下田から車で15分のところに蓮台寺温泉があります。
そこに吉田松陰が隠れて滞在した村山邸があります、ここで新たなる発見がありました。
吉田松陰が金子重輔とともに下田のアメリカ艦船に乗り込み渡米をしようと企てた、横浜では幕府の警備が多くて
あきらめ、この下田の地で結構するがごとく乗り込んだ、松陰は疥癬を病んでおりこの温泉地が聞くと聞いて
やってきた、最初は村の共同浴場にこっそり入り隠れてるところをこの邸主の医者の村山行馬郎にかくまわれ
二階の部屋で隠れ部屋として滞在した。
いよいよ決行し、アメリカ艦船に乗り込むが返されてしまい、捕まった。
治療したとする家の中の温泉
二階が隠し部屋
当時は周りに木が生えていて見つかりにくいということがあったそうだ・・
松陰最後の書き物 留魂録の写し
松陰の最後の辞世の句
親思うこころにまさる親ごころ けふのずれ何ときくらん(家族あて)
身はたとい 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置おかまし 大和魂(弟子宛)
ということであった、留魂録の書かれた日は10月20日 処刑の一週間前
ここの管理人さんが昨年大変なものが見つかったとのこと
辞世の句はほんとは別にあった。
この扇子に書いてあるのが辞世の句
最後の最後で心清らかに出立するという気持ちを書いた、処刑の行く声を聞いて
この句が
井伊大老の家老長野主膳の家に代々残されてたというのがわかった、昨年発見された!
なぜ長野主膳が持っていたのか・・
この句を弟子たちに渡すと暴発するのではという危惧から長野主膳が秘密裡に持っていたのだろうということらしいです。
辞世の句が変わる?
これがほんとうの辞世の句で絶筆
もうひとつ
これは5年前に見つかったのが、スタンフォード大学で保管されていた文書
吉田松陰がアメリカ艦船に乗り込む際にわたす渡米お願いの文書
アメリカの通訳に渡された文書
名前を変えている
そのままアメリカに持ち帰られて保管されていたそうだ・・
松陰がかくれて入ってた共同浴場、今も使われている
共同浴場なので集落の人しかはいれないのですが
近くに足湯があった・・・
吉田松陰先生の遺せきに触れると身にしゃきっとする気分になる。
この感じは今年会津に行ったときも同じだった。
君の志はなんですか?と松陰に問われてるような気がする。
さて・・答えられない・・若い時はあったけどね 今はといわれてむずかしい
しかし自分の立ち位置は変えずにいよう。
晋三のおかげで松陰先生も大変天国で嘆いてらっしゃるのではないだろうか、なげかわしい。