本日、お昼はしっぽくうどんにしました。野菜の具たくさんで温まります。
何?それ?
という方が大半と思われますので、こちらなど参考に。
写真では西洋人参ですが、実家では金時人参で作っていました。
というか、西洋人参は子供のころは見たことなかった。昨日、たまたま金時人参が手に入ったので作る気になりました。
はんぺんは残り物、本来はお上品で合わないけど、何でも統合するのが家庭料理にして郷土料理の良さ、仲間外れを作らない。
私はこのうどんが大好きです。野菜が熱々で、だし汁の味がしみ込んでおいしく、何よりもふるさとの味がする。母が作っていたように私も人参、大根は拍子切り。その方が早く煮えて味もしみこみやすい。
農家だったので、特に昼ご飯は早くできるものを。野菜を大きく切ると時間がかかる。必要から生まれた作り方。
年取ると子供のころ食べていたものがしみじみとおいしい。
夫ですか?
夫は食べません。ぐちゃぐちゃと野菜が入って食べにくいと不評なので、いつも私だけ。夫はだし汁に簡単なトッピングで。
人生の貴重な一食をむざむざ食べずに済ますなんて、何という不幸と思うけど、お互いの食文化にはケチをつけない。寂しそうなうどんで可哀そうなんて、間違っても言わない。言わずに平和共存。平和がいちばん。
金曜日は登校日。200㎝で完成、190㎝まで来たので楽勝と思っていたら、デザイン画の上端10㎝を後ろへ折り返していた_| ̄|○
だから残り1520㎝。登校日はあと3回、何事もないと出来るはずだけど、何事もないことを祈りましょう。
土曜日はたまった家事を片付けて買い物しているとすぐに昼。
木曜日の夜に綜絖は通していたけど、残りの作業はする気にならず、午後から糸の注文と古い申告資料の廃棄など。
糸見本は昨日午後の注文で、今朝午前中にはもう届いていた。
素材はレーヨン、さすがに発色がいい。
先日、私の織見本とデザイン画を会の偉い人に見てもらったら、綿糸よりレーヨンがいいとのアドバイス。
今はリアルな手芸屋さんはほとんどなくなっているので、何とかネットでタッセル用の糸を探した。
うまくいくか心配。大学で助教の先生に相談したら、少しだけ買って試しに使えばとの助言でした。
古い申告資料から古い封筒を取り出す。封筒は防水がしっかりしているので、生ごみ入れにぴったり。資料は捨てる。
捨てるけどたまには面白いものも出てくる。
1990年頃に私が描いた長男と次男。その頃は既に中学生なので写真見て描いたと思います。
玄関先に座る長男。二歳くらい。
子供の服は母が送ってくれたり、自分で作ったり。
この時は、ツィード生地でニッカボッカみたいなズボンを縫って穿かせていた。
丸々と太り、可愛かった。今はもう立派なおじさんになってしまって。。。。
こちら涎掛けをする次男。
年子で生まれて大変だったけど、それは我が計画性のなさ。
二人とも元気でほとんど病気をしなかったので、何とか毎日が回っていたと思う。
この紙は、なぜか実家の父が世話をしていた地区の老人会の広報紙の裏紙。
広報紙の内容は、老人会主催の日帰りバスツアー、公民館での料理教室、老人の生き方の講話などなど。父は1999年に79歳で亡くなったので、この時は今の私より若い。70過ぎくらい?
親はずいぶん年上と思っていたけど、今の自分より若い時期もあったのに驚く。当たり前なので驚くこともないんだけど。
叔母がなくなった知らせが従弟から届く。長く会っていなかったので、70代半ばくらいかなと思っていたけど、90歳だったそうで。
そりゃそうです。私がこの年なので叔母が70代ということはない。
日月は流れに流れ、それを嘆くでもなく、面白がる自分がいる。明日はもう未知の世界。浮世の義理を一つずつ手放し、自由な世界で自由に生きつつ、最後を静かな心で迎えたいものです。
この名前どっちが先だったかは知りませんが、長崎に豪華な卓袱料理が有りますが、香川のしっぽくは、こちらからの命名の方が納得するぐらい豪華ですね。
関西のしっぽくを子供の時から好きだったんですが、「年寄りみたいだ」とからかわれていました、でも今は堂々と食べられます。
そんな与太話とは別ですが、最後の二行心にしみました、私もこう生きて行きたいです!!
長崎のは有名ですね。中国の料理の流れを汲んでいるのでしょうか。
ふるさとにもおしゃれな店ができて、私が住んでいたのは半世紀以上も前なので、浦島太郎の気持ちですが、それでも郷土料理は続いています。
味覚とは不思議ですね。
最近、たいていのことは流せるようになりました。ここまで生きてきたので、たぶんこのあとも大きく変わることなく行くのではと望んでいるのですが。