庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

幻想など マーク・トゥエイン

2012-05-30 20:31:00 | 拾い読み

Don't part with your illusions. When they are gone, you may still exist, but you have ceased to live.
 - Mark Twain


幻想することを手放してはいけない。幻想しなくなっても君は存在するだろうが、生きることを止めることになる。
 - マーク・トゥエイン


Whenever you find yourself on the side of the majority, it is time to pause and reflect.
 - Mark Twain 


自分が多数派の側であると知った時はいつでも、立ち止まり反省すべき時だ。
 - マーク・トゥエイン

Do the right thing. It will gratify some people and astonish the rest.
 - Mark Twain 


正しいことをしてごらん。そうすると、何人かの人々を喜ばせ、残りの人々を驚かすだろう。
 - マーク・トゥエイン

ちょっと硬くなった頭には、マーク・トゥエインの箴言(しんげん)集が良い薬になる。彼の言葉には、絶妙なユーモアで色づけされた相対観が随所に感じられ、その「視点」は、徹底した相対主義を採る『荘子』の世界に通じるものがある。ややもすると一方向に偏りがちなものの見方に、快い渇(かつ)を入れてくれたような気がすることもある。

正確な意味内容は出典の文脈の中でつかむしかないのは当然として、その文章の一切れに自分の勝手な直感や感性をかぶせながら想像的解釈を試みるのも、私にとっては楽しい作業の一つだ。

そもそも、末ノ唯一完全な正解などは有り得ない。例えば、英語の"I love you"・・・なんてのは、たぶん毎日世界中で数え切れないくらい使われている表現で、「我は汝を愛す」「愛しの君よ」の類ばかりではなく、状況によっては「君が好きなわけないだろう」・・・などと訳せる場合もある。これが文字言語の限界であり、同時に有史以来、人類に莫大な可能性を開いてきた所以(ゆえん)でもある。

既に文字はあったが、生きた口頭表現(対話)を大切にしたソクラテスが、彼の思想を文字として残さなかった理由の一つがここにあると言われていたりもする。ほぼ同時代を生きた中国の老子や孔子は文字を残した。では、やはり同時代、インドの釈尊が文字を持っていたらどうしてただろう・・・と想像したりするのも面白い。

またまた話が大きくなりそうなので、今回の思いつきはこれまで・・・。

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珍しく朝から頭が痛い。どうやら風邪をひいたらしい。頭痛薬を飲んで昼から少し寝よう・・・と思いながらマリンハウスのカメラをのぞいたら、そこそこの北風が入っている。あっという間に脳内スイッチが反対方向に動いた。海で風邪を吹き飛ばしてこよう。



風自体は19??の守備範囲。だいぶ水温が高くなったので久しぶりに素足になったらどうも具合が悪い。習慣とは恐ろしい。いろんな波の斜面で、こないだ見つけた「楽々バックループ」をやってみた。10回以上回って着水の失敗がなかった。どうやら要領がほぼ身に付いたらしい。フロントループは、もう一ひねり加えてダブルにできないものか・・・といろいろ試みているところ。縦回り状態から横回りに移行するタイミングがまだ分からない。



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別府 ここだけの風

2012-05-28 21:17:00 | 海と風
お昼近くになって中庭のゴールドクレストが南西風にそよぎ始めた。この大木は少なくとも西寄りの風については、かなり正確な風見の働きをしてれる。大きく期待することもなく、もし風が無かったらプカプカ浮かびながら水中ヨガでもしてこよう・・・などと思いながら、別府に向けて車を走らせる。 

堀江近辺はほとんど凪(なぎ)。北条付近まで来ても凪に近い海面。ところが、立岩のカーブを曲がったとたん、1~2mの西風がきれいに海面をなめている。さらに菊間の太陽石油の坂を越えると、3~4mの暖風が山肌を駆け上がり広葉樹林の葉を扇いでいる。(空のソアリングスメ[ツでサーマル探しに大いに役立つのが、この山の斜面の色を変える木の葉のひっくり返り現象なのだ) 

そして、別府に着いたら5m前後の19㎡には程よい西風が入っていた。チンランチを食べている間に6m程度で安定する。Y君と二人、かなり心静かな2時間近くを味わった・・・と言っても、跳んだり回ったりを楽しむことは忘れないが・・・。

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最善の部分 ワーズワース

2012-05-22 17:30:00 | 拾い読み
The best portion of a good man's life is his little, nameless, unremembered acts of kindness and of love.
 - William Wordsworth


善き人間の人生の最善の部分は、ささやかで、名もなく、忘れ去られるような親切心と思いやり(愛情)による行動にある。
 - ウィリアム・ワーズワース

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堀江、北東GI(ガスティ指数)2。15㎡で若干アンダー。これまでで最も楽で、程よいエアタイムと高さが出せるバックループの要領を発見する。<iframe src="http://connect.garmin.com:80/activity/embed/180825530" frameborder="0" width="465" height="548"></iframe>
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大海は ワーズワース

2012-05-21 20:28:00 | 拾い読み
The ocean is a mighty harmonist.
- William Wordsworth

大海は壮大な調和者である。

One impulse from a vernal wood May teach you more of man, Of moral evil and of good, Than all the sages can.

若木が与える一つの衝撃は、人間によるより大きなものを教える。善と悪について、どんな聖人が教え得ることよりも。

 - ウィリアム・ワーズワース

  イギリス・ロマン主義の代表的詩人。「The child is the father of the man. 子供は大人の父である。」というフレーズも衝撃的で忘れられない。

In modern business it is not the crook who is to be feared most, it is the honest man who doesn't know what he is doing.

-現代の商業界において最も恐るべきは、泥棒などではなく、自分がしていることが分かっていない正直者である。


  なんて厳しいことも言う。彼の「現代」は200年ほど前の時代.。しかし、ことの本質はそう簡単に変わるものではないだろう。

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ガスティ指数5(10段階評価で)程度の北東風。15??でそれなりに走る。最近なんだか身体が重い。それでも伸身ループの自由度は徐々に増してきている。如何に無理なく、無駄な力を使わず、自然にさらりと流れるような動きができるか・・・ほとんどそんなことばかり考えている。
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T君の夢

2012-05-21 08:33:00 | その他

 昨日、「昼寝の夢」からの連想に浸っていたせいか、昨夜、何年かぶりにT君の鮮明な夢を見た。

学生時代のあの姿のままで私の左側に立ち、右手には分厚い辞書風の書物を抱えている。研究社の英和中辞典の5倍の厚さくらいはある。彼が自分で作った暗記用英語辞書で、中身はすべで手書きの小さな文字でびっしり埋まっている。

「これは・・・大変だったでしょう?」私が聞いても、彼は爽やかに微笑むばかり。「どれくらい時間かかった?」と更に聞くと、「何年かなぁ・・・これで辞書に出ている程度の単語は全て身に付いたよ」と当たり前のように言う。私は嬉しいばかりで、彼がそれ以上何も語らなくてもそのまま一緒にいたいと思っていた。

しかし、じきに続いて「努力はね、誰も見てないところでするものだよ」・・・と言い残して背後の闇に消えていった。

夢のほとんどは間もなく輪郭を失い忘れ去ることが多い。とりあえず鮮明なうちに書き留めておく。


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昼寝の夢

2012-05-19 20:28:00 | 自然

すでに春眠の季節はとうに過ぎ初夏の陽気であるにもかかわらず、近頃、昼飯を終えてしばらくすると眠たくて仕方がなくなる。風模様が良いときは海に出て眠たいなんて言ってられなくなるのだが、たいがいは睡魔に負けてベッドにゴロリひと眠りということになる。

今日の昼寝では、暖かい夏の海で気持ち良く泳いでいる夢を見た。パンツ一つで海を漂うにはまだちと時期が早いのになぁ・・・などと思いながらユラユラと海水の揺らぎに身を任せているのはまことに気持ちの良いもので、やっぱりオレには南方系の民族の血液が流れているのだ・・・なんてことも考えていた。

母から聞いた話では、私は満一歳を過ぎた頃から生家の前の海で泳いでいたそうだ。海に入ると簡単には帰ってこない。ある日などは、あんまり帰りが遅いので探し回ったら、港に舫(もや)った漁船の裏側につかまって一人で「かくれんぼ」をしていた・・・などということもあったらしい。

こんな子供は昔の漁村ではそう珍しくもなかったに違いない。村の小学生にとって年間最大の楽しみは、夏休みの海水浴の時間だった。唇が紫になるほど身体が冷え切るまで泳いだり潜ったりした後、太陽光で暖めた水を満たしたタライで身体を洗い温める。m1911044187.jpg

その後10円持って近くの駄菓子屋に出かける。その10円アンパンの獅「ことこの上なく、店に至る小道のそばでは大きなヒマワリが湧き立つような輝きで花を並べていたこと・・・等などは、今でも鮮明な記憶の範囲にある。

自分も周囲のあれこれも、全てが生命(いのち)の喜びで満たされている。これが子供の世界であり、自然の世界であり、あらゆる生き物たちの本来の姿なのだ・・・という直感は、私の場合、夢や記憶の中だけでなく極めて現実的な、しかし、ややもすると忘れがちな感慨である。


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堀江の西風

2012-05-18 20:14:00 | 海と風

本日も北西微風で柔らかな走りを少し楽しんでこよう・・・と出かけたが、いつものチンランチを食べながらF君の走りを眺めているうちに、風は少しづつ上がりながら西に触れてきた。IMGP0516s1024pix100kb.jpg

この浜は東西方向に緩やかな弧を成しているので、風が西に触れても東に触れてもオフショアの成分が入ってまず面白い走りはできない。

和気浜沖のブローエリアで19㎡順風を、風上の様子を常に気にしながら何レグかこなしたが、まあ、心静かに・・・というわけにもいかなかった。

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ハマヒルガオ

2012-05-16 20:27:00 | 自然
今年もあちこちの浜にハマヒルガオが花を付け始めた。ほとんど世界中の海浜で見られるという、なんとも可愛らしい植物だ。年中潮風の塩分で洗われる荒い砂地の、一体どこからその栄養分を得ているのか。IMGP0510s1024pix100kb.jpg

生物学や植物学はいろいろ説明を試みるだろうが、どう分析しても、その生命力の源、こんなに可憐な生き物がこういう場所に存在する理由、その花には時に蝶やミツバチがそっと立ち寄り、なにごとかの交流を楽しんでいるらしい・・・などという事情は、ただ不思議なる驚異としか言いようがない。

 『方丈記』の鴨長明は、人生の無常をアサガオに結ぶ露、日光に萎える花のはかなさに例えた。彼は朝日に輝くそのスッキリとした美しさも、仏教的無常の一種ととらえていたようだが、しかし、それだけでもなかっただろう・・・と私は思う。

 私たち動物と違って基本的に動かない植物たちは、数千年生きる「縄文杉」のような大樹だけではなく、こんなにはかなく見える多年草でも、その奥に広がる永遠なる何かの一端を示唆しているような気がするのである。<iframe src="http://connect.garmin.com:80/activity/embed/178689842" frameborder="0" width="465" height="548"></iframe>

 

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教育とは

2012-05-12 20:20:00 | 拾い読み
Men are born ignorant, not stupid. They are made stupid by education.
 - Bertrand Russell 

人は無知に生まれるが、愚かに生まれるわけではない。人を愚かにするのは教育である。
 - バートランド・ラッセル

Don't let schooling interfere with your education.
 - Mark Twain 

自らの教育を学校教育に邪魔されないようにせよ。
 - マーク・トゥエイン

完全に賛同するわけではないが、B・ラッセルもマーク・トゥエインも同じようなことを言う。その言は鋭い。たいがいの人は、教育は人間を賢明にし幸福にするために行われていると思っている。ところが、たぶん最も分かりやすい一例として、戦前日本の軍国主義教育のように、人間をほとんど限りなく愚劣にし不幸の極みに追いやるものがある。

戦後、日本も一応は民主国家の体裁を整え、個人の尊厳を根本価値とする憲法を持ち、自由や平和についても、戦前ほどバカげたことを教える教師は少なくなり、したがって、バカげた教育に苦しむ子供たちも比較的に少なくなったのだろう。しかし、戦後から現在に至る日本の教育が、必ずしも人間を賢明にし幸福にしているわけではないことも、日々世相に浮かぶ様々な現象を観れば明らなことのように思える。

そして、無知は子供に限ったことではない。どんな技撃フ習得においても、初めて習う者は通常、無知から始まり、生徒役の人間は、先輩でも先生でも師匠でもインストラクターでも呼び方は何でもいいが、教師役の人間から大きな影響を受ける。彼らの個性や資質はそれぞれで、私はその多様であることを好む。

しかし、これまでの限られた観察によれば、山に高低があり海に深浅があるように、それら教師役の能力や人格にも、隠れがたい「高低深浅」つまり優劣があるように見える。先の優に付けば後も優に育ち、劣に付けば劣が育つのも自然な成り行きだろう。

どんな世界でもそうだが、自然を相手にする活動の一つとしての「風読みの世界」において、その違いがどれほど重いものであるかについては、またの機会に書くとして、ただここでは、優れた教え役とはどういう人間か、についての思い付きを少し。

経験と知識が豊富なことは当然の前提として、要を取って言えば、「自分の無知や未熟をよく心得ている人物。その必然が導くところとして、最小限、謙虚や向上の心を持っていること」ということになる。それは、あえて古今あちこちの先人の言葉を借りるまでもなく、ある事柄について知れば知るほど未知の領域が広がり、ある技能が上達すればするほど未達の高みが見えてくることは、事の必然だろうからだ。

そして、後先(あとさき)の違いこそあれ、ある極みから見れば、習う側も教える側も大差なく、更に言うと、他の動物達と同様、そもそも「人間は本来自ら学ぶもの」であって、「教える」なんてことは、せいぜい車輪の回転を助けるために車軸に油をさす程度の行為であるだろうからである。 


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堀江 静かな走り

2012-05-11 21:26:00 | 海と風

 期待していた北風は北西に触れて4m前後。19㎡でやっと走れるという程度の風だったが、空はライトブルーに澄み、海面も空色を映して明るく光っていた。満ち潮時ということもあったのだろう、多少の細波(さざなみ)はヒザに優しく、堀江港沖までちょっとレグを伸ばす。IMGP0494s1024pix100kb.jpg

こういう微妙な風と付き合うときは、ウィンドの微風レースのように無駄な動きは禁物だ。カイトも板もカッチリと位置を定め、空気にも水流にも無用な乱流を起こさないようにする。要は、静かに走る。静かに走ることに集中していると、心の中も徐々に静かに澄んでいく。もちろん、順風や強風で飛んだり跳ねたりの激しい動きをするときも、この「清澄な心」は大きな働きをする。これも風読みスメ[ツの醍醐味の一つだ。

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