メチャクチャ感動して、小説の中の三人の若者のひたむきさに胸が詰まり、さっき読み終えてからずっと涙ぐんでいる。
本読んで泣くなんて、本当に久しぶり。前はいつだったか、もう忘れた。長く生きてきて、少々のことには動じなくなったばあちゃんも、涙が出る。
字が読めるようになってからこの方、数えきれないほどの小説を読んできたけど、たぶん一番感動したと思う。
あと印象に残っているのは10代の終わりの「死者の驕り」「万延元年のフットボール」、30代後半で読んだ「羊をめぐる冒険」くらいかな。いずれもノーベル賞、またはその候補と言われている作家である。
あまり種明かししてはいけないのだけど、語り手のキャシー、友人のルース、そしてはじめルースの彼氏、ルースの死後キャシーの恋人になるトミーは、いずれもクローン人間で、生まれた時から施設で集団生活をしている。
クローンだろうと何だろうと、子供の頃にはやんちゃなエピソードがあり、自我が芽生えるころには愛や友情で一喜一憂するごく普通の人間。
でも彼らには親兄弟はなく、結婚して子供を産むこともなく、将来の夢を実現することもなく、臓器提供者としての使命があるだけ。
ものすごく恐ろしい話だと思った。人が人であるのは親の思いや文化を受け継ぎ、それを子供に伝えていくという命の連鎖の上にあるのだと私は思うから。この作品の登場人物たちの深い孤独。宇宙の闇から生まれ、ひと時命をきらめかせて、また永遠の漆黒の中へと消えていく。
施設で育てられる(培養される)子供たちは、徹底的に疎外されている。命さえも自分のものではない。その中で育ち、友情をはぐくみ、恋をする若者たち。
学園を卒業すると、コテージに移って集団生活をし、やがて一人ずつ、提供のために各地に病院へと散っていく。提供は4回が最多で、その前に術後が思わしくなく死ぬものもいる。
日本料理店でのすっぽんの血抜きにさえ目くじら立てるイギリス人が、こんなことするはずもないけど、もうずいぶん前、クローン羊を作り出したのもイギリス人。科学が命さえ操れる時代、作家はそれにインスピレーションを受けたのだと思う。
この小説には、人間は何によって人間であるのか、命とは何かという深い問いかけがある。
この小説を読んで、両親に見放された孤児の寂しさが、この鈍い私にも少しはわかったと思う。
コテージにいるとき、ルースのクローンの元になった人(ポシビル)を見かけたと仲間から聞かされ、三人は確かめに行く。近代的なオフィスでてきぱきと働く中年のキャリヤウーマンだという。それはルースが夢見て決してかなうことのない将来の自分の姿。
結局、よく見ると似ていないという失望に終わるけれど、孤児が親を探すよりももっと切実で、胸が詰まる。
愛し合っていれば三年間の猶予が与えられる。ルース亡き後、キャシーとトミーはわずかなつてを頼りにそれを確かめに行くが…
死が逃れられない運命としても、最後まで人間は人との信頼をよすがに生きていく。読んでそう思った。メチャクチャ感動した。今年五月に行ったポーランドのアウシュビッツ(オシフェンチム)の収容所を思い出した。