『線で繋ぐ引地山~石鎚山』を先週は黒森峠から白猪峠までを歩いた。そして
その次の区間となると黒森峠から青滝山を縦走する事になる。その為には
久万高原町の梅ケ市登山口に車をデポしなければならないのだが、天気予報を
見ると早くから雪マーク。ノーマルタイヤでは登山口までのアプローチも
怪しいので、早々に黒森峠から東への残り3区間は来年への持ち越しとなった。
そうなると県内の里山歩きになるのだが、今年の2月に阿讃縦走路を終えて直ぐに
引田から折り返し、荘内半島の讃岐三崎灯台を目指して歩き始めた。
引田鼻灯台を東端として、白鳥アルプス・虎丸山・笠ケ峰を経て日下峠まで繋いだ
ところで、私がスキーで転倒して腰を痛めて中断となっていた。その続きの日下峠
から檀特山・女体山から大窪寺は日中の時間が短いこの時期には、少し時間がかかる。
ならどこを歩きたいですか?と奥様たちに尋ねたら、笠形山と返事が返ってきた。
計画の線で繋ぐの中では丁度中間部になるのだが、この琴南辺りは県内でも意外と
雪が積もる地域なので、本格的な雪のシーズンになる前に歩いておくのも手だと
思って了承して琴南の公民館を集合場所とした。
(尾瀬山から西をどう繋いで行こうか思案中)
琴南の公民館からは美合の郵便局を過ぎ少し走った所で国道438号線から東に
雨島の集落を目指して走って行く。途中の前ノ川の集落まではまだ人が住んでいる
家があったが、途中からは無人の廃墟となっていた。道はかなり狭く、昨日の強風で
杉の枝葉が道路に落ちて散乱して、路面のアスファルトが全く見えないような場所が
何ヵ所かあった。それでも個人的には予定していた雨島の最終民家まで行けない事は
無かったが、山を下りてデポ車を取りに行くのには奥様たちの運転になる。その
奥様たちが自信がないと言うので、途中の黒部渓谷を過ぎたダムの手前に車を停めて
スタートする。直ぐ上のダムの突堤に立っていると雪がちらつき始めた。
スタートして直ぐは杉の枝葉が散乱していたが、しばらく歩くと道の両側に落ち葉が
積もった歩きやすい道になった。雨島の集落まで来るとどの家も無人で屋根だけに
なった家や朽ち始めた家があちこちで見受けられた。
雨島の集落は1950年代には12戸ほどになり、主に製炭で生計を立てていたそうだ。
初めにスタート地点として予定していた最終民家までは結局45分かかった。
その最終民家でアスファルトの舗装は終わり、道は地道になる。道に沿って歩いて行くと
笠形山ハイキングコースと書かれた道標が建っていた。
道標からしばらくは竹林の中の道。その竹林を過ぎると掘割のような掘れた道には
落ち葉が積もって、その落ち葉に隠れて道の段差が判らず躓いたりして歩きづらい。
最終民家から15分ほどで雨島峠に着いた。峠には三界萬霊の石仏が座っていた。
この峠を越えて戸石集落への行き来があった当時から道行く人々を見守ってきた。
今は時々訪れる登山者を昔と同じように静かに見守っている。『さぬき 里山 探訪&
トレッキング』さんによると、以前は花立には花が上げられたていたのを見かけたそうだが、
今は雨島は無住になり戸石の切山集落も高齢化で、ここまで花を上げにくることができなく
なったようだとの事。いずれはその存在も忘れ去られるのかもしれないと書いていた。
峠からは左に折れて稜線歩きが始まる。稜線歩きといってもこのコースは電力の
鉄塔保線路と登山道が入り混じっている。尾根から北側の景色は木々の間から
薄く見える程度だ。
峠から直ぐに鉄塔広場に出た。107番鉄塔の北側に最初の三角点三等三角点 樫原 798.06m
保線路は基本的には尾根の南側に続いている。道は明瞭でとても歩きやすい。逆に
尾根道は折れた木の枝や木々の間の不明瞭な道で歩きづらかったりする。
途中で木の枝にヒラヒラとたなびく黄色いビニールの帯があった。帯には
RACE COURSEと書かれていたが、10月に行われたManno moutain Madness
2022のトレランのレースの残置の様だ。
このレース、ことなみ未来館をスタートして大川山から真鈴峠そして阿讃縦走路を
使って竜王山を経て、この笠形山に至り未来館へと周回する、全長40km、
累積標高2,800mというレースで、更にはそれを2周する80km、累積標高
5,600mというカテゴリーもあるとんでもないレース。同じ人とは思えない、
ただただ呆れるばかりだ。
108番鉄塔の広場では南に向かって続く支尾根を下り間違えそうになる。保線路は
広場の上の北側から尾根と交わり続ていた。
109番鉄塔の広場は108番の広場が傾斜地だったのに対して、比較的平らな
広場になっていた。保線路は木々に遮られ眺望はほとんどなかったが、この広場は
とても見晴らしが良い。南には竜王山に続く稜線と今まで歩いてきた鉄塔が
並んでいるのが見える。
以前にこのコースを歩いた事のあるREIKOさんによると、この縦走路には
三角点と標高点のピークが七つあるそうだ。セブンピークと呼ばれるピークの
二つ目のピークの776mの標高点が直ぐ近くにあったが、特に目印となるような
ものは見つけることが出来なかった。776mの標高点は保線路から少し外れたので、
尾根の南側の保線路へと雑木の中を下っていく。
保線路へと戻ると今までと同じように快適な道が続いていくが、二つ目の
三角点の手前で今日初めての登坂らしい登りになる。
その坂を登りきると四等三角点 前ノ川 700.2mに着いた。ここには比較的キレイな
キティーちゃんのプレートが木の幹に括り付けられていた。
プレートに書いている『まだ先は長い』は笠形山への事なのかそれとも竜王山かな?
この辺りになってくると送電線鉄塔は尾根からかなり離れて南側に続いているので、
保線路は別にあるかもしれない。そして登山道としては申し分のない歩きやすい道が続いている。
次の三角点の手前で今日一番の急登になった。途中からはロープが張られている。
先週の石墨山の三大急登のロープ場で、ロープを握って登ったら手袋が濡れて
しまって手が冷たかったので、今日はロープを使わずに登りますと言いいながら
登っているあっちゃんは、落ち葉の下の濡れた斜面に苦戦をしている。
背に腹は代えられない。ロープを使って登りあっちゃんを追い抜くが、前を行く
ルリちゃんは靴のグリップが良いのか、足を滑らせる様子もなくグイグイと登って行く。
その急登を登りきると四等三角点 樫原 735.8m。ここにもキティーちゃんのプレートが
あったが、先ほどのプレートとは違って二つに割れたのを、誰かが赤テープで修理していた。
樫原の三角点辺りから落ち葉の上にはうっすらと雪化粧。道の脇の切株はまるで
ロールケーキに粉砂糖をふったように見える。今日、三回目の急登を登って行く。
113番鉄塔は白とオレンジ色に濡り分けられていた。今までとは大きさも
高さも違う鉄塔だった。航空法では60m以上の高さの建造物は白と赤に塗分けが
義務づけられているらしい。
この鉄塔から尾根を越えて讃岐変電所へと送電線は続いている。
時間は11時30分。いつもならあっちゃんがお腹が空いたと騒ぎ始める頃なのに、
今日は早めに下山するので、どうやら下山後にうどん屋に行くつもりらしい。
ただここからはまだコースタイムで2時間15分かかる。果たして空腹で行き倒れに
ならないか心配だ。
落ち葉の上の粉砂糖は、前の奥様たちが歩いただけで踏み跡になっていく。
『笠形山・尾根道・戸石へ』の文字だけは何とか判読できる錆びてしまった案内板。
地形図で笠形山と書かれた位置からこの間で尾根からけっこう離れて道は続いている。
戸石へと書かれた道が今歩いてきた道なのだろう。
案内板から少し登って行くと笠形山に着いた。三等三角点 笠形 762.2m
前回来たのは所属していた山の会の『山楽会』での忘年登山だった。この山頂で
お昼ご飯を食べて、下山後にビレッジ美合で温泉に浸かった後の忘年会だった。
時間は12時。ここからまだコースタイムでは1時間20分になっている。『さぁ~
急いで降りるわよ!』とルリちゃん。今まで散々朝ドラの話をしていたのに、急に
黙ってしゃべらずに歩き始めた。こうなったら手がつけられない。後でYAMAPで
確認して見ると、平均ペースの180%以上で下っている。
スピードアップで短い時間で高度が下がり、今までの粉砂糖の道から、たっぷり
ふんわり積もった落ち葉の道になった。
右下に広域基幹林道・塩江琴南線が見え始めると今日一番の展望所に出た。
西には白く雪を抱いた大川山の山肌。北には象頭山とその奥は我拝師山かな?
足元にはゴール地点の琴南の公民館。そして北東には峰山の東に高松市内が見える。
展望所からさらに下って行くと三差路になっている場所から、左に折り返すように
下って行くとショートカットの道になる。さっきまでの道と比べて少し荒れた感じに
なるが、それもすぐに終わって作業小屋の様な場所に出た。
ここを左に折れる
そこからさらに左に下って行くと民家の横に出たが、危惧していたように猪避けの
柵で囲われていた。どうやって出ようかとうろついて出られそうな場所を探すが、
どうも見当たらない。そうこうしている内にルリちゃんが括ってあった針金を
器用に解いて柵を開けてくれた。ここからは一目散に三嶋製麺所へ!!
私とあっちゃんは大とタマゴで300円。ルリちゃんは小とタマゴ200円。
隣のおじさんはそば大を平らげた後またそば大を注文した。とにかく冷え切った身体に
喉越しのいいうどんがツルツルと胃袋に落ちていき、身体を暖めてくれた。
食べた後お店を出ると南に今歩いてきた笠形山の稜線が見えた。
これからの『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』は計画では今日のような明瞭な
道ではなく、YAMAPで探しても歩いている人がほぼいない区間が多くある。
地形図の破線と、鉄塔保線路を頼りに頭を捻る日々は続いて行く。
今日のトラック
その次の区間となると黒森峠から青滝山を縦走する事になる。その為には
久万高原町の梅ケ市登山口に車をデポしなければならないのだが、天気予報を
見ると早くから雪マーク。ノーマルタイヤでは登山口までのアプローチも
怪しいので、早々に黒森峠から東への残り3区間は来年への持ち越しとなった。
そうなると県内の里山歩きになるのだが、今年の2月に阿讃縦走路を終えて直ぐに
引田から折り返し、荘内半島の讃岐三崎灯台を目指して歩き始めた。
引田鼻灯台を東端として、白鳥アルプス・虎丸山・笠ケ峰を経て日下峠まで繋いだ
ところで、私がスキーで転倒して腰を痛めて中断となっていた。その続きの日下峠
から檀特山・女体山から大窪寺は日中の時間が短いこの時期には、少し時間がかかる。
ならどこを歩きたいですか?と奥様たちに尋ねたら、笠形山と返事が返ってきた。
計画の線で繋ぐの中では丁度中間部になるのだが、この琴南辺りは県内でも意外と
雪が積もる地域なので、本格的な雪のシーズンになる前に歩いておくのも手だと
思って了承して琴南の公民館を集合場所とした。
(尾瀬山から西をどう繋いで行こうか思案中)
琴南の公民館からは美合の郵便局を過ぎ少し走った所で国道438号線から東に
雨島の集落を目指して走って行く。途中の前ノ川の集落まではまだ人が住んでいる
家があったが、途中からは無人の廃墟となっていた。道はかなり狭く、昨日の強風で
杉の枝葉が道路に落ちて散乱して、路面のアスファルトが全く見えないような場所が
何ヵ所かあった。それでも個人的には予定していた雨島の最終民家まで行けない事は
無かったが、山を下りてデポ車を取りに行くのには奥様たちの運転になる。その
奥様たちが自信がないと言うので、途中の黒部渓谷を過ぎたダムの手前に車を停めて
スタートする。直ぐ上のダムの突堤に立っていると雪がちらつき始めた。
スタートして直ぐは杉の枝葉が散乱していたが、しばらく歩くと道の両側に落ち葉が
積もった歩きやすい道になった。雨島の集落まで来るとどの家も無人で屋根だけに
なった家や朽ち始めた家があちこちで見受けられた。
雨島の集落は1950年代には12戸ほどになり、主に製炭で生計を立てていたそうだ。
初めにスタート地点として予定していた最終民家までは結局45分かかった。
その最終民家でアスファルトの舗装は終わり、道は地道になる。道に沿って歩いて行くと
笠形山ハイキングコースと書かれた道標が建っていた。
道標からしばらくは竹林の中の道。その竹林を過ぎると掘割のような掘れた道には
落ち葉が積もって、その落ち葉に隠れて道の段差が判らず躓いたりして歩きづらい。
最終民家から15分ほどで雨島峠に着いた。峠には三界萬霊の石仏が座っていた。
この峠を越えて戸石集落への行き来があった当時から道行く人々を見守ってきた。
今は時々訪れる登山者を昔と同じように静かに見守っている。『さぬき 里山 探訪&
トレッキング』さんによると、以前は花立には花が上げられたていたのを見かけたそうだが、
今は雨島は無住になり戸石の切山集落も高齢化で、ここまで花を上げにくることができなく
なったようだとの事。いずれはその存在も忘れ去られるのかもしれないと書いていた。
峠からは左に折れて稜線歩きが始まる。稜線歩きといってもこのコースは電力の
鉄塔保線路と登山道が入り混じっている。尾根から北側の景色は木々の間から
薄く見える程度だ。
峠から直ぐに鉄塔広場に出た。107番鉄塔の北側に最初の三角点三等三角点 樫原 798.06m
保線路は基本的には尾根の南側に続いている。道は明瞭でとても歩きやすい。逆に
尾根道は折れた木の枝や木々の間の不明瞭な道で歩きづらかったりする。
途中で木の枝にヒラヒラとたなびく黄色いビニールの帯があった。帯には
RACE COURSEと書かれていたが、10月に行われたManno moutain Madness
2022のトレランのレースの残置の様だ。
このレース、ことなみ未来館をスタートして大川山から真鈴峠そして阿讃縦走路を
使って竜王山を経て、この笠形山に至り未来館へと周回する、全長40km、
累積標高2,800mというレースで、更にはそれを2周する80km、累積標高
5,600mというカテゴリーもあるとんでもないレース。同じ人とは思えない、
ただただ呆れるばかりだ。
108番鉄塔の広場では南に向かって続く支尾根を下り間違えそうになる。保線路は
広場の上の北側から尾根と交わり続ていた。
109番鉄塔の広場は108番の広場が傾斜地だったのに対して、比較的平らな
広場になっていた。保線路は木々に遮られ眺望はほとんどなかったが、この広場は
とても見晴らしが良い。南には竜王山に続く稜線と今まで歩いてきた鉄塔が
並んでいるのが見える。
以前にこのコースを歩いた事のあるREIKOさんによると、この縦走路には
三角点と標高点のピークが七つあるそうだ。セブンピークと呼ばれるピークの
二つ目のピークの776mの標高点が直ぐ近くにあったが、特に目印となるような
ものは見つけることが出来なかった。776mの標高点は保線路から少し外れたので、
尾根の南側の保線路へと雑木の中を下っていく。
保線路へと戻ると今までと同じように快適な道が続いていくが、二つ目の
三角点の手前で今日初めての登坂らしい登りになる。
その坂を登りきると四等三角点 前ノ川 700.2mに着いた。ここには比較的キレイな
キティーちゃんのプレートが木の幹に括り付けられていた。
プレートに書いている『まだ先は長い』は笠形山への事なのかそれとも竜王山かな?
この辺りになってくると送電線鉄塔は尾根からかなり離れて南側に続いているので、
保線路は別にあるかもしれない。そして登山道としては申し分のない歩きやすい道が続いている。
次の三角点の手前で今日一番の急登になった。途中からはロープが張られている。
先週の石墨山の三大急登のロープ場で、ロープを握って登ったら手袋が濡れて
しまって手が冷たかったので、今日はロープを使わずに登りますと言いいながら
登っているあっちゃんは、落ち葉の下の濡れた斜面に苦戦をしている。
背に腹は代えられない。ロープを使って登りあっちゃんを追い抜くが、前を行く
ルリちゃんは靴のグリップが良いのか、足を滑らせる様子もなくグイグイと登って行く。
その急登を登りきると四等三角点 樫原 735.8m。ここにもキティーちゃんのプレートが
あったが、先ほどのプレートとは違って二つに割れたのを、誰かが赤テープで修理していた。
樫原の三角点辺りから落ち葉の上にはうっすらと雪化粧。道の脇の切株はまるで
ロールケーキに粉砂糖をふったように見える。今日、三回目の急登を登って行く。
113番鉄塔は白とオレンジ色に濡り分けられていた。今までとは大きさも
高さも違う鉄塔だった。航空法では60m以上の高さの建造物は白と赤に塗分けが
義務づけられているらしい。
この鉄塔から尾根を越えて讃岐変電所へと送電線は続いている。
時間は11時30分。いつもならあっちゃんがお腹が空いたと騒ぎ始める頃なのに、
今日は早めに下山するので、どうやら下山後にうどん屋に行くつもりらしい。
ただここからはまだコースタイムで2時間15分かかる。果たして空腹で行き倒れに
ならないか心配だ。
落ち葉の上の粉砂糖は、前の奥様たちが歩いただけで踏み跡になっていく。
『笠形山・尾根道・戸石へ』の文字だけは何とか判読できる錆びてしまった案内板。
地形図で笠形山と書かれた位置からこの間で尾根からけっこう離れて道は続いている。
戸石へと書かれた道が今歩いてきた道なのだろう。
案内板から少し登って行くと笠形山に着いた。三等三角点 笠形 762.2m
前回来たのは所属していた山の会の『山楽会』での忘年登山だった。この山頂で
お昼ご飯を食べて、下山後にビレッジ美合で温泉に浸かった後の忘年会だった。
時間は12時。ここからまだコースタイムでは1時間20分になっている。『さぁ~
急いで降りるわよ!』とルリちゃん。今まで散々朝ドラの話をしていたのに、急に
黙ってしゃべらずに歩き始めた。こうなったら手がつけられない。後でYAMAPで
確認して見ると、平均ペースの180%以上で下っている。
スピードアップで短い時間で高度が下がり、今までの粉砂糖の道から、たっぷり
ふんわり積もった落ち葉の道になった。
右下に広域基幹林道・塩江琴南線が見え始めると今日一番の展望所に出た。
西には白く雪を抱いた大川山の山肌。北には象頭山とその奥は我拝師山かな?
足元にはゴール地点の琴南の公民館。そして北東には峰山の東に高松市内が見える。
展望所からさらに下って行くと三差路になっている場所から、左に折り返すように
下って行くとショートカットの道になる。さっきまでの道と比べて少し荒れた感じに
なるが、それもすぐに終わって作業小屋の様な場所に出た。
ここを左に折れる
そこからさらに左に下って行くと民家の横に出たが、危惧していたように猪避けの
柵で囲われていた。どうやって出ようかとうろついて出られそうな場所を探すが、
どうも見当たらない。そうこうしている内にルリちゃんが括ってあった針金を
器用に解いて柵を開けてくれた。ここからは一目散に三嶋製麺所へ!!
私とあっちゃんは大とタマゴで300円。ルリちゃんは小とタマゴ200円。
隣のおじさんはそば大を平らげた後またそば大を注文した。とにかく冷え切った身体に
喉越しのいいうどんがツルツルと胃袋に落ちていき、身体を暖めてくれた。
食べた後お店を出ると南に今歩いてきた笠形山の稜線が見えた。
これからの『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』は計画では今日のような明瞭な
道ではなく、YAMAPで探しても歩いている人がほぼいない区間が多くある。
地形図の破線と、鉄塔保線路を頼りに頭を捻る日々は続いて行く。
今日のトラック
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