Don't part with your illusions. When they are gone, you may still exist, but you have ceased to live.
- Mark Twain
幻想することを手放してはいけない。幻想しなくなっても君は存在するだろうが、生きることを止めることになる。
- マーク・トゥエイン
Whenever you find yourself on the side of the majority, it is time to pause and reflect.
- Mark Twain
自分が多数派の側であると知った時はいつでも、立ち止まり反省すべき時だ。
- マーク・トゥエイン
Do the right thing. It will gratify some people and astonish the rest.
- Mark Twain
正しいことをしてごらん。そうすると、何人かの人々を喜ばせ、残りの人々を驚かすだろう。
- マーク・トゥエイン
ちょっと硬くなった頭には、マーク・トゥエインの箴言(しんげん)集が良い薬になる。彼の言葉には、絶妙なユーモアで色づけされた相対観が随所に感じられ、その「視点」は、徹底した相対主義を採る『荘子』の世界に通じるものがある。ややもすると一方向に偏りがちなものの見方に、快い渇(かつ)を入れてくれたような気がすることもある。
正確な意味内容は出典の文脈の中でつかむしかないのは当然として、その文章の一切れに自分の勝手な直感や感性をかぶせながら想像的解釈を試みるのも、私にとっては楽しい作業の一つだ。
そもそも、末ノ唯一完全な正解などは有り得ない。例えば、英語の"I love you"・・・なんてのは、たぶん毎日世界中で数え切れないくらい使われている表現で、「我は汝を愛す」「愛しの君よ」の類ばかりではなく、状況によっては「君が好きなわけないだろう」・・・などと訳せる場合もある。これが文字言語の限界であり、同時に有史以来、人類に莫大な可能性を開いてきた所以(ゆえん)でもある。
既に文字はあったが、生きた口頭表現(対話)を大切にしたソクラテスが、彼の思想を文字として残さなかった理由の一つがここにあると言われていたりもする。ほぼ同時代を生きた中国の老子や孔子は文字を残した。では、やはり同時代、インドの釈尊が文字を持っていたらどうしてただろう・・・と想像したりするのも面白い。
またまた話が大きくなりそうなので、今回の思いつきはこれまで・・・。
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珍しく朝から頭が痛い。どうやら風邪をひいたらしい。頭痛薬を飲んで昼から少し寝よう・・・と思いながらマリンハウスのカメラをのぞいたら、そこそこの北風が入っている。あっという間に脳内スイッチが反対方向に動いた。海で風邪を吹き飛ばしてこよう。
風自体は19??の守備範囲。だいぶ水温が高くなったので久しぶりに素足になったらどうも具合が悪い。習慣とは恐ろしい。いろんな波の斜面で、こないだ見つけた「楽々バックループ」をやってみた。10回以上回って着水の失敗がなかった。どうやら要領がほぼ身に付いたらしい。フロントループは、もう一ひねり加えてダブルにできないものか・・・といろいろ試みているところ。縦回り状態から横回りに移行するタイミングがまだ分からない。
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