今日の波質はちょっと良かった。何気なく撮ったF君の下半身もほど良いうねりに隠れている。西風は8m程度から急速に落ちて、12㎡と19㎡。12㎡はまたもやジャンプ後の下手な着水でリーシュが胸に当たって外れてしまった。原因が原因だけにバネを強くして解消するかどうか分からない。一応やってみて、効果がなければノブ部分を削って小さくするしかないかなぁ・・・と考えている。
それにしても、カイトサーフィンというスメ[ツはどうしてこうも疲れが残らないのか・・・ほとんど毎日のように数十km走っているのだが、身体の疲れを明くる日に持ち越すことはほとんどない。私も、もう10代20代ではないのだ。これはただ事ではなく、それなりの理由があるに違いない。また暇なときにじっくりと思いを巡らせてみたい。


それにしても、カイトサーフィンというスメ[ツはどうしてこうも疲れが残らないのか・・・ほとんど毎日のように数十km走っているのだが、身体の疲れを明くる日に持ち越すことはほとんどない。私も、もう10代20代ではないのだ。これはただ事ではなく、それなりの理由があるに違いない。また暇なときにじっくりと思いを巡らせてみたい。

海岸線には事欠かないこの地方でも、風の本流が南になると楽しく走れる場所は限られてくる。この粟井海岸などはその一つで、正確な潮読みは必須だが、松山平野で一度持ち上がった風が海面を這うように吹き抜け、順潮は複雑な波を生むと同時に、オフショア気味になる岸よりの海面にはフラットな部分も出来る。
この浜は昔から、たいがい人影まばらで砂浜も美しい。砂浜・・というよりも砂粒が・・・と言った方が良いかもしれない。私のカイト・ランチには海岸の砂が欠かせない。毎回、何kgかの砂をウィングチップに乗せて重りにするわけだが、その際にその砂粒が風に舞って、その浜独特の匂いを感じることがある。美しい砂浜は無臭か、ほのかな磯の香り。しかし浜によってはトブ水のような異臭がしてムッとする場合もある。
日本の生産活動がまだ控えめだった1960年代までは、あらゆる砂浜は自然に近い美しさを保っていた。70年代になって多量のゴミが漂着するようになっても、まだ砂浜自体が異臭を放つほど汚染されてはいなかった。80年代後半になってやっと、エコロジーや自然保護運動の普及と共に海岸のゴミは少なくなって来たように思うが、それでも尚、目を覆いたくなるほど痛めつけられた浜が数多くある。
ことの本質・・・つまり自然界における人間中心主義、ものを際限なく消費し金を得て善しとする商業主義などを改めない限り、海岸のみならずマザーネイチャー(母なる大自然)は荒廃の一途をたどることになるだろう。そして、本来大自然の小さな一部である人間という生き物の心身も、歩みを同じくして更に荒廃するだろう。よほど注意深く事実を見極める力を持たない限り・・・。

この浜は昔から、たいがい人影まばらで砂浜も美しい。砂浜・・というよりも砂粒が・・・と言った方が良いかもしれない。私のカイト・ランチには海岸の砂が欠かせない。毎回、何kgかの砂をウィングチップに乗せて重りにするわけだが、その際にその砂粒が風に舞って、その浜独特の匂いを感じることがある。美しい砂浜は無臭か、ほのかな磯の香り。しかし浜によってはトブ水のような異臭がしてムッとする場合もある。
日本の生産活動がまだ控えめだった1960年代までは、あらゆる砂浜は自然に近い美しさを保っていた。70年代になって多量のゴミが漂着するようになっても、まだ砂浜自体が異臭を放つほど汚染されてはいなかった。80年代後半になってやっと、エコロジーや自然保護運動の普及と共に海岸のゴミは少なくなって来たように思うが、それでも尚、目を覆いたくなるほど痛めつけられた浜が数多くある。
ことの本質・・・つまり自然界における人間中心主義、ものを際限なく消費し金を得て善しとする商業主義などを改めない限り、海岸のみならずマザーネイチャー(母なる大自然)は荒廃の一途をたどることになるだろう。そして、本来大自然の小さな一部である人間という生き物の心身も、歩みを同じくして更に荒廃するだろう。よほど注意深く事実を見極める力を持たない限り・・・。

25度を越える初夏の陽気の中では、セミドライはサウナスーツになる。西の微風、19㎡のライン調整したりグラハンやったりしてたら、頭がクラクラしてきた。海水温はまだ低い。海に浸かって首口から冷水を取り込み身体を冷やす。
やがて入り始めた南風でひとっ飛びして戻ると、カヌーを積んだ車の主が話しかけてきた。今度のゴールデンウィークに由利島まで行こうと計画しているのだが、風をどう読んだらよいか教えてほしい・・・というようなことだ。
何日も先のことまでは分からないが、基本的には順潮、つまり潮流と風向きが逆の時間帯を選んだらどうでしょう。早朝の陸風か凪の時間に出て、帰りは海風を使えば楽かもしれない・・・などというようなことを話す。
由利島は私も何年か前の夏にキャンプしたことがある。東の浜のテントで目覚めると周囲一面、夜のうちに這い出てきた無数のミミズで覆われているのにゾッさせられた。彼の話では、どうも幽霊が出ることもあるらしい。夢のある良い話だ^^。
海の夕景にャcンと映えるF君の走りを携帯で撮ってみた。今回の写真はちょっと味のある出来だと思うのだが、どうだろう?


やがて入り始めた南風でひとっ飛びして戻ると、カヌーを積んだ車の主が話しかけてきた。今度のゴールデンウィークに由利島まで行こうと計画しているのだが、風をどう読んだらよいか教えてほしい・・・というようなことだ。
何日も先のことまでは分からないが、基本的には順潮、つまり潮流と風向きが逆の時間帯を選んだらどうでしょう。早朝の陸風か凪の時間に出て、帰りは海風を使えば楽かもしれない・・・などというようなことを話す。
由利島は私も何年か前の夏にキャンプしたことがある。東の浜のテントで目覚めると周囲一面、夜のうちに這い出てきた無数のミミズで覆われているのにゾッさせられた。彼の話では、どうも幽霊が出ることもあるらしい。夢のある良い話だ^^。
海の夕景にャcンと映えるF君の走りを携帯で撮ってみた。今回の写真はちょっと味のある出来だと思うのだが、どうだろう?


To see the world in a grain of sand, and to see heaven in a wild flower, hold infinity in the palm of your hands, and eternity in an hour.
一粒の砂に全世界を観じ、野の花に天国を観じ、手のひらに無限を、一刻の中に永遠をつかむ。
If the doors of perception were cleansed everything would appear to man as it is, infinite.
感覚の扉が洗い清められたとき、全ての事象が、あるがままの、無限のものとなって現れる。
To generalize is to be an idiot.
ものごとを一般化するということは、馬鹿になるということである。
Great things are done when men and mountains meet.
人と山とが出会ったとき、偉大なことが成される。
今日は久しぶりに粟井の南風で一っ走りした後、引き潮に洗われる砂浜が西に傾く太陽に輝くのを眺めながら、ブレイクの「一粒の・・・」のくだりを思い出したので、ちょっと読み直してみた。ただの拾い読みに過ぎないが、こういうとんでもない件p家が残した言葉に少しでも触れると、時に目からウロコと一緒にメガネも落ちそうになる。
最も小さなもの、最も身近でありふれたもの、そして今という一瞬の中に、無限にして永遠なるものを感じ取る透徹した感受性・・・200年前のこの人物も、やはりただ者ではない。
人と海が、人と風が出会ったとき、多くの喜びや勇気やナチュラルスメ[ツが生まれるが、「偉大なことが成される」かどうかは、人による・・・としか言いようがない。

一粒の砂に全世界を観じ、野の花に天国を観じ、手のひらに無限を、一刻の中に永遠をつかむ。
If the doors of perception were cleansed everything would appear to man as it is, infinite.
感覚の扉が洗い清められたとき、全ての事象が、あるがままの、無限のものとなって現れる。
To generalize is to be an idiot.
ものごとを一般化するということは、馬鹿になるということである。
Great things are done when men and mountains meet.
人と山とが出会ったとき、偉大なことが成される。
今日は久しぶりに粟井の南風で一っ走りした後、引き潮に洗われる砂浜が西に傾く太陽に輝くのを眺めながら、ブレイクの「一粒の・・・」のくだりを思い出したので、ちょっと読み直してみた。ただの拾い読みに過ぎないが、こういうとんでもない件p家が残した言葉に少しでも触れると、時に目からウロコと一緒にメガネも落ちそうになる。
最も小さなもの、最も身近でありふれたもの、そして今という一瞬の中に、無限にして永遠なるものを感じ取る透徹した感受性・・・200年前のこの人物も、やはりただ者ではない。
人と海が、人と風が出会ったとき、多くの喜びや勇気やナチュラルスメ[ツが生まれるが、「偉大なことが成される」かどうかは、人による・・・としか言いようがない。

塩屋の南西風・・・最も好みの風向きだ。幾分かでも南の方向から来る風は、どこか南国の香りを運んでくるような気がして心を軽くする。
日曜ということもあり、北の中洲は混雑している。私一人、ウィンドの時代から使い慣れた南の浜を広々と使う。あの頃は重信川の砂州が今ほど成長してなかったということもある。この浜も波打ち際まで車が入れて、どんな風でも大体ここから出ていた。ビーチブレイクがきついので波を読む目は必要だが、実に気持ちの良い浜だ。
今日は幾分浮ついた風で12㎡ではもの足りなかった。これで3度目か・・・リーシュが不用意に外れた。今回はジャンプから下手な着水の際にリーシュ・ストッパーが胸に当たるのを感じたので原因がはっきりしている。なんにしてもバネを少し強くしておこう。
おしまいに修理が完了したばかりの15㎡をテストライド。ラインを2mほど伸ばしたカブリナバーは全く問題なく用を成した。波はほとんどグシャグシャで、両脚のクッションが多少疲れたが、それでも50km近く走っていた。


日曜ということもあり、北の中洲は混雑している。私一人、ウィンドの時代から使い慣れた南の浜を広々と使う。あの頃は重信川の砂州が今ほど成長してなかったということもある。この浜も波打ち際まで車が入れて、どんな風でも大体ここから出ていた。ビーチブレイクがきついので波を読む目は必要だが、実に気持ちの良い浜だ。
今日は幾分浮ついた風で12㎡ではもの足りなかった。これで3度目か・・・リーシュが不用意に外れた。今回はジャンプから下手な着水の際にリーシュ・ストッパーが胸に当たるのを感じたので原因がはっきりしている。なんにしてもバネを少し強くしておこう。
おしまいに修理が完了したばかりの15㎡をテストライド。ラインを2mほど伸ばしたカブリナバーは全く問題なく用を成した。波はほとんどグシャグシャで、両脚のクッションが多少疲れたが、それでも50km近く走っていた。

ダンパーとはサーフィン用語では「一気に崩れ落ちる波」の意。風波の多くはダンパーとなるが、海底地形との関係で、多少は切れた波模様になることもある。切れた波とは、最もャsュラーな「カール状に端から順にブレイクして行く波」のことで、瀬戸内の海岸できれいなそれに遭遇することは滅多にない。
今日の塩屋も「アウトには出してやらんぞ~!」とでも言いたげな風波ダンパーだった。まあ、真オンの風で10m以上吹いたら、海の言いたいこともよく分かる。しかし、塩屋の波はそれだけではない。真っサイドからの風は話にならないが、南西から北西のクロスオンの強風が良い潮時に入ると、幾分遠浅の海岸はちょっと有り難い種類の波を生む。
年に数回あるかないかのこの波で、2m以上あるウィンドの板を回すのは至難の伎だったけれども、リップからボトムに向かって斜めに滑り降りるくらいはできたし、何よりもヘッドに近い大波をジャンプ台にして吹っ飛べるのが楽しみだった。
まず、まともには着水できないので、10mほどの高さからいろんな格好で落ちる。当然それなりに痛い。一度などは、水面でわき腹を強打して息が止まり、必死で深呼吸しながら意識を保ったことがある。まだ30代前半の、少なくとも海の上では浮「ものは何もなかった頃の話だ。現在もあんまり変わってないような気もするが・・・。
さて、これからカイトの世界で、この種の波とどう付き合って行くか・・・楽しみが尽きることはない。


今日の塩屋も「アウトには出してやらんぞ~!」とでも言いたげな風波ダンパーだった。まあ、真オンの風で10m以上吹いたら、海の言いたいこともよく分かる。しかし、塩屋の波はそれだけではない。真っサイドからの風は話にならないが、南西から北西のクロスオンの強風が良い潮時に入ると、幾分遠浅の海岸はちょっと有り難い種類の波を生む。
年に数回あるかないかのこの波で、2m以上あるウィンドの板を回すのは至難の伎だったけれども、リップからボトムに向かって斜めに滑り降りるくらいはできたし、何よりもヘッドに近い大波をジャンプ台にして吹っ飛べるのが楽しみだった。
まず、まともには着水できないので、10mほどの高さからいろんな格好で落ちる。当然それなりに痛い。一度などは、水面でわき腹を強打して息が止まり、必死で深呼吸しながら意識を保ったことがある。まだ30代前半の、少なくとも海の上では浮「ものは何もなかった頃の話だ。現在もあんまり変わってないような気もするが・・・。
さて、これからカイトの世界で、この種の波とどう付き合って行くか・・・楽しみが尽きることはない。


ニックさんお勧めのパワーラインというのが来たので、塩屋にてM君の走りを眺めながら10㎡のライン修理。これがいかにも強いぞ・・・という感触で、少々の過加重でも切れることはなさそうだ。
しかし、めったに使わない10㎡にはちょっともったいない気もする。そこで、昨夜思い付いた。現在の12のラインを10に移して、はるかに使用頻度の高い12㎡でこのラインに活躍してもらうことにしよう。
しかし、めったに使わない10㎡にはちょっともったいない気もする。そこで、昨夜思い付いた。現在の12のラインを10に移して、はるかに使用頻度の高い12㎡でこのラインに活躍してもらうことにしよう。
昨日に続いて北風。幾分強めの8m前後。19㎡で若干オーバー気味。しかし今日は速やかに落ちて2時を回った頃には微風の領域へ。Iやん、Hやんとしばらくマッタリとお話をして本日終了。
ちなみに、マッタリの原義は「味わいがまろやかで、こくのあるさま」だそうな・・・こんなん英語でどう言うんだろう・・・と辞書を引いてみると、deeply; heavily; dully, tediously ・・・と色々出てきた。日本語のニュアンスとかなり違うような気がするが、誰がどのようなシチュエーションでこれらの英語訳を考えたんだろう・・・と想像するのも、暇なときは楽しかったりする。
↓レグの長さを測ってみた。堀江の場合は端から端まで使ってだいたい1km。これは計算しやすい数字だ^^。

ちなみに、マッタリの原義は「味わいがまろやかで、こくのあるさま」だそうな・・・こんなん英語でどう言うんだろう・・・と辞書を引いてみると、deeply; heavily; dully, tediously ・・・と色々出てきた。日本語のニュアンスとかなり違うような気がするが、誰がどのようなシチュエーションでこれらの英語訳を考えたんだろう・・・と想像するのも、暇なときは楽しかったりする。
↓レグの長さを測ってみた。堀江の場合は端から端まで使ってだいたい1km。これは計算しやすい数字だ^^。
