庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

マッカーサーから高柳総領事への返信

2017-09-17 12:16:00 | 平和
憲法九条(平和条項)の出所は、幣原の『外交15年』やマッカーサーの『自伝』の該当箇所を付き合わせて読めばおよそ明らかですが、これは第三者(高柳総領事)からマッカーサーにその確認を取っている貴重な文書です。




マッカーサーから高柳総領事への返信。1958年12月15日。
ーーーーーーーーー
親愛なる高柳博士へ

12月10日付けの短信、只今拝見しました。お問い合わせの件に付き、取り急ぎ返答差し上げます。

「新憲法を起草の際、幣原首相が草案中に戦争と軍備の放棄を含む提案をされたというのは本当でしょうか?あるいは、首相はこの様な考えを、単に将来の政策として貴殿に表明したもので、貴殿の方から日本政府へ、新憲法に加えるべき理念として提案されたものでしようか?」

戦争放棄の条項を提案したのは幣原首相です。憲法に関して私との面談を求めた際、この様な条項を憲法に加えることで、私がどの様な態度を示すか危惧を抱いていた、と彼は語りました。私が職業軍人の経歴を持っていたからです。私はその提言に極めて驚きましたが全面的に支持することを保証しました。彼は明らかに安堵し、それは実に感動的なものでした。

季節のご挨拶と兼ねて 敬具

ダグラス・マッカーサー

1958年12月15日
ハワイ州、ホノルル市、ヌウアヌ通り1742
憲法調査会会長・日本国総領事
高柳賢三博士 宛
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九条と国連

2017-09-13 22:39:00 | 平和
先日、歴史平和学者のクラウス・シルヒトマン博士が、「国連総会で第九条を支持する決議を」のキャンペーン等で松山に来られました。戦後二人目の総理であり、日本国憲法第九条発案の平和主義者でもあった幣原喜重郎の研究で高名な方です。日本在住二十五年。インドや日本など東洋思想にも造詣が深く、来松中は日蓮正宗の妙源寺に参詣されました。

 いまだに世界各地で悲惨きわまりない戦火やテロ等による民衆の苦悩が絶えず、核の脅威もいや増している現今ですが、絶対平和主義を謳い続ける九条は、全世界にとってのきわめて貴重な「宝物」であり、近い将来、この理念を決議案として国連総会に提出し、加盟国が公式に議決することが可能であるとして、世界各国の国連大使や多くの平和を愛する方々へ、情熱的で合理的なメッセージを送り続けている方です。

 今後、国連の機能強化の課題はあるにしても、もしこれが採択されれば、世界各国は少なくとも制度的には、国家間戦争の廃絶と軍事力の削減に向けて進まざるを得なくなるでしょう。多くの方々の賛同をお願いしたいと思います。
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第九条を支持する決議を

2017-09-13 22:38:00 | 平和
平和を愛する日本の友人の皆さんへ
 
「Campaign for Article 9 to be Seconded in the United Nations General Assembly」(国連総会での“第九条を支持する決議”キャンペーン)にご協力下さい。世界的に見れば、日本国憲法の平和条項・第九条は、戦争を制度的に廃止しようという希有なる「動議」であります。言い換えれば、「日本国民は、恒久の平和を念願し」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」(日本国憲法序文)戦争の廃止とそのために必要とする国家主権の制限に踏み出したのです。

この理念は、理想的には、軍隊や常備軍を持たず、世界平和に貢献したいと願っている国々が主導して、第9条を公法上の動議とすべきです。これは国際連合憲章が目指す「過渡期」を、本当の集団安全保障体制の構築や世界的軍備縮小、そして国連の強化が達成される前に成されるべきことだと考えます。この動議が承認されることで、各国はそれに続いて、国連総会での議論を始めることができるようになります。

すでに、コスタリカやスイスなど、幾つかの国々から好意的かつ積極的な返答を頂いていますが、これらの国々ほか、軍隊を持たない国々が、この運動を喚起できるようにする必要があります。例えば、リヒテンシュタイン、バチカン王国、ツバル、ソロモン諸島、セイント・ビンセント、グレナディン、セイント・ルシア、グラナダ、ドミニカ、アイスランド、タヒチ、モーリシャス、モナコ、パナマ、バヌアツなどの国々です。

憲法九条を愛する日本人として、Campaign for Article 9 to be Seconded in the United Nations General Assembly”(国連総会で“第九条を支持する決議”キャンペーン)に是非ともご参加下さい。そして、ニューヨークに住む、これらの国々の国連大使に、次の一文を添えた手紙やメールなどを送って頂くことを、切にお願いしたい思います。
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親愛なる憲法9条の友人たちへ

2014-11-08 18:34:00 | 平和
親愛なる憲法9条の友人たちへ

私には、憲法第9条をノーベル平和賞に奨励するために皆さんにお願いしたいことがあります。 

1. 私は今まで、日本国憲法第9条を擁護し広めていこうという皆さんの活動を支持してきました。NHKの取材を受け、PROJECT JAPAN というスペシャル番組に貢献したこともあります。憲法第9条は唯一無二の世界遺産です。そして今、私はあなた方の支援を必要としています。それは具体的に言うと: 

(a) 国連憲章に明記された「過渡期」(国連憲章第160条)に賛同し、各国が各々の憲法規定と国連憲章に従って、過渡期へ移行するための段階を踏んでいくよう促進すること。「過渡期」とは何かを最もよく説明したクインシー・ライトの記事を読んでください(添付ファイル参照!)。

(b) どうか憲法第9条が支持されるべき「動議」であるという考えを後押しして下さい。それは他国が似た条項を国家憲法に取り入れることを、ただ待つのとは違います。事実、すでに多数の現行憲法において、憲法第9条と密接な関係を持った条文が見受けられます。(私の記事「Normative Current」(規範的傾向)を見てください!) その「後押し」は、国連総会で実現されるのが望ましいのです。



2. 具体的に言うと、皆さんには憲法第9条を支持するために、武装軍隊や常駐軍を保有していない国々に働きかけてほしいのです。私が書いた暫定提案書を添付したので、ご覧下さい!ニューヨークにある国連のいくつかの代表団も、この件に関して連絡をしています。



3. 加えて、もしよろしければ、どなたか私の本の短いレビューを書いていただけないでしょうか。この本は、私が以前執筆した、平和外交主義者「幣原喜重郎」に関する著書を、小さくまとめたものです。Amazon.co.jp のウェブページを参照してください!もちろん拙著を購入されても嬉しい限りです!原型とした上下巻からなる、外交官・幣原喜重郎についての研究論文である拙著は、上巻はここで、下巻はここで、購入できます。ご存知かと思いますが、この本は偉大な外交官であり政治家の幣原喜重郎に関する唯一のモノグラフであり、英語とドイツ語で出版されています。



4. 2014年9月19日の週刊金曜日に掲載された伊藤成彦氏の記事と、2014年10月7日の毎日新聞に掲載された1905年のノーベル平和賞受賞者ベルタ・フォン・ズットナーに関する記事をお読み下さい。伊藤成彦氏の記事は憲法第9条が幣原喜重郎の考えだという認識を示しており、私自身の研究でもこのことは明確でした。


5. 最後に、憲法第9条のノーベル平和賞受賞に対する、積極的な支持を表明をしたいと思います。



皆さんどうぞよろしくお願いします。
クラウス・シルヒトマン

戦争制度廃止という日本の動議を支持する?br /> (国連総会への暫定的声明案 - シビル・ソサイエティー草案)

軍事力・常備軍を持たない国々

委細に研究したところの、1946年1月24日にダグラス・マッカーサー元帥から首相幣原喜重郎に提示された日本国憲法(1947年)の歴史と意図に、
思い出されるは、フランス第一共和政憲法(1791年)第6条における侵略戦争の放棄であり、1791年フランス名採択の100周年記念の折に取り入れられたブラジル憲法(1891年)第88条が
敬意を表する所は、1899年と1907年に開かれた万国平和会議の、軍縮と行使権を供えた国際法廷の設立を含む法体制による戦争制度の置き換えを目標としたその努力であり、
記憶に残るは戦勝国による国際連盟の設立と、1924年の列国議会同盟(IPU)の努力における戦争違法化の条文の各国憲法への導入奨励であり、加えて

行使したるは侵略戦争を違法化したケロッグ=ブリアン協定(パリ永久条約)であり、そして
思い起こすのは、常任理事5カ国の支援を受けた国際警察部隊と平和的移行を監視する人々に保証された、現在の武装平和から非武装集団保障体制への移行を支援する国際連合の創設であり、
忘れざるは朝鮮戦争勃発前の挑戦危機において、国連の集団行動に加わり北朝鮮の侵略を跳ね除けようとするならば、国連憲章第106条(過渡的防衛協定)の実行が必要不可欠というロシア側の主張であり、

示されるは各国憲法の規定における、国際平和機構への権限授与を目的とした主権の制限であり、その例はフランス憲法(1946年)の一文「・・・」に見られ、
それが奮い起こすは1961年12月20、戦争制度の廃止を意図し、国連総会により賛成一致で採択されたマックロイ=ゾーリン協定であり、
支持するは戦争の廃止と「正義と秩序に基づいた国際平和の設立」を志す日本の動議である。
そうすることで我々の政府は、非武装世界への変遷を遂げるため、「国連憲章再審査」会議、国連憲章第106章の行使、そして各国共同国連平和部隊の創設を呼びかけているのである。

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Dear colleagues and friends of Article 9,

I have a plan I would like you to consider for promoting the purposes and principle of Article 9 of the Japanese Constitution.

1. I have always supported your work defending and promoting Article 9 of the Japanese Constitution. I have even been interviewed by NHK and the information I gave was used in the program called PROJECT JAPAN. Article 9 is unique and an international treasure. And now I want you to support me. That means concretely that
a) you sponsor the transition stipulated in the UN Charter, and encourage other nations to take steps in accordance with their constitutions and the UN Charter to embark on the transition. Please read the article by Quincy Wright that is best to explain what the transition means (see attachment!)
b) Please support the idea that Article 9 is a ‘motion’ that needs to be seconded. This is different from merely wanting other countries to adopt a similar provision in their national constitutions. In fact there already are many constitutions with articles that relate closely to Article 9. (Please see my ‘Normative Current’!) In this scheme the ‘seconding’ would preferably happen in the UN General Assembly.
2. Concretely, I would like you to support "seconding Article 9" by lobbying the group of countries not maintaining armed forces or not having s standing army. See the tentative draft proposal I have drawn up, in the attachment! Several Missions of the United Nations in New York have already been contacted about the matter.
3. Also, I would like someone to write a short review of my book on Article 9 and Japan; the book is a short version of my larger work on the pacifist diplomat Shidehara Kijuro.
See the book on the Amazon.co.jp webpage! Of course you are also welcome to buy the book! For the larger work on the pacifist diplomat Shidehara Kijuro in two volumes see the book on Amazon.com webpage, volume I and volume II! As you may know, my book is the only monograph in German and English written about this great diplomate and politician.
As you may know, my book is the only monograph in German and English written about this great diplomat and politician.
4. My own research has been confirmed by the article by the eminent pacifist scholar Ito Naruhiko that was published in the weekly Shukan Kinyoubi, and an article on the 1905 Nobel Peace Laureate Bertha von Suttner in the Mainichi Shimbun. Ito Naruhiko’s article confirms Shidehara’s authorship of Article 9.
5. Lastly I wish to confirm my support for continuing to campaign for Article 9 to receive the Nobel Peace Prize.
Sincere regards,

Dr. Klaus Schlichtmann

Seconding The Japanese Motion To Abolish War As An Institution

(Tentative Draft Statement In The Un General Assembly―Civil Society Draft Proposal)

The Group of countries without armed forces and/or no standing army

HAVING CAREFULLY STUDIED the history and purpose of Article 9 of the Japanese Constitution (1947), as proposed to General Douglas MacArthur by Prime Minister Kijuro Shidehara on 24 January 1946,

RECALLING Title VI of the Constitution of the First French Republic (1791), renouncing aggressive war, and also Article 88 of the Brazilian Constitution (1891) introduced on the occasion of the centenary of the adoption of the French Title in 1791,

COMMENDING the efforts of The Hague Peace Conferences in 1899 and 1907, aiming at disarmament and replacing the institution of war with a legal system including the creation of an international court with binding powers,

REMEMBERING the creation of the League of Nations by the victorious powers and the efforts of the Inter-Parliamentary Union (IPU) in 1924, recommending that articles outlawing war be introduced into national constitutions, furthermore

INVOKING the Kellogg-Briand Pact/Eternal Pact of Paris outlawing aggressive war, and

RECALLING the subsequent creation of the United Nations providing for the Transition from the present state of armed peace to unarmed collective security guaranteed by an international police force provided by the five permanent members and others who will take up the responsibility to see that the transition is peaceful,

REMEMBERING the Russian insistence, at the time of the Korean crisis prior to the start of the war, that Article 106 of the UN Charter (Transitional Security Arrangements) must be implemented before Russia could join the UN collective action to repel the aggression from the North,

POINTING OUT the stipulations in national constitutions, to limit national sovereignty with the purpose of empowering the international organization of peace, e.g. the French Constitution (1946): “On condition of reciprocity, France accepts the limitations of sovereignty necessary for the organization and defense of peace.”

AND INVOKING the McCloy-Zorin Accords unanimously adopted by the UN General Assembly on 20 December 1961, aiming at abolishing war as an institution,

SECOND the Japanese motion to abolish war and establish an "international peace based on justice and order."

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モナコ国連大使殿

2014-02-20 11:38:00 | 平和

国際連合・モナコ特命全権大使 イザベル・F・ピコ 殿  

『非軍備の平和に向けた過渡期のための政治的条件について』

閣下、

貴国は軍隊を持たない二十一の国々一つであり(私は全ての国々に同様の手紙を出しています)、以下に提案させて頂くように、貴殿の政府も世界平和の促進をリードすることに関心を持たれるかもしれません。

同封した平和(過渡期)機構研究会の委員であるクウィンシー・ライトシカゴ大学教授の記事は、その過渡期の意味や目的について説明したものです。平和機構・研究委員会の成果は国連憲章を作成にも影響を与えたことで知られています。

日本国憲法9条は、世界の憲法の中で多くの国々に、制度としての戦争を廃絶する動きとして見られています。しかしながら、幾つかの国々がこの9条の後に続いたと思われる平和条項を有している(リストを見てください)にも関わらず、日本の「一国平和主義」がこの意味であまり効果的でなかったという事実によって、更なる前進が妨げられています。

この運動は国連総会のメンバーによる公式な提言であります。それは手続き上の装置であり、国際法にも匹敵する、公式に法的あるいは憲法的なアピールであります。制度的に戦争を廃絶することは、国際的な共同体によって熟慮されるべき事柄であります。

日本平和学会への最近の私の出版物も同封します。現在直面する危機や国連憲章が目指した過渡期に乗り出すために何が必要か、ご考察の資料になれば幸いと思います。

閣下、私は、学際や平和活動での数多くの友人や仲間たちと共に、この運動が手始めとなり、各国が武器のない平和に向けて必ずや行動を起こすことを固く信じております。どうかこれを貴国政府に伝えていただき、もし可能ならば、個人的にお会いして更なるお話しが出来れば幸甚です。

追伸:これはドイツが日本の戦争廃絶条項9条に続こうとする努力を無為にしようとするものではありません。それは歴史的にもまたドイツ憲法の責務にとっても非常に効果的なものでしょう。ドイツ憲法24条はドイツが安全保障上の主権を国際連合に委任し、集団安全保障のシステムに参加すると規定しています。憲法に規定に従って、ある時点でドイツが行動を起こすことが期待されますが、その時はまだ至っていません。1950年の韓国危機の時も、1961年のマッコイ・ゾーリン合意の時も、1984年に国連安全保障理事会に決定を委任する代わりにパーシングIIやクルージング・ミサイルがドイツ国土に配置されることが決定された時も、東西ドイツ統合後の1992年に国際連合を強化して集団安全保障システムを強化しようという国際的な呼びかけがあった時も、ドイツはその時を逃しました。現在のところ、ドイツ政府を代表する各党は、行動を起こすには「適切な時を待つことが必要である」と言っています。

                              歴史平和学者: クラウス・シルヒトマン


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末

2013-12-30 12:00:00 | 平和
訳書『ドイツ人学者から見た日本国憲法』が本の泉社から届いた。昨年の秋から半年ほどかけて、ゆっくりとした末フ過程を私なりに楽しみながら仕上げたものだ。多少の苦労もあったが、たぶん人間にとって、深い楽しみのたいがいは多少なりとも労苦を伴うものである。

製本されたものを見てみると、多くの写真やイラストがきれいに配置されていて、編集者の力量が伺える。かなり見栄えが良く読みやすいものに仕上がっていた。もともとは脚注含めて倍ほどの量がある論文で、文章は決して柔らかいものではないが、日本国の根本法である憲法を、歴史的に相当に深く掘り下げて評価する内容である。興味のある方はご一読いただきたいと思う。


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平和憲法と集団安全保障 1

2013-06-11 15:28:00 | 平和
かなり面唐ュさい部類の話である。しかし、このブログは内容の如何を問わない、およそ何でもありの体裁なので、これも一つの記録として何回かに分けて連載する。

元々、この末ヘ、歴史平和学者のクラウス先生から東京在住のK女史に託されたものであったが、ドラフト(原稿)が3分の2ほどできかけた頃に、お二人の間で何かしらややこしい経緯《いきさつ》があったらしく、残りの部分を私が担当することになったものだ。

原文は完全に論文そのもの。原文英語の原文はドイツ語で書かれドイツで出版され、クラウス先生ご自身が英訳されたものが英文でも出版されている。それなりにドイツ語の匂いが残っていて、ともかく一文が長く、回りくどい言い回しが多い。しかも、論文には付きものの脚注が、本文と同じくらいの分量ある。

なるほど、これは彼女が途中で嫌になるのも無理はないなぁ・・・などと思いながら、引き受けるからには最後まで、末?ニそのものをじゅうぶん楽しませてもらおう・・・ということで始めることにした。脚注にまでは手が回らず本文のみ。K女史の部分は彼女の領域なので、総目次以外は触れない。

私の拙い末?@はまたどこかで書くことがあるかもしれない。ちょっとだけ触れると、その最第一は、「過程を楽しむ」ということであり、あらゆる「結果」は、地道な「過程」の連続の後に自ずとやって来る、ということだ。もちろんこの姿勢は末ノ限ったことではない。過去でも未来でもない「今」を目一杯大切にしながら生きるという「生き方」とリンクしている。言うは安く行うは難いが、そういう姿勢を心のどこかに持っていると、それなりの効果はあるようである。

尚、とりあえず仕上がった全体原稿は、すでに幾つかの出版社に送られ、やがて一冊の書籍になるかもしれないし、ならないかもしれない・・・という段階である。巷間、憲法改定論議が話題になることも多い昨今ではあるが、この種の全く売れそうもないものを喜んで出そうという出版社が現れる可能性は極めて低いだろう。

ただ、これら記事に出会った方々が、日本国憲法の特大の美点ともいえる「平和主義」について、ドイツと日本の何だか不思議な縁《えにし》について、また「世界の平和とは何か」という大きな問題について、いくらかでも想いを巡らす機会となり、何らかの刺激になれば在り難いことだと思う。


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大使からの返答

2013-03-11 12:29:00 | 平和

 昨年夏、クラウス先生がドイツとアメリカの駐日大使に宛てた「独米共同声明の提言」について、アメリカ大使からの返答が先日届いた。(ドイツ大使とは既に会談済み) 以下、日本語粗訳。
Roos_John_answer_2013-s.jpg
 アメリカ合衆国駐日大使 東京 

2013年2月28日

 拝啓 シルヒトマン博士:

 貴殿からの書簡および安全保障上の取り決め事項に関する洞察力に満ちたご意見に、そして究極的には、世界的平和への状況を更に力強く喚起する姿勢に、この機会をお借りして感謝したいと思います。オバマ大統領がプラハでのスピーチで述べたように、アメリカ合衆国は核兵器なき世界の安全と平和を探求することを誓約しています。更なる安全保障と更に絆を強める世界への前進を目的とする我々には、より大いなる対話やコミュニケーションは極めて重要であります。

 敬具 

ジョン・V・ルース (在署名)


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米国日本大使への書簡

2012-08-31 21:43:00 | 平和

 民主主義とは政府内部で権力を排除することではなく、共同体全体の権威を基にした法との協調によってのみ、権力の使用が許されることである。世界的な民主主義における権力とは、世界的共同体によって権威付けられることによって許される限りにおいて、使用され得るものである。
 ークウィンシー・ライト『過渡期における政治的状況』

 アメリカ合衆国・日本大使への書簡  2012年7月14日付

 拝啓、H・E・ジョン・V・ルース大使 閣下

昨年の九月の貴殿への書簡の中で、私は国際連合憲章が想定した「過渡期」に踏み出す必要性について示唆しました。私はまた、五常任理事国が。そのプロセスを開始することがほとんどできなくても、ヨーロッパ各国は強力な立場にある、という私の信念についても述べさせて頂きました。

先日、東京において、私はドイツ国・日本大使のフォルカー・スタンツェル博士と、「過渡期における安全保障の合意事項」について会談しました。続いて、彼に宛てた書簡(同封)の中で、アメリカ合衆国とドイツ国とが来《きた》る「広島の日」に、旧ドイツ国によって引き起こされた先の戦争全体への謝罪と、戦争終結の手段として実行された原爆投下に至る経緯の概要などを含めた「共同宣言」を発表することを提言しました。私はすでにインドの日刊紙・ステイツマン紙上に同趣獅フ小論を寄せています。

これまでにこのような提案が成されたことがあったかどうか、私は知りません。しかし、かつて、アメリカの指導者たちの心の中には、戦争が全面的に廃絶されるべきものであること、その目的のためにこそ原爆の使用が手段化されたのである、という考え方があったように私には思えてなりません。これに関連して、当時の合衆国大統領、ハリー・トルーマンは軍隊に向けた彼の対日戦勝演説の放送の中でこう述べています。「我々は地球上から戦争を廃絶しなければならない。地球が我々が知っている形で存続するのであれば。」

(同様の意図を合衆国が持っていたことの証拠は、アイゼンハワー大統領のスピーチの幾つかにも、1961年のマクロイ??ゾーリン合意の中にも現れています。)

私は、原子爆弾がもしもドイツに落とされていたら、この戦争廃絶という目標は達成されていたに違いないと確信しています。しかし、日本への原爆投下について同様のことを言うことはできません。恐らく、原爆を落とされたという事実は、その後日本が、自らの憲法の中で、戦争廃絶に向けての課題を扱うための視座に力を貸すことになったのでしょう。

先の書簡で述べさせて頂いたように、私は、この点に関して、両国がその歴史的に明白である、「特別な責任」を負うことによって、また、集団安全保障システムを目的とし、法的に「安全保障上の主権委譲」を定めた1949年憲法の趣獅ノよっても、ドイツ国がその移行過程への導因になると信じています。
(この“安全保障上の主権委譲”という言葉は、私が信書を交換しているジャン・ティンベルゲン教授が、国連安全保障理事会に向けて使った用語です)

私はまた、かつて植民地主義を採っていたフランスやイギリスが、インドのような偉大な国の代理役となるかもしれないことを提案させて頂きました。インドは、国連憲章の27条2項による「手続き条項」に従い、各国の合意さえあれば、当然、安全保障理事会の常任国の候補になってしかるべき国であります。

この目標達成への道のりは遠いものになるでしょうが、今はまさに、その過渡期に踏み出す時であり、ドイツと米国が共同声明を発表する時であります。

この件について、貴殿が米国政府に働きかける機会を見出して頂ければ、私の喜びこれに優るものはありません。

敬具

         自由・独立的、活動家かつ研究家: 歴史平和学者、クラウス・シルヒトマン

                                    日本語訳: 渡 辺 寛 爾

 同封:

・駐日ドイツ大使、フォルカー・スタンツェル博士宛ての書簡

・日刊紙ステイツマンへの寄稿記事

・クインシー・ライト著『過渡期における政治的状況(1942年)』

・IPRA(International Peace Research Association:国際平和研究協会)での私の講義(抜粋)

○カーボンコピー送付:駐日ドイツ大使、五常任理事国大使館、インド大使ほか


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稀有なる平和学者 2

2012-07-25 12:10:00 | 平和

エアコン嫌いの私が、昨夏から事務所に導入した「換気扇」の効き目は素晴らしく、昨夜も夜間28℃程度の室温を維持してくれたおかげで、多少面唐ュさい話しに流れて熱くなりそうだった頭も、ほどよく冷却されてちゃんと眠ることができた。今朝は、続きにかかる。

何が言いたかったのか。クラウス先生の紹介に関係しながら、「体験」と「認識」は深い関係にはあるが、同時に、別次元の問題であるということ。モノゴトを主観的に体験しながら客観的に認識評価することは、まず不可能であろう・・・というようなことだった。

これを私好みの「相対主義」の観点から身近な例で語れば、「リンゴの中に住んでいる虫は、リンゴの姿を知らない。だから結局、リンゴの養分で生きてはいるが、リンゴの味もリンゴ自体を理解することもできない」・・・となる。

これは、まあ当たり前といえば当たり前の話なのだが、私も含めてたぶん多くの人たちがしばしば、この「当然の事実」を忘れて、つまらない間違いに気付くことなく、無駄な苦労をしていることがある。

私たちは2012年の現代に生きていて、しかも、この現代は1945年の現代と確実に連続している。更には1868年の日本近代とも間違いなく連続している。今私たちがどのような時代状況の中にいるかを知るためには、日本国やその他の国々が驚くべき愚劣さを示したあの時代や、それに至る筋道を付けたあの時代について知ることは、必然的要件になるだろう。

そしてまた、過去と未来は現在の一点を挟んで連続しているから、過去を知り現在を知れば、ある程度の未来は予測できるようになることも、容易に結論できるだろう。あの大戦が勃発したとき、ほとんどの日本国民は躍り上がって喜んだが、加藤周一は言うまでもなく、その他極めて少数の「当然の事実」を知る人たちは、その結末を確実に予測していた。あの時代、未だ日本国内から一歩も出ることなくして、である。

クラウス先生の今回の小論のタイトルは『ドイツ人は井の中の蛙であってはならない』だ。これはもちろん、インドの偉人ガンジーの言葉を踏んで、先生流に『荘子』の「井の中の蛙、大海を知らず」をもじったものだが、おそらく彼も、多くの先人たちがそうであったように、横に広く、祖国を離れて南ヨーロッパをヒッチハイクし、精神の大国・インドを何年間にも渡って放浪する過程で、初めてドイツを発見し、縦に深く、歴史を研究するに従って、ドイツ国と遥か東方のちょっと変わった国・日本との、ただならぬ関係性を発見したのだろう・・・と思う。

先生とは来々月にも再会する予定なので、この辺りの事情についても、少し突っ込んだお話しをしてみたいと楽しみにしている。


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