庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

宇宙的体験 10

2014-01-12 14:02:00 | 訳稿:宇宙的体験

他の惑星や星への旅の体験は、しばしばUFOや地球外生命体による旅の手段として、また旅の案内役として関係付けられる。地球外知的生命体が存在するか否かの問題は、哲学者や神学者や科学者たちを魅了してきた。『神の仮説』のジョー・レーウェル博士によれば、「それが人間の形を持ったものであれ、精神的な伝達《コミュニケーション》によるものであれ、世界中の全ての宗教は人類と地球外生命体との相互交流に基づいている」例えばキリスト教の起源と聖母マリア(マタイ伝1:18)のいわゆる「無原罪懐胎」について考察すれば、聖母マリアの懐胎は地球外生命体の機関を通して引き起こされた。イギリスの作家、パトリック・ハーパーによれば「全ての伝統的な文化圏では、人々は神々のまた神に似た人間≠サの多くは空からやって来た≠フ子孫であると信じられている」

歴史を通して全ての文化圏で、人類は空からの奇妙な物体や飛行体の目撃や接触を記録している。これらの記録の研究は、通常、未確認動物学や宇宙生物学や民俗学の分野に落ち着くが、また、妄想とか病理とか神話とか空想とか想像とか病的興奮《ヒステリー》の結果とかに分類される。しかしながら、多くの研究者は目撃者や接触者が心理学的に健全である証拠を提供しており、その研究成果は社会学や行動科学の主流を成す機関紙で発表されている。

(画像:山の上を飛んでいるように見える物体=山形県川西町で2014年1月7日午前11時40分ごろ、小林孝さん・小学校長撮影)

1997年のタイムやCNNの調査では、アメリカ人の22パーセントは地球が地球外生命体によって訪問されていると信じていることが明らかになっている。2000年、世界で最も傑出したUFO研究家の一人であるリチャード・ドーランは「軍の高官や科学者の多くがエイリアン《地球外生物》はずっとここにいると信じている」と述べ、2005年にはプロのUFO研究家のスタントン・フリードマンは次のように語っている。

「私は地球外生物のUFOは存在していて地球を訪問しており、政府はそのことを知っていると強く確信している。これは希望的観測ではなく、私は千年紀の末に天空から救いの神が降りてくるなどという終末論者でもない。私の確信は私や他の研究者が多年に渡って収集した事実を科学的に分析することから生まれた。この山のように集積されるデータは、おそらく近在の銀河に存在する他の文明が、近いところから我々を観察しているという考え方を、圧涛Iに支えている。

しかし、伝統的な科学界の傾向性は、そのような報告を無視するか捨て去ってしまう。科学的主流を成す見方を覆すような証拠をまともに考察しようとする科学者はごくわずかである。勇気を持って他の惑星での経験を報告する人々は、私たちの文化圏の支配的な世界観からは、良くても異常、悪ければ桃メとみなされるのである。そのような体験は簡単には合意的現実とはならないし、伝統的な科学から支持されることからは程遠いのである。
しかし、実際のところ科学的「事実」は教条主義や信念に基づいている。宇宙物理学者のハルトン・アープによると:

「専門誌での記事の査読《さどく》の伝統は、ほとんど完全に検閲に堕落している。元々或る記事を審査する者は、計算や参照文献や明晰性などの間違いを指摘することで、それがより良いものになるを助けるはずのものだが、科学者たちは自らの理論に固執するために、好みに合わない記事の発行を拒否するのである。もちろん出版社は強力な財政基盤や現状に合う確立された学術団体からの最新情報を扱う。その結果、真に調査研究に値する科学はほとんど地下活動的なものになる」

この『科学的探究ジャーナル』での言葉は、今日の現代世界においても支配的な世界観に反する多くの着想や研究結果は伝統的な学会誌には載らないということを現している。その結果、多くの科学者はUFOや遠隔透視《リモートビューイング》といった話題に関して集積された証拠を知ることがないのである。科学者たちがこれらオーソドックスでない話題について実験しない理由はまず常識的なもので、彼らが財政的支援を失い、その経歴を危ういものにするというのが最たるものだ。



宇宙的体験 9

2014-01-06 12:45:00 | 訳稿:宇宙的体験
チベットには古くからじめじめした井戸の中で生涯を送ったカエルの話が伝わっている。

ある日、海からやって来たカエルが彼を訪ねた。
「君はどこから来たのかね?」古井戸のカエルは尋ねた。
「海からだよ」と彼は答えた。
「その海とやらはどれくらい大きいのかね?」
「とてつもなく巨大だよ」
「この井戸の四分の一ほどかね?」
「もっと大きいよ」
「もっと大きい?じゃあ半分くらいかね?」
「いやいやもっと大きいよ」
「それは・・・この井戸と同じくらいね?」
「全く比べ物にならない」
「そんなことがあるはずはない!私自身でそれを見てみなければ」
彼らは一緒に出かけた。古井戸のカエルが海を見たとき、あまりのショックに彼の頭は粉々に破裂してしまった。
 <\ギャル・リンャ`ェ著『チベットの生と死の書』

私が他の惑星や月や星々で冒険をしたという人たちにインタビューしたのは、彼らの体験を心理学的な関係性で探索するためだった。この調査をする上で、私の主要な興味は次のような疑問で表すことができる:他の惑星や月や恒星系での体験を報告した人たちは、その結果、彼らの人生上の重大な変化を語ることになるだろうか?

その答えは宇宙旅行の体験を持つ宇宙飛行士の報告と一致している。彼らは、恍惚感《エクスタシー》や結合感《コネクテッドネス》や歓喜を含む意識状況の信じがたい個人的変容を体験したことを認める。元宇宙飛行士のエドガー・ミッチェルは1998年に次のように述べている。

地球や宇宙をこのように、つまり大気の障害がないために星々が10倍も数多くまた明るく輝く完全な180度のパノラマを宇宙船の窓から見たとき、それはまさに壮大で圧涛Iなものだった・・・その時突然起こったのは心底からの認知であり・・・「私たちは何者か?私たちはどこから来てどこに行こうとしてるのか?など、科学的知識では明らかに不確かで不完全にしか答えられない太古からの疑問に、一挙に解答を与えてくれたのである。この統一《ユニティ》と結合性《コネクテッドネス》は恍惚的で歓喜にあふれた体験だった。地球に帰還した時、私は自分の人生が変化していることを知った。自分が体験したこと何だったかを知らなければならないことを知ったのである。

宇宙的体験 8

2014-01-05 11:24:00 | 訳稿:宇宙的体験
私はこの惑星(地球)上で生命が誕生したとも、私たちが宇宙の中で優れた存在だとも思わない・・・多くの教師がそう思わせようとしたけれども。

私たちが「宇宙の主《ぬし》」であり、どんなことも思い通りになると考えることはどんなに便利であるかちょっと考えてみて欲しい。しかし、これは地球上で、私たちと同じ種やその他の生き物たちを殺し続けているという、今日私たちが直面している問題の根源である。この惑星としての地球上でどのようにして生命は誕生したのだろうか?

科学者たちは地球は46億歳と言うが、宇宙はそれどころではなく、想像できないほどの古さと広大さを持っていて、無限の惑星や太陽(恒星)や月(衛星)を含んでいる。この惑星(地球)や、それよりはるかに古い惑星上には、目に見ることはできないにしてもあらゆる場所に生命が存在すると私は信じている。しかも、現実に何が起こっているかを知っているのは私だけだという訳ではないのだ。

私たちが何者であるか、私たち自身の歴史や宇宙での位置を知りたいという強い願望について、権威ある人々によって語られ続けているのは明らかである。しかしそれにもかかわらず、私自身の生命については私自身が専門家である。地球の向こうにある生命体を認めるということは、私たちの科学や宗教や信念の体系や世界観は適当なものでも受容されるものでもないことを認めるということである。それを見る準備ができている人々には、その過程はゆっくりと展開され進行していくだろう。

地球外生命体を認めたとき、私たち自身についての太古からの疑問や、大宇宙の最も深い意味合いで私たちが何者であるかに対する真の解答を得ることになるだろう。もし明日、地球外生命体が目の前に現れたら、ほとんどの人々の自己像は変化を遂げると、あなたは思わないだろうか?



宇宙的体験 7

2014-01-02 11:23:00 | 訳稿:宇宙的体験
前書き

子どもの頃、私は聖書も聖書的「神」も信じなかった。両親はそれを望んだが、私は馴染むことができなかった。聖書は明らかに巨大な物語として、本棚のフィクションの位置に収まっていた。一つの物語がどうして万人の現実となることができるだろうか?私自身の物語と他の人々の物語はどうだろうか?

両親は私を神学校に送り、ある夏休みには僧侶と共に住まわせることさえした。いつの日か私がイエズス会に入って救済されることを望んで。私は懐疑論者でも無神論者でもなかったが、12歳まで道に迷っていた。当時、私は多くの人々が「神聖な領域」とみなすものを見たし感じてもいたのである。そして、聖書の創造神話は私が経験していたことと全く整合しなかった。

教会は生命が地球上で発生し、地球は宇宙の中心であり、地球外生命体など存在しないと伝道していた。私はというと、この世界のどんなものより進歩していると思われる、他の世界からの存在と交流していたのである。しかし、批判されることや社会からつまはじきにされることを恐れて、私はその事実を隠していた。

今や私は大人であり、他の人々が私をどう思うかあまり気にしなくなった。そして、幼い頃よりももっと世界に貢献できると思う。人類よりも高度に知性的で優れている知的生命体が存在せず、それらの生命形態が今日私たちと共にあると推定しない理由は絶対にない。教条的な宗教や科学が、私たちにが何ものであるかを如何に激しく信じさせようとしても、それに真に答えられるのは私たち自身だけである。

夕空の深淵を凝視すれば、その深淵が私たちを凝視する。そして、多くの人々が信じてきたほど、地球はそう古くも特別でもないということを私たちに思い起こさせる。実際、地球は永遠の宇宙に比べれば比較的新しい惑星である。私たちは、自分が何者であるかについて、もう教条的な宗教や科学に頼る必要はない。ただ、私たちが「全てのもの」の重要な一部であるということを時々思い出す必要があるだけである。私たちは皆繋がり合っている。この繋がり合いが、大宇宙の際限のない心や意識を利用する能力を提供してくれるのである。

教師たちは私に生命の存在しない宇宙を想定させようとしたが、私はそれを信じなかった。私はいつも宇宙には他の知的生命体がいるという生得的な感覚を保ち続けていた。仮にSETI(地球外知的生命体探査)が、私たちが本当に孤独な存在で、そう考えている人たちが存在し、「地球外知的生命体との接触なし」と結論しても、そんなことを想定するのは馬鹿げていると思っていた。私は、彼らが大多数の現実的考え方に迎合していると考えていたから、すでにこの分野に科学的業績が提供することを求めているものを支持しなかった。

また、私は無から宇宙が発生しただろうとするビックバン理論や、進化の理論そのものは支持するが、私たちが地球上で醸造された有機体のスープから進化したというダーウィンの進化論を信じなかった。もちろんETは宇宙のどこかで進化したのかもしれない。私は悪い生徒だろうか、それとも悪い先生を持った良い生徒だろうか?私の教師のほとんどは、良い報酬との引き換えに、大多数の現実、或いはそれがどのようなものでも、支配的な世界観を受け入れるよう説得されてきた。現状を支持すれば、多くの経済的見返りがあるのである。私の見方は異なっている。なぜなら私の経験が異なっているからである。そして、私は社会的容認やお金のために俗論を容認する方向に心が傾くことはないだろう。


宇宙的体験 6

2013-12-28 10:03:00 | 訳稿:宇宙的体験

 カール・ユングに影響された作家の中には、UFOは現実の物体ではなく調和と均衡を求める人々によって「マンダラ」が視覚化されたものであると仮定する人たちもいる。しかし、私が期待することを正確に語ってくれた人はいなかった。つまり私が目撃するまでUFOについて適切に説明されることはなかったのだ。そして、私の観察は私が現場に到着する前後に出てきた人たちと一致していた。私は人生に調和があり、世界に均衡があることが喜びであることを否定しないが、この「マンダラ」の私たちの観察は全く同一の形態を描写しているように思える。

その円形の一団はあまりに遠くボンヤリしていたので写真に撮ることはできなかった。しかし、私はこの体験を極めて鮮明に思い出すことができるし、いまだに常識的な説明をしたいと思っている。その間、この異常な目撃は私の個人的な神話に何か影響を与えたのだろうか?

(1)科学は私たちが当惑する体験の全てに説明を与えきたわけではなかった。(2)疑いがあるとき、謎に満ちた状況に対する適切な態度は偏見のない懐疑主義である。(3)他の人々の不可解な出来事を意味のあるものにするには寛容であることが賢明である。彼らの個人的神話がはなはだしく有害でも悪意のあるものでなければ、それらは在り得る話として、当惑させるような状況を理解する試みが必要である。

加えて、これらの姿勢の一つかそれ以上が、個人的な神話を創り出すことにおいて、結果的にそのような異常性を説明するきっかけに成りえるのである。創造的な産物は、しばしば後に主流を成す文化の根っこ部分になる個人的な先見性を反映してきたのである。

仮にこれらの説明や経験が地球外生命体の証拠を提供しないとしても、それらは私たちを、人類の記憶や感情の世界の不思議により深く引き込み、まだ発見されていない私たちの内なる世界の領域の図表を作るのを助けることになるのだ。

※スタンレー・クリップナーは人間性心理学協会の前会長であり、この分野で分水嶺をなす『夢テレパシー:睡眠中の超感覚的知覚の実験』の共著者である。クリップナーは人間意識、超心理学的現象、意識の変性状態の先駆的業績において世界的に知られている。何百もの記事や『神話的道程・霊媒師になること・ヒーリングの状態』『スピリチャルヒーリングとシャーマニズム』など多数の本の著作者でもある。彼は夢や催眠や個人的神話などについて世界的なセミナーや講習会を行っている。

WEBサイト:www.stanleykrippner.weebly.com.

この前書きは、『禅・接近遭遇の技巧:狂気の智恵とUFO』のスタンレー・クリップナーによる「異常な目撃」の章をメ[ル・デビッド・パースグローブが編集したものである。



宇宙的体験 5

2013-12-26 11:26:00 | 訳稿:宇宙的体験
オウロ・プレトのグループにこの話をし、UFOに代る他の説明(宇宙塵の衝突、幻視、幻覚、雲形)を提供した後、私は眠りについた。

1時間もたたないうちに、グループの一員であるシャーリーから、外に出てUFOを見るようにという電話があった。私は急いでいたので靴を履き忘れ、岩でゴツゴツした地面をスリッパ履きのままで難儀したのであるが、その物体がよく見える丘の上までシャーリーに付いて行った。

到着したときには数十人のメンバーが集まっていて、彼らの注意は遠方、地平線から高い位置にある赤、色、緑色が円形に配置された物体だった。1時間の間、それは見え続けており、近づきも遠ざかりもしなかった。地平線からの角度も同じ位置に保たれているように見えた。

あまりに遠くにあったので、その大きさを推定することは難しかったが、通常夕暮れ時に西の空に見える星(宵の明星)の少なくともの4倍ほどはあった。5分か10分ごとに、一つの光点が配置から離れ、ちょっと休んだ後、また他の光点と合流する。この現象はメンバーのすべてが詳細な部分にいたるまで同様に報告している。もしこれが幻覚的なものであれば、集団幻覚ということになるに違いない。

私は通常考えられる説明を一つ一つ除外し始めた。それが静止していたことから航空機ではありえない。同様の理由で、彗星や隕石や人工衛星でもない。夜間の出現だから雲形でも日暈《ひがさ・にちうん》でも氷晶でもない。その空間位置から北極光(オーロラ)の可能性もない。脈動するのでなくキラキラ輝いていたことから球状稲妻でもなさそうである。

数個の光体であったことから、惑星や恒星の形態でもない。光の配置が静止していたことはそれらが航空機の一群ではなく、時々一つの光が配置を離れるということは、光体の配置が気温の逆転や地上光の反射であるとは言えない。特別な計測器でもなければその距離を正確に推定することはできないが、光体の配置は遠すぎて、蛍や鳥やその他のどんな地上の生物から成り立っているともいえない。

宇宙的体験 4 序文

2013-12-24 10:45:00 | 訳稿:宇宙的体験
                   序文

1561年にドイツで描かれた絵。UFOを描いたもので、右下には墜落して煙を上げていると見られる、と考える人もいる (ウィキペディア)

人間は人生の途上で困惑させる出来事を説明する必要があり、文化的、民族的、家族的、また個人的な、多くの段階で神話の類《たぐい》を作り出している。人間の脳は信条を探り、また事実を捜す。その結果得られた私的な神話は時に文化的神話に埋め込まれた有力な意見と衝突することがある。私がUFO(未確認飛行物体)論争にアプローチするのはこの枠組みにおいてである。

私はUFO問題について、アレン・ハイネック氏、ジョン・マック氏、マイケル・パーシンガー氏など高名な研究者たちと議論し、カール・セーガン氏やフィリップ・クラウス氏の講義を聞いてきたし、時に接近遭遇をしUFOを目撃したと主張する何十人もの人々と話をしてきた。またUFOの住人と私的な触れ合いを持ったと主張する数人の個人と会ってもいる。その中には、誘拐(アブダクション)されたという人や、身体の部位を精査されたという人や、体内に異物を植え込まれたという主張する人もいる。

そんな中、1991年の2月、私は普通でない経験をした。ノエティク・サイエンス(純粋思惟科学)学会(元宇宙飛行士・エドガー・ミッチェル氏が設立した組織)が、スピリチュアルなコミュニティーや地元の治療師を訪れるために、グループでブラジルに行かないかと誘ってくれたのである。2月22日、我々はミナスガライス洲の歴史的な採鉱町、オウロ・プレト近くの素朴な田舎ホテルに滞在していた。

夕食時、グループの一人が、私がUFOを見たことがあるかどうか尋ねてきた。私は無いと答えた。数年前、私は2人の友人と夜明けの谷に行き、ブラジル人のスピリチュアルなコミュニティーに参加したときのことを話した。屋外での瞑想セッションの間、私たちは3人は講堂のそれぞれ別の場所に座っていた。そのセッションの直後、友人の一人・ロルフがやって来てUFOを見た、と語った。それはブルーのディスク状で底の部分で光が点滅しており、およそ30秒間見えてから消滅した。

数分の後、他の友人・アルバートが駆け寄ってきて、私にUFOを見たかどうか聞いた。私はすぐに彼をロルフから引き離して、ロルフの話が聞こえないようにし、詳細をたずねた。彼の目撃は10秒以下だったという点を除いて、アルバートの説明はロルフのものと完全に同じものだった。それから夜明けの谷の住人たちは、午後の瞑想セッション時、特に音楽がかかっている時によくUFOを見ると話してくれた。

宇宙的体験 3 総目次

2013-12-23 10:08:00 | 訳稿:宇宙的体験


総目次
前書き スタンレー・クリップナー博士
目次
序文
序論
 第一章
地球外体験の背景的探索
1 古代の伝説と現代科学
・古文書における記述
・シャーマニズム
・土着の宗教
・パンスペルミア(胚種広布説)
・宇宙生物学
2 アブダクション体験(AAE)
・アブダクション体験(AAE)とは何か
・アブダクション体験(AAE)の代替説明
3 その他の事実・拡大体験
・臨死体験
・他の惑星のリモート・ビューイング(遠隔透視・千里眼)
・例外的な体験

4 他惑星での体験についての歴史的報告

・オルフェオ・M・アンゲルッチ (1912-1993)
・ジョージ・アダムスキー (1891-1965)
・エリザベス・クレーラー (1910-1994)
・クラウド・ボリーロン (1946-)
・ウッドロー・デレンバーガー (1943-)
・ミシェル・デスマルケット (1931-)
・T・ロブサング・ランパ (1910-1981)
・ビリー・マイヤー (1937-)


第二章
地球外探検者へのインタビュー
5 カーテンを上げる
・研究の概略
・研究の限界
・将来の研究
6 アャ拷F宙船での三昧体験:エドガー・ミッチェル博士
7 アルファケンタウリ星への旅:ノーマ・ミラノビッチ博士
8 クリスタルタワー:マリリン・ヒュー
9 火星北極冠のドーム:ギャリー・ノースコット
10 異なる時空:アレクサンドラ・スターク
11 異郷の新参者(出エジプト記2:22)リチャード・クケンダル
12 木星へのミッション、1973年4月27日:インゴ・スワン

第三章
 証拠が導くところ
13 調査結果:意識変容の道標
・共通のテーマ
・やや共通のテーマ
・重要な人生の変化
14 地球外生物体験に替わる説明との比較結論
付録A 質問表付録B 
精神病理学的テスト結果の概要
用語集
脚注
参考文献
語彙参照
筆者について
内的習慣について
関連文献
著作権



宇宙的体験 2

2013-12-20 14:10:00 | 訳稿:宇宙的体験
   謝辞

本書は、現在、主流を成す権威筋や彼らの理論による世界観に公然と反抗し、論議を呼ぶものとみなされるかもしれない。しかし、長い間支持された理論でさえも、その誤りを正す反証の重圧を受けて粉砕され得るということを、私たちは心しておくべきである。今回の作業を完成させ、学術のまた公衆の世界に私を飛び立たせて下さったジョン・マック博士、レオ・スプリンクル博士、スタンレー・クリップナー博士のご助力とご献身に感謝します。

本書の出版は、私の個人的人生の一つの旅に終わりをもたらすことになる。ほとんどの旅がそうであるように、それは最初の一歩から始まったが、当初、どの方向に私を導くことになるか分からなかった。この旅は長く困難であり、それは私という存在の中核を病的な傾向に導く、情け容赦ない多数派的現実を支持する人々の行為やスタンスによって悪化させられてきた。

私は相当な時間を苦悩と失望に費やしたが、自身の内なる智恵を通して純粋な喜びを得る瞬間も経験したのである。この発見は、私の人生の旅を通して随伴し終着点まで導いてくれた、慈悲深い地球外生命体のおかげであると考えている。時々、私はこの個人的な信念と自分自身を分離したくなることがあるが、おそらくそれは、私の研究に参加してくださった方々がその体験を語るときに、落ち着いた雰囲気を作り出すことに役立ったのではないかと思う。

宇宙的体験 1

2013-12-19 08:50:00 | 訳稿:宇宙的体験
              『宇宙的体験』
         「異星人との接触と意識の拡大 」
           トーマス・J・ストライカー著

本書「惑星外体験」による徹底的な分析によって、トーマス・ストライカー氏は、より深い疑問、つまり、これらの事例は単に主観的に重要な経験なのか、それとも客観的事実なのかについて、土台となる仕事を成しとげた。本書は、私たちがこれら経験的レメ[トを見逃すべきではないことを示している。
ユルゲン・クレーマー博士 (『意識と変形』ジャーナル主任編集者)

理論的な学識、詳細な証拠文書、人間的好奇心、思いやりの心によって、トーマス・ストライカー氏は地球外生物との遭遇や他の惑星文明ついて語る人々の調査結果を提供している。
レオ・スプリンクル博士(カウンセリング心理学者、ワイオミング大学名誉教授)

本書をこの研究に参加して下さった方々に捧げる。皆さんが人生の長きに渡って献身されてきた内なる旅や、UFOやET現象を語ることや、また宇宙を包含する精神的現実の中で生きることを実現する上でしばしば伴う痛みや苦しみに耐えてこられたことに謝意を表する。説明不能の現象についての報告は、同様の経験を持たない者にとっては概して奇妙なものであり、その結果、多くの経験者はあえて自らの体験をオープンに語ろうとはしない。数世紀前、空から石が落ちてくるのを報告したとき、当時の科学の専門家は、そんなことは有り得ないと主張した。しかしその後、数年の抵抗の後には隕石の存在が受け入れられたのである。私たちが新しい事実を直視するのは、そのようなパイオニアたちの犠牲??時に追放や嘲笑や全面的な軽蔑や死でさえも??を通じてである。