里山悠々録

里山の家と暮らし、田んぼや畑、そして水墨画のことなどを記録していきます

水墨画「昇仙峡」

2025年02月16日 | 水墨画:風景他
                       画仙紙 半切1/3    

2019年10月、台風19号の被害に目をつぶりささやかな旅を決行。信州から甲州に足を伸ばしました。
甲府市には仕事がらみで行ったことはあるのですが、その時は観光は出来ずじまい。
一度は訪ねたいと思っていたのが昇仙峡。絵になりそうだという予備知識を得ていたからです。
渓谷に沿って遊歩道があり、断崖や奇岩、滝などが次々に現れ変化に富んだ渓谷美を楽しめます。
画のモチーフになりそうなスポットも多々あります。
その中の断崖絶壁の代表的なところが覚円峰。
その上で覚円禅師が修行されたところからその名が付いたと言います。
霧が立てば一瞬中国の黄山や武陵源を想起させるような景観と言ったところでしょうか。
もっとも黄山や武陵源を実際には見たことがないので大げさと言われるかもしれません。



水墨画「戸隠」

2025年02月09日 | 水墨画:風景他
画仙紙 半切1/3   
 

数年前まで年一、二度、数日以内のささやかな国内旅行をしていました。
格好付けて言えば水墨画の画題を求める旅と言ったところですが、コロナ禍以来休止状態です。
しかし、何年何月どこに行ったかというのは写真の記録を見ない限り正確には全く記憶していません。
唯一分かるのが2019年10月に信州から甲州を旅したことです。
なぜ分かるかと言えば出かける直前に台風19号で大きな被害を被ったからです。
人身や家屋は無事でしたが、農地関連が方々痛めつけられました。
旅行をキャンセルする選択肢もありましたが、強引に決行しました。投げやりな気分もあったかもしれません。
これが稲の取り入れ前なら迷うことなく中止していたでしょう。
北陸自動車道から上信越自動車道を南下するルートで最初の訪問地が戸隠でした。
戸隠は初めてで以前から一度訪れたいと思っていました。一番の目的は戸隠神社の杉並木です。
到着は少し遅くなり、時折小雨が降る寒い日でした。
随神門から奥社へと向かう杉の巨木数100mの並木は圧倒的。戸隠の神気が漂います。
あいにくの天候で薄暗くなり奥社にたどり着く前に残念ながら引き返しましたが、満足できました。
画のモチーフは随神門をバックに並ぶ杉並木。大きな木は刷毛を用いて描いています。
信州はモチーフになるところが多く何度か訪れており、いくつか作品にもしています。
これは墨画会への出品作で「上高地」。再掲してみます。




水墨画「三陸海岸 北山崎」

2024年02月12日 | 水墨画:風景他
画仙紙 半切1/3   


三陸海岸とは、宮城県東部の石巻市から青森県南東部の八戸市に至る数100㎞に及ぶ海岸です。
そして三陸とは、かつての呼称、南から陸前、陸中、陸奥に由来します。
以前は、陸中海岸として国立公園に指定されていましたが、東日本大震災による津波で大きな被害を受けたことを受け、名称が三陸復興国立公園となりました。
その三陸復興国立公園の北部、岩手県久慈市と宮古市の中間地点、田野畑村に北山崎(きたやまざき)があります。
高い断崖絶壁に奇岩、怪石、洞窟などが続く三陸海岸の代表的景勝地の一つです。
いわゆる「やませ」の常襲地帯で、夏に冷たい風や濃霧に覆われることもあります。
数年前に訪ねた折りは、「やませ」ではありませんでしたが、遠くは霞んでいました。
展望台からの眺望をモチーフに水墨で描いてみました。
展望台から長い階段を下ると海面際に降りることができるらしいのですが、行かないでしまったのは残念でした。
これは、同じく三陸海岸の南部、宮城県気仙沼市唐桑の「巨釜半造(おおがまはんぞう)」をモチーフに描いた水墨画。

何年か前の墨画展への出品作ですが、再掲してみました。
過日、東尋坊を描いた時と同様、激しい波しぶきを表現するのに、墨で描く前にドーサ液を吹きました。
しかし、波しぶきだけでは迫力が出ず、さらに横殴りに叩き付ける雨を加え、描き直したものです。

水墨画「怒濤の東尋坊」

2024年02月05日 | 水墨画:風景他
画仙紙 半切1/3   

険しい柱状節理の岩壁がそそり立つ福井県の名勝「東尋坊」。
一方で、事件や自殺の名所、サスペンス小説や映画、ドラマの舞台としても知られます。
この度の能登半島地震でこちらまで影響がなかったようなら幸いですが。
その昔、悪行を重ねる東尋坊に手を焼いた僧達が東尋坊を岩壁の上から海へ突き落とし、それから四十九日が過ぎるまで海は大荒れになったと伝わります。
小生が、10年ほど前に訪ねた折りは、好天で海は穏やか、遊覧船で海側からゆったりと見学しました。
東尋坊が穏やかな海ではどうにも絵にならないと感じてしまうのは小生の偏見でしょうか。
波が激しく打ち付ける東尋坊を海側から描いてみようとしました。
激しい波しぶきを表現するのに、墨で描く前にドーサ液を吹き飛ばしてみました。
過去にも同様の手法で波しぶきを表現したことは何度かあります。
ドーサ液は薄い膠(にかわ)液に明礬を混ぜた透明の液体で白抜きのために用います。
出来上がりの予測は大変難しく、思ったような綺麗な白抜きとはならなかったようです。


水墨画「輪島の白米千枚田」

2024年01月29日 | 水墨画:風景他
画仙紙 半切1/3   


大きな被害をもたらした能登半島地震。
改めてお亡くなりになった方々に哀悼の誠を捧げますとともに被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
能登を訪ねたのは10年程前になります。3度目だったでしょうか。
輪島では朝市はすでに終わっていましたが、輪島塗の工房や時国家、總持寺祖院などを訪ねました。
何れも甚大な被害を受けたことを映像で知り、大きな衝撃を受けました。
白米千枚田も被害は免れないだろうと推測していました。過日、被害の状況を捉えた映像を見ました。
復旧には大きな困難を伴うことでしょう。東日本大震災では我が家の田んぼも例外ではありませんでした。
当時、土手や畦の崩落は応急措置で何とか作付けに間に合わせました。
地盤の沈下は如何ともしがたく、未だ完全には元に戻っていません。
全国で千枚田と名の付く田んぼはどのくらいあるのか、おそらく白米千枚田が最も有名でしょう。
日本海に面し、1000枚を超える小さな田が重なる風景は正に絶景。
当時の写真が手元に残っていました。


これはすぐ近くの道の駅から撮ったものと思います。まだ整備途中だったような記憶があります。
これをモチーフに描いてみました。
千枚田を水墨で描くのはとても難しい。
ちなみに小生が最も感動した千枚田は、数年前に南紀を旅した折り訪ねた「丸山千枚田」。
正に天空の千枚田とも言うべき絶景。それをモチーフに初めて描いた千枚田です。
不出来ながら再掲してみます。