- "Gift from the Sea" by Anne Morrow Lindbergh
過去と未来は切り離され、現在だけが残る。現在の今という存在は、島の生活に極端なほどの鮮やかさと純粋さを与える。「今・ここ」にある刹那の中で人は子供のように、また聖者のように生きる。一日一日が、一つ一つの行動が、時間と空間に洗われ、一つの島としての完成形となる。人々もまた、このような環境の中で島のような存在となる。自己充足し、全(ぜん)にして澄み切ったものとなり、他者の孤独を大切にしながらその岸辺を邪魔することなく、他者の奇跡を崇敬しながら、離れたところにいるのである。
- 『海からの贈り物』アン・モロー・リンドバーグ著
今日は穏やかな日曜日である。きわめて珍しいことに、家内と共に何の予定も入れていない。昨夜の夕食時は「丸一日、まったく何もしないで過ごすことができるかどうか・・・」などという他愛ないお話をし「それはまず不可能であろう」という結論に達した。
やはり、今朝も早くから目覚めて、紙の日のゴミ出しをしたり、S君のiCloudをXPマシンに導入したり、こんなことをしたりで、「何もしない」からはほど遠い午前中だ。やはり人間は基本的に動物(動く生物)なのだろう。
この連休(金・土)は忙しかった。しかし、先週末と異なり、ほとんど疲れが残らない種類の忙しさだ。
まず、5時間もかけて徳島からやって来たIさんと、そろそろ板を履く段階になってきたS君、このお二人はすでに基本が身に付いていてほとんど気を使うことはない。
それに、初練習になるK君とお仲間の3人・・・風の様子は、地上練習にはまずまずの3m~6mで、初日は頭上安定が取れるほどの風ではなかったので、セットアップ(準備)やピックアップ(片付け)、セイフティ・コントロールの基本、リーシュの使い方、各部名称・・・など、ちょっと一度に多くのことを話しすぎたかもしれない。
二日目は、程よい風の中、K君は10㎡を使って安定姿勢から、ピッチコントロールも含めてバーの操作とカイトがどのように連動するかが少しは分かったのではないかと思う。他の方々も初めて感じる風の力用に笑顔が絶えなかった。これが最も嬉しいことです。
この2日間でインプットされた情報がどの様に消化されるかは、これからの練習次第だが、ともかく「自然はめったに急がない」し、このスメ[ツは、その外見上の激しさのわりには体力を使わない。つまり相当な年齢まで楽しむことができる。私は60代後半で、流れるようなウェイブライディングをこなす方を知っているし、海外では70代もけっして珍しくない。たぶんそのうち80代90代のカイトサーファーも現れるであろう。
要するに、年齢・性別に関係なく、それぞれのスタイルを大切にしながら自由にお付き合いすればよいのである。しようと思えば、こういう自由な考え方や生き方が可能な時代に生まれ生きていることを、私は、まったく有り難いと思う。
過去の人類の歴史は必ずしもそうではなかったし、「個人の自由」に最大価値を見出した近代以降も、この種の自由を簡単に手に入れることはできなかった。近代以降はなおさらと言った方が良いかもしれない。
そして、これらの自由や喜びは、多くの人々がそれを当たり前のことだと思って油断をすると、わりあい簡単に奪われてしまうものであるという用心も、心のどこかに置いておいた方が良いかもしれない。
- "Escape from Freedom by Erich Fromm Summary & Study Guide" by BookRags
この(近代人の)孤立の種子はルターやカルビンのプロテスタント的教義によって植えつけられた。彼らは、カトリック教会という仲介者なしに、人間は神の前にただ一人で立つものだということを教えたのである。更に彼らは、人間は基本的に悪であり、救済を達成するには働かなくてはならないということも教えた。かくして、人は教会の権威からは自由になったが、執拗な神の下で自分自身に責任を持たなければならなくなった。
- 『自由からの逃走』 エーリッヒ・フロム著 スタディーガイド
従来の書物の魅力はもちろん捨てがたいもので、今後も紙の本が無くなることはないだろうし、断じて無くなるべきではないと私は思っている。しかし、デジタル本に慣れると、この軽便性や機動性や汎用性もまた捨てがたいものになる。
キンドルなどは、ちょっと大き目の手帳サイズだ。この中に1000冊ほどの本がまるまる入ってしまう。1000冊というと、紙本なら、大き目の本棚を数個設置しても足りないくらいの空間を必要とする。
最近、この電子読書ディバイスの機能に、「シェアする」というのがあって、書中の気に入った文句や気になる箇所をタップして選択すると、ツイッターやフェイスブックに簡単に送れることを知った。これは極めてありがたいこだ。私流のツイッターの使い方がやっと分かったような気がする。
これまでの紙本では、まず赤ペンや蛍光ペンで線を入れて、必要ならメモを取る、という作業をしていたわけだが、これらの手間がまさにワンタッチで完了する。後は、ツイッターの画面からコピーしてエディタに移し、たちまち末竝?カなどの作業を始めることが出来る。
こうやって、あえて公開するようなものでもないが、長年、私が楽しんでいる末C行の結果も、このブログ・サーバーの中に保存していくことにした。すべては私のかなりいい加減な拙訳である。
もし、これらが目に留まって、「その訳はちょっとおかしいんじゃない?」・・・などと意見下さる奇特な方がいたら、これも又ありがたいことである。
The most exhausting thing in life, I have discovered, is being insincere. That is why so much of social life is exhausting; one is wearing a mask. I have shed my mask.
- "Gift from the Sea" by Anne Morrow Lindbergh
人生で最も疲れることは、不誠実だということが分かった。それが、多くの社会生活で疲労を起こす原因である。人は仮面をかぶって生きているのだ。私は仮面を物置に片付けてしまった。
『海からの贈り物』アン・モロー・リンドバーグ著
- "The Third Force: The Psychology of Abraham Maslow" by Frank G. Goble, Abraham H. Maslow
彼は、自己実現しつつある人々は、痛みや悲しみや苦労が無いということではなく、それ以上のものを生活から汲み出し、それを楽しんでいるということを見出した。彼らは自らの人生に、より感謝し、より多くの興味を持ち、この世界の美しさに、より(深く)気付いているのである。
- 『第三の勢力:マズローの心理学』by フランク・G・ゴーブル、アブラハム・マズロー著
大勢の人が、同じような格好で、型にはまった形式的なことごとの周囲を、畏(かしこ)まったり、騒ぎまわったりしている場所に同席することは、私にとっては、ほとんど無意味な苦行である。今回も大体はそうだった。
しかし、結婚式場にオマケで付いているような教会ではなく、本物の大教会で行われた今回の結婚式は、少々感動的だった。英国国教会の流れをくむセント・メ[ル大聖堂の、おそらく英国人の神父様の低い声は、何語で喋っているか分からないくらい反響がきつかったが、ともかく厳かで暖かいものだったし、広々とした式場を高く覆うステンドグラスの色彩も美しかった。
まあ、結婚は人生の大きな節目であることは確かなことで、それを何らかの形にして残しておきたい・・・というのは、人間の自然な心情だろう。運がよければたった一度の経験・行事になる。そういう意味では、まことにめでたいことではある。
今日は昼を大きく回った頃から西風が入り始めた。昨夜はすっかり疲れて帰ってきたから、今日はいつもの自然充電をちょっと念入りに・・・塩屋の夕陽が西に大きく傾くまで、跳んだり回ったりを繰り返した。
それにしても、夕陽は美しい。何百回見ても新しい美しさがある。今回も、片づけが終わった後しばらく、ゆっくりと眺めながら、「あの想い」を強くしていた。
私の胸の深いところに繰り返し去来する「あの想い」については、また近いうちに書くだろう。
もう40年になるのか・・・地震学研究の道に進み、博士課程入口の25歳で逝ってしまったT君が18歳で学生生活を始めたのがこの街だった。
一昨年の紀州旅行の帰途、あの東北沖大地震がやって来てフェリーが止まり、急遽、陸路に切り替えて立ち寄ったのも、この地に建立された彼の地蔵に会うためだった。
忘れ難き大地震に促されるように、生きていれば間違いなくこの道の大研究者になっていたであろう、忘れること能わざる友人の石像と対面した。
明日は再びT地蔵に挨拶して帰る。年月の経過は、私の生きる環境世界も私自身も、そして私に繋がる過去の多くの事実も、その意味を変えた。
しかし、あの彼の小柄で柔らかな姿や、爽やかな笑顔や、残した言葉は変わらない。おそらく、これからも変わらないだろう。不変の世界の人間は、流転・変転を止めない世界の人間にとって、常に新しい何かなのかもしれない。
私にとっての冬到来の時は、朝起き鰍ッに、温度計の針が10℃を切る・・・ということだ。外気温はもっと低かっただろう。
海の方は、まだとうぶん水温が高いので特に問題はないが、これから海水温がどんどん気温に接近して、20℃を切り、気温も10℃を下回るような日はちょっとした苦行になる。
厳冬の1月、2月辺りは、海に入るのを考えてみようかなぁ・・・と、今のところは思っているが、これは大体、毎年この時期の年中行事みたいな心理である。ただ、確かに、そんな寒い時期に冷たい水に晒されなければならない必要性も必然性もない。
数年前からあれほど好きだった自転車散歩やサイクリングから遠ざかっている。今日、久しぶりに数キロ走ってみたら、あのゆったりとした自転車ならではの心地良さを思い出した。
真冬は自転車を漕ぎながら、あれこれの考えに想いを致すのも良いかもしれない。