庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

池田湖

2023-07-25 19:15:22 | 自然

朝モヤの誕生に出合った場所である。今回はは夕モヤ。標高200m辺りか。 現在の気温24°cぐらい。 今日は犬の散歩のおじさんに会ったきり、人がいない。まことに味のある山中である。

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情報過多に如何に処するか

2023-07-05 21:31:49 | 日々雑観

40年ほど前、情報ハイウェイと呼ばれていたインターネットのWEBに加え、各種のソーシャル・メディア(SNS)の普及によって、この世界の住人はまさに爆発的に増加する、いわゆる「情報の嵐」に晒(さら)されることになった。

自然好き人間の一人として思うに、一個の、あるいは家族単位での人間が生きていくのに必要不可欠な情報量はそう多いものではない。それは自然界の動物たちを観ているとすぐにでも分かることで、哺乳類に限って言うと、ネコも犬もイルカもクジラもテレビを見ないし、パソコンを触るわけでもないが、それぞれ、ちゃんとまっとうに、たぶん生活時間の大半を、懸命に楽しく生きている。

むろん、人間と他の動物たちとは、色々と異なった面がある。しかし、動物という点では同じ生き物であり、それぞれの環境にそれぞれの方法で巧みに適応しながら、食べたり、寝たり、子孫を残したり・・・という行為を繰り返しながら日々の生活を送っているわけである。

私がずいぶん以前から感心していることは、海の魚や哺乳類、陸の犬猫の類(たぐい)や空の鳥たちは、我々人間には遠く及ばない、様々な優れた能力を持っているということである。

これは既に多くの方々が、書き語っていることだから、いちいち例を挙げるまでもないだろうけれと、一つだけ、我が家で一緒に暮らしているネコの話をすると、彼女はネコ特有の敏感な感覚を持っているだけでなく、一種の洞察力や人の心を読み取る能力も持っているのである。そして、驚くほど、いわゆる「礼節」を弁(わきま)えているのである。たまに見かける、躾(しつけ)のできていない人間より、よほど細やかな気遣いに長(た)けているのである。私は、これを名付けて「猫格」と言う。

夏目漱石が「吾輩は猫である」を書いたのは、彼もそのあたりの事情をよく知っていたからだろうと、私は強く推察する。

情報の話に戻そう。つまりは情報過多。胃の病気に胃酸過多というのがあるが、なんでも丁度いいのが丁度いいわけで、多すぎても少なすぎても病気になり、結果、多くの場合、苦しむことになる。

ホント(真実)だけならまだ良いが、その辺りに氾濫している情報の中には、ウソ(虚偽・フェイク)も多いから、ウソとホントを見抜く眼を持っていない場合、現代人はまず100%、情報過多という病気にかかるだろう。

では、どうやってそれを予防し治療するかについて、私が日頃、気を付けている事々を次に箇条で述べる。中の一つでも実行し体験できれば、この情報過多病は、三日ほどで快方に向かうことを保証する。

1:情報遮断(テレビやネットから流れ出る一方向的な情報に触れない時間を持つ)こと。
2:情報選択(自分の目的や興味をなるべく明確にしながら、それに必要なものを選択する)こと。
3:身体を動かし、五感(目・耳・鼻・舌・体)すべてを使うこと。
4:心身を大自然の中に投じて、大地や風や水や樹々の生命の息吹に触れること。
5:確固とした人間観・世界観を持ち、自己の生命自体を浄化し強くすること。

今回ここまで・・・。

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