庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

UNESCOでのスピーチ

2006-01-30 19:53:39 | 平和
「クラウス博士 UNESCOでのスピーチ」

皆さん、こんにちは。創立25周年、誠におめでとうございます。

ユネスコ憲章・序文に「戦争は人間の心の中で起こるものだから、平和の砦も人間の心の中に築かなければならない」とあります。ユネスコはこの目標に向かってたゆみなく歩んできました。

しかしながら、私たちは確かな平和からはまだ遠いところにいます。アンドリュー・マーチンは1952年のユネスコ出版物で「5年経った現在でも、国連の警察機能の解除に対する準備は絶望的に不十分です・・・国連憲章が完全に実行されれば、安全保障理事会はその決定したことを強制するのに必要な物理的な力を備えることになるでしょう・・・大きな問題は国際連合を構成する国々が“主権を委任することをためらっている”ことにあります」と述べています。

更に今日(こんにち)でさえ、国際連合の集団安全保障には強制力がありません。それに替わって、大国やイラク戦争での“有志連合”各国”が独自の判断で、平和を確保すると同時にそれぞれの国家的利益に奉仕しようとしています。

現在のアメリカは、かつて世界の警察であろうとしたプロイセンのように見えます。しかし、プロイセンと違うのは、アメリカは集団安全保障を、働かせ操作できるものとすることに多大な関心を持っているということです。ヨーロッパの国々はそうはいきません。ヨーロッパ各国はアメリカにはできないことができる、つまり、軍事的方法を捨てて、主権を国際連合の安全保障理事会に委任し、その集団安全保障システムを機能させるということです。実際にそうなって、各国が通常兵器においても核兵器においても軍備撤廃を始めれば、国連憲章106条の下にあるアメリカや他の常任理事国は、その“過渡的期間”が“安全の空白期間”にはならないと思わなければならなくなるでしょう。ネーション・ステイツ(民族国家)が軍備を完全放棄することができないのは明白ですが、そうすることで、憲章106条の下にある大国が互いに力の均衡を保ちながら、その他多くの国々を平和的に軍備放棄に向かわせることになるのです。

ドイツ憲法とその歴史が、私たちドイツ人に、今日我々が置かれた宿命的なコースを変革し得る鍵を与えてくれているということを、私は喜びを持って表明したいと思います。ドイツは間もなく行動を起こすでしょう。ともかく、私たちは皆“悪の枢軸”の一部ではないし、愚か者でもありません。ドイツは、民主的集合体であり法の支配に基づいた合法的かつ強力な代表より成る国際司法裁判所と連携しながら、国際連合が効果的に機能するプロセスを開始する引き金役になることができます。

国際連合を、より民主的により効果的なものにするという目的達成のために、ユネスコが負った役割は極めて重要なものであります。次の25年の活動が実り多きものになることを祈っております。

ご清聴、ありがとうございました。
"I appreciate your carefully listening to my humble speech. Thank you." ...this is just my humble addition.

麻生外相への手紙

2006-01-29 19:20:18 | 平和
拝啓、外務大臣・麻生太郎 殿

「国連改革に向けての運動2007」は、現在の国際法及び憲法に基づいて、速やかに国際連合を改革するための実際的な方策について研究しその成果を広報することを趣獅ニしています。

私たち(※1)は、議論の多い日本国憲法第9条が戦争廃絶に向けての公然たる国際法的条項であると信じています。

世界平和への最短距離は、例えば私の国ドイツのような大国が日本の(先駆的)行動を支持することです。ドイツは国際司法裁判所の司法判断に従い、集団安全保障体制が実効性を持つべく、適宣、立法政策によって、国連が主導する集団安全保障を積極的に支持することをその憲法で宣言しています。

もし、ドイツ(ドイツはまだ“プロイセンの鷲”(※2)から大きくは脱皮していないのですから、これは適当な呼び名ではないかもしれませんが)のような国が、国連総会において日本国憲法第9条を支持する表明をしたなら、おそらく1961年のマクロ・ゾーリン協定の内容に沿って戦争の慣習を廃止しようという広範な議論が始まるでしょう。それは私が希望するところでもあります。(「マクロイ・ゾーリン協定」については、湯川 秀樹・朝永 振一郎・坂田 昌一 (編集)による『平和時代を創造するために―科学者は訴える』P206-P209 (1963年) に含まれている。)

更に、私たちは核と全般的な軍備撤廃への近道がインドとの協力にあると考えます。
(これについては私の出版物を2つ同封します)

戦前に4回外務大臣を務められた貴殿の先任者にあたる外務大臣、幣原喜重郎氏によって見事に示されたように、貴外務省には確かな先見性と誠実さがあるはずです。私は、日本政府が冷静な決断によって更に懸命な方法を考慮するだろうと信じています。(この最後の一文は変わる可能性もありますが・・・クラウス)

敬具

※1:同封の「UNFOR2007支持者一覧」をご覧下さい。
※2:例えば、オーストリアの2ユーロ硬貨には平和主義者のベルタ・フォン・シュットナーが、一方ドイツの硬貨はまだ鷲が刻印されている。


川口外相への手紙

2006-01-29 19:14:35 | 平和
拝啓 川口外務大臣殿

昨年6月11日に差し上げた手紙の内容に追記させて頂きたいと存じます。これは原文と日本語訳をWEB上でも公開させ頂いております。

前回、国連改革の為の「二段階アプローチ」の利点と、それが明らかに実際的ものであることについて触れました。その第一段階では、国連常任理事国の第5番目の国について論じました。そして、ヨーロッパ連合が一つの議席で足りたならば、空いた議席は、例えばインドなどの素晴らしい国に分け与えることが可能となり、その結果、国連の国際的代表機関としての信頼性を高めることが出来るということにも触れました。

実際、ECの支持団体が最近行った世論調査では、70%がUNSC(国連安全保障理事会)の代表権はヨーロッパで一議席であることを支持しています。しかし、「ヨーロッパ一議席」はインドが常任理事国になるための不可欠の条件ではなく、インドがより早い時期に議席を得るためのより望ましい条件であって、ヨーロッパ諸国が国連の機能強化のために行動を起こすかどうかとは関係がない、という結論を持つに至りました。

インドは、もし日本が支持するならば、NNPT(核非拡散条約)6条の義務を果たし、核兵器全廃を達成するのに最高の保証となるでしょう。

ここでは平和憲法である日本国憲法第九条について二、三述べさせてください。

私は、責任ある立場の政治家が、この戦争廃止条項を改正することを考え、それが即、軍国主義に傾斜するであろうとは思いません。実際、過去において、法制局は幾つもの解釈を採用することによって、9条の本質的部分を保持しようとしてきました。更に、ほとんどの改正論者もまた平和主義的精神を保持したいと願ってきました。

9条の解釈論議は、大切な原則を守るために取られた合法的手段でありました。彼ら自身も、どのような形であれ、その原則を破壊するような提案をしているのではありません。政治家は自衛の道、つまり国際情勢が要求するなら、国家の安全保障のためにある種の手段を取るべきであると訴えるかもしれません。これはインドが核保有を選択した道でした。日本の自衛隊も、憲法上の基盤を失えば、国連憲章51条による合法性を主張することで、この考え方の範疇に陥る可能性があります。

そして、今般漏れ伝えられてきている危険性や限界点の存在は、あなた方政府筋はよくご存知のことと思います。その危険性や限界点について以下に述べます。

(1)そうこうしている内に、この大原則が結局、実際上失われてしまうかもしれません。

(2)日本は、未だ国際社会では確立されていない「正義と秩序と(法の支配)を基調とする国際平和」という9条の平和条項に実効的に基礎を置くことによって「安全性に裏付けられた理想的な存在」として国際的な信用を勝ち得てきました。もし万が一、日本がこの信念を変えるならば、その普遍原則である「政治道徳」に対する決意と信頼や「世界中の平和愛好家の信頼と正義」を放棄するものとなり、近い将来における真の軍備放棄の希望を捨てさせることになってしまうでしょう。

(3)9条を改正することによって、現在の防衛庁の地位を防衛省などに格上する必要を生じ、更に大幅な憲法改正につながるということを公に明らかにしなければ、日本の民主主義は重大な危機に直面するでしょう。

(4)そして、国連の集団的自衛権を認める国連憲章51条の集団安全保障を混乱させる危険性があります。

いずれにしても、これは単なる推測です。何故なら、私は日本国民が9条に関してどのような改正も許さないと考えているからです。私自身は、日本国憲法第9条は、高知市の植木枝盛の家がそうであるように、(私の講演内容を同封します)日本の宝であるだけでなく世界の宝だと信じています。

それはほんとうに世界中の宝物です。特にドイツ人としての私にとっては遺産とも言うべきものです。9条は、元々ナチの支配するドイツに「落とされるはずであった」原子爆弾が落とされてしまった日本国が自ら生み出した偉大な結実であるからです。

私はヨーロッパの「中心力」であるドイツ政府が、日本が憲法9条を堅持することの重要性に気づき、近未来の集団安全保障の仕組みを構築する上で大いに参考にしてもらいたいと切に願っています。そして、それが、日本の存立を支え、軍事力によらない紛争の解決や、法の支配に基づく「協調的世界秩序」(シュレーダー首相)の素晴らしさや可能性に対する信頼を強めることになるであろうと確信しています。

貴方の外相への再就任を祝福させていただきます。

敬具

Ph.D. クラウス・シルヒトマン

2003年11月26日 

CC:インド外相 スリ・ジャシュワント・シンハ、インド防衛大臣 スリ・ジョージ・フェルナンデス、ドイツ外相 ジョシュカ・フィッシャー、国際連合常任理事国委員会 インド及び日本大使、前国連大使 ユキオ・サトウ、 総理付事務官 ユキオ・オオモト、大使 サクラ・タニオ、インド国家安全事務官 スリ・バラジェシュ・ミシュラ、M.S.シュワミナサン教授 他


クラウス博士

2006-01-27 19:53:07 | 平和
幾分、仕事とも関係してくるが、ブログは何かと便利なので新しくカテゴリーを設けて、クラウス先生関係の原稿をこちらにもUPしておくことにした。
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歴史平和学者クラウス博士の紹介記事
ジャパンタイムズ 2003年3月15日
《 歴史学者 平和に向けて 国際連合への明確な権限委譲の道を探求 》
by:アンジェラ・ジェフス  末F寛太郎

ドイツ生まれのクラウス・シルヒトマン氏は歴史平和学者である。その人生後半において、あらゆる意味での「探求者」としての生き方を見出した学者だ。

彼は現在、埼玉県の日高市に住んでいる。私たちは、ちょうとジャパンタイムズ社との中間地点にある、彼がかつて教鞭をとっていた上智大学の校門前で会うことにした。彼の最大の関心事は国際連合に何が起こっているかだったが、インドへ研究旅行に出かける準備中でもあった。これは彼をアメリカのイラク攻撃から近い場所に置くことになる。彼の当面の疑問は、そこで何が起こるのか?・・・ということであった。

「国際連合は、現在、世界政府に代わる役割を果たすべく、大変な努力をしていることが分かります」「しかし、国際連合には、何の統治権も、平和に向けての権限委譲もなく、それが本来達成すべき内容を考えると制限された状態にあります」更に彼は言う。「実に日本の平和憲法第9条は世界政府の樹立を目指しているのです」

世界平和への提案は、国際連合で半世紀以上も扱われています・・・彼は説明を続ける。

通常、ある議案が提出されたら、次に続く民主的なステップは何でしょう? その議案は支持される必要があります。では、その前には何が成されるべきでしょう? 議論です。そして、投票という審判を受けることになるのです。国連に本当の権力を持たせるという問題は、今まで公式には議論されたことがありませんでした。どの国も日本の戦争廃絶への動きを支持するという提案をしなかったからです。

彼は第二次世界大戦が終焉する一年と三ヶ月前にハンブルグに生を受けたが、東西分断という紛争の悪夢はほんの10年余り前に終わったばかりだった。「心の中に傷はありません。母が私を守ってくれました。しかし、戦争の問題は10代の頃から私の心の中の大きな部分を占めていました」そして、彼は「白いミルクが黒色に変わる」という一行を入れてヒロシマを詠った詩を書いたことを思い起こす。

彼は件p家になろうと思い立って高等学校を中退したが徴兵を逃れたいと思った。ローマでの一年間を絵画と音楽(トロンボーンジャズ)で過ごした。学生時代に仏教についての書物を読んだこともあり、赤レンガの学校の内で学ぶよりも外の世界で学ぶ方がより良いと判断した。そして、1964年に陸路でインドに向かう。「トルコで知り合った友人がパキスタンで病気になったので、その後は一人旅でした」

バラナシ(北インド、ガンジス川左岸にある。ヒンズー教の聖なる七都市の一つ)に着いてから半年間、彼は仏教徒の法衣を着る。その後ヒンズー教徒に招かれて、市内のサンスクリット大学で中国語と日本語を学びながら、同時に教えた。「今でも勉強を続けていれたらなあ、と思います」その後、彼はグラフィックデザインの工房を開くためにネパールに向かう。しかし、それは失敗して、西ベンガルでソーシャルワークと地域振興の仕事に携わることになる。

カーリーの寺院に滞在した後、「狂人のように放浪しながら」最終的にクラウスは巡礼の旅に出た。動物の皮を縫い合わせ、その上にワックスとニスを塗って一艘のカヤックを作り、ガンジス河を下る。「その後の二年間、ほとんど徒歩でインド中を旅しました」

1976年にドイツに帰る。「ワールドパスメ[ト」を発行していたゲリー・デイビスの「世界市民」の話を聞いて、世界政府の仕事を始め、平和運動の活動家になる。1980年に世界連邦機構の議長に選任されから、幾つかの国連の会議を含む国際会議に出席する。そして、民主的で実際的な「世界憲法」を収集する作業をする。

この仕事や後の歴史平和社会学会の会員であることを通して、彼は「平和社会学者」とか「歴史平和研究家」とか「平和歴史学者」というような肩書きを持つこととなる。「コンピューターで私の名前を検索してみてください。少なからぬ記事や論文が出てくると思います」

彼が本気になって、キール大学で政治科学、歴史、国際法の研究を始めたのは41歳の時である。(私は「遅咲きの花なんですよ」彼は冗談で言う)1990年に博士号を取得した後、日本政府のベルリンセンターの奨学金を得て日本で研究を続けることになる。

彼の研究テーマは日本の政治家であり平和主義者であった幣原喜重郎(1872-1951)だった。「彼は1920年代の国際政治の舞台で中心的な役割を演じていました。当時、日本は主権国として、西欧諸国が政治目標と理解されていたこと、つまり戦争を中止・廃止して効果的な世界平和機構と創設しようという動きを支持しながら、それに積極的に参加する努力もしていたのです」

幣原は1945年10月から1946年5月まで首相でしたが、戦争廃止をうたった日本国憲法9条を1946年1月24日にダグラス・マッカーサーに提案したのも彼であります。「実業家としても、彼は日本の国益に反するようなことに関係しなかった。決定的に他と異なっていたのは彼が採った方法でした」

クラウスは、日本政府が外国からの圧力に抗して9条の精神を守ることについてずっと良心的であると信じている。

「読売新聞が一国平和主義を批判しながら改憲の議論を提起するなど、9条は侵食され続けていますが、その′R事力を使わない≠ニいう中心の一点は変わっていません。だから、日本が自衛隊を持つ限り、他の国々は、なんとしても、戦争の悪習から脱するために国家主権を制限するという9条を「支持」することによって、日本が“一国平和主義”であるという境遇を認めなければいけません」

もし他の国、例えばドイツなどアメリカのブッシュ政権の戦争挑発主義に対抗する勇気を持った国が、この貴重な日本国憲法的「行動」を支持するならば、その議案は公式な議論討論の場に開かれたものとなるでしょう。そして、国際連合の戦争廃止問題についての議論は、どんな国にとっても反対することは非常に困難なものとなるでしょう。

「もし充分な数の国々が先例に従うならば・・・」彼は続ける。「安全保障理事会の常任理事国を含む全ての国々、そして結果的にはアメリカも武装解除することがあり得ます」

もちろん多くの障害があるだろう。今現在、富と力はごく限られた国々が握っている。より公平な富の分配が行われるようにならなければ、不平等が存在する世界中の大部分に根強い怒りが滞留する。例えばアメリカは、世界人口の6%にすぎないが、世界中の富の50%を独占している。

「私たちは、ベルリンの壁が崩壊した後の1990年代、“平和の配当”ともいえるものを全て浪費しましました。良いチャンスを逃してしまったのです。ヨーロッパは国連に入って、「我々は国連を支持する」と言うべきです。私たちは国連に本物の力を与えなければなりません。そのために国連はあるのですから。しかし、そのプロセスにおいてはアメリカの力を必要とするかもしれません。もしヨーロッパの国々が、日本が成し遂げたように、国家主権の一部を放棄することによって国連に合法的に権限を与えるなら、アメリカも協力するでしょう。」