの」事象を実相という。この法界(大宇宙)の実相をあるがままに観る人間を仏という。

あらゆる先入観や色眼鏡なしにこの世界をあるがままに観るのは簡単なことではないように思われる。なぜなら、人間は成長するにつれて知識や経験が増大し、それらが先入観や色眼鏡の材料になるからだ。

だから仏ならざる凡夫である人間は、自分のものの見方・考え方を、「単なる一つの観点」と心得ておいた方が、大きな間違いを犯さないで済む。つまりは絶対主義ではなく相対主義を採用することである。そして、世界に対して相対的に存在する自分を絶対的に信じることが、生きていく上で避けることのできない様々な障害に耐える要である・・・と思ったりする。

2014-02-23 09:22:00 | 拾い読み

夢を現実にする最善の方法は目覚めることである。
‐メ[ル・バレリー

The best way to make your dreams come true is to wake up.
- Paul Valery

縁起の良い初夢と言えば、一富士・二鷹・三茄子(いちふじ・にたか・さんなすび)ということになっているらしい。

今年の1月、私はかつてない壮大な夢を見た。溢れるばかりのお湯で一杯になった富士山の山頂火口で、肘を火口の端に乗せて、ゆったりと露天風呂を楽しんでいる夢である。まったく雄大な風景だった。

まあ、これは現実にはなりようがない夢であるが、夢のすべては、具体的な目標や目的という形に姿を変えた途端に実現の可能性を獲得する。後は、それを達成するまで、目覚めたまま前進を続けることだ。途中で歩みを止めなければ、必ず目標地点に到達することは当たり前の道理だからである。



戦争

2014-02-18 10:17:00 | 拾い読み

もし我々が戦争を亡くさなければ、戦争が我々を亡くすだろう。
‐H・G・ウェルズ

If we don't end war, war will end us.
- H. G. Wells (September 21, 1866 - August 13, 1946)

ウェルズが核戦争を意味していたことは明らかだ。幸いにも(と言うのは極めて不謹慎なことだが)、1945年以降、核が戦争の為に直接使われたことはなく、まだ我々人類は滅亡していない。

しかし、世界のいたるところで戦争は続いて、地球上には何千という核弾頭がある。これを無にすることはまず不可能だろう。それがどのようなものであれ在るものは使われ得る。それを制御(コントロール)する術と能力を人間が持たない限り。

ユネスコ憲章が謳(うた)う通り、その要が人間の心にあるとるなら、核を科学的・政治的にコントロールする方法の開発よりもさらに困難な、人間の心の世界の開発にもっともっと精力を傾けるべきだろう・・・と私は思う。