ブログ

 

「住まいと家族をめぐる物語」 西川祐子

2016-09-14 | 読書

昨日は絵付け教室でした。スペイン旅行の写真見て、白い村の道を描いてみました。


京都文教大学での講義録をもとに、学生とのフィードバックも織り交ぜて、近代以後の日本人の住まい、家族の変遷をコンパクトにまとめている。

扱うのは主に戦後で、復興期から高度経済成長期を経て、この本の書かれた今世紀初めまでをたどっている。

以前、この著者の「借家と持ち家の文学史」も面白く読んだけど、この中では当時の学生が、私たちの世代だと当然と思っていることに驚く様子も興味深かった。

家は家族の容れもので、人の暮らすところ。自分がどう暮らしたいか、家族でどう過ごしたいかが、私自身が想像していた以上に、はっきりとと映し出すものだとの認識を新たにした。

ここで取り上げるのは都市の家との、学生の指摘も面白かった。最後の方で北陸の大きな家の間取り図があり、一階は応接室に茶の間、続き間の座敷(これは仏事などに対応)、二階が家族の個室という家があり、その家のにぎやかな暮らしも想像した。

しかし、この家は女性が働かされる家でもある。親戚、地域の集まりでは男性が、取り仕切り、せきにんしゃとして振る舞う家でもある。そんな家に住みたいかと問われれば、今の私にはノーと答えるしかない。

ややこしい親族や地域社会から離れてなら昔の家も楽しいかも。主に都市部で、古民家に若い人が店を出したり、シェアハウスとして住むのはこの本の出た時点での新しい傾向で、それは今も続いていると思う。

いえいえ、えらそげに言いましたが、私には大家族を維持するだけの家事能力が決定的に欠落しています。

人は時代によって生かされ、時代の制約から逃れることも容易ではない、そんなことも考えました。

私の住んできた家を指折り数えたら、7軒目。若い頃は二年ごとくらいに引っ越ししていたけど、もう38年この家に住んでいます。途中で大規模な増改築や細かな手直ししながら、半日日が当たらないのは不満だけど、いつか日当たりのいい老人ホームへ行くまでは(出来たら行きたくないけれど)ここで住みます。

この本は先週、友人と会いに久しぶりに本通りに出かけ、フタバ図書で買ったもの。新本と古本の共存する珍しい本屋です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

手織り

にほんブログ村 ハンドメイドブログ 手織り・機織りへ
にほんブログ村

日本ブログ村・ランキング

PVアクセスランキング にほんブログ村