「人生の悲痛から避難する方法が二つある・・・音楽と猫である。」
<Aルバート・シュバイツァー
There are two means of refuge from the misery of life - music and cats.
、lbert Schweitzer
松山に来て過去2回、猫と暮らしたことがある。一匹目はメスのミー、二匹目はオスのミー。どちらも拾い猫、というより“押し鰍ッ猫”と言うべきだ。
最初のミーは家からちょっと離れた駐車場に捨てられていた超カワイイ子猫だった。もし私の早足に負けないで家まで付いてきたら飼うしかないな・・・と賭けてみたら、小さな脚でヒョコヒョコと必死に追っかけてきて、ついに到着点まで来てしまった。家内を説き伏せるのにかなり苦労したが、結局その日から我が家の一員になった。
二匹目のミーは海岸で見つけた。昼飯の残りをちょっとやると付いて離れなくなった。ガリガリに痩せている割りには元気一杯。何回遠ざけても、友人の車が何台もあるにもかかわらず、一直線に私の車めがけて走ってきて、開いたドアから飛び込んでくる。仕方ないからつれて帰って恐る恐る家内に見せた。前回の倍くらい苦労したが、条件付でなんとか許可が出た。
どちらにも多くの楽しい思い出と一回だけの悲しい記憶がある。またそのうち書きたい。
<Aルバート・シュバイツァー
There are two means of refuge from the misery of life - music and cats.
、lbert Schweitzer
松山に来て過去2回、猫と暮らしたことがある。一匹目はメスのミー、二匹目はオスのミー。どちらも拾い猫、というより“押し鰍ッ猫”と言うべきだ。
最初のミーは家からちょっと離れた駐車場に捨てられていた超カワイイ子猫だった。もし私の早足に負けないで家まで付いてきたら飼うしかないな・・・と賭けてみたら、小さな脚でヒョコヒョコと必死に追っかけてきて、ついに到着点まで来てしまった。家内を説き伏せるのにかなり苦労したが、結局その日から我が家の一員になった。
二匹目のミーは海岸で見つけた。昼飯の残りをちょっとやると付いて離れなくなった。ガリガリに痩せている割りには元気一杯。何回遠ざけても、友人の車が何台もあるにもかかわらず、一直線に私の車めがけて走ってきて、開いたドアから飛び込んでくる。仕方ないからつれて帰って恐る恐る家内に見せた。前回の倍くらい苦労したが、条件付でなんとか許可が出た。
どちらにも多くの楽しい思い出と一回だけの悲しい記憶がある。またそのうち書きたい。