里山悠々録

里山の家と暮らし、田んぼや畑、そして水墨画のことなどを記録していきます

年越しを前に~お歳徳神と輪通しの飾り付け等々

2019年12月31日 | 暮らし
大晦日にやることは盛り沢山です。
まずは神棚を掃除し、飾り付けを新しくします。
古いものはごく一部のお札を除き取り外しました。神棚から下ろした古い飾りなどは裏山にある山の神様の小さなほこらに納めるのが昔からの習わしです。


これはお幣束(へいそく、御幣)。先日、私が氏子になっている神社の宮司が来られ、ご祈祷いただいたもので、鯛の飾りも付いています。

恵比寿大黒など、お歳徳神(としとくじん)さんといわれる飾り付けです。神社庁から出されているものが氏子になっている神社を経由し配布されます。
神棚に飾るのに多少の仕掛けが必要で、結構手間暇が掛かります。
神棚の右側には恵比寿様など。ここには鯛の飾りを付けます。


左側には大黒様。両側にお幣束を取り付けます。


中央にはお札を奉ります。
真ん中に配布される伊勢神宮のお札、右に鎮守の神社のお札、左に私が氏子になっている神社のお札などという配置。


五穀豊穣の神様とかまどの神様は台所にある小さな神棚に飾ります。
火伏せのお札も奉ります。


次に、輪通しを飾ります。
神棚の前。もともと我が家では神棚の前だけでした。


いつの間にか玄関にも付けるようになりました。赤松の枝に輪を掛けて取り付けます。我が家ではしめ飾りはしません。


今は、この辺りでも玄関に市販の綺麗なしめ飾りをつける方がほとんどです。身内のものには我が家のはダサいと言われることもありますが、変えると何となく落ち着かないので続けています。
作業場に。


そのほかトラクター、管理機、車。これもいつの間にかそうなっています。
次は床の間です。


掛け軸はごく一般的な天照皇大神の掛軸。昔は鶴と亀の一対の掛け軸を掛けていたこともありますが、傷みが激しく止めています。
生け花は、毎年、私が自己流で梅と南天のみ使いシンプルに生けています。花器は昔父が太い孟宗竹の根元で作ったもの。父が生前同じように生けていたので引き継ぎましたが、全く自信はありません。
鏡餅は、以前は手作りでしたが、数年前から市販の小さなパッケージものに変えさせてもらいました。
古いお札や飾りを山の神様に納め、お参りしました。


この後もまだ続きます。
鎮守の神社の鳥居に、準備していたしめ縄を掛け、お参りします。さらに、水の神様など数カ所にお幣束と御散供(おさご)を捧げてお参りします。
これが御散供(おさご)。


米が入っているおひねりです。


今ではやっている人はほとんどいないと思います。続けているのは精神安定剤のようなものです。

年越しを前に~輪通しとしめ縄を作る

2019年12月30日 | 暮らし

かつて父が健在の頃、年越しの様々な準備は、すべてを大晦日に朝早くから一日かけ手分けして行ったものでした。しかし、父亡き後は前もって進めておくようになりました。簡素化したものもあります。
まずは輪通しづくり。
輪通しは、しめ縄を簡素化したものといえますが、今では近隣でもほとんど作っていないと思います。ホームセンターなどでも安く売っています。作り方を改めて教わったわけではなく、父がやっていたものの見よう見まねです。
3本の藁を1回継ぎ足して輪を作ります。


我が家の輪通しは、輪に挟み込むのは、定番の昆布(よろこんぶ)のほか五葉松と干し柿。


五葉松と干し柿を使ったものは他でお目に掛かったことがありません。父がやっていたからと言うだけの理由ですが、五葉松(御用待つ)は分るとして、干し柿は多分に豊作祈願を表すものとしてこの時期挟み易かったからではないかと想像します。もちろん、五葉松は庭にあるもの、干し柿は今食べているものです。
下げる紙はこのように切ります。


これで出来あがりです。


6つつくります。


次に、鎮守の神社の鳥居に付けるしめ縄づくり。
以前はすべて自前で作っていましたが、今は縄は購入した縄です。祭典時も含め負担が大きくなってきたため、数年前から購入することになったものです。小さな講中なので、祭事ごとに付け替える安い消耗品です。ただし、左より縄の祭典用手作り風というもの。
下げる紙は5枚作ります。この紙は紙垂(しで)と呼び、神社によって違いがあるようです。
こちらではこのように切ります。概ねA4版半分大。
昔は障子紙を使っていましたが、今は普通のA4版用紙を半分に切って使います。

これを二つ折りにします。


切り込みの深さで長さが変わります。


これを織り込みます。


出来上りです。


5枚作って縄に挟み、大晦日に鳥居に取り付けます。


この後は、鎮守の神社の掃除に行きます。
先日、一度行ってきましたが、これは、その時のもの。杉の葉がいっぱいでした。


石段は掃除しましたが、また落ち葉で汚れていると思います。


本殿や拝殿の掃除もしないといけません。明日は大晦日ですからぎりぎりになりました。講中の世話人も楽ではないのです。いつの間にやら総代などと呼ばれていますが。

シュンギクはもう少し頑張る

2019年12月29日 | 畑:葉菜類

 9月18日に播いたシュンギクは抜き取り収穫から始めて収穫期間はほぼ2ヵ月になります。特に摘み取り栽培に移行して側枝の最盛期になってからのここ1ヵ月ほどは沢山収穫しました(側枝最盛期のシュンギク)。


 さすがに、ここに来て冷え込みが厳しくなり伸びが悪くなってきました。不織布をトンネルにしているのですが、少し掛けるのが遅れました。ビニールを掛けると扱いにくいため不織布にしているのでやむを得ません。


 収穫するときの摘芯は、親茎を2、3芽残して摘み取り、そこから出るわき芽の側枝も、残すのは2芽です。ここから出るわき芽は孫茎になります。


 今は子茎と孫茎が混在して茂っているので分りにくいですが、上に伸びているのは収穫の終わっていない子茎です。孫茎は収穫するほどに伸びているものはまだわずかです。


最近は低温で節間が詰まってきましたし、枯れ葉も少し出てきました。昨年より勢いは良くないようです。やはり台風19号で水浸しになった影響もあるのでしょう。


 今のところ子茎がまだ大分残っているので、十分な収穫量があります。


節間が詰まってきたとはいえ茎は太く肉厚で食べ応え十分です。


 シュンギクは周りのほうれんそうや小カブと違い凍害を受けやすいので、いい孫茎を収穫するのはなかなか難しいです。雪で不織布がもたないようだとその時点で終了です。ただすき焼きをやるのにシュンギクは欠かせないので、あと半月くらい頑張ってほしい。


蕪を水墨画で描く

2019年12月28日 | 水墨画:菜果
本画仙 色紙

 蕪を水墨画で描きました。
 今収穫しているのは小カブですが、それより少し大きめの蕪をイメージしてみました。これまでも蕪は描いていますが、何度描いても難しい。複数個の方が構図のバランスはとりやすいけれど、今回は敢えて1個だけの蕪を描きました。
 葉の勢いをうまく出せるかが勝負ですが、どうでしたか。

今、小カブが旨い

2019年12月27日 | 畑:根菜類

 冬になると、色んな野菜が寒さから身を守るため体に糖分を蓄えます。小カブもその一つ。冷え込みが厳しくなり、甘味、旨味が増し、一層おいしくなります。


 品種は、昔ながらの「耐病ひかり」。実に長く、ほとんどこの品種ばかり作っています。他の品種も作ってみようかと思うのですが、播く段になると結局この品種になってしまいます。この品種で外れの経験がほとんど無いからだと思います。


 9月18日に播き、11月半ばくらいから間引きを兼ね収穫を始めているので、すでに1ヵ月以上収穫しています。台風19号ではかなり傷められましたが、ほぼ完全に復活したといっていいでしょう。葉や茎も元気です。


 バラ播きしているので、間引きをしても密植になりがちですが、長い期間穫るには少し密植くらいがいいのではないかと思っています。カブの大きさをを見ながら収穫をするので多少生育にバラツキがあった方が、適当な大きさの小カブを長く穫れて好都合です。

畝の中央付近は、葉をかき分けないと蕪が見えません。

今の時点になると、どの小カブも揃ってきます。

 この「耐病ひかり」蕪はある程度大きくなっても美味しく食べられますが、日数が経ってくると、さすがに繊維分が感じられるようになります。今が、小カブの心地よい舌触りと旨みが最も味わえます。

水墨画のモチーフ用に1本だけで撮ってみました。


 小カブは、何といっても一夜漬けが一番で、毎食と言っていいほど食べています。酒の肴にも欠かせません。小カブは根の部分だけでなく茎や葉を少し入れた方が味わい深く、好きです。


 身内に、カブを入れた味噌汁が好物という人間がいるのですが、私は歯ごたえがなくまずいと思っていました。過日、実際に食べてみると結構いけるので、これもありのようです。


干し柿づくり'19~ころ柿が仕上がる

2019年12月26日 | 干し柿づくり

 干し柿は、干し始めから約5週間。いわゆるころ柿が仕上がりました。
 1週間ほど前、直接空気にさらされないように干し柿を吊したまま寄せ、紙袋で覆いました。簡易な方法ですが、ある程度の空間を保ちつつ、あまり硬くならないようにして白粉を吹かせるためです。一定期間この状態を保ち様子をみます。


 贈答用に方々に配ったため、当初から見ると半減しています。
 袋を剥いで様子を確認します。


 あんぽ柿ところ柿の違いは、かなり不明確なものですが、仮にころ柿が、乾燥が進み、白粉が吹いて中身も固まった干し柿ということなら、ここまでくればころ柿と言って間違いないでしょう。


 この1週間で乾燥はさらに進み、はっきりと白粉が回ってきました。白粉の回りは個々で多少バラツキはありますし、中には少し硬くなってしまったものがあります。


昨年からみると、1週間から10日くらい進んでいるのではないでしょうか。今年の気候が乾きやすかったことと、昨年のような大粒のものが少なかったことが影響しています。


 白粉はまだ薄いですが全体に綺麗に回ってきました。


 割いてみると、あんぽ柿の時からみると、色がオレンジ色から褐色に、ゼリー状だったものが、ヨウカン状になっています。味も一段と甘く濃厚な旨味が出てきました。


 取りあえず、再び袋を掛け直し、間もなく室内に取り込んで貯蔵します。まだまだ先は長く、我が家では春先まで楽しみます。


ポインセチアを水墨画で描く

2019年12月25日 | 水墨画:草花
本画仙 色紙

 ポインセチアを水墨画で描きました。
 今日はクリスマス、昨日はイブでした。クリスマスといっても、我が家では格別なこともなく普通の日常です。そこで何かクリスマスらしい絵でもということで描いてみました。クリスマスの花と言えば、やはりポインセチアでしょうか。この時期店には多くの鉢物が並びます。色も何種かあるようですが、なんと言っても深い赤のポインセチアがクリスマスらしい。
 以前にも描いていますが、今回はシンプルに1本のポインセチアです。赤の濃い部分を濃墨で、緑の部分を淡墨で表しました。これが今年のクリスマスです。

大根と人参の冬囲いをする

2019年12月24日 | 畑:根菜類

 大根の冬囲いをしました。
 ダイコンは今年は3回に播いていて、最後に播いたのが9月8日。品種はすべて耐病総太り。台風19号の大雨で畝間は大分えぐられましたが、今ではちょっと見では分らないくらいになりました。


12月に入り一時かなり冷え込みましたが、また少し緩んでいます。しかし、これから厳冬に向かうので、寒さに強いダイコンも寒冷地のこの辺りでは放置しておくと凍害を受けます。


青首大根は地上部に根が半分くらい出ているので、氷点下の気温が続くようになると傷んできます。今残っているのは60本くらいでしょうか。


 冬囲いは二つの方法で行っています。この作業も助っ人がやってくれるので助かります。
 一つは土を掘ってダイコンの葉を付けたまま囲う方法。


稲わらを挟みながら根の部分を斜めにし、土で埋めていきます。


このやり方は葉が付いている分みみずみずしさが失われないのではないかと思いますが、稲わらが多く必要なのと場所をとるのが難点。今年は昨年と埋める場所を変えました。


 もう一つはダイコンの葉を落として埋める方法。


土を少し深めに掘り、葉を切ったダイコンを寝かせ、稲わらを掛けて土を埋め戻します。こちらの方が簡単です。ほぼ半々くらいにしました。


 あまり日をおかず消費する分はそのまま畑に残したままです。


10本ほど残っています。


 同様に人参も囲いました。
 ニンジンは2回に播いていますが、1回目のものは全て収穫は終わり、これは2回目の8月早々に播いたもの。トーホク種苗の新黒田五寸系の陽彩という品種。


 ダイコンと同じように、土を掘り葉を付けたまま稲わらを挟みながら根の少し上まで埋め込みました。


ニンジンは根が土の中に入っているので凍害を受ける心配が少ないので、いつもは半分くらいを掘り上げずにそのまま畑に残すのですが、今年は作業の関係ですべて掘り上げました。


当面消費する分は土付きのまま袋に入れ、作業場の中に取り込みました。



白菜の冬囲いをする

2019年12月23日 | 畑:葉菜類
 いよいよ厳冬期を迎えるので、白菜を囲いました。
 囲い用の白菜の品種は、トーホク種苗の中晩生種「郷秋80日」。
 

昨年は、久しぶりに「金将2号」を播きましたが、今年は今主流の黄芯系の品種に戻しました。播種期は早生種より2週間遅らせて8月27日に播きました。台風19号では傷められたと思いましたが、結果的には揃いも良く、いずれも大玉になっています。


完全結球まで進んでいるものもありますが、外葉がすこぶる元気で枯れ葉がほとんどないため、昨年のように結球が外葉から飛び出すようなものは見られません。囲うには、近年では最もいい状態かもしれません。


 囲い用として作っているのは20数株の畝が2列。
 早生の品種も2列ですが、まだ残っています。


 今はまだ早生種「郷秋60日」を収穫しています。こちらは外葉は傷んできましたが、中は問題ありません。

 基本的な囲いは、白菜を作業場の中に取り込んで囲う方法ですが、すべて取り込むのはスペース的にも大変なので、畝1列は畑の中に残します。
 畑に残す方は、一般的に行われている結球部分を外葉でくるみ、藁で縛るやり方です。


昨年は結球が外葉から飛び出すくらいに結球してしまい、外葉でうまく包み込むことができませんでしたが、今年は、しっかりと十分な外葉で包むことが出来ました。


全ての外葉を縛ることが出来たのは、これまであまりなかったような気がします。


さらに不織布で覆いました。これなら、かなり結球を守ることが可能ではないかと思います。


 作業場に取り込む1列分は、よく行われている新聞紙で包むやり方です。外葉を少し残して包みます。

逆さまにしてきっちり寄せ、その上に段ボールなどを掛けて防寒します。

26個ありました。みんな助っ人がやってくれましたが、今年はいずれも大玉のため包みにくかったようです。


 できれば、白菜に根を付けたまま株ごと引き抜き、寄せてわら束を使って畑に囲う方が、新鮮な白菜が維持できていいのですが、わらの確保が難しく手間暇がかかり無理です。畑に残した白菜から消費することになるでしょう。
 4キロ級の大玉です。
 

南瓜を水墨画で描く

2019年12月22日 | 水墨画:菜果
本画仙 色紙

 南瓜を水墨画で描きました。
 今多く作られている南瓜は、昔の南瓜と違って外観的にはあまり特徴がありません。変化をつけるため、一つは半分に切った南瓜にしました。モチーフは緑の深い黒皮系の九重栗カボチャ。腰高でハート形と言われますが、どれも同じような形になるとも限りません。
 もう一つは白皮系の南瓜。今年、冬至南瓜用に作っているのは白爵で、この品種は純白に近く描きにくい。それで、モチーフはこれまで何度か作っている雪化粧という品種です。この品種も貯蔵用に向く強粉質の品種ですが、こちらは灰色で斑点や縦溝がそれなりに出ます。
 今日が冬至で、冬至南瓜にちなんで描いてみましたが、少々描きにくい題材ではありました。
 

冬至カボチャはまだ大丈夫

2019年12月21日 | 畑:果菜類

 今年の冬至は12月22日です。当地方では、冬至にかぼちゃを食べると風邪をひかないと言われて「冬至かぼちゃ」を食べる風習があります。この風習は全国的なものなのかよく分りませんが、私が幼少の頃に我が家で冬至にカボチャを食べた記憶はないのです。甚だ曖昧ながら、長じて、いつの間にやら母が作ったものを食べていたという気がします。
 近年、我が家では必ず食べるとも限りませんが、一族郎党分があるので、冬至用のカボチャとして保存はしています。
 これが冬至用のカボチャの白爵。これはまだしっかりしているようです。


 白爵は渡辺採種場の品種で、伯爵でないのが面白いところ。果皮が綺麗な白色です。貯蔵に向く品種なので遅穫り用のカボチャとして作っています。
 6月末に種を播きました。2本仕立てですが、混んだところの蔓を間引く程度の半放任栽培。これが栽培中のもの。


 10月上中旬に収穫しました。雑草も茂り、かなりくたびれた感じになっています。

 実は完熟するまで置いています。


 収穫時は、綺麗な白色です。


 収穫した後は逐次消費し、一部が冬至カボチャとして残っているということです。この品種は、非常に粉質が強く、長く貯蔵しておけば次第に食味が落ちてはくるものの、今でも結構なホクホク感が味わえます。冬至のおまじない用に残しておくようなものですが、まだあります。


普通栽培の九重栗カボチャの2番果も片付かないまま残っていますが、こちらは劣化し、カビも出始めたので処分です。


 白爵は九重栗カボチャの2番果より一回り小ぶりです。軸を見ると劣化が進んでいるのが分ります。


 この辺りの冬至かぼちゃは小豆と一緒に煮込むのですが、我が家ではシンプルなかぼちゃ煮で、すでに食卓にでています。

イチジク「蓬莱柿」を剪定する

2019年12月20日 | 畑:果実類
 
  イチジク「蓬莱柿(ほうらいし)」の剪定をしました。
 今年のイチジクは熟さない実が沢山残され、盛り上がらないまま終了しました。収穫がようやく10月下旬から始まったので当然なのですが、くたびれもうけの感じです。葉はしばらく前にすっかり落ちました。


 当県で昔から在来種として作られてきたイチジクは全て「ブルンスウィック」という品種と知ってから、「蓬莱柿」は余り適さないのではという意識が拭えず、管理にも今ひとつ力が入らないのです。とはいえ、せっかく植えたので、もう少し頑張って穫れるようにしないといけません 


 昨年は本格的な収穫の初年目で、収穫も今年より1ヵ月近く早く始まり、かなり穫れたことを考えると、もう少し何とかなるはずです。まだまだはイチジクへの理解が不十分です。
 この「蓬莱柿」は秋果専用種で、その年に伸びた枝に実がなります。在来種と違い、新しい枝が長く伸びるので、剪定をしないで放置すればジャングルのようになるでしょう。
 まずはこの1本から。


 混んで日当たりが悪くなりそうなところや地べたに付きそうなところは元から切りました。主要な枝は2、3芽を残して切り戻しましたが、やや半信半疑です。


 今年伸びた枝の大部分を切るので、剪定の枝は多くなります。


 2本目。


 同じように切りました。


 こちらも結構な剪定量です。


 昨年はこの時期もカミキリムシが木くずを出していましたが、防除の効果があったようで今年は見られません。
 すべて切り戻すので、さっぱりした感じになります。近隣にはこの「蓬莱柿」は見られないため自己流の剪定で、自信はありません。始まったのが遅かったこともあり、終わる頃には大分日が落ちてきました。


干し柿づくり'19~贈答品をつくる

2019年12月19日 | 干し柿づくり

 干し柿を贈答用にパッケージしました。
 今年は干し柿の進み具合が早まっています。


 白粉が吹いているものも出てきました。


 例年、少々遠方の親戚、知人には宅配で干し柿を送っています。我が家と助っ人分合わせ10戸くらいになります。この時期の相手方の定例行事に組み込まれ、楽しみにしているので止められません。できるうちは続けるつもりです。今年もまずまずの干し柿ができたので一安心です。
 両親が健在の頃は縄付きのまま一戸に数十個、多いところは百個ほども送っていたものです。現在は、大部分は1戸に20個程度で勘弁してもらっています。ただ、多少選別をしてから箱入りにします。今年は少し小粒なので25個にしました。


 干し柿の状態からいうとまだあんぽ柿でしょうが、近年は早めに送るようにしています。箱は百均に手頃なものがあり便利です。


贈答品らしいきれいな感じになりました。今年は仕上がりが早いため白粉が吹き始めています。


まずは、一つ出来上がりました。


 こちらは、はっきり白粉の見えるものが結構あります。


受け取った後、少し置けば全体に白粉が回るかもしれません。

二つ目出来上りです。

 結構手間暇掛かります。今年は進んでいるので、今日中に我が家の分は全て送ってしまいます。
 助っ人はもう少し白粉を吹かせてから贈答にするようです。確かに、全体にうっすらと白粉が吹くと見栄えはさらに良くなります。
 


干し柿づくり'19~あんぽ柿からころ柿へ

2019年12月18日 | 干し柿づくり

 干し柿は、干し始めから約4週間。


 先週から今週にかけては少し気温が高いですが、それまでは気温が低く、空気が乾燥したため、順調に仕上がっています。


 柿の表面はきれいな飴色になり、乾きが進み、しわも深くなってきました。昨年よりほぼ1週間くらい早まっている感じがします。昨年のような大玉が少ないこともあるかもしれません。


 あんぽ柿としては、1週間前にはほぼ出来上がり、食べているのですが、中身も大分固まり、旨味も一層深まってきました。すでに吊している縄を寄せて間隔を狭めています。


今は完全に出来上がりました。自然に白粉が吹いてきているものがあります。


 ここからは、表面がさらに乾燥が進み、中のゼリー部分も次第に固くなって、あんぽ柿からころ柿へと移行していきます。


 あんぽ柿ところ柿の違いについては、主観的で、産地によっても様々に解釈されています。表面に吹く白粉の出具合や中身の硬軟の程度など、連続しているものなので、線を引くこと自体にさして意味は無いように思えますが、白粉がほとんど吹いていなければあんぽ柿、白粉が吹いていればころ柿というのは、見かけ的に分りやすいのかもしれません。あとは、個人の好みの問題で、身内の中にも軟らかいあんぽ柿から白粉の沢山吹いた硬めのころ柿まで、結構好き好きあるようです。
 これはわずかに白粉が吹き始めました。

中身も大分固まり、旨味が出てきました。


白粉は触ったり揉んだりすることで表面が刺激され糖分が吹いて出来ます。あんぽ柿の状態を保つには、できるだけ刺激を与えないようにしないといけませんが、我が家ではあんぽ柿から白粉を沢山吹かせたころ柿まで色んな味を長く楽しみます。
 これははっきりと白粉が出てきました。


 干し柿はこれまでは表面を乾燥させ、中身をある程度固くさせることが主眼でしたが、これからは、軟らかさを保つことが必要になります。
 そこでこの辺りで昔からやられているのが「寝かせる」という作業。稲わらを敷いてその上に干し柿を縄に付けたまま寝かした状態で隙間なく並べ、その上をまたわらで覆い、さらに真冬は防寒具で覆います。そうすることで適度の空間と温度湿度が保たれ、あまり固くならず白粉も吹いてくるというわけです。
 我が家でも母健在の頃は、これをやっていました。しかし、今や無理というもので、より簡易な方法で行っています。


 これは、助っ人が叔母から教わったと言い、やってくれるので助かります。干し柿を吊したままきっちりと寄せ、それを紙袋で覆います。完全ではありませんが、直接空気にさらされないようにしてある程度の空間が保たれます。


紙袋は30キロの米袋が便利です。米袋は3層になっているため、内の1枚を外すと綺麗な状態で使えます。一定期間この状態を保った後は、干し柿の様子を見ながら室内に取り込み、わらは使わないものの段ボール内に「寝かせ」ます。

震災復興成った女川を訪ねる

2019年12月17日 | 小旅


東日本大震災からの復興が進んだ宮城県牡鹿郡女川町を訪ねました。
東日本大震災から8年9カ月。復興の情報は未だ続いていますが、女川町からも「復興成った」という喜ばしいニュースがありました。この度、震災後初めて女川を訪れることができました。今年、新しい女川駅が完成し、駅前通りに商業施設が整備されたのです。真正面が女川駅です。
30年近く前になりますが、隣接する石巻で仕事をしていたことがあります。女川は何年ぶりになるでしょうか。
女川町は震災で想像を絶する被害を受けました。これは、まちなか交流館に掲示されていたパネル。


人口1万人の町民のうち亡くなった方は800人以上、3分2の家屋が全壊したという凄まじいものです。ほぼすべてが津波による被災です。哀悼の誠を捧げるのみです。
これが新しい女川駅。温泉付き駅舎として生まれ変わりました。

駅前に商店や飲食店を寄せて綺麗に整備されていました。仮設からの移転が完了しました。駅を背にすると真正面が海、港になります。


地元市場の施設はハマテラスと命名。
お昼はおすすめの女川丼をいただきました。海鮮丼と言っていいと思いますが、鮮度抜群、ボリューム満点で、文句なしに旨い。値段も1,300円とリーズナブル。三つ星です。


復興成った女川に、沢山の人が訪れてほしいものです。
途上、石巻市にある道の駅「上品(じょうぼん)の郷」を訪れました。ここは、温泉のある道の駅として知られています。


品揃えも豊富で多くの人で賑わっていました。


帰り道、ちょっとだけ松島に立ち寄りました。


おやつに焼きガキをいただきました。松島特産のカキは、小ぶりながら身が引き締まり、濃厚なことで知られています。


充実した一日となりました。