里山悠々録

里山の家と暮らし、田んぼや畑、そして水墨画のことなどを記録していきます

風味豊かなコシアブラの芽

2020年04月30日 | 山菜

 コシアブラの芽を採りました。
 コシアブラの芽には香り豊かな独特の風味があります。タラノキと同じウコギ科の植物で、タラの芽を小さくスマートにしたような姿です。
 タラの芽と同様に木の新芽を食べます。


 タラノキは林の周りや土手などに生えますが、コシアブラは林の中に自生し、放置すれば10メートル以上の高木になります。


 コシアブラの由来は、樹脂を絞り、濾して漆のように塗料として使われていたかららしい。新芽には油がかった光沢があるのはそのためでしょうか。


 そもそも、この辺りではコシアブラの芽を食べる習慣はありませんでした。それよりも「削り花の木」として知られています。春の彼岸ごろは生花が少ないため、木質の柔らかいコシアブラの木を削って赤や黄の色付けをし、造花を作っていました。今でも作られ、販売もされています。隣集落の母の友人も削り花を作るため、毎年、我が家のコシアブラの木を採りに来ていたのを憶えています。

 この辺りで一般的にコシアブラと言われるようになり、食べられるようになったのはいつ頃からでしょうか。「メホ」などと呼んで食べていた方もいたようですが、普通に食べられるようになったのは、せいぜい20年前くらいからのような気がします。
 何といっても、隣県の山形で「山菜の女王」などと呼ばれ、珍重されていることを知り、見てみれば「削り花の木」か、となったのが大きい。


タラノキと同じように剪定すれば毎年採りやすく管理できるでしょうが、林の中にあり、剪定ばさみで切るというわけにもいきません。したがって、ごく近くの容易に採れるものを採るといった感じでしょうか。


 タラの芽は味にほとんど癖がありませんが、コシアブラの芽にははっきりとした独特の香りがあります。好まない方もいるかもしれません。


タラの芽とコシアブラの芽を並べてみました。右がタラの芽、左がコシアブラの芽。


 定番はやはり天ぷら。強い香りがあるものを好む私は好きで、独特の風味と食感が楽しめます。ただ、天然のタラの芽のようなボリューム感はありません。

春の山菜の主役はタラの芽か

2020年04月29日 | 山菜

 タラの芽を採りました。
 早いところから二度採っているので、例年より僅かに早い程度です。
 タラの芽は山菜の王様と言われるくらいですから、春の山菜の主役といったところでしょうか。


 タラの芽はタラノキから出る新芽のことです。タラノキはこの辺りの野山にはごく普通にありますが、採るのは家周りと、殆どは刈り払いなどの管理をして、群生化したところのタラの芽です。
 もともとタラノキは自生しているものですが、周りを綺麗に管理してやると、地下茎で自然に殖えていき、群生らしくなってきます。


 また、タラノキの枝は1年で長く伸びるため、放置しておくと木がどんどん大きくなり採るのが大変になってきます。そこで、収穫後に下の方のわき芽の出ているところで剪定してやると毎年適当な高さで採ることができます。これらのタラノキはみなそのようにして管理したものです。


 これは採り頃です。若干遅めかもしれませんが、これくらいの方が天然タラの芽の野趣とボリューム感が味わえます。


 さすがに、このくらいが限界でしょうか。


 これは、もう少しだけ大きくしてからの方が食べ応えが出ます。


 スーパーなどに出ているタラの芽は、ほとんど栽培したものです。ハウスの中に伏せ込んで3月から収穫されますが、枝の全ての芽を出させるので、大変に小さいです。天然のタラの芽は一番上の頂芽だけを採るので太く大きい。状態が良ければ2番目の芽くらいまで採ることはありますが、わずかです。
 ですから天然のタラの芽は栽培ものとは姿形が大きく異なります。別物と考えた方がよさそうです。


 タラの芽は癖がなく、ほとんど味らしいものを感じませんが、嫌う方もいないようです。独特の食感が好まれるのでしょうか。確かに太い充実した枝のボリューム満点の新芽は食べ応えが十分で、変るものがないかもしれません。
 定番は天ぷらですが、素材を味わうには素揚げもいいものです。


ヤマブキを水墨画で描く

2020年04月28日 | 水墨画:草花
画仙紙 半切1/3


 ヤマブキを水墨画で描きました。
 今、この辺りの里山の裾には山吹色が映え、遠目にも清々しい気分になります。
 自然のヤマブキは、群生化すると全体が山吹色になり華やかですが、一つ一つの花はしっかりとした姿をしています。花には敢えて色付けをせず、水墨のみで描いてみました。花びらを線描きした後、所々に淡墨をたらしています。
 また、ヤマブキの一つ一つの葉の縁にはごく小さなギザギザがあります。それは葉脈を少しはみ出させるように描いて表しました。
 ヤマブキの色鮮やかな中にも、気高く端正な姿を表現したかったのですが。


里山の裾に山吹色が映える

2020年04月27日 | 野山

 今、里山の裾に見事な山吹色が映えます。
 ヤマブキです。


 山吹色とは黄色よりさらに深い黄色、黄色とオレンジ色の中間の色といえるでしょうか。いや山吹色はやはりヤマブキの花の色と言うべきなのでしょう。


 実に鮮やかです。最も鮮やかだったのは先週くらいでしたが、まだまだ楽しめます。


 春の黄色と言えば、レンギョウ、スイセン、菜の花など多数ありますがヤマブキはかなり趣が異なります。


 少し比べてみます。
 レンギョウは4月早々から庭先や公園、道路脇などで目立ちます。これは我が家の今のレンギョウですが、ヤマブキの黄色はこれより濃く澄んでいます。


 これは、我が家のスイセンの一つ。今も綺麗に咲いていますが、どこかヤマブキの黄色とは違います。少し作られた感じがします。


 これは、みちのく杜の湖畔公園の菜の花で、スケールは凄いです。しかしながら、菜の花には悪いけれど、ヤマブキの方が気高さを感じるようです。


 ヤマブキは自然の中で、毅然とした姿を見せてくれるところがいい。そして、バラ科の花らしく一つ一つの花がしっかりとしていて、5弁の花びらとしべが端正です。

 
 その色と全体の姿がマッチして、高貴さを醸し出しています。


 渓流にある山吹。


 絵になります。


 竹林の中のヤマブキ。

 孟宗竹とのコラボも悪くない。


 古来、和歌などにも好んで詠まれたことからすると、桜に次ぐ春の代表的な花だったのでしょう。


 山吹と言えば、時代劇のドラマなどで悪代官と悪徳商人が出てきて、「お前も悪よのう」などと、小判の隠語に山吹と言うのを聞いた覚えがあります。なるほど小判の色というのが近い気がしてきました。しかし、ヤマブキの花の色はスッキリと澄んでいて、腹黒な色ではないのです。ヤマブキにとっては迷惑な話でした。

鎮守の神社にも新型コロナウイルス禍

2020年04月26日 | 暮らし

 我が集落にある鎮守の神社。小さな講中ですが、不肖私が代表世話人を仰せつかっています。いつの間にやら総代の名で呼ばれています。
 通常は4月の第3日曜日、時に第4日曜日に春の祭典が執り行われます。早朝に境内を掃除した後、旗を揚げ、9時からご祈祷、そして直会と続きます。準備することも多いので、抜かりがないよう結構緊張するものです。
 しかし、今年は協議の結果、中止となりました。新型コロナウイルス禍がここにも出現したのです。いかに空気清浄な里山とはいえ、一連の行事には密閉、密集、密接が付いて回ります。中止はやむを得ない、と言うより当然かもしれません。
 これまでも中止したことがなかったわけではありません。東日本大震災の折りや祭典直前に集落内で不幸があった時などです。
 境内、特に石段は大分汚れています。このまま放置はできません。


 いつもなら祭典日の早朝に世話人と旗揚げの班で掃除するのですが、今年は私がコツコツとやることにしました。強風が度々吹くので杉の枝葉が沢山落ちています。


 完璧とはいきませんが綺麗になりました。


 本殿周りも掃除しました。


 拝殿周りも綺麗になりました。


 境内の小さなしだれ桜には少しだけ花が咲きました。


 これは、一昨年、懸案だった境内のもみの木の大木を伐採整理した折り、講中の一人から苗木の寄贈の申し出があって植えたもの。3本あります。接ぎ木の苗木なので2年でも花が咲くようです。このしだれ桜は、日本三大桜の一つ、福島県三春の滝桜由来の苗木と言います。

 拝殿内はあまり汚れていません。
 早く新型コロナウイルスが鎮まり、秋の祭典が無事執り行われるよう祈願しました。