庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

何匹目かのネコ

2020-04-20 22:05:00 | 自然
今日も昼からちょっと風に吹かれた帰り道、「海からの贈りもの」のことなどを考えながら、北条市内をゆっくり走っていたら、対向車の何台かが急停車し、30mほど前を走っていた車が、左に急ハンドルを切って何かを避けた。
 
減速しながら注視すると、野球ボールくらいの子ネコがこちらに近づいてくる。とっさにハザードを出して車を停めた。タイミングが良いというのか悪いというのか・・・コイツは私の車の下に逃げ込んできた。やっと目が開いて歩き始めて間もない、生後一ヶ月くらい。親の目が離れたすきにちょっと冒険しようと思ったのだろう。
 
後続車の皆さんは何事かと思ったに違いないが、ほかに選択肢はない。引っ張り出した子猫をつまんで見せながら、車に入れるしかなかった。
 
結局、家まで連れて帰り、一緒に風呂に入って、家族の皆の了解を得た。とりあえずは一猫前になるまで面唐ゥることになった。ご縁があるようだったら、家族の一員になる。

 
これもたぶん、ユングの言う「意味のある偶然の一致」、仏教的には「何かの縁」の一つなんだろう。数か月前から時々私に会いに来るアイツが、隣家の庭で4匹の子猫を育てていることが、今日分かった・・・という話を家人から聞いた。ちょうどコイツと同じ頃の生まれだ。早速、衣装ケースで寝床を作ってやったが、私から離れない。さきの夕勤行の間も私の腹の上で熟睡していた。我が家もまたまたにぎやかになる。


色心不二・依正不二

2020-04-07 19:48:00 | 仏教

正統仏教「日蓮正宗」の大原理の一つに「色心不二」「依正不二」というのがある。つまり、物(色)と心(こころ)、主体と環境はとりあえず、二つに分けて考えることはできるが、根本的には一体不二であるという事実。更につまり、どんな心もモノを生み出す力を持っていて、どんなモノにも心が宿っている。主体(自分)が変われば環境が変わる・・・ということ。

たぶん、現代人の多くには難信難解だろうな。これを本当に知るには、まだしばらく時間がかかるとは思う。ただ、もう20世紀の初頭から、相当数の、科学者と称する学者の皆さんなどはハッキリと気が付いている。モノの世界をずっと追及すると、結局、ココロの世界、観察者と観察対象の区別が不可能になるという「科学的」事実。

月の存在や運行は、今のところの通説的には一つの物質的・天文現象の一つに過ぎない。太陽や銀河もしかり。モノの側からだけ見るとそういうことになり、教育の現場でもそう教える。だから、多くの現代人はそういう、いわゆる「客観的」な観方をして事足れりとしたがる。

ところが、こんなものは、人類の、それなりに長い歴史の中では近代以降たかだか数百年。ごく最近のまことに皮相的な観方にすぎない。「色心而二不二」「依正而二不二」・・・これが通説にならなければ、人類の文明の未来はかなり厳しい・・・と私は思う。まぁ時間の問題だな。

 

 



https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200407-00004761-tenki-soci