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「母と子のお雛さまめぐり」 藤田順子

2016-03-08 | 読書

1931年生まれの筆者は子供のころ、家でひな祭りを祝ってもらっていたが、1945年3月9日、14歳の誕生日の夜、東京大空襲で、大切な雛人形は焼けてしまう。

戦後、日本と西洋の髪形や風俗の勉強を始め、1960年頃からは、各地の雛人形を見て回り、同時にひな祭りについても研究を始める。

平和な子供時代の、幸せな雛祭り、それが戦争で無残にも断ち切られた哀惜の思いを一生持ち続けた人なのだろう。

ひな祭りの起源は中国の古い時代までさかのぼるそうな。

三月の最初の巳の日、中国の人々は川へ行って禊をしたそうで、それが日本にわたって、紙や草で作った人型で自分の体をなで、厄や禍へ穢れを人型に移して川へ流したのが日本でのひな祭りの始まり。

巳の日は毎年変わるので文武天皇、700年のころ、三月三日と決められたそうな。ということはまだ奈良に都が置かれるそのまだ前、ということになる。

とっても古い時代からの習わしだったんです。知らんかった。

旧暦三月と言えば、いよいよ春も本番、水辺へ行って冬の間の汚れを落としてすっきりしたいところ。誠に理にかなっている。

源氏物語の中にも、光源氏が若紫=後の紫の上と雛遊びをする場面がある。その頃には広く定着していたのだろう。

やがて、女の子の健やかな成長と幸せを願う行事へと変わって行き、江戸時代になると豪華な人形、道具が次々と考え出され、売れていく。写真を見ると、現在の雛人形の形は江戸時代、江戸でほぼ完成しているように思う。

この春先の行事が連綿と続いてきたのは、汚れをはらうことから、女の子の幸せを願うことへと意味が変わってきたからであろう。そうであるなら、この先もずっと変わらずに続いていくと思う。

ひるがえって男の子の行事、端午の節句。こちらは勇ましい元気な子のお祭りだけと、それを顕すのが鎧兜、武器なのがちょっと苦しい。なぜならば、それらすべて、人を殺める道具であるからして。

男の幸せとはなんだろう。戦うことではなく、堅実な仕事。そして、男もまたよき伴侶に恵まれ、つつがなく一生を送ることだと思うけど、それを顕す飾り物が私はちょっと思いつかない。人形の業者さんもいろいろ考えているのかもしれないけど。

人形はどれも古い時代のおっとりとした顔、道具類場とても手が込んでいて、図番も見て楽しい本です。

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