庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

バカの話 その3

2019-05-31 10:26:00 | 海と風
その後、彼が私の前に姿を現したことはないが、今年も五月に入ったつい先日、この男と懇意の、誰にでも愛想だけは良い無節操なカイト好き男が、先の男の話しを少し膨らませて別府海岸に持ってきたらしい。まあ、バカがバカの提灯(ちょうちん)持ちをしたわけだ。

この世界の事情を知らないカイト初心者は、それを聞いて大いに心配し不安を抱いた。近くにいた人は迷惑したかもしれない。少し良識ある人間なら歯牙にもかけないような話だが、水は方円の器に従い、朱に交われば赤くなる、ということもある。こういう悪性バカと付き合いのある方は、ちょっと注意することをお勧めする。

小さなバカの話はとりあえず以上にして、次に、「織田が浜」にまつわる少し大きめのバカの話する。ただ、これは私の高校時代(1970年代)から1990年代までの様々な出来事が、かなり不思議な縁でリンクしている。また長文になりそうなので、暇なときに何回かに分けて書きたいと思う。(そのうち、その4につづく)




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バカの話 その2

2019-05-29 20:39:00 | 海と風

塵積もりて山となる。まず小さな話から始め、少し大きめの話に続けようと思う。海や風の世界でも、余計なことで不愉快な思いをする人がなるべく少なくなるように、一つの記録として書き残しておきたい。

今治市・菊間の浜は、まだ別府の浜を知らなかった頃、35年前のウィンドサーフィンの時代から、石油コンビナートを挟んで東隣にある亀岡の浜が面白くない時など、たまに仲間と来ていた浜で、海の様子は良く知っている。真冬の大西風を狙い、細長いガンタイプの板で広島の柳井港近くの海岸から、瀬戸内海を突っ走って到着したのもこの浜だった。

昨年夏は一度カイトとの相性を見てみようと思ってフォイルで30分ほど走ってみた。北向きの浜はさして広くもなく、タンカー止めの柱が何本か目の前にある。風が南に振れたら別府以上にどうしようもない。使えないこともないがカイトには不向きだな・・・というのが私の感想だった。

その時、たまたま来ていたのが10年以上前から知るカイト好きの男で、車の置き場所について「ここは私有地で、自分は地元の住人を良く知っているから良いが・・・」などと言うので、「私はウィンドの時代からこの辺りに停めて何の問題もなかったがなぁ。何ならその所有者やらに一言挨拶しておこうか?」と尋ねると、「いや、道の端の方なら問題ない」・・・などと言葉を濁した。

どうやら歓迎されてないらしい。若干不愉快だったが、まあ人は誰でも一人になりたいことがある。彼も何かの事情で一人カイトを楽しみたいのだろう。私がこの浜にカイト関係で来ることはもうないだろうから、そっとしておいてやろう・・・などと思ったことがあった。

そして、昨年秋の別府海岸だ。西風微風の沖で落としたカイトで風に吹かれながら浜に付くと、しばらく見かけなかった先の男が私を待っていた。何かの手伝いにでも来たのかと親しく声をかけたら、ちょっとした世間話の後、いくぶん唐突に「菊間の海岸でカイトをやったか?先日、カイトの人間が浜を荒らしたと言って地元の住民が非常に怒っている」などということを言い始めた。

着岸したばかりで道具の処理に忙しいのに、うるさい奴だ。「海岸は公共の場所だ。誰でも自由に利用できるのが大原則で、カイトしたくらいで浜が荒れるわけはない。しかし、あんな所でカイトするのは君と私くらいしか居ないはずだし、私は君もいた夏の一度きりだ。それで、そのカイトの人は一体どういうことをしたの?」と聞くと、「よく知らないが、ともかく住民が怒っていて・・・中にはヤーさんみたいな人もいるから・・・」と言う。

彼の意図するところはすでに明白だった。要するに、近隣住人の取るに足りない言動に乗っかって、浜のカイト利用を独占したいわけだ。凡そ伸びやかで広々とした心を育む海のスポーツを楽しむ者には珍しいタイプの病気だろう。これは夏より症状が悪化している。ちょっとお灸を据えておくのも良いかもしれない。

「お前はチンピラバカか?それともチンピラの提灯持ちか!」と口に出かけたが、少し押さえて、「知らないことは知らないと言っておけば良いではないか。つまらんことで怒るのは人の勝手だが、筋の通らない怒りを私のような人間にぶつけると、ちょっとやっかいなことになるよ!」と強めに言うと、彼は「そういうことだから・・・」と逃げるように帰って行った。

当たり前のことだが、公道や河川などと同様、海岸は公共の財産であり、よほど正当な事由でもない限り「占有」はできない。だから海岸管理者(多くは地方公共団体の長)が占有許可を出すときは、公共の自由利用に充分な配慮をしなければならないし公示の必要もある。海岸に興味があって詳細を知りたい方は、関係法令をちょっと眺めてみるのも良いかもしれない。たぶん眠たくなるだろうけど・・・。

その後、彼が私の前に姿を現すことはない。(その3につづく)

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バカの話 その1

2019-05-27 12:10:00 | 海と風

もう十五年ほど前になるか、解剖学者で虫好きの養老孟司が『バカの壁』という本を出した。多くの人たちが身近なところに「バカ」を抱えているのだろう、400万部を超える驚異的ベストセラーとなり、私も読んだことがある。ただ、口述筆記をベースにした文章は充分練られてなく、あちこちに論理の飛躍があって、何が言いたいのかスッキリしない内容だった。こういう本を読んでも、まず「バカ」はなくならない。

バカの歴史は少なくとも古代インドに遡り、梵語(サンスクリット語)の"baka"が中国で「莫迦」と音写され、日本で当て字の「馬鹿」となって広まったらしい。長い間、人の使役に供された馬や、神の使いとされた鹿の皆さんには気の毒な話だ。元々は「無知・愚か」程度の意味だが、現在ではもっと広く「非常識、度外れ、無能、有害」とか、単なる接頭・接尾辞として強調表現に使われることもある。

私の父などは家族の誰かが小さな間違いをすると「バカのカタマリ!」というシャレの効いた言葉で叱ることがよくあった。たぶん長い軍隊生活で身に付いた表現だと思うが、それで私たちが萎縮したり傷ついたりしたことは一度もない。叱られながらどこか楽しくなる有り難い言葉だった。

原義に従い、どんな人間も大なり小なり無知で愚かだとすると、人は皆、バカの一類ということになるが、しかし、山に高低があり海に浅深があるように、人格にも自ずと高低浅深があり、バカにも種類や段階がある。真に自分を知る方々や、真面目にその道を歩んでいる正直な方々にバカを付けてはいけない。

私の観察では、バカは大きく二種類に分類して不都合はなさそうである。愛すべき良性のバカと、タチの悪い悪性のバカである。古くは仏典に見る「修利槃特(スリハンドク)」などは前者の典型だろう。四ヶ月かけて一偈一句さえ覚えられなかった槃特に、釈尊は出離の道をはき聡怩フ修行として教え、六年の後、彼は小乗教の最高位「阿羅漢」の聖者となった。

後者の代表格は、やはり古く仏典によれば、師匠の釈尊に怨嫉して悪逆の限りを尽くした「提婆達多(ダイバダッタ)」ということになるだろうけれども、不知恩で無慚なバカは 現在、犯罪ニュースなどに登場するだけでも相当数いる。

そしてこの二種はどんな人の中にも内在していて、様々な因と縁、その善悪と濃淡により、顕著に表に現れたり、全く無きがごとく生命の奥深くに冥伏(みょうぶく)したりする。

弱い者虐めばかりしていた中学時代の不良バカは、三年のある時、無免許運転の単車事故で内臓破裂の大事故を起こして生死の境をさまよった。何ヶ月か後に再び学校に姿を現した時には、別人のように心優しい好少年に変わっていて、学校の皆が大いに驚いたことがある。良性が悪性に変わるのは簡単だが、悪性が良性に変わるには余程の試練が必要らしい。

さて次に、私が身近なところで目にし耳にした、渚(海岸)にまつわるバカの話を少し書く。(その2につづく)



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ツバメ

2019-05-23 20:37:00 | 自然
別府海岸の駐車場の奥の物置小屋にツバメが出入りしているのを見た。軒先を覗いてみるとやっぱり立派な巣を作っていて、子ツバメがすでに何羽か育っている。ツバメに限ったことではないけれど、鳥の皆さんの反射神経や飛翔能力に我々人間は遠く及ばない。

この辺りでよく見かけるカモメやウミウたちの振る舞いを観察していると、風がわずかでもあれば定石通り、アゲンストで離水しアゲンストで着水する。カモメのリッジ(斜面上昇風)ソアリングは見事としか言いようがないし、ウミウは羽ばたくことなく海面スレスレに飛びながらGE(Ground Effect/地面・水面効果)を使って楽をしている。

小型鳥類のツバメがソアリングやGE利用をしているのを私は見たことはないが、はるか太平洋を渡る間には、当然のように最大限の楽をしているに違いない。

ところで、こないだから事務所の二階の軒先の古巣の近くで、なにやら盛んにお喋りをしているカップルは、一向に営巣する様子がなく卵を生んだ様子もない。この季節は毎年楽しみにしているのだが、彼らには彼らの都合というものがあるのだろう。


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海からの贈りもの

2019-05-21 22:00:00 | 海と風
海からの贈りもの

今日の別府は静かだった。私の予定は、そこそこの西風が入るだろう3時頃までに、昼食を終え、こないだ修理したチューブを元の鞘に収めるという面唐ュさい作業を済ませて、後はアン・モロー・リンドバーグの『海からの贈りもの』でも聞きながらゆっくり風待ちしよう・・・というものだった。

別府に到着したら、すでにわずかな風が入っている。西風が上がってくる匂いがプンプンする。こういう時にカイト修理をする必要はない。珍しく先読みをして、まず9㎡を用意して一服。まだ一時過ぎ。まだまだ充分時間がある。次に12㎡を出して、海面にプカプカ浮かびながら膝のリハビリをしたり、オーディブルを聞きながら更に一服したりしているうちに、2時半を過ぎた頃から12㎡で乗れる風になってきた。



一足先に来ていたY君が順調に走り始めた。続いて私も12㎡で数往復したら、沖の方から充分な西風が寄せて来るのがよく見える。すぐに浜に戻って9㎡に乗り換え1時間半ほど、最近いくらか身に付いてきたトーサイド走行や、成功確率が50%と20%程度のエア・ジャイブの練習を繰り返す。50%はヒールサイドからトーサイドへの、20%はその逆である。私は大概のことにおいて100%を望まない。どちらも80%辺りにまで達し、「身体のどこにも無駄な力が入らないこと」を一応の目標にしている。

フォイル・カイト特有の魅力はいくつかあるが、その「静寂」と「安楽」を私の心と身体が自由に使いこなせるようになれば、後20年くらいは「海からの贈りもの」を楽しめるかもしれない。


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織田が浜

2019-05-20 11:21:00 | 海と風
一昨日は東風に多少の期待をして今治の織田が浜に行ってみた。久方ぶり。この浜と頓田川河口を挟んで南に伸びる唐子浜は合わせて2kmほどある。昔はもっと広々していたように思うが、長い間、地元の有志や自然を愛する方々の愛情で守られてきたのだろう、日本各地の海岸の景観を台無しにしている無粋なテトラャbト(消波ブロック)が全くない、この辺りでも珍しい海岸の一つだ。

東方沖には幾つかの島々が展望でき、「しまなみ海道」の最も今治寄りの大島の南沿岸にある小さな漁村が私の故郷である。今でも定期的に帰っていて、南向きの二階からは、たいがいは静かで明るい燧灘(ひうちなだ)や長く連なる四国の山々、西方にはこの浜や今治市の街並みの一部まで見ることができる。

幼い頃から馴染み深い今治だが、殊に高校時代の三年間には濃密な思い出がギッシリと詰まっている。古い付き合いのK君に、最近カイトを始めたI君を紹介しながら色々話をしていたら、彼が今治西高の五年後輩だということを初めて知って驚き、共に知る恩師の話をしているうちに、彩り豊かな絵本をパラパラとめくるように、半世紀近く前の記憶の断片が鮮明に蘇ってきた。

この織田が浜での出来事も、その時代の後、風の魅力に目覚めてから今日至るまで様々に積層している。また折に触れて書きたい。

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パンク修理

2019-05-14 21:06:00 | 海と風


こないだはメインストラット(リーディングエッジ)のジッパー閉め忘れという情けないミス(実は二回目)で爆発したカイトを一枚修理した。多くのカイトボーダーの例に漏れず、長年カイトをやっていると多くのパンクに遭遇する。これなどは修理箇所がハッキリしているので実に簡単な話しだ。チューブを抜き取る必要もなく10分で完了した。

ただ注意すべきは、爆発箇所の周囲はチューブが伸びてシワになっているので、その部分をくり抜く必要があり、ティアエイドを張るときに穴からティッシュペーパーでも入れて、対面のチューブとくっつかないようにする必要はある。

一番やっかいなのは、何らかの原因でチューブに極めて小さな穴(ピンホール)があき、気がつかないほどユックリとエア漏れしていくタイプで、今回のはそれだ。

昔は狭い風呂場のバスタブで悪戦苦闘したり、洗剤をチューブ全面に塗りながら泡立つところを探したりしていたのだが、前回のたちの悪いエア漏れはそれまでの方法ではどうしても見つけることができなかった。

そうだ「風読みは五感の全てを使うべし」・・・というのは、空のイントラ時代の私の口癖だったではないか。心を静め、チューブの表面に鼻の先を当てるようにしながら端から探っていくと、泡にもならなかったような微弱な空気の流れを鼻の頭に感じた。これにて一件落着。ちなみに、今は人間は常識的な五感以上の感覚能力を備えていると考えている。

今日も堀江の広場でチューブ抜きをした。僅かでも風があればこの技は使えない。家に持ち帰り、完全に無風の作業部屋にて同様の手順であっさりと作業完了。チューブを元の鞘に戻すのが結構めんどくさいけれど、また今度、風待ちの時にでもやることにしよう。


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