庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

九州の数日

2005-03-22 08:05:08 | 自転車
この連休は大分′F本%㈹エ″イ世保と忙しいスケジュールだったが、密度の濃い数日間だった。

19日熊本での講演会は素晴らしかったし、島原の雲仙温泉では脱衣場で地震が来た。周囲に慌てた様子がないので、やはり島原だ・・普賢岳はまだ元気でこの程度の揺れはそう珍しくもないのだろうと思っていたら、福岡の地震だった。

時間の許せる限り自転車に乗るつもりで今回も20インチの折り畳みを持参した。熊本城をゆっくり一周・・・島原城を急いで一周。どこに行っても自転車を漕いでいると気持が落ち着く。


熊本城をバックに加藤清正像


島原城
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リンドバーグ

2005-03-16 20:02:07 | 大空
「しかし、私が崇拝した科学や愛した航空機が、文明を守るのではなく破壊しているのだということが分かった。」

「未開の大自然の中で私は生命の奇跡を感じ、その背後で我々の科学技術が取るに足りないものとして色あせて行くのを感じる。」

「人間は自分自身を知りその価値を認識するために大地を感じ取らなければならない。神は生命を単純なものとして創造した。それを複雑にしているのは人間である。」

<`ャールズ・A・リンドバーグ(1902-1974)



But I have seen the science I worshipped and the aircraft I loved destroying the civilization I expected them to serve.

In wilderness I sense the miracle of life, and behind it our scientific accomplishments fade to trivia.

Man must feel the earth to know himself and recognize his values... God made life simple. It is man who complicates it.
Charles Lindbergh
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タゴール

2005-03-12 13:39:20 | 自然
木々とは、聖なる天空に語りかけようとする大地の、絶え間ない努力の姿である。
≠q・タゴール(1861-1941)

Trees are the earth's endless effort to speak to the listening heaven.

論理だけの心は、刃しか付いていないナイフのようなものである。それを使うと手が血だらけになる。
≠q・タゴール

A mind all logic is like a knife all blade. It makes the hand bleed that uses it.

どんな子供も、神はまだ人間に失望していない、というメッセージを携えて生まれてくる。
≠q・タゴール

Every child comes with the message that God is not yet discouraged of man.



今日はリンドバーグの言葉を少し見ていたら結局タゴールに行き着いてしまった。リンドバーグから見ればタゴールは父親ほどの世代になる。彼のインドの詩人は大自然の荘厳さを歌い、此のアメリカの英雄的航空家は後半生を大自然の保護に捧げた。

第二次大戦後のリンドバーグは、更に深く「飛行機よりも鳥」の世界に入っていくことになるのだが、『海からの贈り物』という小さな本でベストセラー作家となった奥さんの影響がかなり大きかったのではないかと思う・・・と言うより、やはりお互いに強く影響しあったということだろう。

これからしばらく、お二人の言葉を中心にUPしていこう 
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アモン・ヘネシー

2005-03-10 20:04:00 | 大空
「勇気と智慧なき愛は感傷である、普通の教会の人々のように。
愛と智慧なき勇気は軽率である、普通の兵士のように。
愛と勇気を欠いた智慧は臆病である、普通の知識人のように。
したがって、100万人に一人の愛と勇気と智慧を持った人間が世界を動かすのだ、
キリストや釈尊やガンジーのように。」(1949年の感謝祭の日に)

<Aモン・ヘネシー(July 24, 1893 - January 14, 1970:アメリカ、オハイオ州生まれ。平和主義者、社会活動家、キリスト教的アナキスト、カトリック・ワーカー・ムーブメントのメンバー。第一次、第二次世界大戦に反対して納税を拒否し、投獄される。1951年8月には広島に原爆を落とし更に原爆を作り続ける国民の一人であったことへの懺悔のために6日間断食。)

LOVE without COURAGE and WISDOM is sentimentality,
as with the ordinary church member.
COURAGE without LOVE and WISDOM is foolhardiness,
as with the ordinary soldier.
WISDOM without LOVE and COURAGE is cowardice,
as with the ordinary intellectual.
Therefore one with LOVE, COURAGE, and WISDOM
is one in a million who moves the world,
as with JESUS, BUDDHA, and GANDHI.



原文の大文字表記をボールドにしてみた。"one in a million"は「滅多にいない」と訳す方が適当かもしれない。どんな人の中にもある勇気や智慧や愛をバランスよく備えるのは至難であることなども彼は知悉していただろう。 アモンは独居房で唯一読書を許されたバイブルで新しい人生を開くことになるのだが、次のような一言も印象深い。

「ああ、裁判長。あなた方の法律が、善人にとっては必要ないものであり悪人は従わないものであるなら、そのどこに良いことがありましょうや? 」

"Oh, judge, your damn laws: the good people don't need them
and the bad people don't follow them so what good are they?"
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ウィルバー・ライトの平和

2005-03-09 20:05:50 | 大空
「他の何にも増して、その(飛行の)感覚は、全ての神経の緊張が極限にまで達したような興奮状態と混ざり合った、いわば完全に平和な心理状態の一つである。」
<Eィルバー・ライト

More than anything else the sensation is one of perfect peace mingled with an excitement that strains every nerve to the utmost, if you can conceive of such a combination.

彼が多くの飛行の中の“どの”飛行で“完全に平和な心理状態の一つ”を得たのかは明らかではないが、ごく初期の極めて短い期間であったろうと思う。空を飛ぶことは基本的に幸せなことだが、いつも“緊張の極限”や”平和な心理状態”を経験する訳ではない。

飛行機材と人間と飛行環境・・この3要素”が“完全に”調和することはめったにないことで、私の場合、自己の全てが大気に溶け込んだような全く自由で平和な感覚を持ったことは数えるほどしかない。

1903年の初飛行から僅か9年後の1912年の冬、彼は結婚することもなく45歳の短い生涯を終える。弟のオービルはその後特許争訟で忙しくなったり、陸軍との契約でこの人類の永年の夢を戦争の具の一つにしてしまう。もちろん航空機を戦争の“愚”に変えたのは彼だけではないが・・・。

1908年、2時間20分の滞空で125kmの記録的飛行を行った頃が彼にとって最も幸せな時期であったのかもしれない。その後の航空機の発達は、本来実に多様な選択肢の中から、ちょっと無理のある歪んだ道を選択することになるからだ。

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散歩道のしだれ梅

2005-03-08 13:37:15 | 自然
いつものロビンの散歩道は田んぼと畑を抜けて通る。11歳を越えて冬は若干肥満気味になるビーグルの老犬は自転車で散歩となると俄然張り切って、最初の数百メートルは猛烈にダッシュするのだが、この畑辺りで徐々に息を切らして、シッコやウンチをしたりあちこち匂いを嗅ぎ回るのに忙しくなる。

この自転車で20分ほどの道程には、夕日に映えるクスノキの林やマガモが遊ぶ溜め池や墓地の横の乗馬グランドなどがあって、不精な私も雨の日以外はほとんど毎日同じコースで退屈することがない。畑には大根や白菜などの野菜の他に柑橘類、それに数種の梅ノ木が植えられている。こないだから、良く手入れされた“しだれ梅”↓がほぼ満開となってほのかに甘い香りを放っている。


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自然の海岸

2005-03-05 08:08:05 | 自転車
昨日は昼前から日が差してきたので昼食を済ませて定例サイクリングに出発。冷たい雲が東に去るに従って西風が強くなる。「行きは良い良い帰りは辛い」のよくあるパターンだ。こういう日は帰りの時間を遅らせて、風が落ちる夕刻に帰途に着くのに限る。瀬戸の夕焼けは大小多くの島影や時にはカモメの白羽を薄紅色に染めてくれる。



大西町の“星の裏公園”の裏側に残る砂浜で一服した。瀬戸内海にも自然のままの海浜は少なくなった。公園施設のすぐ裏は海水浴場として整備されているが、右側に広がる比較的長い海岸はあまり手を入れている様子はなく草地も残っていて、小さな廃船が放置されていたりする。国道から多少距離があるので、これからのシーズン幾らか静かなキャンプの夜が過ごせそうだ。こういう目障りな看板↓(ゴミは持ち帰るべし・夜9時以降の花火は止めるべし、と書かれている)が要らなくなるのは何時の日になるのか。


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インスピレーション

2005-03-04 08:08:59 | 自転車
自転車を黙々淡々と漕いでいると、時々インスピレーションのようなものに打たれることがある。心の中の深い部分でモヤモヤしていた疑問が急に氷解したり、それまで何の関係もなかったような事物の相関性が鮮やかに浮かび上がってきたり、当たり前のような事々の更に深い意味がスッと理解できたりして、何か大発見でもしたかのように嬉しくなったりする。

日常の瑣末事に関することだけでなく、例えば「どんな遠い目的地でも到着するまで歩みを止めなければ必ず到着する」「あらゆる結果は一つ一つの過程の集積である」「結果はおまけのようなものである、過程自体を楽しむべし」「現在が変われば未来が変わるだけでなく過去も変わる」等など、当たり前のような抽象命題が、突然、新鮮な広がりと深さもって去来する。

私にとって自転車は、単に健康に良い乗り物というだけではなく、ちょっと不思議な発想製造機にもなっているのだ。
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昼から山へ

2005-03-02 08:10:38 | 自転車
昼から山道を3時間ほど走ってきた。前回は雪が残っていた山中も今日は薄曇って日差しこそ少ないものの随分暖かかった。高縄山からの清流はそのまま飲むことができる。この季節の山水はキリっと締まった味がする。

クネクネ曲がり狭い上に相変わらず工事中の多い山道だが、工事現場で旗を持って交通整理をしている方たちは概(おおむ)ね愛想が良い。一日立ちっ放しで大変だろうに、とても丁寧に挨拶してくれる。これは実に気持ちが良い。


高縄山からの清流

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梅が咲いた

2005-03-01 13:55:20 | 自然
否応なく時は流れる。今日からもう3月だ。久しぶりにロビンを連れて堀の内までサイクリング散歩。夕暮れ時の散歩道には梅の花がほのかな香りを漂わせていた。近くのベンチでは若い女性が自転車をとめて読書をしている。今年もまた春が近い。


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