庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

時計草

2006-10-20 13:23:25 | 自然
何年か前に初めて時計草を見た。自転車散歩の道中、ある作業所のブロック塀を覆うようにして茂るツタ類の中で、ひときわ目立つ形と色をしている花弁に目が止まった。まさに時計のように明確な形状、青と白のスッキリした配色。こんなに日本離れした花は珍しいと思った。後で調べたら南米原産の帰化植物だということが分かった。

一昨年だったか、学生の一人にこの話をすると、「うちの庭にもある!」と言って次の授業の日に早速数株持って来てくれた。北向きで日当たりが悪くちゃんと育つかどうか疑問だったが、とりあえず風呂場の窓際に植えてみた。

大丈夫。一年目はやっと窓枠に到達する程度の控えめな成長具合だった。しかし2年目の今年に入ると驚異的な繁殖を始めた。ほとんど爆発的と言ってよい。花弁が散って種が落ちるとかなりの確率で芽を出し、何かつかまるものがあればどこまでも上に向かって、なければ横に向かって、着実に腕を伸ばそうとする。現在このようなありさま。



その生命力があまりに天晴れ(あっぱれ)なので、「よし、それなら隣の事務所の二階まで行き着けるかな~?」と語りかけるような思いで、夏の初めにその成長の先端をパソコンのLANケーブルに誘導してやった。そしたらなんと、ひと夏でこのようなありさまだ。私は更に感服し、もう一本紐を渡して、将来的にはガレージの上全体を時計草の緑で覆ってやる計画を立てた。



更に、人通りの多い小道に面する東向きの塀にも15mほどの誘導線を渡して、時計草の生垣を作ることにした。我が家はそのうち「時計草の家」と呼ばれるようになるにちがいない。



北方への旅 総ルビ

2006-10-14 19:42:46 | 大空
深澤正策訳の『北方への旅』にざっと目を通した。これも手ごたえのある末曹セ。使われている漢字は旧字体ながら、総ルビのおかげで何の無理もなく読み進めることができる。

定価は一円五十銭。きつねうどんが一杯10銭、新聞の月額が90銭の時代だから、今の物価で5000円ほどの感覚だろうか。しっかりした装丁の表紙に文字はなくリンドバーグ夫妻の水上機(シリウス号)の平面図がクッキリと刻印してある。一体どれほどの人がこの本を読んだのだろう・・・世界恐慌まっただ中で喘いでいた多くの庶民が簡単に買えたとは思えない。

ちなみに、明治以降、膨大な外来語の当て字や筆者の意図する漢字の読み方として、新聞・雑誌など書籍類は全てルビがふってあったのだが、1938年に山本有三がルビ廃止を提唱し、それを政府が真に受けて「ふり仮名禁止令」に至り、1946年の当用漢字表告示で原則使われなくなった、という歴史がある。

山本がどういう理由でルビの廃止を言い出したのか知らないが、よく言われる若者、のみならず私も含めて現代人多数の漢字力の拙さは悲しいばかりだ。私はその原因の一つが、この「ルビ廃止」あるような気がしてならない。ルビによる読み仮名があればどんな複雑な漢字もちょっとひねった言い回しも筆者は読者に遠慮することなく使えるわけだし、読者も抵抗なく読めるわけだから、良いことずくめのように思われる。あえて難点をあげるとすれば、出版社の手間がかかるということのみではないだろうか。

ともあれ、昭和初期の深澤氏の末{を表から裏まで眺めながら、激動の70年間で変わったこと変わらないことに暫(しば)し思いを致すことにした。

北方への旅

2006-10-10 20:26:17 | 大空
『翼よ、北に』の感想文を書く前に、最初の末早w北方への旅』に目を通しておきたいと思った。戦前の、とうに絶版になっている本を探すのは通常容易ではない。この数年行きつけのネット書店アマゾンにも置いていない。探し回った末、それは県立図書館にあった。


昭和6年・・・日本がひとたび炎熱の地獄に落ちて国家の体を失うことになる僅か14年前、リンドバーグ夫妻は北極圏を経て訪れた日本に一ヶ月近く滞在することになる。1931年の7月27日にニューヨークを発って9月19日中国の南京に到着するまでの二ヶ月に満たない行程の半分をこの国で費やしたことになる。

昭和6年の日本は、リンドバーグ夫妻にとって、少なくともアンにとっては特別に思い入れのある国だったに違いない。後に触れるつもりの「歌う水夫たち」「漁師の小屋」「日本$カ活のうちの紙と紐」「サヨナラ」の各章では、この不思議に魅力的な人々や文化に対する彼女の生き生きとした姿勢が読み取れるのだが、私の当座の興味は、戦争という大きな隔壁を挟んだ70年前の男性末ニ現代の女性末フ違いがどこら辺にあるかだった。そして、そこから感じ取れる何かの意味を自分なりに掴んでおきたいという思いだった。


根室市の関連HP

ロビンの死

2006-10-02 10:04:00 | その他
小さな家族の一員として13年間共に暮らしたビーグルのロビンが往った。9月28日の宵の口のことだ。4日前の散歩時、自転車に付いて来るいつもの早足が止まりがちになり、普通に歩くことさえ難儀になったので5分ほどで引き返した。その夜ドッグフードには目もくれず、私の側にくっ付いて秋刀魚の頭や甘いものの残りをうまそうに食べた。

翌日からまったく食べなくなった。水は飲みシッコはする。ソファーに伏せたり横になったりして私をじっと見つめる時間が長くなった。その目はいつものように優しかったが、明らかに離別に向かう悲しい光があった。本来、明るく活発な性格で、時々とぼけた顔をして家族を笑わせる奴だった。何でも食べることと夕方の自転車散歩とボール遊びが生きがいの大半だった。

「死ぬつもりだな・・・」2日目から私は直感した。感応ともテレパシーとも言えるものだ。私が食卓に着くと、その側のソファーには彼の視線がある。お互いじっと目を見る。「父さん、お別れだ・・・」彼の言葉がはっきり分かるような気がした。大好物のバターを口に近づけても顔を背ける、何も食べない、ミルクにも手をつけない、水しか飲まない。静かな断食は一週間ほどだろう。呼吸が少し荒かったが病院には連れて行かず、自然の推移に任せることにした。

3日目、台所の流しの前に少量の下痢。ということは夜中にソファーから降りて自分でウンチの場所を選んだということだ。まだ歩く元気がある。背中や頭を撫でながら「頑張れよ」と声をかける。しばらく目を離したら、南の窓の網戸を破って庭に出ている。彼も風が好きなのだ。

その日の夕刻、庭で横になった体を隅々までなでてやった。そして夜9時過ぎに様子を見に行ったらすでに呼吸が止まっていた。まだ体温があったから死亡時刻は8時頃だろうと思う。あの「さよなら」の目を優しく開いたままの穏やかな表情だった。

たった3日間の出来事だ。生から死に向かう苦痛や苦悩を全く見せない推移だった。「見事な死に様だね」・・・ある種の感動と感慨を共にしながら家内と語りあった。

今後当分、動物を家族にすることはないだろう。