「読み始めると書けなくなる。書き始めると読めなくなる。」と言ったのは、たしか加藤周一だった。確かに人が同時に2つのことをするのは容易ではないし、何を読み何を書くかにもよるのだが、ともかく最近の私は読むことに忙しくて書くことが容易ではない。
読むといっても、私の読書は本をパラパラとめくって必要な部分を集中的に読む“拾い読み”がほとんどだ。しかし、ものによっては、拾うつもりが逆にその内容に私が拾われて、興味が興味を呼び、ほとんど際限のない読書の旅になってしまうこともある。

自然作家の高田宏については、先月末にこのブログにも少し書いた。その無理のない“自然な”日本語に魅かれて、行きつけの図書館で彼の著作を5冊ほど借りてきて読んだら、どうしても島崎藤村の『夜明け前』を通読したくなり、ソローの『森の生活』を精読したくなり、エマソンの『自然』を熟読したくなる。
ともあれ、エマソンの『自然』は珠玉の宝庫だ。
「太陽は大人の目には光をあてるだけだが、子供の目と心の中には輝きをもたらす」
The sun illuminates only the eye of the man, but shines into the eye and the heart of the child.
「森の中には永遠の若さがある」
In the woods, is perpetual youth.
「森の中で我々は理性と信仰に立ち返る」
In the woods, we return to reason and faith.
「私は透明の眼球となる。私は無であり、一切を見る。普遍的な存在の流れが私の中を循環する。私は神の一部分、あるいは一微塵である。」
I become a transparent eye-ball; I am nothing; I see all; the currents of the Universal Being circulate through me; I am part or particle of God.
こんなきらめく言葉であふれた短い論文は、もともと匿名で出版されたものだが、やがてソローをはじめ多くの人々の心を引き付け、その後に続くアメリカ・ルネサンスの原点となった。
これを今、原文に昭和8年の片上伸訳と35年の斉藤光訳と平成10年の澤西康史の部分訳を引き当てて相対し、更にAudibleの朗読を自転車こぎながら聞いたりしているのだが、さて、単なる自然好きでいい加減な人間が、峻厳な偉人エマソンの自然にどこまで近づけるか・・・ともかくじっくり楽しみながら取り組みたい。
読むといっても、私の読書は本をパラパラとめくって必要な部分を集中的に読む“拾い読み”がほとんどだ。しかし、ものによっては、拾うつもりが逆にその内容に私が拾われて、興味が興味を呼び、ほとんど際限のない読書の旅になってしまうこともある。

自然作家の高田宏については、先月末にこのブログにも少し書いた。その無理のない“自然な”日本語に魅かれて、行きつけの図書館で彼の著作を5冊ほど借りてきて読んだら、どうしても島崎藤村の『夜明け前』を通読したくなり、ソローの『森の生活』を精読したくなり、エマソンの『自然』を熟読したくなる。
ともあれ、エマソンの『自然』は珠玉の宝庫だ。
「太陽は大人の目には光をあてるだけだが、子供の目と心の中には輝きをもたらす」
The sun illuminates only the eye of the man, but shines into the eye and the heart of the child.
「森の中には永遠の若さがある」
In the woods, is perpetual youth.
「森の中で我々は理性と信仰に立ち返る」
In the woods, we return to reason and faith.
「私は透明の眼球となる。私は無であり、一切を見る。普遍的な存在の流れが私の中を循環する。私は神の一部分、あるいは一微塵である。」
I become a transparent eye-ball; I am nothing; I see all; the currents of the Universal Being circulate through me; I am part or particle of God.
こんなきらめく言葉であふれた短い論文は、もともと匿名で出版されたものだが、やがてソローをはじめ多くの人々の心を引き付け、その後に続くアメリカ・ルネサンスの原点となった。
これを今、原文に昭和8年の片上伸訳と35年の斉藤光訳と平成10年の澤西康史の部分訳を引き当てて相対し、更にAudibleの朗読を自転車こぎながら聞いたりしているのだが、さて、単なる自然好きでいい加減な人間が、峻厳な偉人エマソンの自然にどこまで近づけるか・・・ともかくじっくり楽しみながら取り組みたい。