庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

少々重たい話だけれど

2016-03-25 14:22:00 | 仏教
重たい話だけれど・・・合法的に人を殺すことを死刑と言う。法律家は「違法性が阻却される」などと言う。歴代法相の中にも執行命令を出さなかった人もいる。鳩山邦夫のように1年で13人、今の岩城光英は半年で4人・・・の人を殺した人もいる。

この違いはどこから出てくるのか。やはり、人間・生命・自分自身を「どう見ているか」の違いにちがいない。

「どんな人間も悪魔にするのだから、私は戦争に反対し、どんな人間も悪魔ではないのだから、私は死刑に反対する」と言ったのは、加藤周一だった。悪逆非道の性分は、法務大臣という部分権力の人間の中には皆無なのか。

そんなことはない。どんな人間も戦争の現場では悪魔にされるではないか。どんな悪人も母の胎内から奇跡のように生まれ出るではないか。

仏法には、十界、十界互具、百界千如、一念三千の根本法理がある。一端を言えば、地獄のような極悪の生命の中にも、尊極の仏の生命が厳存しているという、容易には理解することも信じることもできない内容だ。


しかし、この深淵な法理の大樹の一葉でも、自分の中に感じ想うところあれば、一人の人間の生命を抹殺せよ・・・などという命令を出せる訳がないだろう。

ことのついでに、「戦争に行って人を殺して来い」と命ずる人間たちと同じく、「法に則って人を殺せ」と命ずる人間たちに、「あなた方は間違っている」と、ここでも言っておきたい。
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リハビリボードの作成 その2

2016-03-19 19:03:00 | 海と風
アウトラインがだいたい出来上がった。


この状態でフィンを付け、海で一度試し乗りしてから重心位置を探り、太腿と足先を固定する横板の位置を決める。

フィンは以前、硬質木材(ベッドの枠)で作った、ハイドロフォイルのステー部分を適当な長さに切って、ボトムテールの適当な位置にガッチリ固定する。


船底は裏表とももう1枚FRP積層する必要があるだろう。
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リハビリボードの作成 その1

2016-03-16 14:34:00 | 海と風
最近の体重増加が、かなり際どいところに来ている。この一年間で10kgも太ってしまった。

原因は、長年、強い方ではなかった胃腸が別人のモノのように良くなって、食べるものが獅ュて仕方なくなったことが一つ。昨年は何やかやと忙しくて海に行く回数が減り、つまり運動不足の結果が出たということが一つ。

私のベスト体重は大体72~73kgで、70kgを切ると体重不足で疲れやすくなり、75kgを超すと過多で動きが鈍くなる。それが今や82kgだ。

少々動きが鈍くなっても、生活にも趣味にも支障がなければ何も問題はない。ところが、その支障がヒザに出てきた。左ヒザが時々歩くのも大変なくらい痛む。特にカイトサーフィンで「水中側面抵抗」を作り出すために踏ん張ったり、ジャンプで海面を蹴ったりの動作を繰り返した後は一層大変だ。

それでも、何日かおとなしく休んでいると徐々に良くなるから、これは明らかに膝の過負荷、使い過ぎ、ということになるだろう。

静かにしているとヒザには良いがますます体重が増える。しかし下手に運動すると、体重は減ってもヒザが悪化する・・・見事なジレンマだ。それでも風が吹いたら、心は自ずと海に向かい風に吹かれたくなる。・・・さてどうするか・・・そうだ!ヒザに負担をかけないように、座ったまま走れる板を作ればいいのだ!

ということで、早速、作り始めた。名付けて「リハビリ・ボード

 
まずは、昔、海上から飛び立とうと思いついて作ったまま寝かせていた「水上艇用フロート」を真っ二つに切る。非力なエンジンに合わせて、翼面加重を下げ離陸(水)速度を下げるためにかなり軽量に作ってある。表面はFRPで積層しておいたので手間が省ける。

後はデッキを適当に切り取って、足先と太ももを挟む横板か横棒を適当な場所に配置し、これも昔、ハイドロフォイルを作った際のステーをフィンに加工してボトムテールの2カ所に取り付ければ、それなりの形になるはずだ。

ほとんど廃品利用にて製作費はゼロに近い。たぶん一週間もあったら出来上がる。

しばらくは、この製作過程をUPする。


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リチャード・バック

2016-03-15 19:30:00 | 拾い読み
もし君の幸せが誰か他人の行いに拠っているのなら、君に問題があると思うよ。
If your happiness depends on what somebody else does, I guess you do have a problem.
 
自由で幸せに生きるためには、退屈を犠牲にしなければならない。それは必ずしも簡単な犠牲ではないが。
In order to live free and happily you must sacrifice boredom. It is not always an easy sacrifice.
 
学ぶということは、君がすでに知っていることを見つけ出すということだ。
Learning is finding out what you already know.
 
人に知られてないということは、真実が真実であるということを止めるものではない。(誰が知らなくても真実は真実だ)
Not being known doesn't stop the truth from being true.
 
心からの友は、我々の人生を真の人生たらしめるものだ。
Our soulmated is the one who makes life come to life.
 
愛すべき瞬間への最高の代価は、それを楽しむということだ。
The best way to pay for a lovely moment is to enjoy it.
 
人の無智を示す印(しるし)は、不正義や悲劇を信んじ込む深さ加減である。芋虫が世の終わりと呼ぶものを、賢人は蝶と言う。
What the caterpillar calls the end of the world, the Master calls betterfly.
The mark of your ignorance is the depth of your belief in injustice and tragedy. 

最も単純なことが、たいてい最も真実なことだ。
The simplest things are often the truest.
 
君の人生に何かをもたらそうとするのなら、それはすでにそこにある、と想像しなさい。
To bring anythig into your life, imagine that it's already there.
 
君は異なった過去や異なった未来を選択する自由を常に持っている。
Your are always free ot change your mind to choose a different future or a different past.
 
人は、自分が最も学ぶ必要があることを、最も上手に教えることができるものだ。
You teach best what you most need to learn.
 

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ニコラ・テスラ

2016-03-15 13:34:00 | 拾い読み
私の頭は単なる受信機だ。大宇宙には中心核があって、私たちはそこから知識や強さやインスピレーションを得る。私はこの中心核の秘密に立ち入ったことはないけれど、それが存在するということは知っている。

“My brain is only a receiver, in the Universe there is a core from which we obtain knowledge, strength and inspiration. I have not penetrated into the secrets of this core, but I know that it exists.” 

3と6と9という数字の重大性を知るだけで、宇宙に開かれた鍵を持つということになるだろう

“If you only knew the magnificence of the 3, 6 and 9, then you would have the key to the universe.”

逆説的なことだが、真実はつまり、我々が知識を得れば得るほど、絶対的感覚の中では無智になるということ。なぜなら、私たちが限界に気づくのは、悟りを通してのみだからだ。正確に言えば、知的進化のもっとも喜ばしい結果は、新しくより大きな展望に向かって継続的に目覚める、ということだ。

“It is paradoxical, yet true, to say, that the more we know, the more ignorant we become in the absolute sense, for it is only through enlightenment that we become conscious of our limitations. Precisely one of the most gratifying results of intellectual evolution is the continuous opening up of new and greater prospects.”

一人になれ。これが発明の秘訣である。一人になれ。その時にアイデアが生まれる。

“Be alone, that is the secret of invention; be alone, that is when ideas are born.”

彼らが私のアイデアを盗むことは気に留めない・・・私が気になるのは、彼らが自分のアイデアを一つも持っていないということだ。

“I don’t care that they stole my idea… I care that they don’t have any of their own.”

直感は知識を超絶する何かである。推論やその他、頭脳が行う意識的努力が不毛であるとき、真理を感知するより優れた性質を、私たちは間違いなく持っている。

“Instinct is something which transcends knowledge. We have, undoubtedly, certain finer fibers that enable us to perceive truths when logical deduction, or any other willful effort of the brain, is futile.”
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カイトとカモメとバック

2016-03-11 22:11:00 | 自然
今朝の堀江は、北東から寒気が入って、きれいなクラウドストリート(雲の道)ができていた。かなりガスティな東風。いつもの17㎡で数レグ往復したらもう充分だ。陽光満ちる海岸にカイトを寝かせて、久しぶりにカモメを眺めた。

この鳥は、日本国中どこの海岸にもいる平凡な海鳥だが、その姿態はまるで精密機器で設計したようにスッキリと美しい。今回は一羽で海上30mほどの高度を水平に滑翔し、東の浜で待機していたもう一羽と空中合流して北に飛び去っていった。

その合流の瞬間、彼女はあの本にも出てくる「垂直反転飛行」をやってのけたのだ。もう見事というしかない。合流地点に向けてかなりのスピードで直進し、相方が自分の位置に上昇して来たと見るや、衝突直前でキュンと身体をひねる。その動きには何の無駄も無理もない。水が流れるような一連の動作だ。

知っている人は知っているだろう。アメリカの飛行作家、リチャード・バック。彼が書いた『カモメのジョナサン』が、爆発的かつ世界的にヒットしてから既に45年が経つ。私は空を飛び始めた後に手にした。日本でもミリオンセラーになったこの本は、やはり奇妙な魅力を持っていた。邦訳(五木寛之)で僅か100ページほど、原著でも1万語程度。非常にシンプルで分かりやすい言葉で書かれている。


その内容にここでは触れないが、彼はそれに長い間(40年間)必要無しとして封印していた“パート4”を加えて、近年『カモメのジョナサン・完全版』なるものを出した。訳者、五木寛之の「長い間の違和感」はこれにて解消することになるのだが、私にはさほど気に留(と)めるような話しでもなかった。

リチャード・バックの作品は終始、彼の飛行体験から生まれる内的世界のメタファー(隠喩)である。その隠喩は単なる内的世界を超えた外的世界の現実と確実にリンクしている。そのリンクの要(かなめ)となっているのが「想像力」だ。多くは知らないけれども、現代作家の中で彼ほど、人間の「想像力(イマジネーション)」を大切にする人気作家も少ないのではないかと思う。

近年のある対談で、彼は語っている。「私たちは、物質的・身体的な生き物ではなく、生命や精神の表現体だと信じているし、考えている。重力や隔壁や限界によって束縛されるものでもない。だから私は「精神性(スピリチャル)」を指し示す道に大いに惹(ひ)かれるのだ。」

彼の作品は彼の哲学でもある。

「学ぶということは、君がすでに知っていることを見つけ出すということだ」
Learning is finding out what you already know.
とか、「最も単純なことが、たいてい最も真実なことである」
The simplest things are often the truest.
とか、「人の無智を現す印(しるし)は、不正義や悲劇を信んじ込む深さ具合である。芋虫が世の終わりと言うものものを、賢人は蝶と呼ぶ」
The mark of your ignorance is the depth of your belief in injustice and tragedy. What the caterpillar calls the end of the world, the Master calls betterfly.
・・・などと言う人間が書いたものが面白くない訳がない。

そして私が、彼の精神性の、強さと深さつまり本物かどうかを確認したのが、2012年の8月末に起こった大事故だった。77歳のバーンストーマーが、水陸両用機(愛称・パフ)でランディング・アプローチに入る直前、送電線に引っかかるという瀕死の事故を起こしたのだ。


事故現場の写真を見る限り、当たり前のパイロットでは生存は難しかったろうと思う。しかし、幾つかの偶然と必然が重なって、彼は生き残り、きわどい4ヶ月の入院治療から生還した。この瀕死体験(臨死体験)の後、先の「完全版」を出す気になるのだが、この事故をどう捉えたのか。彼は次のようなことを言っている。私はこれで彼の精神性の強さ深さに、ちょっとだけ触れたような気がしたのだ。

「何の痛みも苦しみもなかった。今の私は小学校の静かな教室にいる生徒のような気持ちです。事故とは自分の宿命の一つの現れです。今後も他の人たちの想像力に多くのことを学び続けるでしょう・・・」

心や精神に重きを置くスピリチャル的ニューエイジ運動は1960年代に大いに盛り上がり、ベトナム反戦や人種差別反対運動や反物質文明の原動力ともなったのだが、今に至る半世紀を経ても、その思潮は世界の深いところを継続的に力強く流れているように思われる。それはそうだ。世界や宇宙を観る軸に「物」ではなく「心」を据える思想の歴史は、西洋では短くともギリシャのプラトンまで遡り、東洋では少なくとも3000年前のインドにまで至るのだから。

そして、数千年前にインドの釈尊が得た「悟り」の内容が、どれほど広大で深淵なものであったか、釈尊の悟りを可能とした「根源」は何処にあったか、長いとも短いとも言える人類史の中で、それがどのように伝えられ、明かされ、実践されて来たか・・・等々についての私の愚かな考察は、リチャード・バックなどの哲学とも幾らか相対させながら、そのうち少し書いてみたいと思っている。
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