今年の干し柿用「蜂屋柿」は裏年に当たり成りは少ない。
しかし、一昨年のような大不作ではなく、ほどほどに成っており大きい。
昨年のように成りすぎて小さいよりは遙かによい状況です。
例年500個程度の干し柿を作ってきましたが、老体の身故300個くらいで十分と思っていたところでした。
助っ人2人が穫ってくれたのは有り難い。とは言え昨年より嵩がありそう。
段ボールで山盛り7箱ほどで、見るからに大きい。
段ボールで山盛り7箱ほどで、見るからに大きい。
小さい柿ではモチベーションも上がらないというものですが、これならやる気が出ます。
大多数が300g級以上の大玉、このような400g超級の特大玉も次々と出てきます。
昨年は中玉主体で、特大玉はありませんでした。
今年は小玉は殆どなく、右から特大玉、大玉、中玉。大玉率が9割を超えているようです。
大玉の比率が高い分、数的には昨年より大分少なく400個くらい、重量では今年の方がずっと重いと踏みました。
贈答品を作るには好条件です。但し上手く干せればですが。
皮剥きは例年どおりのやり方です。
年一度の文化財級道具の出番です。
皮剥きは例年どおりのやり方です。
年一度の文化財級道具の出番です。
小生の幼少期から使われていた木製ピーラーとでも言うべき皮取り器とナイフ。
黒光りしているのは柿渋によるもので汚れている訳ではありません。
柿渋の防錆効果で錆も殆ど付かないため軽く研ぐだけで十分です。
例年と変わらないので省略してもよいのですが、一応やり方の要領を記しておきます。
「蜂屋柿」は大型の円錐形なのでナイフだけでは上手く剥けません。仕上がりも悪い。
それにしても大きい。軒並みこのような大玉。昨年は感じられなかった手応えです。
まずは当地で通称肩回しと言われるもの。
ナイフの背の先を柿の軸にあて、ヘタの周りの皮を剥きます。
軸をテコにし一回しし、皮と一緒にヘタを取り除きます。
剥く時は、ナイフは動かさずに柿の方を回転させる要領です。
さらに、肩の部分をナイフで1回しか2回しします。
大玉では2回ししないと後の作業がやりにくい。
慣れないとナイフを動かすことになりがちですが、スピードが違い仕上がりもよくありません。
機械剥きを見ても柿の方を回転させており、同じ道理です。
次に皮取り。
皮取り器は利き手の親指と人差し指で鉛筆を持つような感じで持ちます。
次に皮取り。
皮取り器は利き手の親指と人差し指で鉛筆を持つような感じで持ちます。
中指、薬指、小指を柿に添え、柿をテコにして皮取り器を動かします。
同時に柿を持った手も左右に動かしながら先端まで一気に剥く要領です。
同時に柿を持った手も左右に動かしながら先端まで一気に剥く要領です。
薄く細く剥ければ仕上がりが綺麗です。途中で止ったり太く厚く剥いてしまうと仕上がりがよくありません。
へらを持つようにしたのでは一気には剥けません。
今年は殆どが大玉なので、大小区別はしないで剥けます。発泡スチロール1箱だけ出来上がり。
今年も昼食後から殆ど休みなしで剥き続けたものの大幅な残業となりました。
数を数える余裕はありませんが、吊す時に何れハッキリします。
数を数える余裕はありませんが、吊す時に何れハッキリします。
これほどの大玉揃いは近年なく、我が家では10年に一度あるかと言ったところでしょう。
但し、軟らか過ぎるものが多く、1割くらいは使えませんでした。
これが翌早朝のもの。
通常は皮剥きから吊すまでを一連の作業として終わらせるのが本来のやり方です。
今、我が家ではそれが難しいため、翌日に硫黄燻蒸し吊すような段取りにしています。
小生が何故皮剥きの作業をかくのごとくやれるかについてはこれまでも記しています。
かつて我が家には柿園があり干し柿も生産していました。
干し柿を作る時期は正に猫の手も借りたい状況で子供も手伝うのが当たり前でした。
かつて我が家には柿園があり干し柿も生産していました。
干し柿を作る時期は正に猫の手も借りたい状況で子供も手伝うのが当たり前でした。
小学校高学年ともなれば当然のごとく剥き手の一人に数えられていたのです。
柿剥きは流れ作業になっており、前述のいわゆる肩回しは大人の男子、皮取りは女性と子供でした。
ですから小生も専ら皮取りが役目で、通算すれば何万と言う数の柿を剥いているはずです。
長じては長く皮剥き作業は中断していましたが、手順や要領は体に染みついているため再開しても何の苦もなく出来る訳です。