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山陰の旅2006年夏

2016-09-03 | 旅行

寄生虫の 帰省中の三男と三人で山陰日帰り旅。2006年8月6日

山陰本線、海水浴場、いい一日だった。

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岡山・鬱金と琺瑯の旅2006年

2016-09-03 | 旅行

 岡山・鬱金と琺瑯の旅

      岡山・鬱金と琺瑯の旅 06/4/14              



広島~岡山は高速バスで2時間20分くらい 倉敷JCTで瀬戸中央道(瀬戸大橋)が分岐



吉備路文学館前庭の鬱金(うこん)。駅から徒歩で10分くらい。まだ六分咲き


初めて見たのは2001年、色は控えめ、花は豪華


白、黄、緑、薄紅、茶・・・深みのある色のハーモニー



ベネッセ本社の前を通り旭川へ。後楽園が見えてきました。まさに錦織り成す春の長堤


ここからはマニアックな収集

マニアの方、持って帰らないで!

種苗店で。店の人も忘れていた看板

こちら邪魔者扱い

引き出して写し、またもとの場所へ


岡山は桃の産地、高速バスからは斜面を覆う桃の花が・・・

 
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 名古屋、松阪、伊勢 年末急ぎ旅2007年

2016-09-03 | 旅行

 引き続き、昔のホームページ移動中。レイアウトが崩れてるところもありますが、なにとぞご容赦ください。

 名古屋、松阪、伊勢
           年末急ぎ旅
 
                       2007 12/8~9
 いろんなことがあった2007年、名古屋の学会に出かける連れ合いに、一緒に行かないかと誘われた。
 「サンキュー♪誘われて乗らぬ手はなし、遊びなら」と、午後にはハンドバッグ一つで新幹線に乗っていた私。

 私は学会に用はない。翌日かねて行きたかった松阪、伊勢へ。う~~む、三重県は広くて暖かくて暮らしやすそう。
 帰ればたまった用事が待ってはいても、年末の旅行も捨てがたい。終わりよければすべてよし。
 来年もいい年でありますように。











「ノリタケの森」

四時過ぎ名古屋着。あちら学会&懇親会へ。こちら夕暮れ迫る「ノリタケの森」へ。     
名古屋駅から地下鉄&徒歩で15分くらい  



食器を見るのは大好き。で、つい買ってしまう悪いくせ。
夏用の涼しげなトリプルセットを

 













名古屋駅のイルミネーション

 
おとぎの城が刻々変化する。
駅前で見上げる人、人、人、交通整理の警察官。
二階ベランダは光の森をくぐりぬける大勢の人。
歳末気分いっぱい 









  
 
 
松阪 

近鉄名古屋発8:40、松阪着10:16 ¥1,230
静かな城下町を徒歩で見物する。
旧参宮道、向こう京都方面、手前伊勢方面。
橋の向こうには、色町があったとか。
信仰と遊びはワンセット。
見聞を広めて遊んで・・・旅は今よりずっと楽しかったことだろう。
 





小泉見庵宅跡


松阪と言えば本居宣長、本居宣長といえば松阪。 
日本史上に燦然と輝く国学のビッグネーム。
向かいの親友の家が医者で、(あの程度なら?)自分もできると京都に遊学。小児科などを修める。
京都ではだいぶ遊んだとのこと。

昼間は診察、夜は古典のお勉強。晩年には全国に五百人以上の弟子を持ちながら、乞われると気軽に診察していたという。
 
宣長の家は松阪城内に移築保存。こちら向かいの小泉見庵宅跡

 















旧宇治山田郵便局部分

JR松阪発11:44 伊勢市着12:04 \400 

外宮前の大正12年建設、旧宇治山田郵便局増築部分。
(本体は明治村に移築保存)
こちらは現在、レストランなどに。お洒落!!

 












伊勢神宮外宮


長いアプローチ、玉砂利、白木の鳥居、照葉樹の原生林・・・
行って初めて分かったのだが外宮と内宮は全く別の神社。
六キロ離れてるそうで、祀られる神様も違う。知らんかったあ~~


下宮前~内宮前 バス\410 約10分


 











伊勢神宮内宮


どんな人も?はるか手前からここまで徒歩で。
最後の石段も当然自力で。画面右、足の悪い年配女性が息子さん二人に抱えあげられていました。
 
賽銭箱なし、絵馬堂なし、おみくじなし、ないない尽くしのシンプルな神社。写真の建物は門の役割?白い布で遮られ奥の奥の本宮は見えない。

白木の掘建建築、草葺き(材質未確認)で日本文化の古層を連想する建物。
以前テレビで見た雲南省の奥地の農家のような、あるいは東南アジアの・・・

どこかモンスーン地帯の匂いがする伊勢神宮。
 


         

 
神鶏 
という言葉があるのかどうか、鶏が玉砂利の中をつついておりました。       
クオッー、クォクォとは鳴かずに静かに。神社の鶏はお行儀がよろしい。            
           



 














 伊勢おはらい町通り


 内宮の門前町。とても賑やか
 妻入りの伊勢独特の商家が軒を連ねる


 お参りを済ませた人はどこか晴れやかな顔



 








赤福本店


只今「無期限営業禁止処分中」
 














伊賀組ひもの店 「平井」


帯締のほかにキーホルダーなども販売。
自分用に絹のマフラーを買いました
 


















おかげ横丁


江戸末期から明治初期の門前町を復元
こちらは洋風建築


神宮会館前~伊勢市駅前 ¥320 約10分



 















高島屋のクリスマス


携帯を切っているらしく、連れと全く連絡がとれない。
ムカついて一人で帰るつもりの新幹線ホームでバッタリ。やれやれ。

今回またしても珍道道中のお粗末(完)
   


 
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小豆島 冬の旅 2008年

2016-09-03 | 旅行

 小豆島 冬の旅

近くてもなかなか行けない小豆島、今回20年振りに出かけました。お正月の混雑も終わり、静かな島には暖かい冬の日差しがいっぱい。
オリーブと素麺と醤油と、自由律の俳人と…本土から少し離れただけで温かい人情もいっぱいの島旅です。 2008/1/13~14
                                                                                   
 
新岡山~土庄はフェリーで カモメが船を追ってきます
 
 
オリーブ園で 風車はギリシャミコノス島のイメージだそうです
 
 
百年前、日本へ初めて導入されたオリーブの木 たわわに実をつけていました
 
 
道の駅小豆島オリーブ記念館で アテナはオリーブの女神だそうです
 
 
ハーブ喫茶「グリース ハーブ入りパスタ
 
 
オリーブだけが小豆島ではない。こちら伝統的な島の暮らしと産業と・・・・・
 
 
島には大小の醤油工場が。丸金は資料館を見学するとお土産に醤油の小瓶がいただけます
 
 
地元では下駄と呼ぶ舌平目。冬の風に当てて干物を作っています 二十四の瞳映画村近くで
 
 
素麺の天日干し 小豆島ふるさと村で
 
 
小豆島八十八か所 十四番清滝寺で 建物は前だけ 後ろは岩の中です。               
こちらへお参りすると四国八十八か所と西国三十三か所へお参りしたのと同じご利益があるとのこと


 
島のサルたち
 

ハイ、なんでしょう?

おい!!
 

おかあさ~~ん♪
  
         モグモグ、ムシャムシャ…
 
 
大坂城残念石
 
 
島の北側、小海地区には大坂城改築のために切り出された石が残っています
 
 
 

突如現れる巨大な観音像。 帰りのフェリーからも島影に上半身が見えていた。一体これは何なんだ!!!!
(小豆島大観音仏歯寺)







宿から見る朝の海 旅情満点~♪





寒霞渓から星が城山へ登る。左から八栗山、屋島、高松市街、五色台 女木島、男木島など。奥は四国の山々絶景

 

放浪の俳人 尾崎放哉(ほうさい)は結核で亡くなるのまでの八か月を小豆島で過ごします。
形式にとらわれない独特の俳句には、孤独と向き合う厳しさがひしひしと感じられます
    

尾崎放哉記念館
 
 

放哉の過ごした西光寺内の「南郷庵」は記念館に。現在の建物は復元された三代目
 

障子あけて置く海も暮れ切る


いれものがない両手で受ける


咳をしても一人


翌ハ元旦がくる佛とわたくし 

放哉

 

 

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四国カルスト、天狗の森、黒滝山、内子 酷暑の旅 2008年

2016-09-03 | 旅行

  四国カルスト、天狗の森、黒滝山、内子 

    四国カルスト、天狗の森、黒滝山、内子 酷暑の旅       
 
 先月一人でイギリスへ行ったので、今月は連れ合いと一緒に
海外旅行(海を越えて四国へ) 
 泊まるのは
イギリスのホテル(オールドイングランド道後山の手館) うーーーむ、かなり無理が、、、
 そのあと車で高知県境の天狗高原から登山しようと計画。
 愛媛県大洲は当日日本一の暑さ37.2℃だったそうで、汗びっしょりの登山となりました。                                                             
                                                2008/7/19~21  




   
 

ホテルに着くと「本日は混雑しているので食事は八時から」とのこと、道後温泉街を散歩。後ろは道後温泉館。
二階、三階で休憩できて風情満点でした。
 
   
 

 オールドイングランド道後山の手館。いつも間際に宿を探すので、今回はこんな感じに。日本人の考える憧れの西洋♪


 
   
    
 レストランにはあちこちにでかい食器棚があって目隠しになっています。スポードの食器ばかりを入れた棚もありました。
食事はコース料理で、まず一品目、アミューズ。飾り皿はノリタケかどこかの特注品で宿の全景とロゴが真ん中にあります。
 でもそこに四角のお皿を載せるのは大丈夫?下に紙ナプキンを敷いているとはいえ・・・
ちなみにイギリス人はこんなに丁寧にお料理を作らないのでは・・・日本人好みですね。
 
   
 
 
次は魚の冷たいお料理です。お皿のふちの水玉模様が涼しげです。この後は食べるのに夢中で写真はありません。
  食事はフランス料理、レストランは夜は浴衣厳禁
でも館内に温泉あり。気取ればいいのか、くつろげばいいのか、、、、

 
   
   
 
こちらカフェテラス、上はぶどう棚になっています


 
   
 

 翌日、気を取り直して高地県境の天狗高原へ。松山から二時間半。
途中、高原マラソンと遭遇しなかなか登山口まで行けません。 向こうは高知県。
 
   
 

 日本三大カルスト台地の一つ、四国カルストです。向こうに見えるのが国民宿舎天狗荘、うしろに天狗の森が見えます。
 あの山へ登ります。



 
   
 

キャンプ場などたくさんの施設があります

 
       
 

天狗荘後ろの登山口から登って行くこと55分、最初のピーク、天狗の森へ着きました
大引き割りは大きな亀裂らしいのですが、時間がないので行けません

 
   
 
 
天狗の森頂上から黒滝山を見ます。大分下りてまた上り返すコースです。向こうの白いのは山を削って石灰岩でも採っているのでしょうか。
途中に黒姫平という谷底でご夫婦に遭遇。
 「広島から来た」と言うと、「先日比婆山へ行った。ブナが凄いね」と山仲間はすぐに打ち解けて嬉しい限り
 
   
 

黒滝山は見晴らしはいまいち。登った証拠に一枚
 
   
 

時間がないのでカルスト台地へ駆け上がり、急いでパチリ。
時に午後三時半、これからあの林道を通って山を下り、内子まで行きます
 
   
 
 
今夜の宿は個人経営の「山荘 山岡」。内子の市街地から近いとはいえ山の中で、周りに家はありません。
 木の茂った庭の奥が玄関、お客さんは三組、宿と言うより、田舎の親戚の家に行ったよう。
トイレと風呂は部屋にもありますが、大きな風呂に家族ごとに。 部屋と風呂から山だけが見えます。
朝は小鳥の声で目が覚めて、くつろげる宿でした。水周りは増築したばかりのようでとても清潔です。

 ホテルが非日常の空間を楽しむ場所なら、こういう宿は同じ非日常でもふるさとへ帰る。子供のころへ帰るという感じ。
 のんびりすごしました。


 
   
 

内子は木蝋の集積地として栄えた町、今も当時の繁栄のしのばれる町並みが残っています。
こちらは酢卵を作る森文と言う醸造元です。


 
   
 
 
寛政年間の建物がまだ現役です。上芳我、中芳我、下芳我というお宅があります。
いずれも旧家のようで、公開しているお宅もありました。


 
    

  驚いたのはイギリス人が観光していたこと。
  ガイドボランティアの初老の男性に町の名前を言い、コッツォルズと言い足していたけれど、男性は反応なし。
  話に入って「先月行った、いいところだった」と言いたかったけど話が弾んでいるようで割り込むのは遠慮した。
  アメリカ人観光客もいた。
  先月、まさかコッツォルズの人は極東の国にまで来ないだろうと思ったけれど、来る人もいるんですね。
  京、大阪ではなく、本当の日本が残っているのはこんな町。外国人をひきつけるものがきっとあるのでしょう。

  このあと若いころ読んでいた大江健三郎の生地がこの付近と聞いたが、小説ではものすごく山奥のイメージで断念。
  でも帰ってから案内をよく見ると、内子駅から車で10分なんて・・・

  「濃密な森の気配があたりを支配して・・・」というような文体に先入観を持っていた私が早とちりでした。行けばよかった。残念。


   
     
     
     
 
     
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有田陶器市2008年

2016-09-03 | 旅行

有田陶器市

8年前の日帰りバスツアーです。昼食付いてないけど、驚きの安さ。多分4,980円とか。

このころは一人でせっせとバスツアーに参加。一人だと、バスはたいてい奇数のグループに混ざって窓際。どういう態度をとればいいかと言うと、知らんぷり。変わり者と思われても、自意識は自分の中で処理。

たまに一人参加の人と隣りあわせだと、楽しく話して一日過ごす。

この時は隣に誰も来なかったので、ゆったりしていて、片道6時間くらいの車中で、本一冊、余裕で読了。バス旅行と読書は相性がよろしい。

今はもうこんなきつい旅行できないかも。2016/9/3の感想。

有田陶器市     
  
今年で105回目の有田の陶器市、五年ぶりに出かけてみました。いいお天気で、平日なのに大勢の人出です。 
                                    
(読売旅行有田陶器市日帰ツアー) 2008 4/30



広島駅発6:40 有田泉山P着12:20 無料シャトルバスで有田駅へ。有田駅前から柿右衛門窯へはタクシーで数分
窯元は町はずれの山裾、静かな所にあります


邸内は広大。即売場、古陶磁参考館、庭園などがあります。この日は人間国宝、14代柿右衛門氏が作品の説明などをしておられました。

作品は飾り壷約600万円から酒杯7000円くらいまで。数万円のものが結構売れていました。



見学者にはお茶とお菓子の接待があります。いい器で緊張しながらいただきます


こちら菓子鉢

 


花柄の多い柿右衛門の中で、ひとつだけ縁側に座り柿の木を見上げて思案する初代柿右衛門を描いた柄があります。庭には立派な柿の木が。



柿の若葉が艶々ときれいです




このあと有田駅までゆっくり歩いて約20分。途中で出会う人はみな挨拶をかけてくれます。女性、子供、道路工事中の人まで。とても気持ちいい町でした。


有田のメイン通り、四キロ余りの道の両側は陶磁器の店がずらりと並びます



街角でろくろの体験ができます。なかなか難しそうです

 
器尽くしの水槽には金魚が泳いでいますある店先で

 

通りの中ほどまで来ると昔からの窯元が続きます。今泉今衛門窯、展示館もあります。


こちら香蘭社。デパートでよく見るブランドです。明治初めから、食器を海外へ輸出しています。


深川製磁。皇室で使う食器も作ります。以前は二階に展示してありましたが、この日は入れませんでした。


とんばい塀 登り窯の耐火レンガを利用した塀です。面白い色合いになっています。



有田初17:00 広島駅着21:50 強行軍でしたが、幸い好天で気持ちいい旅行でした。
今回のお買いもの。。。。う~~む、衝動買いばかり。何しろ店が多くて、時間は迫るし、次はゆっくり見たいもの


 

 
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信濃追分・軽井沢文学紀行 2006年10月17~18日

2016-09-03 | 旅行

信濃追分・軽井沢文学紀行1

自分のホームページから10年前の記事、転載。よかったらご覧ください。

ホームページ消滅まであと20日あまり、なるだけたくさん移したいものであります。

立原道造は著作権切れで、青空文庫から拝借した記憶が。最近見ないけど、作品はどんどん増えていることでしょう。


 信濃追分 詩の生まれる場所へ      2006/10/17~18  

 
  詩集 萱草(わすれぐさ)に寄す    

  SONATINE N0.1

 
   はじめてのものに      立原道造

 ささやかな地異は そのかたみに
 灰を降らした この村に ひとしきり
 灰はかなしい追憶のやうに 音立てて
 樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきった

 その夜、月は明かったが 私は人と
 窓に凭(もた)れて語りあった (この窓からは山の姿が見えた)
 部屋の隅々に 峡谷のように 光と
 よくひびく笑ひ聲が溢れてゐた

 ──人の心を知ることは
……人の心とは……
 私は そのひとが蛾(が)を追ふ手つきを あれは蛾を
 把へようとするのだらうか 何かいぶかしかった

 いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか
 火の山のものがたりと
……また幾夜さかは 果たして夢に
 その夜習ったエリザベートの物語を織った
 
 
   
  浅間山(中軽井沢付近から)  2006.10.18
 
 
   
  浅間山  2006.10.18
 
 
   
  浅間山 2006.10.18

 
   
  詩集 風に寄せて

 夏の旅

   I  村はづれの歌     立原道造

 咲いてゐるのは みやこぐさ と
 指に摘んで 光にすかして教へてくれた――
 右は越後へ行く北の道
 左は木曾へ行く中仙道
 私たちはきれいな雨あがりの夕方に ぼんやり空を眺めて佇んでゐた
 さうして 夕やけを背にしてまつすぐと行けば 私のみすぼらしい故里の町
 馬頭観世音(ばとうくわんぜおん)の叢(くさむら)に 私たちは生れてはじめて言葉をなくして立つてゐた

   
  分去れの碑/中仙道と北国街道の分岐点 2006.10.18
 

私はその娘さんを一度も見たことはないが、一緒に散歩くらいはしていたものらしく、その途上にあった雑草とか野の小径や、林の上に顔を出している浅間山なぞが、娘さんの体のほとぼりを取り入れて、匂って来るような彼の詩がいたるところにあった。
・・・・・・この愛情風景が、温和しい立原にものの見方を教えてくれただろうし、心につながる追分村が、ただの村ざとでなくなっていたのだろう。

                                                            室生犀星 我が愛する詩人の傳記  中央公論社 1970       

 

 
   

立原は村の油屋という古い旅館で、生涯の夏の大半を送った。昭和十二年大学を卒業した年に、この油屋が焼けて二階に寝ていた立原は逃げ場を失い、むかしお女郎部屋も兼ねていた部屋の格子の窓の柵をこわして、やっと焼け死ぬことを遁れた。

                                                 室生犀星 我が愛する詩人の傳記  中央公論社 1970 
  
★油屋さんの名誉の為に付け加えておけば、この時の火災は貰い火。この火災がなければ、宿の古い造りも今に残っていたかも知れず、残念です    

 
   
  油屋に残る色紙/里見弴 小島政二郎 川端康成 堀辰雄 志賀直哉 /1943年(昭和18年)
   
   
  里見弴 室生犀星 佐藤春夫
   
  
   
  谷川俊太郎と萩原朔太郎
 

 
    詩集 萱草(わすれぐさ)に寄す    

  SONATINE N0.1

 のちのおもひに               立原道造

 夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
 水引草に風が立ち
 草ひばりのうたひやまない
 しづまりかへつた午さがりの林道を

 うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
 ――そして私は
 見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
 だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……

 夢は そのさきには もうゆかない
 なにもかも 忘れ果てようとおもひ
 忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには

 夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
 そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
 星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう
   
  追分宿の面影 2006.10.17
 

 

そうだ、信州へ行こうと思い立つたのは東京の友達に会いに行く約束をしてから。彼女は軽井沢に住んだこともあり、常々その魅力を聞かされていた。

が、しかし東京はあまりに遠く、信州はもっと遠い。お金と時間と、うまく折り合いをつける方法はないものか。ということで、東京までは激安夜行高速バス(片道\8,500也を利用)。吉祥寺の駅で待ち合わせるのに手間取ったが無事友達とも会え、午後からは信濃追分に向かう。軽井沢まで新幹線、そこからしなの鉄道に乗り換えて信濃追分まで。東京からは一時間半くらいでつく。驚きの速さ。

信濃追分は無人駅。駅前は人気なし。静まり返った昼下がりである。正面に長く裾を引く浅間山が雄大な姿を見せている。噴煙少々。
追分宿までは落葉松林の別荘地を歩いて20分ほど。
昔、信越本線ができた時、軽井沢や追分は宿場の運送業者が自分達の客を取られないようなるだけ遠くに駅を作らせたらしい。今の追分は旧軽井沢とはあまりに対照的。街道の賑やかさは全くなく、ひなびた田舎町という感じである。

堀辰雄文学館は終焉の地に建っていた。門は追分宿本陣のもの。どこかへ移設されてたのが、持ち主の好意で再び追分に戻ったとか。立派な門は、追分の往時の繁栄振りを偲ばせる。堀夫人は現在93歳、追分に在住されている。

さあ、いよいよ油屋宿泊である。文学館の斜め向かいにある。私の予約は「文豪の部屋旧館素泊まり体験プラン\7,000」というもの。素泊まりだが、お願いして朝食もつけていただいた(+\1,500)。さらに寒いからとグレードの高い新館の部屋に泊めてもらう。風呂も独り占め。あくまでも親切な油屋さんである。部屋はもう暖房していた。一人で静かに過ごせる日本旅館は女の一人旅には大変有り難い。

客は数人らしいが、滞在中誰とも出会わなかった。
どっしりした構え、太い柱に梁、旧家の主らしい宿の御主人の悠揚迫らぬ物腰。おいしい食事。団体客なし、日帰り温泉なし、みやげ物売り場なし。あるのは追分宿の脇本陣という、宿全体から伝わる風格。

無理をお願いして旧館の作家がよく泊まった部屋も見せていただく。牡丹の掛け軸あり。堀辰雄の小説「菜穂子」には油屋が「牡丹屋」という名前で出てくるらしい(大昔に読んだので詳細失念)。その部屋から庭を見ると松の木に野生のリスが。

本当に静かで本当にいい宿だった。昭和12年の火災で全焼し、場所も道の北側に移ったとのこと。しかし往時の面影は残っているのではないかと思う。
若い頃、自分が追分の油屋ヘ行けるなんて思ってもなかった。感動した。そして油屋の皆様、大変お世話になりました。有難うございました。
 2006.10.23

 

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軽井沢・信濃追分文学紀行 2006年10月17~18日

2016-09-03 | 旅行

ホームページの移行が難しそうで、こちらへ移します。10年も前、私も今よりは若かった。。。。

この時は東京経由で往復。松本経由よりは楽。軽井沢町の植物園は時間なくて行けず。いまだ果たせていない。

 軽井沢 高原文学の面影      2006/10/18  



  10/18 今日もいい天気。食事の前に追分宿のはずれまで行ってみる。
子供達が通学している。いいところに住んで幸せな子供達。
しかし当人達はコンビニ行きたいとか考えているのかも。

食事のあと、「今日は軽井沢へ行きます」と言って宿を出る。駅まで、別荘地を抜けて20分くらい。
いいところだなあ。こんどは萱草(わすれぐさ)=キスゲの咲く頃来ようかな。


 軽井沢 

 
旧三笠ホテル・1905築・国の重要文化財

 
 
立原道造の思い出というものは極めて愉しい。軽井沢の私の家の庭には雨ざらしの木の椅子があって立原は午前に(追分から)やって来ると、私が仕事をしているのを見て声はかけないで、その木の椅子に腰を下ろして、大概の日は、眼を瞑って憩んでいた。・・・(中略)・・・いつ来ても睡い男だ、そよ風が頬を撫で、昏々と彼はからだぐるみ、そよ風に委せているふうであった。

                          室生犀星 我が愛する詩人の傳記  中央公論社 1970  
 
室生犀星記念館・1931築
 
私が療養所を訪ねた日は雪ふりの後で・・・(中略)・・・立原はふとんの中で大事にしまってある自分の手を、いくらか重そうにして、出してみせた。それは命のたすからない人の手であって、たすからないことを対手に知らせるための手であり、本人はそれでいて未だ充分にたすかる信仰を持っている手であった。
                        室生犀星 我が愛する詩人の傳記  中央公論社 1970




 
 旧軽井沢、「大倉」のアウトレットショップで絵付け用に購入。広島まで持って帰った。真っ白で軽く、金線も鮮やか。 


 
聖パウロカトリック教会・1935築
堀辰雄「美しき村」「風たちぬ」に登場


 

塩沢湖周辺のレジャー施設。
直通バスが運休時は軽井沢南口より無料送迎あり




軽井沢高原文庫
軽井沢に関する文学資料の収集、展示。
敷地内に堀辰雄第四山荘、野上八重子書斎、道を挟んで有島武郎別荘などが移築されている。
写真は高原文庫敷地内の「立原道造文学碑」
「のちのおもひに」の初めの一節が刻まれている。
製図台をモチーフとして磯崎新が設計。立原が建築家だったのはよく知られるところ



 

有島武郎の別荘を移築
今は文学資料館と「一房の葡萄」という喫茶店に



 

ペイネ美術館前のバラ




 

深沢紅子(こうこ)野の花美術館(旧軽井沢郵便局・1911築)
立原道造とも交流のあった画家。立原は盛岡の彼女の実家の別荘に滞在したこともある。

 

軽井沢・信濃追分文学紀行1  

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