庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

別府 西風8m

2015-04-24 20:52:00 | 海と風
午後2時ごろ到着、若干南西寄りの西風。潮は満潮過ぎで徐々に引きにかかっている。セットアップが終わり、カイトランチ直前にS君来る。彼がセットアップしている間、少し走り、その後30分ほど。

徐々にまともなバックループが出来るようになってきた。まだまだ不完全だ。もっともジャンプにしてもループにしても実に様々なスタイルがあるので、完成ということはあり得ない。しかし、この数年、これを一つの大きな目標としてきた自分にとっては、嬉しい進歩だ。一体、何歳まで成長できるか・・・常に前を向いた挑戦の姿勢は生涯忘れまい。



ラッセル再読≠Q

2015-04-22 09:16:00 | 拾い読み
「我々は、ごまかしに満ちた世界に住んでいる。ごまかすことなく育てられた子供は、通常尊敬に値すると考えられている多くの事柄をきっと軽蔑する(軽蔑するように運命づけられている)。軽蔑はよくない感情だから、これは残念なことである。

子供の好奇心がそういう事柄に向かったときには満足させてあげなければならないが、私は、(わざわざ)そういうこと(注:偽善的な事柄)に子供の注意を促すようなことはすべきではないだろう。

正直(誠実)であることは、偽善に満ちた社会においては、ちょっとしたハンディキャップになる
しかし、このハンディキャップは、恐武Sを持たないという利点によって、十二分に償われる。恐武Sがあれば、だれ一人として、真実を語ることはできない。

私たちは、わが子が公平で、正直で、卒直で、自尊心のある人間になってほしいと願っている。

私としては、わが子が奴隷の技能で成功するよりも、むしろ、こういう性質をもって失敗するのを見たいと思っている。

すばらしい人間になるためには、生まれつきの誇りと高潔さがある程度不可欠である。そういう性質があれば、ある種の寛容な動機から嘘を言う場合は別として、嘘をつくことは不可能になる。

私は、たとえ世俗的な不幸を招くとしても、わが子には思想と言葉(発言や論文執筆)において正直(誠実)であってほしいと思っている。なぜなら、富や名誉よりも重要なものが問われているからである。」

<宴bセル『教育論』より 松下彰良・訳)
 
We live in a world of humbug, and the child brought up without humbug is 
bound to despise much that is commonly thought to deserve respect. This is
regrettable, because contempt is a bad emotion. I should not call his 
attention to such matters, though I should satisfy his curiosity whenever 
it turned towards them. Truthfulness is something of a handicap in a hypo-
critical society, but the handicap is more than out-weighed by the advantages
of fearlessness, without which no one can be truthful. We wish our children 
to be upright, candid, frank, self-respecting; for my part, I would rather 
see them fail with these qualities than succeed by the arts of the slave. 
A certain native pride and integrity is essential to a splendid human being,
and where it exists lying becomes impossible, except when it is prompted by
some generous motive. I would have my children truthful in their thoughts 
and words, even if it should entail worldly misfortune, for something of 
more importance than riches and honours is at stake.


堀江・北東風・昼まで

2015-04-21 14:09:00 | 海と風
今日の風は昼過ぎまでと読んで、朝の用事を早めに済ませて、S君と堀江へ。北東風が7mほど。ちょうど12時になったころ、風の方も昼食時。サッとやってサッと帰る。爽やかな午前中だった。

今回の出来の悪い動画のBGMは、薬師丸ひろ子の『Wの悲劇より』。 こんなに澄み切った声の持ち主が他にいるのだろうか・・・。



春の順風

2015-04-15 21:49:00 | 海と風
塩屋海岸に、また春の南西風が入り始めた。海面こそグシャ波だが、明るく暖かいお日様の下、波と風と心ゆくまで付き合えることの有難さ。7~8mの西南西・順風12㎡。S君は2時間走りっぱなしだった。

フラット水面を楽しむS君(スイッチがだいぶまともになって来ました)
↓Iさんと一緒に





ラッセル再読

2015-04-14 09:13:00 | 拾い読み
「全ての不幸は、ある種の'分裂'あるいは'統合の欠如'にその原因がある。'意識的な精神'と'無意識的な精神'とをうまく調整できないと、自我の中に分裂が生じる。自我と社会とが客観的な関心や愛情によって結合されていないと、両者間に'統合の欠如'が生じる。幸福な人とは、これらの統一のいずれにおいてもうまくいかないということで苦しんでおらず、自分の人格が内部で分裂していなくて、世界と対立してもいない人のことである。そのような人は、自分は'宇宙の市民'であると感じ、宇宙が提供するスペクタクルや、宇宙が与える喜びを存分に享受し、また、自分の後から来る人々(子孫その他)と自分とは本当に別個な存在だとは感じないので、死を恐浮オて悩むこともない。最も大きな歓喜が見いだされるのは、'生命の流れ'との深く本能的な結合においてである。」松下彰良・訳)
 
ラッセル著『幸福論』の最後、結論の部分である。"The Conquest of Happiness"は直訳すれば「幸福の獲得(征服)」ということになるが、何ものかを獲得ないし征服するためには、積極的・能動的な作業が不可欠となるだろう。

或る先哲は「善い事をしないことと、悪い事をすることは、同じか違うか・・・」と問うた。彼は「同じ」だという。多くの人々は「それは違うだろう」と言うだろう。しかし、この現実社会が、人間にとって不幸をもたらす根深い傾向性を持っているとしたなら、それに対して何もしないこと、つまり善いことをしないことは、結局、人間を不幸にする「悪いことをする」ことと同然となることは論理の必然。

では、何が善で何が悪か・・・何が不幸の根源的傾向性か・・・などについての私の愚考は、またそのうち少し書いてみることにしよう。


All unhappiness depends upon some kind of disintegration or lack of integration; there is disintegration within the self through lack of coordination between the conscious and the unconscious mind; there is lack of integration between the self and society where the two are not knit together by the force of objective interests and affections. The happy man is the man who does not suffer from either of these failures of unity, whose personality is neither divided against itself nor pitted against the world. Such a man feels himself a citizen of the universe, enjoying freely the spectacle that it offers and the joys that it affords, untroubled by the thought of death because he feels himself not really separate from those who will come after him. It is in such profound instinctive union with the stream of life that the greatest joy is to be found.


17と12

2015-04-13 20:09:00 | 海と風
今日の堀江は薄日。きれいな北東風がブローで10m。一番弟子のM君と私だけというのも珍しい。前半オゾン17㎡、後半カブリナ12㎡で走る。面白いことに17でもフルトリム、12でもほぼフルトリム。オゾン17の許容風域が如何に広いか、改めて知ったような次第。

しかしやはり、グシャ波コンディションで10m吹くと、小さめのカイトの方が楽だ。ラムエアで唯一生き残っているFSの12㎡にもまた出番を作ってやることにしよう。

今日はS君が助手に徹してくれた・・・ありがたいなぁ・・・



二人で17

2015-04-12 22:16:00 | 海と風
今日は二人で17㎡を共用することにした。まずS君から・・・おいしい風は彼がほとんど持って行ってしまったが、残りの5~6mの北風で20分ほど集中的に走る。時間がないと集中力が生まれる。これも悪くない。



寒気

2015-04-07 20:08:00 | 海と風
                                   波状の ブロー暴れる 寒気かな
                              なみじょうの ぶろーあばれる かんきかな

今日の堀江は東北東がブローで10mほど。強い寒気が海上に入った時に、たいがい起こる波状の風は、カイトサーフィンには適さない。突風と共に上からたたかれるからだ。

久しぶりにラムエアの8㎡を使ってみたが、10分ほど走ってもう結構・・・という次第。



久しぶりのK君

2015-04-06 13:22:00 | 海と風
我が友は 小松向かいの 片男波 今年の夏は 共に跳ぼうや
        わがともは こまつむかいの かたおなみ ことしのなつは ともにとぼうや

久しぶりにK君と連絡が取れた。富山にいたはずが大阪に転勤になっていた。先日は和歌山の片男波海岸の強風を楽しんだらしい。徳島小松海岸の風が南西~西に振れたときは、フェリーでちょっと対岸まで渡ってみるのも良いかもしれない。

                K君の奥様がここまでになっていたとは・・・!