庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

宇宙人のこと

2019-10-10 22:26:00 | 
今夜の宿はここにした。ベンチに座っていたおばあちゃんは琴平から来た実に元気な94歳。琴平参りは私が中学生になるまで我が家の年中行事だった。

 
私の90歳の母もよくしゃべる社交的な人だということで話が合い、しばらく色々とお話しているうちに娘さんが帰ってきた。娘さんといっても私と同年ぐらいだ。

 
今日はめったにない快晴だ。移動中も現在もまったく雲がない。例のお月様が徐々にふっくらとしながら今も見ている。
 
道中、宇宙人のことを考えていた。これについては17歳の頃からずっと興味が続いている。もっとも地球人である私たち自身が、宇宙的視野では宇宙人の一類であることは間違いないわけだから、宇宙人は確かにココにいるのである。
 
やはり問題は、地球の外からやってきているかもしれない生物ということになるのだが、これはもう仏様の教えの中では当たり前のことで、宇宙法界は原始生物から超高等生物に至るまで生命で溢れかえっている。具体的には数々の仏典を読んでみればすぐわかる。さらなる問題は、人間みたいな生物がこの地球に現実に来ているかどうかということだ。これについては私なりの考えがあるのでまた別に書く。
 
そして現代科学は、仏様の知見を後追いする形でちょっとずつ「地球外の生命体」の発見に近づいている。ある所ではSETIプロジェクトなど、ずいぶん気の長いことやっているが、光や電波よりもはるかに速い意思伝達手段があることをいまだに認めようとしない。今のところ確証はないけれど、アメリカなどいくつかの国ではもうすでに、その種の宇宙人と接触している可能性はあると思う。
 
アポロ14号の元宇宙飛行士・物理学・工学博士のエドガー・ミッチェルさん(こないだ亡くなった)などは、月から帰りの宇宙船の中でとんでもない神秘体験をして、その実態が何かをずいぶん研究された。ついに「サマーディ」(彼の言葉でサトリ)という仏教の初門まで来ていたから、もう二、三歩で法華経迹門あたりまでは到達したかもしれない。
 
私はそのオープンマインドで誠実な語り口に惹かれて、彼のインタビューを観たり本を読んだりしながら、そのうち会いに行こうと本気で考えていた。彼なら礼を尽くせば、私のような人間でもちゃんとお話しできただろうと思う。
 
彼はデカルトの二元論やニュートン力学の限界を身をもって体験したのだが、周囲の学会権威が理解を示さないので、自ら「ノエティック・サイエンス」(精神科学)と言う研究所を作り膨大な科学的データを残した。この研究所にもいっぺんは行ってみたい気もするが、その内容はある意味、分かり切ったことなので必要ないかもしれない。
 
ついでに、ジョディ・フォスター主演映画「コンタクト」のことを書こうかと思ったけど、晩飯が出来上がった。今回これまで。

 
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