今週は好きな作家が2人続けて亡くなった。20日の斉藤茂太90歳と23日の灰谷健次郎72歳。全く分野の異なるお二人で共通点を見つける方が難しいくらいだが、私はどちらの書かれたものも好きだった。
斉藤の弟は“躁鬱”で有名な「ドクトル・マンボウ」の北壮夫。斉藤自身は飛行機好きの自称“慢性的軽躁”の精神科医。文学も専攻された大学の大先輩だったことは彼の履歴を見直して初めて知った。
躁と鬱の分類を使うと、灰谷の子供たちや人間に対する姿勢は、彼の“軽欝”的性格がベースになっていたのかもしれないし、斉藤も精神科医として人間世界の多くの苦悩に共鳴することのできる鬱の側面を持っていたにちがいない。
灰谷や斉藤の作品を通底して流れるこの世界や人を見る眼の“優しさ”は、陰陽苦楽が同居するこの現実世界で、日の当たらない影の部分と、その中で生きる人間の本源的な善性とでも呼ぶべきものから、決して眼をそらさない姿勢から生まれていたのだろうと思う。
葬儀も告別式も喪主の存在も拒否した灰谷の意志と生き方に、いま少し思いを巡らせてみたい。
斉藤の弟は“躁鬱”で有名な「ドクトル・マンボウ」の北壮夫。斉藤自身は飛行機好きの自称“慢性的軽躁”の精神科医。文学も専攻された大学の大先輩だったことは彼の履歴を見直して初めて知った。
躁と鬱の分類を使うと、灰谷の子供たちや人間に対する姿勢は、彼の“軽欝”的性格がベースになっていたのかもしれないし、斉藤も精神科医として人間世界の多くの苦悩に共鳴することのできる鬱の側面を持っていたにちがいない。
灰谷や斉藤の作品を通底して流れるこの世界や人を見る眼の“優しさ”は、陰陽苦楽が同居するこの現実世界で、日の当たらない影の部分と、その中で生きる人間の本源的な善性とでも呼ぶべきものから、決して眼をそらさない姿勢から生まれていたのだろうと思う。
葬儀も告別式も喪主の存在も拒否した灰谷の意志と生き方に、いま少し思いを巡らせてみたい。
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