里山悠々録

里山の家と暮らし、田んぼや畑、そして水墨画のことなどを記録していきます

ブロッコリーはまだしばらく穫れる

2021年02月28日 | 畑:花菜類

ブロッコリーは未だ沢山の花蕾が着いています。
まだしばらく穫り続けます。
主枝(親)や側枝(子)の花蕾は全て穫り終えました。
今見えている花蕾はほとんどが孫にあたる花蕾です。さらにひ孫にあたる花蕾も見えます。


外葉は老化して枯れたり、低温で白っぽくなった葉が見られます。特に葉搔きなどはしていません。
ブロッコリーは2列ずつ2回に植えていますが、今は全く区別がつきません。


1回目は7月13日種播き8月11日の植付け、2回目は7月30日種播き8月18日の植付け。品種は何れも「緑嶺」。
収穫開始は10月下旬から始まり、すでに4ヵ月経過しました。
今年は厳冬ですが、意外にも凍害は少ない。
株の勢いが衰えず、耐寒性が増しているからではないかと推測しています。
ほとんどの株がこのように根元から太い側枝が伸びています。


主枝と2本の側枝が区別できないくらいに育ちました。そのため大きな側花蕾が穫れただけでなく、孫花蕾の数や大きさもこれまでで一番です。
ブロッコリーの花蕾は低温に遭うとアントシアンが出てやや紫色を帯びた濃緑になります。


最近は気温の上がる日も多くなり、鮮やかな緑色の花蕾も目立ってきました。


側花蕾の穫り跡、孫花蕾の穫り跡が多数混在してきました。


孫花蕾を穫った茎からひ孫の花蕾も出てきました。小さいながら十分食べられます。


1株に20個くらい着いている株も珍しくありません。


自家用にするには、一口大から二口大くらいで使えるので丁度都合がいい。
数株穫るだけで手頃の量になります。


これまでは厳寒期で穫り遅れる心配もありませんでしたが、これからは気温が上がってくるので花蕾が開くものが出てきます。
いつまで穫り続けるか。

イチゴを水墨画で描く

2021年02月27日 | 水墨画:菜果
本画仙 色紙

イチゴを水墨画で描きました。
このたび県南沿岸部の震災復興の地を訪ねました。そして、亘理町、山元町のイチゴ産地が力強く復活した姿に深い感銘を受けました。
当県オリジナル品種の「もういっこ」。
発表されて10数年経ち、すっかり定着しました。県民にも広く認知されるようになっています。
近年は新しいオリジナル品種「にこにこベリー」も作られるようになりました。
画はハウス栽培のイチゴをイメージして描いてみました。
ハウスで栽培されるイチゴは、この画のように次々と花が咲き、11、2月から半年にわたって収穫が続けられます。
露地栽培ではこのように赤い実の着いた花房と同時に次の花房に花が咲いているような姿は見ることができません。穫れる期間は2、3週間と甚だ短い。
これはイチゴの花芽分化と休眠という生態によるものです。
昔、我が家でも、露地のイチゴを作っていました。当時は「ダナー」という品種でした。さらに遡ると「幸玉」という品種。
これらの品種が分かる方は年齢が知れます。
旬という言葉が露地栽培のものとすれば、この辺りでは5月下旬から6月上旬。現在ではイチゴの露地栽培は経済的に成り立ちません。




震災復興の地を訪ねる

2021年02月26日 | 小旅

2011年3月11日の東日本大震災から間もなく10年。
この節目に大きな被害を受けた地を訪ねてみることにしました。
当県の大震災による死者行方不明者は1万人を超えます。
そのほとんどは津波による犠牲者です。土地や建物の被害も津波による被害が圧倒的に多い。それに比べれば内陸部の被害は相対的に軽いと言えます。
とはいえ、我が家も無傷というわけにはいきませんでした。家屋や農地さらにはライフラインと自らのことで精一杯でした。
それ故に大被害を被った沿岸部への貢献は何らできていません。これまでも足が遠のいていました。
今回は、県南の沿岸部数カ所を訪ねてみました。

仙台市若林区荒浜。
慰霊塔。すぐ向こうが太平洋です。


右の慰霊碑に犠牲者の名が刻まれています。
ここには知人夫婦の名があります。
集落は根こそぎ消滅しました。
震災遺構として住宅の基礎がそのまま残されています。


大津波の様子が書かれています。


遠くに見える白い建物が震災遺構として残されている荒浜小学校。
津波は2階まで到達したものの多くの人がここに避難して難を逃れました。

一帯は災害危険地域に指定され、住民が全て転居しているため未だ荒涼たる風景は否めません。
ここから南下。

名取市閖上。
2019年4月グランドオープンした「かわまちてらす閖上」。


復興の象徴的な閖上地区の新しい商業施設。


木造平屋建ての3棟には飲食店や海産物の店などが軒を連ねています。


この左手の川が名取川。すぐ河口です。


このすぐ近くに知人宅がありました。震災当時知人本人はすでに鬼籍に入られていました。すでに転居されています。
港の方まで足を伸ばしてみました。水産加工場や住宅施設も多くなり、当地では復興が実感できました。

亘理町荒浜。
ここは入り江になった特殊な地形の鳥の海地区。

かさ上げされた堤防から見る入り江。


昔は周辺に大型のプールなどもあり賑わっていましたが、未だ整備途中のようです。


この建物は「わたり温泉 鳥の海」
日帰り温泉施設です。


オープン3年目くらいで震災に遭い、しばらくして復活しました。3年ほど前に訪ねていますが、その時はまだ不十分な印象でした。
今度はレストランも綺麗に整備されており、ここで昼食をとりました。
当地の名物は「はらこ飯」ですが季節的に品切れ、寿司セットをいただきました。
ここから海岸線近くを山元町まで南下したかったのですが、昔とは道路が大きく変っており、イメージ通りには行けませんでした。
亘理町から山元町の海岸線沿い、通称浜街道にはイチゴのパイプハウスが林立していましたが、津波で壊滅。イチゴ農家の知人も命を落としました。
現在は大型の近代的な施設が建ち並び、イチゴ産地として目覚ましい復興を遂げています。

山元町坂元。
震災遺構の中浜小学校。

震災当時の姿がそのまま残されています。

向こうが太平洋。

右上2階天井付近に津波到達点の目印があります。


児童や地域住民らが屋上に避難し、90人の命が守られました。現在は防災教育・震災伝承の場として一般公開されています。
これは「幸福の黄色いハンカチ」をイメージしたモニュメントでしょうか。


復興のシンボル的な直売施設「夢いちごの郷」。

多くの地元産品が並び、賑わっていました。


何といっても目玉は特産のイチゴ。
これは当県のオリジナル品種「もういっこ」。
大粒で、甘味と酸味のバランスが良く日持ちもする美味しいイチゴです。

駆け足ではありましたが、復興の現状を知るいい機会となりました。

畑に冬囲いしたハクサイを取り込む

2021年02月25日 | 畑:葉菜類

畑に置いてそのまま冬囲いしたハクサイを、全て中に取り込みました。
冬囲いは2通りの方法で行っています。
年内12月21日に半数は中に取り込み、半数は畑に置いたままで囲いました。
これまで、中に取り込んだハクサイが主に消費され、外のハクサイはまだ大分残されています。
外葉を縛り、不織布で覆っています。20個弱残っています。


品種はトーホク種苗の中晩生種「郷秋80日」。
昨年は3月まで畑に置いたままにしたため、玉が割れるものが出ました。そこで、今年は2月中に中に取り込み保存することにしました。


外葉数枚は枯れたようになっていますが、しっかりした外葉を強く縛っているので、厳冬だった今年でも、これまで穫ったものは全く問題ありませんでした。


外葉を縛ったままの状態で株を根元から切り、収穫します。


一輪車で作業場の下屋に運び込みました。


ここで、傷んだ外葉を外します。


試しに二つ割りにし、中の状態を確認してみました。


表面から数枚で黄芯系ハクサイの柔らかそうなきっちり詰まった結球が現れます。
芯をよく見ると花芽が確認できます。


これから気温が上がってくるとこれが伸び出し、玉は割れやすくなります。最後はトウが外に飛び出し花が咲くことになります。
数個剥いてみると何れも綺麗な状態でした。


これは頭が割れ始めていました。いつまでも畑に放置すれば次々に割れることになります。


この後、直接消費する数個はそのままにし、他は再び新聞紙に包んで作業場の中に囲い直します。
株裏の芯に包丁の先を差し込み十字を入れてみました。
トウが生長しにくいと言われますが、まじないのようなものでしょう。


後は助っ人がやってくれました。
新聞紙に包んだハクサイは逆さまにして保存します。これも逆さまにすることでトウが生長しにくくなると言われます。


紙袋で覆いをしました。

年内に取り込んだハクサイ数個が残っており、全部で20個と言ったところ。3月いっぱいでは消費しきれないでしょう。

フキノトウを水墨画で描く

2021年02月24日 | 水墨画:菜果
本画仙 色紙


フキノトウを水墨画で描きました。
我が家の田んぼの土手に出ているフキノトウ。
群生とまではいかないまでも、それなりにまとまって生えています。
寒冷地のこの辺りでも、今年の冬はとりわけ厳しかったので、フキノトウの出るのも遅いかと思えば、以外にもそうではないようです。
早いものはすでに苞葉が開いてしまったフキノトウがあり、一方でまだ硬い蕾のものもあります。
一つ一つよく観察すれば結構変化があるはずなのですが、開きかげんのフキノトウが目立つ画になってしまいました。
早春香る絵とはいきませんでしたが、「ばっけ」という方言の響きには、何となくマッチするような気も。

早春の香り「フキノトウ」を採る

2021年02月23日 | 山菜

フキノトウを採りました。
我が家の田んぼの土手です。


すでに1週間前には出ているのが分っていました。
まだ少なかったので、放置していました。
今度は結構増えています。


今年は厳冬なので出るのが遅いかといえば、そうでもなさそうです。10日ほど前、数日間春のような陽気になったことで促進されたようです。


昔、フキノトウは方々に沢山出ていましたが、食べたという記憶がほとんどありません。
フキはよく料理に出されていましたが、トウを食する習慣があまりなかったのではないかという気がします。
ですから、今でもあまりこだわりはなく、気が向いたら採る程度ではあります。
とはいえ、歳を重ね、早春の気分を味わうのも悪くないと思うようになってきました。
群生とまではいきませんが、それなりにまとまって生えています。


採り頃は蕾のうちです。苞葉が開いて中の花が見えるようになれば採り遅れということになります。すでにそのようになっているものもありますし、硬い蕾のものもあります。


小ぶりですが、このくらいならいいでしょうか。


このくらいならまだ大丈夫。


この蕾はまだ硬い。


これでは苞葉が開き遅すぎです。


30個ほど採りましたが、採り頃のものだけ選び20個ばかり持ち帰りました。


フキは少し変っています。普通の植物は茎葉が伸び、ある程度大きくなってからトウが伸び出し、蕾が着き花が咲きます。フキは地下茎からいきなり地上に蕾を出し、それからトウが伸びて花が咲きます。その後に葉っぱが地下茎から出てくるという順番が逆のような面白い植物です。
当県の北部の方では、フキノトウのことを「ばっけ」と呼びます。なぜ「ばっけ」と言うのかは分かりません。
そして、味噌和えにしたものが「ばっけ味噌」。フキノトウと味噌の香りが相俟って美味しい。若かりし頃、よく御相伴に与ったものです。
我が家では天ぷらくらい。
晩酌のつまみにいただきました。


厳冬の寒冷地にも春は確実に近づいているようです。

古木のつげの木をバッサリ切り詰める

2021年02月22日 | 古木管理

古木のつげの木を思い切って切り詰めました。
専門家から見れば基本無視の無茶なやり方でしょう。
このつげの木は庭の一番奥、古木のザクロや梅の木と同じ列に植えられています。
樹齢はよく分りません。ザクロや梅の木と同様なら100年以上ですが、幹の様子からはそれほどではないように見えます。


剪定は助っ人に丸形に刈り込んでもらっています。


しかし、石垣のすぐ上にあるため刈り込むのが難しくなっていました。

自宅の正反対の正面から見ると、上手く刈り込めず、枝が飛び出したままです。


どうするか懸案だったのですが、この際、思い切ってバッサリと切り詰めることにしました。
切り詰めれば当然弱りやすいので、ヘタをすれば枯れることもあるかもしれません。しかし、このつげの木はあまり価値がありそうにも見えないので、ダメ元で何年かかけ作り替えたいと思います。
しっかりとした管理をせず勝手に伸ばしてきたので根元から太い枝が何本も出ています。これを切り詰めました。


古木らしく空洞も見えます。


これから、下の方から出ている小さな枝葉を伸ばしていこうと思います。
太い枝は様子を見てまた整理します。

バッサリと落とした枝。


つげの木は強いので枝葉が容易に伸びてくると思いますが、どうでしょう。

現在は、正面からは死角になり切り詰めたところはあまり見えません。

これもいずれ整理し、全体が容易に刈込みできるよう作り替えたい。

「竹に雀」を水墨画で描く

2021年02月21日 | 水墨画:風景他
画仙紙 色紙

「竹に雀」を水墨画で描きました。
「竹に雀」は組み合わせの良い例えにも使われます。
実はこれは年賀用に描いたもの。それで少しだけ色を入れています。墨彩画とすべきかもしれません。
篠竹採りをしたばかりなので、ここに記録します。もっとも竹は篠竹でなく孟宗竹のイメージです。
竹は松、梅とともに縁起物として扱われることが多い。
水墨画でも最も描かれる題材の一つで、蘭、菊、梅とともに四君子として水墨画の基本ともされます。
当地方の戦国武将の英雄と言えば伊達政宗。
私は詳しくありませんが、アクションゲーム戦国BASARAが火付け役となり歴史ブームが到来、歴女なる言葉も生まれた折りには、独眼竜政宗のスマートなイメージから真田幸村と全国的な人気を二分したことがありました。
その伊達家の代表的家紋が「竹に雀」。
中心に2羽の雀、竹が輪に組まれて周りを笹が囲んだ紋になっています。仙台笹と呼ばれます。


篠竹を採りつつタラノキの管理をする

2021年02月20日 | 山菜

春の山菜の王様と言われる「タラの芽」。
タラの芽は、その名の通りタラノキの新芽のこと。
ここは、もともと何株か自生していたタラノキを、周りの手入れをし、自然に増やしてきました。
今では、ここにタラノキが数十本群生しています。
篠竹が一緒に生えており、これでは分からないかもしれません。


その管理の主なものが、この篠竹(しのだけ)刈りです。
このタラノキの周りには篠竹が群生しています。


篠竹はタラノキにとっては邪魔なもの。
篠竹は繁殖力が旺盛なので、放置しておくとタラノキを駆逐してしまいます。
一方で篠竹も利用価値があります。
まずはサヤエンドウの支柱用。
タラノキを管理しつつ篠竹を採れば一挙両得と言うわけです。
もっとも、タラノキと混在している篠竹は使い物にはなりません。細く短いものが大半なので、それは刈って処分です。
この数本の篠竹のような太くて長いものなら使えます。


使える篠竹は、専らタラノキの周囲にある篠竹です。


この辺りには方々に篠竹が群生していますが、ここが一番採りやすいところ。
刈払い機で根元から切り倒します。
タラノキの後ろの篠竹まで切ります。


強引にやるとタラノキまで簡単に切ってしまうので、タラノキのごく近くのものは手刈りします。


切り倒した中から、太くて長いものだけを選びます。これがサヤエンドウの支柱になります。
タラノキの周りの篠竹が片付けられて、すっきりしました。


これでタラの芽の出る環境が整いました。


採った篠竹は、葉を整理し、土に挿しやすくするよう先を尖らせます。


ここ以外のところからも少し採ります。
篠竹は使い捨てではなく、支柱として2年は持ちます。
余分なくらいにストックしておき、いつでも使えるようにしています。

頑張る小カブをしぶとく穫る

2021年02月19日 | 畑:根菜類

未だ小カブをしぶとく穫っています。
品種は「耐病ひかり」。種播きが9月24日。
11月半ばから収穫を始めたので、すでに3ヵ月以上経っています。蕪好きなので、そう簡単には止められません。
旬の小カブの姿からは見る影もなくなりました。


初めやや密植の状態から、穫り始めましたが、今では隙間が目立ちます。


今年の厳冬では葉の傷みも大きい。外葉はほとんど枯れています。
ただ、新葉は割に元気なので耐えているようです。


小カブも低温に耐えるため体内に糖分を蓄え、甘味と旨味が増します。
一方で生育日数が長くなると、繊維分で硬くなってくるのはやむを得ません。また、凍結して組織が壊れると食感や味が変ります。
それが今年の酷寒の中にあって、未だ食せるのは耐寒性が増しているからでしょう。


この「耐病ひかり」という品種の特性として、大きい蕪になっても味が落ちにくいことにもあるかもしれません。


厳しい寒さで蕪にアントシアンの紫色の出てきたものがあります。これはこれで悪くありません。


収穫した小カブ。
さすがに旬の時のような輝く純白というわけにはいきません。
葉も新葉部分だけです。


それでも一皮剥けばまだ十分食べられます。
ただ、これでは本来の小カブとは言えません。小カブには新鮮な大きな葉が必要です。
たまたまスーパーに行った折り、産直コーナーに蕪だけがポリ袋に数個入りで売られていました。しかし、これは禁じ手のような気がします。
小カブも間もなく終了です。

老朽化した育苗ハウスの手入れ

2021年02月18日 | 田んぼ

老朽化しているパイプハウスの手入れをしました。
これは水稲の育苗専用に使っているパイプハウス。
いつ建てたかも記憶が曖昧になるほど古く、40年にもなろうかという代物です。
近隣にこのようなタイプのパイプハウスは見られなくなりました。
我が家には、両親が健在の頃、数棟のパイプハウスがありましたが、老朽化したので、それを徐々に解体しました。
その中の一部の使えるパイプで、すべてこのような2本のダブルの支柱にしました。老朽化しているとはいえ2本にすることで大幅に強度は増します。また、筋交いをし、パイプどうしを針金で縛って強化を図りました。
ただ、大雪や強風被害のリスクを避け、被覆のビニールを長持ちさせるため水稲育苗だけの限定使用です。


昨年育苗に使った後も黒マルチは張ったまま、地面も極力動かさないようにしています。そうすることで、均平が保たれ雑草も抑えられるので、今年プール育苗をする時に、あまり手を加える必要がなくて済みます。
例年、この時期に点検をして補修するのが大事な仕事。
まず、針金の締め直し。


補強杭の点検。


被覆ビニール抑えのマイカー線を止める足場用パイプの点検。
パイプを動かないようにする杭は、山から切り出した栗の木を利用しています。
栗の木の杭は強いですが、次第に腐るのはやむを得ません。

何本か交換する必要があります。


弱っている杭を新しいものに交換します。


杭を打ち込みます。


太い針金で縛ります。


こちらも新しい杭と交換しました。


同様に数本を交換しました。


市販の鉄製の補強杭もありますが、里山の栗材の方が強く抜けにくい。何より里山資源の有効活用で材料費はかかりません。
ただし、使う人間の方も老朽化しているので、どちらが先に使えなくなるかといったところか。

玉ねぎと男爵いもを水墨画で描く

2021年02月17日 | 水墨画:菜果
本画仙 色紙

玉ねぎと男爵いもを水墨画で描きました。
今年のタマネギは生育がよくありません。収穫まではあと4ヵ月ほどありますから何とか挽回したいところです。
今、食しているのは保存しているタマネギ。品種はネオアースという貯蔵に優れた品種です。10ヵ月くらい食べ続けます。
この品種を作る以前は2、3品種作っていましたが、今はこの品種一本です。
やや甲高で、今時分でも黄金色に輝いています。綺麗なタマネギです。
同じように保存しているのがジャガイモ。いわゆる男爵いもです。
年越しの頃になると芽が出てきますから、芽を搔きながら春まで食します。
ジャガイモもかつては何品種か作りましたが、結局、今は男爵だけです。
男爵はデンプン質が多くほくほく感が強いので、たいがいの料理に無難に使え、我が家のようなところには向いているようです。
貯蔵中の玉ねぎと男爵いもを並べて描いてみましたが、やや単調になったでしょうか。


タマネギマルチ栽培に追肥し挽回図る

2021年02月16日 | 畑:土物類

今年のタマネギは生育不良。欠株も多い。


品種は貯蔵性抜群の「ネオアース」1品種のみ。
これが、未だ盛んに食している貯蔵の「ネオアース」。


3ベットあります。


種まきは9月7日、植え付けが少し遅れて11月8日。
苗の仕上がりはイマイチでしたが、選別して植えたのでそれほど悪い苗ではありませんでした。
しかし、苗の立ち上がりが遅く、初期から生育が遅れました。
原因はよく分りません。

昨年の今頃のタマネギと比べると甚だ悪い状態です。

昨年のタマネギも植付け前に台風19号が来襲して苦労しましたが、今頃はすっかり回復していました。
これは比較的良いところ。


今年の酷寒が追い打ちをかけました。
連日最低気温-10℃近くの低温で根が浮き上がったものが多数あります。根張りが悪かったものは枯れ欠株になっています。


管理にも力が入らないというものですが、気を取り直して挽回を図らないといけません。
一昨年も生育不良で最悪といった状況でしたが、最後に穫ってみれば大豊作でしたからまだ諦めるのは少し早い。
例年のごとく、粒状の速効性肥料をマルチの上からばらまきしました。


以前にも書いたように、昔はこのような追肥をしたことはありませんでした。
マルチ栽培ではゆっくり効く肥料を全量元肥でやるのが当然で追肥は必要ないものと思っていましたし、そう教わりました。
それが10数年か20年も前くらいなるでしょうか、高齢の方がマルチの上から肥料をばらまいているのを見ました。
最初は無駄なことをしていると思っていましたが、試しに自分でもやってみると、これが目に見えて効果があるのです。


直接粒状肥料が植え穴に入る場合もあるし、雨に溶け流れて植え穴に入るものもあるのでしょう。葉色にはっきりと効果が現れます。


それまでは肥え切れからベト病が出ることもよくありましたが、それ以来ほとんど出ることがなくなりました。
今回はバラ播きして間もなく雨が降り出しました。タイミングとしては絶好です。
生育不良の今年のタマネギ。これで少しは挽回してくれるか。

ラッキョウの追肥と土寄せ

2021年02月15日 | 畑:土物類

ラッキョウの追肥と土寄せをしました。
植え付けが9月9日。4畝で100株余りあります。
生育はまずまずで、欠株もありません。


ここは非常に粘土質の強い畑です。
植付け時は水分過多でした。秋には乾燥して土がすっかり硬くなってしまいました。
11月下旬には追肥と土寄せをしていますが、その時は土が硬くなっており、何とか管理機を使いました。
今冬は繰り返し降雪があるため土が湿っており、硬くなっていないのでクワだけでやることにしました。


まず畝の両肩に追肥。速効性の粒状肥料です。
雑草も見えてきました。


落ち葉が沢山落ちています。特に近くに大きな栗の木があるため栗の葉が多い。
落ち葉もかまわず土と一緒に寄せてしまいます。


秋の土寄せの際、管理機の逆転ローターで土をはね上げたので畝が高くなっており、今回の土寄せは少しやりにくい。


それでも一応整いました。


このラッキョウは母が遺したもの。
今年は母が亡くなって丁度20年。なくすわけにもいきません。


ここまでは厳冬下でも、悪くないようです。収穫までは先が長い。

余震はまだ続いています。
自宅の被害はありませんでしたが、墓地に被害がありました。

茎立ち菜3種に追肥と土寄せ

2021年02月14日 | 畑:花菜類

当地方、昨夜23時8分、震度6の強い地震に見舞われました。余震も繰り返しあります。
10年前の東日本大震災の記憶が甦ります。
幸い我が家では少々小物が倒れた程度で大きな被害はありません。停電や断水もありませんでした。

天候の方は連日好天。
茎立ち菜に追肥と土寄せをしました。
当地方では茎立ち菜が一般的ですが、とう立ち菜のことです。


広く言えばナバナ類。
秋に種を播き、冬の低温で花芽が出来、春暖かくなって伸びてきた茎(トウ)を収穫します。
3種作っています。何れも10月15日に直播きしたもの。
これは「仙台雪菜」。


当地方のいわゆる伝統野菜。最近は単に雪菜というと「縮み雪菜」の方が知られるようになってきましたが、全く別物です。
仙台雪菜は昔から葉物としても作られていますが、他の茎立ち菜より少し早くから穫れ、トウが柔らかく大変美味しいので茎立ち菜として作っています。
生育は概ね順調です。


暖冬だった昨年は今時分にはかなり茂っていましたが、今年は平年並みと言っていいでしょう。
揃いは悪くありません。
今年はしばしば、雪が降り、土は結構湿っています。畝の両肩に速効性の肥料を施します。


土寄せは管理機では作業しにくいのでクワだけで行いました。


よく見ると花芽が確認できるようです。


これは「かき菜」。


「かき菜」は在来アブラナの一種で、関東での呼び名です。
こちらも生育順調で揃いも良好。昨年よりは遅れていますが、平年並みと思います。


「かき菜」は「仙台雪菜」よりも丈夫で作りやすい。
同様に速効性肥料を施します。


十分に土寄せしました。


こちらは「三陸つぼみ菜」。


「かき菜」と同類。当地方ではよく知られています。
全体の姿や葉の形はかき菜とよく似ています。ただ、葉の色はかき菜より淡いようです。


同様に追肥。


土寄せ。


木の棒を立てた右が「かき菜」、左が「三陸つぼみ菜」。
葉の色に違いがあることが分ります。


「かき菜」、「三陸つぼみ菜」は茎立ち菜あるいはナバナと言っても他と少々違い、食べるのは花ではなく新葉です。花が咲くようになる頃には硬くなってしまいます。
この辺りの露地の茎立ち菜の収穫は、例年3月下旬からですが、暖冬だった昨年は「仙台雪菜」が3月半ばから穫れ始めました。今年はどうなるか。