庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

お盆を前に

2015-07-31 12:47:00 | 創作
6年前に加藤周一先生が亡くなり、5年前に親父が逝き、先日、鶴見俊輔さんが亡くなった。今春は、幼い頃から親しくお付き合いしていた、田舎の幼馴染や親戚のおじさんが続けて亡くなった。

いや増して、どんな人間も避けて通ることのできない「生死の問題」が身近に迫り、「生死即涅槃」の深淵なる法理に想いを致す。

ともあれ、敬愛すべき先人が、生命を賭して残した遺産には、さらに心して向き合わなければ・・・と思う。
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小松海岸の虹

2015-07-22 16:40:00 | 自然
昨日のカイト上がり、徳島の小松海岸東方沖に現れた虹は、最初、水平線上にボッと宝石のような光の塊が現れ、初めは低い位置で小さく、徐々に弧を大きくして見慣れた虹となり、最後は、左側の端が目の前、手を伸ばしたら届きそうな草の中に落ちていました。
 
これは私にとっては、なんだか七色の光があいさつに来てくれたようなもので、なんとも嬉しく不思議な気持ちになりました。
                 [[youtube:JaCb-I3NX6A]]
                  

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セミ 3

2015-07-18 16:53:00 | 自然
昼下がりに、縁深き一匹のセミを、本来居るべきキンモクセイに止めてやろうとしたら、なんと私が選んだ木の2mほどの位置に、先客がおりました。

これは、他の木にも?・・・と、ざっと点検したところ、全部で10個以上の抜け殻があり、したがってそれだけの数の成虫がいたということになります。

やはり、羽化してから鳴きだすまでは時間がかかるようで、我が家の庭も近所の庭も、いまだ極めて静かであります。

成虫がいた・・・というのは、先ほどの夕方、写真を撮りに行ってみたら、どういう訳か一匹も見つけることができなかった次第。 これもまた、どこに行ってしまったのでしょうか・・・。


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セミ 2

2015-07-18 08:33:00 | 自然
・・・おりました!。どうも一日、カーテンのひだに隠れていたようです。

まだ声がしません・・・そうだ、確かセミはオスしか鳴かないんだったな・・・と思いだして、確認しようとつまんでみたら、小さくジっと鳴いてくれました。

まだ羽化したばかり・・・というだけでなく、ひょっとしたら、ある程度の樹脂を養分としてからでないと元気が出ないのかもしれません。

もうしばらく様子を見て、本来到達するはずであったキンモクセイの程よい一本に移してやるつもりであります。


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セミ

2015-07-17 08:51:00 | 自然
昨日の午後、いつもの駄犬が休息所にしている庭の簀子(すのこ)の上に、クマゼミの幼虫を見つけました。

母家の庭には、キンモクセイが何本か植えてあり、その落葉と駄犬のフンが混じって、絶好の堆積土を形成し、その下数十センチには相当数のクマゼミの幼虫が住んでいます。

毎年、この季節のある夜、彼らは一斉に地上に這い出て、キンモクセイの幹をよじ登り、枝を這い、葉っぱにぶら下がって羽化し、大声で鳴き始める。

これでいよいよ今年も夏が来たなぁ・・・いうことになるのですが、この一匹は、どうも少し早まったようで、運悪くアイツに見つかりここまで運ばれたようなのです。

クマゼミの羽化の様子は、何年か前に一度観察したことがあり、このグロテスクな様の幼虫から、あの薄青色の透き通った羽を広げる、面白い生物が現れる瞬間に感動したものです。

これ幸いと、昨夜遅く、これを事務所のカーテンにくっつけて、どうなるか様子を見ようと考えました。

今朝の早く、すでにこういう状態です。奇妙なのは、殻を残して羽化を完了した成虫の姿が見えず、あのジャーという大きな声も、今のところ聞こえないということです。

後でその辺りを探しては見ますが、さて、どこに行ってしまったのでしょうか・・・。




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2015-07-09 21:47:00 | 自然
今日は昼過ぎまで大雨で、近くのドブ川が珍しく少々氾濫し、消防車まで出動という小騒ぎになりました。

お向い二軒の駐車場の段差プレートは横に流されて位置を変え、近所の駐輪場にあった自転車は車輪に大量の浮草が絡まったりしてましたが、まあ大きな被害はなかったようです。

しかし、雨上がりの良いところは、虹が出る確率が高いということです。今夕は東南東の空に同時に二つも、線の太い虹が出ました。

滅多なことでは走ろうとしない犬の散歩中だったので、このデブを引きずるようにして帰り、デジカメと共に取って返しましたが、すでに一つは消えておりました。

一声かけて出てきた家内と、しばらく子供の様に眺めておりました。虹というのはどうしてこんなに、人の気持ちをワクワクさせるのか・・・やはり滅多なことでは、姿を見せないからなのかもしれません。


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トウモロコシ3

2015-07-08 19:50:00 | 自然
我が家の敷地内に分散したトウモロコシの苗は、それぞれの場所でそれぞれの育ち方をしています。

にわか百姓の仕事とはこういうものなのでしょう。日当たりの良い一等地だと考えた場所は、深くに耕すことを怠ったので、ヒョロヒョロと伸びてはいますが、さて、実を付けるところまで成長するかどうか疑わしい。

今回の写真は、事務所の前のゴールドクレストという大木の根元に移植したもので、この針葉樹の厚い落葉と横に張った根が、固い土をかなり深いところまで柔らかくしているらしく、最も元気に育っているように見えます。


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言論の自由2

2015-07-06 12:50:00 | 政治
愛媛新聞の関連記事を、もう少し追いかけておきます。

政治アナリストの伊藤氏が言うように、「現政権の幼児化」が進んでいて、それでも支持率が大きくは減少していないとするなら、それを支持する国民の幼児化も進んでいる、ということになるでしょう。

モノゴトの分別もままならない幼児には可愛げがありますが、そうしようと思えば出来るちゃんとした大人が、正確な事実を知ろうとしなければ、単に可愛げがないだけでなく、コトの結末は当然ロクなことにはなりません。これは時と場所とを選ばず当てはまる公式のようなものでしょう。

やはりB・ラッセルも賢人の一人でした。今から55年ほど前のことですが、彼は遺言のような次の言葉を残しています。

Q:あなたの人生から学び取ったもので次の世代に語り残しておくべきことは何でしょうか?
 
A:二つあります。一つは理性的なこと、一つは道徳的なこと。
 
理性的なことで彼らに言いたいことはこういうことです。あなた方が何かを研究(勉強)したり、なにか哲学的な考察をしたりする時、ただ事実が何であるか、事実から導き出される真実がなんであるかのみを考慮しなさい。けっして自分がそうあって欲しいと望むものや、その社会的効果の如何によって目をそらされてはいけない。事実が何であるかだけを徹底して観察しなさい。これが理性的なことについて、私が言いたいことです。
 
道徳的なことについて言いたいことは実に単純です。「愛は賢明、憎しみは愚か」。相互の関係性がますます緊密になってきているこの世界では、私たちは互いに寛容であることを学ばなければなりません。人が自分の気に入らないことを言う場合にも耐えることを学ぶ必要があります。そうすることによってのみ、私たちは共に生きることができる。もし私たちが共に生きることを望み、共に死ぬことを望まないのなら、慈悲と寛容の精神を身につけなければなりません。これは人類がこの惑星で存続し続けるために極めて重要なことです。



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