庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

学ぶこと思うこと

2007-04-26 12:03:15 | 拾い読み
アマゾンの空き箱を別の目的に使おうと思って開けてみたら、中から岩波ブックレットが出てきた。単なる広告冊子か何かだと思って放っておいたものだが、よく見たら加藤周一の『学ぶこと思うこと』という、ちゃんと定価が付いた本だった。お得意さんへのサービスだ。アマゾンもなかなか洒落(しゃれ)たことをする。嬉しくなって一気に読了した。 

5年ほど前に東京大学の学生自治会が、新入生のために開いた加藤先生の講演を活字にしたもので、第一章が論語の「学びて思わざれば罔(くら)し、思いて学ばざれば殆(あやう)し」、第二章が学ぶためには何が必要か、第三章が日本の社会を変えていくために、という構成になっている。日本を代表する知性が、子供たちの年代を飛び越して孫の年代の人たちに、学び方と考え方の基本、問題意識を持ち自ら考え行動することの大切さを説いたものだ。

しかし、章を進むに連れて、戦争の狂気の時代を強靭な理性で生き抜き、戦後60年以上の今日に至るまで一貫してリベラルな立場で平和を説き続ける彼自身の“訴え”や“願い”がビンビン伝わってくるような内容になる。

彼の孫の世代といえば私の子供の世代だ。20歳前後でこのような講演に接する機会を持てた人たちは幸運だと思う。彼と出会うことによって、多くの人はまちがいなくその人生の基本的な方向性を得ることになるだろう。全体や集団に埋没しない一人の人間(個人)としての自分自身を生きる・・・という方向性である。



ルビ

2007-04-25 21:44:06 | 言葉
戦前までの出版物の多くが“総ルビ”であったことは以前少し書いた。ルビとは活字の漢字などに添えられた“ふりがな”のことで、このブログで使う漢字にも一部振り仮名(ふりがな)を付けてある。こんなできの悪い日本語にでも付き合ってくれているらしい読者のためだけではない。むしろ私自身のためである。

ワープロ専用機の時代からPCのワープロソフトに至るまで、電子機器を作文の道具にして久しいが、この文明の利器の学習能力はまだまだで、毎日々々使い続けていても、相変わらず思いもよらない漢字を生産してときどき私を驚かせる。読めない漢字が書けるわけもなかろうに、予期せず現れた漢字の姿かたちに感心してそのまま使ってしまうこともある。自分が読めも書けもしないものをよく使う気になるねぇ・・・などとという声がどこからか聞こえたとき、ものを言うのがこの(ふりがな)の挿入なのである。

戦後、日本語の表記を全てアルファベットにすべきである、などというアホな提言をした高名文士もいたくらいだから、“ルビ廃止運動”を進めた山本有三や“ふり仮名禁止令”を作った官僚たちをあんまり責める気もないが、戦後の“総ルビ廃止”は一言で申して「“日本語の豊かさ”をかなり損なっているぞ~」・・・と、ことのついでに大声を出しておこう。

そこで、ここに書く分だけでもなんとかして活字風ルビを付けたいと思っていたら、それ用のHTMLがあった。マイクロソフトがIE5以上で機能するように作ったものらしい。今回うまく働くようなら目出度 めでた いことだ。

図書館

2007-04-24 15:02:38 | 拾い読み
ほぼ一月(ひとつき)ぶりに図書館に寄ってきた。返却日を10日ほど過ぎた本を返すためだが、新しい本を借りるためでもある。返したら借りる・・・つまり、私の手元には常に図書館の本が何冊かはあるということになる。



今日は柳瀬尚紀の『末ヘいかにすべきか』とシモーヌ・ヴェイユ関係を4冊。このフランス女性については、こないだ或る先人のブログでちょっと刺激的な一文を読んでしまったためで、34歳でどうやら拒食症で亡くなった彼女は、やはり拒食症で33歳で亡くなったカーペンターズのカレンを連想させた。ベトナム戦争のころに現れたカーペンターズの音楽は、私にとっても若き日々の幾つかの場面とリンクしている。この稀有(けう)な女性哲学者ついてはまた書く。

途中、堀の内公園でハンバーガーを食べ始めたら、じきにスズメが数羽飛んできた。後を追ってハトの群れ、続いてカラスが数羽。結局100羽に近い鳥たちに囲まれてにぎやかなランチになった。

この公園のハトがずうずうしいくらい人間を恐れないのは昔からだ。しかし、スズメがこんなに足元(20cm以内)まで寄ってきたのは初めて。嬉しくなって彼らだけを選び、パンの端を千切(ちぎ)りながら与えた。しばらくすると何ももらえない数十羽のハトは地面の草や砂をしきりに突き始め、カラスは草の根まで掘り返しながら分け前を待っていたが、結局得るところなしと悟るとハトたちに八つ当たりするような仕草を見せながら飛んでいった。カラスが拗(す)ねる様は実に可笑しかった。



恐竜人間

2007-04-24 10:10:00 | 自然
読売テレビの『世界まる見え!テレビ特捜部』はMCの3人が面白いので時々見ている。昨夜は恐竜の話が出てきた。6千万年ほど前に、もしも彼らの或る種が絶滅しないで、現在まで進化の歩みを進めていたらどういう形になっていたか・・・の一つの結論が“恐竜人間”だった。

ウレタンか何かで作ったその立体像は身長140cm、驚いたことに体つきは私たち人間そっくり。口は嘴(くちばし)のように尖っていて、ほとんど伝説上の河童の顔だった。日常見慣れたらこういう人種が街を普通に歩いていてもそう違和感なく共存できるだろう。世界の巷(ちまた)にはもっと人相の悪い人間がいくらでもいる。

恐竜は卵生がほぼ定説のようだが、変温か恒温かはまだ結論が出ていない。或いは種類によって卵生・胎生、変温・恒温とバリエーションがあったのかもしれない。恐竜が恐竜人間に進化したとすると、その過程で卵生から胎生に変化したかもしれない。

もし進化した彼らが私たちの様な文明社会を作ったらどういうことになっていたか・・・それが芥川龍之介の『河童』の世界のようなものであれば、これはちょっと頂けない。しかし、あの“頂けない”世界は、ある意味で、この人間世界の実態を芥川的に解釈したものだとも言えるのだが・・・。

※芥川の河童は胎生で、子供はお腹の中で父親と話をしたり、生まれた途端に歩きだしたりする。

大分県番匠川水系の河童


ユリカモメ

2007-04-22 10:38:07 | 自然
立岩川の河口でしばらく鳥たちを眺めていた。コサギ・ダイサギ・セグロカモメ・ユリカモメ・ツバメ・カラス・カモ・・・ざっと判別しただけでもこれだけの種類、総数100羽余りが半径100mに満たない空間に共存している。

中でもユリカモメは見事に夏羽に衣替えして頭が真っ黒、予備知識がなければとても同じ種類には見えないだろう。小魚であふれる春の干潟は、もうじきまた北の国に旅立つための栄養を蓄えるには最高の餌場なのだ。コサギが小魚を見つけて小走りする時に羽を広げてバランスをとる様はちょっとした舞踊だ。思う存分食餌できるのが嬉しくてたまらないという様子だ。

飛行家のC・リンドバーグは、最終的に「飛行機よりも鳥を選ぶ」と言っている。滑空飛行を2000回以上も繰り返して航空の礎を作ったO・リリエンタールはコウノトリを先生と呼んだ。歴史学者のトインビーは次に生まれ変わるとしたら鳥になりたい言った。確かヒマラヤの鷲か何かだったと記憶している。

私はまだ転生の問題に結論を出していないから確かなことは言えないが、“人間から支配や干渉を受けない”という条件付きなら鳥に生まれるのも悪くないと思う。彼らを群れとしてではなく一羽一羽の個体としてじっくり観察していると、明らかに“個性”があり、周囲の同類とまったく無理なく調和して生きているのが見えてくる。私たち人間がいたるところで四苦八苦している“個と全体の問題”などは彼らの中ではとっくに解決済みなのに違いない。





二つの暴力

2007-04-18 21:31:14 | 政治
昨日は酷い一日だった。アメリカ・バージニアの大学で32人もの学生が射殺され、日本・長崎では市長が射殺された。米日で発生した2つの暴力がマスコミを通して多くの人々を震撼させた。

共に拳銃によるものであり、アメリカの学生は犯行後自殺し、日本の暴力団員は生きて逮捕されている。これから、彼の国では銃社会の是非について再び議論が渦を巻くだろうが、つまるところ相変わらずの「銃規制不可」に落ち着き、銃規制国家の此の国でも法の網をすり抜けた殺人的暴力の道具がなくなることはないだろう。

それぞれ社会的背景は異なるにせよ、私はこの種の“暴力”を絶対に許すことはできない。此の国の事件について、多くの政治家は「民主主義に対する許すべからざるテロだ」と非難するが、私はどちらも「生命の尊厳に対する悪魔の狂気だ」と断ずる。

しかし一方、アフガンでもイラクでもイスラエルでも、更に大きな国家規模の暴力が継続している。国家社会が国家間紛争や社会紛争の暴力的解決を許容している以上、その構成員つまり国民や市民の間に起こる対立紛争を平和的に解決せよと命じても完全な説得力は持ちようがないであろう。

殺人という行為が“絶対悪”ならば、国際社会においては紛争の解決手段を戦争という暴力に求めてはならず、国内社会においては死刑という合法的殺人もあってはならないはずである。そして、残念ながら、此の国でも彼の国でもその他多くの国々でも、国家主権の壁と応報刑主義の残存によって、未だどちらも根絶するに至っていない。

此の国は惨い戦争体験の後、崇高な理想を掲げた全く新しい憲法によって国家を立てた。そして60年以上に渡って、少なくても愚昧な戦争からは自由になり、驚くべき経済成長と世界への平和的貢献という大きな成果を残してきた。これは世界中の良識が等しく認めるところである。ところが昨今、誰が何を思って始めたか、この人類が辿るべき進化と成長の道を逆戻りしようという動きがあちこちで勢いを増しつつある。その動きの背後には同盟国である彼の国の動きが伏在していることは明らかであろう。

今回の二つの許すべからざる惨事は、この歴史的退行現象と無関係ではないように思われる。そしてこの私の観方が正しければ、今後も様々な形で同じような惨事が続くことになるであろう。全くやり切れない思いである。

日本語

2007-04-15 11:27:03 | 言葉
今日の記事はどのカテゴリーに納めるか迷うだろう。読み方が乱に傾くことが多いだけでなく、書き方も乱に走りがちな私でも、前もってそれなりの文章構成をすることはあって、起承転結とか序破急とかの段取りをする必要上、幾つかのキーワードを並べてみることがある。

今回は、末A日本文学史、日本語の特徴、ジェフ・ゴイン、アメリカの自由・・・など、ほとんど連想ゲームのように頭の中に想起する言葉の内容を繋げて幾つかの紐(ひも)を作り、その紐を結んである程度意味のある網にしたいと思っているのだが、そもそも網構造(ネットワーク)ではどの接点も中心になり得るのである。もっとも、こんなことは書いた後で考えればよいことなので、いつもの様に“乱書”を始める。(こんな単語は辞書にはない。乱読があれば乱書があってもおかしくないだろう、と考える私のいい加減な造語である)

愛媛新聞に週一で出る書評は、時々触手に触れるものがあって、私は割合マメにそれらを切り取り、ほとんどはスキャン画像にして保存することを習慣にしている。今朝は柳瀬尚紀著の『日本語は天才である』である。

「“日本語は天才である”と言うときの“天才”とは、外国語という他者に対して、柔軟に身を開き、それを様々な方法で受容できる能力のことなのである。そして、この受容能力は、日本語がその生まれからして“非日本的な”多様な要素を抱え込んでいるからこそ実現されたのだということを著者は強調している・・・“今では無名の天才的な末メたちがどれだけ活躍したことか。渡来人もいれば日本人もいて、幾世代にもまたがって末メたちが活躍した”・・・日本語の創造的受容性は、末ェなされる時にこそ最も発揮され、日本語の豊かさはそうやって末ノ拠って養われてきたのである」

こういう嬉しいことが書いてあるとなると、これはもう読まないでいられない。日本の近代化をそれなりの成功に導いたのが膨大な西洋語の日本語化であったという事実や、その背景には古代における中国語の日本語化の歴史がある事などへの尽きない興味だけでなく、きわめて拙い末d事や趣味の一部とする者として、日本語の特殊性を肯定的に捉える姿勢が快くない訳がないのである。

ところで、アメリカの空の友人にジェフ・ゴインという面白い人物がいる。何が面白いかというと、彼はサウスウェスト航空のパイロットであるが、ジャンボジェットの737でこういうこと(画像)をやって、しかもクビにならないのである。近年、アメリカではヨーロッパや日本より後発であったPPGという軟体翼航空に深くはまり、USPPA(アメリカPPG協会)という団体のリーダーをしながら、“PPGバイブル”なんて本も書いたりしている。およそ好奇心と探究心の固まりみたいな人間だ。英語に"open minded("心の広い・偏見のない)という表現があり、これに"cheerful(明るく元気な)"を付けるとかなり正確な彼の性格描写になる。“古き良きアメリカ”にはたぶんこんな男がもっと多かったに違いない・・・と思ってしまうような人物でもある。



さて、その彼の日本語に対する知識が皆無に等しかった。「日本語とはどういう言語か?」という問いに答えるのに、「英語などと違って、その表記方法が4種類もあり、それぞれがこういうものであり、歴史的背景はこうであり、その習得上の困難はこうである・・・」などと、何回かの問答を重ねてみたが、彼はその複雑性にただ驚嘆するのみであった。もっとも私の知るほとんどの西洋人の反応は凡そこのようなもので、特別な目的を持たない限り、本気で日本語を習得しようとする人は奇特である。

特別な目的という点では、身近な例として我が家にホームステイした韓国の大学生が見事な日本語を使ったということや、趣味を同じくするのを契機に日本語を学び始めた台湾の先生が、今や日本語の電話で不自由をすることはほとんどなくなったという事実などからしても、日本語という言語の特異性のみが、その習得を困難にしていると結論する理由はない。

しかし、何らかの目的を持ったとしても、他の多くの言語と比べて日本語の習得がより困難なものであろうことは充分想像され、その困難の理由が、柳瀬の言う“創造性や受容性”を生み出す理由と重なっていることはほぼ間違いないことだろう。この辺りの事情に想いを巡らすのもかなり楽しい作業である。こうしてAmazonの購入希望書籍リストにまた一冊が加わることになった。



書籍化

2007-04-12 19:10:00 | 大空
このブログでお世話になっているTeacupのサービスで、「PPG入門」を書籍にしてみた。書籍といっても、B6サイズ100ページほどの小冊子といった体裁だが、自分の書いたものが活字になるのはやはり嬉しいものだ。

「PPG入門」は、もともと別にYBBのホームページ上で、教習上の何かの助けになればと考えて書き溜めていたもので、幾つかのページをまとめてこちらのカテゴリーにUPし、多少の訂正や画像を加えて一応の形にした。

内容はPPGという軟体翼による飛行の世界に初めて足を踏み入れる方から、一通りの教習を終えてサーマルソアリングなどその飛行技能を何らかの形で応用してみようという段階の方まで、10年ほどの教習経験をベースにして“現場で使える”相当に実際的なものになっているとは思うが、航空力学や航法や気象など理論的な詳細についてはほとんど触れていない。

こんな拙い入門書でも欲しいと思われる方がおられたら実費でお分けできるので、下のコメント欄からご連絡頂きたい。




北極海の氷

2007-04-12 10:06:17 | 自然
「2040年夏、北極の氷ほぼ消滅 / 米国立大気研究センターとワシントン大などの研究グループが過去のデータをもとにスーパーコンピューターを使って分析した。その結果、今後10年間で、北極の氷の範囲は600万平方キロメートルから約3分の1の200万平方キロメートルにまで縮小し、2040年夏には、現在厚い氷に覆われているグリーンランドやカナダの北部沿岸に氷がわずかに残るだけになってしまうという試算が出た。冬には再び氷結するが、厚さは現在の4分の1程度になってしまうという。毎年9月の時点で、氷が解けていくペースを試算すると10年間で北極の氷は約8.59%減少。2060年9月には氷は完全になくなっているという。これまで70年夏ごろには消滅するとの予測も出されていたが、今回、30年早い結果となった。」

これは昨年末の12月12日に米国地球物理学連合が発表したニュース。そして、先日4月6日の毎日新聞に出たNASAの報告が以下だ。

「米航空宇宙局(NASA)は、北極海を覆う多年氷の面積が06年1月の時点で1年前より約14%減少したとの研究結果を発表した。消失面積は約60万平方キロで日本の約1.6倍。平均気温の上昇などで新たな氷の定着が進まなかったためと見られる。04~05年の同期間も2ケタ台の減少を記録しており、NASAは「今後も同様の傾向が続く可能性がある」と指摘している。
 3日に公表された研究は、衛星から観測した北極海氷のデータ(00~06年)をNASAジェット推進研究所のロン・クォック博士が分析したもの。夏も解け残る多年氷(厚さ3メートル以上)の面積が05年冬から06年冬にかけ、14%減少した。気温の上昇で新たな氷の形成が少なかったうえに、氷の北極海外への流出量が例年より非常に多かったためと推定している。」


北極海の氷が2070年頃に消滅→10年で約8.59%減少、2060年消滅→毎年約14%ずつ減少

北極海の氷の消滅予想について、この半年足らずの内にこれだけの変化がある。今回のNASAの報告では毎年14%程度は減少していくだろうということだから、これからわずか10年後2017年には100×(0.86の10乗)で、現在の80%の氷はなくなっていることになる。

北極海の氷は海に浮かんでいるだけだから、これが全部溶けても海面上昇に直接は影響しない。しかし、シロクマやアザラシなど氷に拠って生きている生物たちが致命的な影響を受けることは明らかで、氷の表面で反射されていた太陽光がそのまま海に吸収されることになると、海水温は間違いなく上昇する。北極周辺の海水温が上がったら、シベリアの冷たい大陸高気圧やベーリング海峡を経て日本沖に達する寒流などがどのように変化するかを正確に予想することは不可能に近いだろう。

無論、温暖化が進んでいるのは北極だけではなく南極も同様だ。ここの氷は海に浮かんでいるわけではなく、ほとんどは大陸の上に乗っかっているわけだから、これが溶けて海に流れ出すと、そのぶん確実に海水の量が増えて海面は上昇する。南極の氷が全部解けたら、数十メートルは上がるだろうと計算する人もいるからこれはちょっと大変なことになるが、それには数百年かかるだろうという予測もある。しかし、これとて今後どのように加速するかもしれない。

正確な内容は忘れたが、閉じた空間の中である現象が進行する時、その“最終局面は突然やってくる”という命題の説明に、「池の中に繁殖力の強い植物を一株入れてそれが毎日倍々に増えていくとすると、最終日の前日は水面の半分を覆っているにすぎず、残り半分という大きな余裕がある。ところが、その翌日には水面の全てがこの植物で完全に覆い尽くされている」・・・という話があった。これは浮「話だと思う。

古代・超古代の長い歴史の中で、幾つもの文明が生まれ繁栄し消滅してきた。その多くが突然のカタストロフィーを迎えたような痕跡を残しているのも事実で、私たちの現在の文明がその例外であるという保証はどこにもない。逆に破局に向かって着実に加速しているらしいことの証拠は時と共に増加しているように見える。

私はノストラダムスでも五島勉でもキリスト教徒でもないから、終末論や終末思想には大きな興味を持たないが、あらゆる“事実”と、過去を価値付け未来を決定する“現在”には大いに興味がある。今、ここで、何ができるか更に考えてみたい。

空気は物体である

2007-04-11 11:50:36 | 飛行理論
私たちが飛行の足場にしている空気・大気について少し整理してみましょう。

“大気”と“空気”という言葉は、一般的にはほとんど同じ意味で使われていて明確な区別はなされてないようですが、およそ大気とは“地球をとりまいている気体の層全体”のことであり、その“大気の下層部分=対流圏”のことを空気と呼ぶことが多いようです。大気のうち私たちの生活に特に縁の深い部分が空気であるとして不都合はないでしょう。

大気は、対流圏、成層圏、中間圏、熱圏・・・というように温度分布によって鉛直方向に幾つかの層をなしてながら宇宙空間に広がり、ここでおしまいという地点はありません。地球の重力によって地面に引き付けられている気体は、地面から離れるほど気圧が下がり薄くなって、この4区分では最後の熱圏の初め辺りの地上100kmを超えると宇宙空間と呼ばれる領域になります。ついでに、圏と圏との境目を圏界面(けんかいめん)と呼びます。



地表に最も近い対流圏は、極地上空と赤道上空ではその厚さに2倍近くも開きがあって、両極では9kmほど、赤道では17kmほど(季節変化あり)ですが、およそ10km(10000m)として話を進めます。この高度は多くのジェット旅客機がフライトするレベルだし、積乱雲の上部がカナトコ型に変形する場所でもあるので、地上から見ても分かりやすい高さだと思います。

大気が活発に“対流”する対流圏は、私たち人間にとっての生活の場であり、雲が湧き雨が降り風が吹くなど、あらゆる気象現象もここで生まれます。この空気の層はまさに生命の世界と言っていいでしょう。しかし、この厚さはわずか10kmで、時速60kmの車で10分という地上での距離感覚で捉えると、私たちの生活圏である対流圏がどれほど薄く限りあるものであるかが良く分かります。

この大気の組成は、窒素が約78%、酸素が約21%、アルゴンが0.9%・・・この3つの気体で99.9%を占めます。その他の0.1%の中に他の幾つかの微量気体が含まれるわけですが、地球温暖化で問題になっているCO2などはわずか0.035%程度に過ぎません。この0.035の中のさらに数%の変動が気温上昇や海面上昇など地球環境の深刻な問題を引き起こすわけですから、大気の組成だけをとってみても、私たちの自然世界がいかに絶妙な調和とバランスの上に成り立っているか良く分かります。更に忘れてはならないのが、水蒸気という気体としての水で、これは常に変動しながら、およそ0~3%の範囲でこの空気という混合気体に潤いを与えています。

さて、この空気、何気なく地上でじっとしているとその存在を意識することはほとんどありません。しかし、山に登れば徐々に、海に潜ればたちまち、その存在感が目の前に現れてきます。気象の変化に敏感な方は、身体の変調具合で低気圧や高気圧の接近による大気圧変動や湿度変化を感じ取ります。私の場合は、低気圧の接近と湿度の上昇が重なると、腹の調子がおかしくなったりします。

また横方向や縦方向に移動しても空気は“風”として感じられます。そもそも風とは“空気の運動”のことだから当然のことかもしれませんが、この風が私たちの飛行世界だけでなく、あらゆる生命にとってどれほど大切なものであるかについては、また徐々に考えてみたいと思います。

今回は、日常的には存在感の薄いこの空気をもっと量的に実感するために、幾つかの数字を見てみましょう。まず、空気の質量・・・これが案外重いのです。比重は水の約1000分の1などというと「やっぱり軽いな~」となるでしょうが、標準大気1㎥で1.2kgもあると言ったらどうでしょうか。6畳間の部屋は約30㎥ありますからこの中の空気を秤にかけると、36kg、子供一人分ぐらいの重さにはなる。



さらにこの中に、水蒸気つまり水がどれくらい含まれているかというと、もちろん温度・湿度によって違いますが、もし気温30℃、湿度100%の飽和状態だとすると900g・・・1リットルのペットボトル一本分くらいにはなります。現在の私の6畳部屋の温度が20℃、湿度が65%ですから、ここの水蒸気を全部水にすると540ml程度にはなるということです。

空気は決して空っぽの何かではなく、中身が相当ぎっしり詰まった、しっかりした物体であるということが少しはピンとくるでしょうか。私たちは空気という変動してやまない物体のいわば海の底に住んでいる生き物であり、空気中を滑空するということは、この濃密な物体の中を滑りながら落ちていくことを意味するのだ、などということはまた次回のお話にします。