午前中用事で外出、初めチャリンコで行くつもりだったけど、暑いので結局車で。
で午後からは偶然にも、車で、東京~九州の1,500キロを走る映画を見た。何しろ50年前の映画、ストーリーよりも、俳優の演技よりも、道中の景色、暮らしが今となっては貴重だと思った。
京都市内、大阪駅前などがあまりにレトロで、途中からカメラを取り出してテレビ画面を写した。
ジャガーのオープンカーを運転する浅丘ルリ子。国道フェリーはたぶんできたばかりと思う。それまでは国鉄連絡船だけ。フェリーってオシャレだったんです。
夏は納涼目的で、家族で乗った記憶があります。
鄙びた感じの岸壁。屋根なし、エアコンなしの車の運転は過酷だと今なら言えるけど、当時はものすごくかっこよかったのでは。
宇野で石原裕次郎を待つルリ子さん。裕次郎は維新の会共同代表、慎太郎氏の弟ね。スターでした。
ナビなんてないので、地図一枚の真剣ドライブ。明石から鳴門へ渡った裕次郎が高松から宇野へと戻ると予測して、宇野の港で待つことにするルリ子さん。
そう、当時は本四連絡橋は一つももない時代。船で行くしかない。車で遠くに行くこと自体、ものすごくかっこいいこと。
国道だって未舗装。中央車線もなし。当時は車も少なかった。大学の自動車部、国道二号線で日曜日にラリーしていた。60年代末のお話です。
1955年頃、四国から東京まで自転車旅行した叔父(当時は大学生)の話では、国道一号線も街中だけは舗装、殆どは未舗装の悪路だったとのこと。
トラックの幌も最近は全然見ませんね。
尾道水道。海沿いに木造の家が一列に並ぶ。今はウォーターフロントとして再開発済み。
広島県賀茂郡河内付近。今は三原市になったのかな?ジープを追いかけるジャガー。
広島へ着きました。T字型の相生橋、縦の部分を北上。後ろ平和公園。原爆ドームは第一回の修復のまだ前。
相生橋の上を行く広島電鉄の路面電車。
向こうに見えるのは宮島?この付近は以前は企業の保養所が多かった。
未舗装で土埃が舞い上がる。しかしまあ、高速道路もない時代に九州まで行くなんて、過酷。電柱は木。たぶんコールタール塗装。
博多では、二人は車ごと山笠に巻き込まれる・・・初めから避ければいいようにも思うけど、映像的には面白い。
京都と大阪の映像を撮り逃がしたのが返す返すも残念。
本日の必殺手抜き昼食。インスタントラーメン利用の中華冷麺。
ランチョンマットは織りの先生にいただいた。タレ入れは自分で絵付け。まだまだ夏野菜。