庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

島原の乱

2019-11-04 23:21:00 | 仏教
過去は現在につながり、その「現在の現場」に身を置きながら、過去の出来事に想いを馳せる私の癖は、今やほとんど習慣のようになっている。

昨夜遅く、島原半島の車中で、「島原の乱」のことを調べていたら、そのあまりの悲惨さに気が滅入りそうになった。今から400年ほど前、江戸時代初期の話だ。

あの一揆(内乱)の歴史的意味は、いくつもの角度から見ることができるし、そのどれもが相当に興味深いものだが、今回、私の注意を引いたのは、できたばかりの江戸幕府がこの内乱をどう鎮圧したかではなく、その後どのようにして内乱を底支えしたキリスト教の拡大を阻止しようとしたかである。

正統仏教の眼で見れば、すべての物質や生命に内在する因果律を、その根源において無視する、いわゆる一神教の類は、まことに低級で間違った考え方であり、仏教用語では「外道」と呼ばれたりするが、天草四郎を旗頭にした約35,000人近くの人々は、ゼウス様の一神を頼りに、幕府の極めて過酷な年貢の取り立てに対抗した。

結果、たった1人の内通者を除いて、老若男女を問わず全ての人々が惨殺され、村ごと壊滅したところもある。本当にかわいそうな話だ。

この大事件の後、幕府はポルトガルとの交易を断ち、強力な鎖国政策を取ることになるのだが、同時に進めたのがキリスト教拡大防止の宗教政策だった。

この現実世界を苦しい穢土として嫌い、はるか彼方に楽土や救い主を願うという点ではキリスト教と念仏宗は同じ方向を向いている。おそらく念仏者の多くが、海の彼方からやってきた優しい神父様の教えに従おうとしたのだろう。

さて、それに対して幕府は何をしたか。直指人心・不立文字「禅宗」の僧を集め、多数の禅宗寺院を建立し、その拡大によってキリスト教を封じ込めようとしたのである。

禅宗の教えは、一神の教えどころか仏様の教えさえ必要なしとするのだから、人々の頭の中から神や経典を追い出すには誠に都合の良い宗派だったわけである。

宇宙法界の真実相を完全無欠に解き明かした仏様の教えに反し、人間のみならずあらゆる生命を不幸にする教え(宗教)を邪宗と言う。「宗」とは「根本としてよりどころとする」と言う意味である。ここでは結論部分の要点のみを書く。

つまりは、間違った教え「邪宗」を一掃するために、間違った教え「邪宗」を使ったら、その前の人々もその後の人々も救われるわけがなく、本当に幸せになるわけがないのは当たり前ということだ。

私は今回、あの無惨な舞台となった「原城」あたりにも行ってみようかとも思ったが、恨み辛み苦しみで死んでいった方たちの霊魂がワンサカいそうな気がしたので、とりあえず止めにした。