里山悠々録

里山の家と暮らし、田んぼや畑、そして水墨画のことなどを記録していきます

フキノトウが採り頃に

2022年02月28日 | 山菜

フキノトウを採りました。
フキノトウは春を告げる山菜と言えるでしょうか。
今年は厳冬。先週は2日連続で真冬日を記録するなど繰り返し寒波が襲来しています。
今年は遅れることは確実と思っていました。
ここ2、3日急に気温が上がったので様子を見に行ってきました。
我が家の田んぼの土手です。結構出ています。
群生と言うほどではないものの、それなりにまとまって出ています。


例年なら2月20日頃には出始めるので、数日の遅れといったところでしょうか。
厳冬と言ってもそれほどは遅れないものです。
朝の8時半頃でしたが、霜が降りてまだ土や草が凍っていました。


この土手は南向きのため他より早い可能性はあります。
これはすでに開き始まっていました。


この脇は水路で、補修をした際、泥上げをしました。そこから生え出したものもあります。


フキノトウは面白い。
地下茎からまず地上に蕾を出し、それからトウが生長して花が咲きます。
その後から葉っぱが地上に伸びてきます。


大概の植物はまず葉っぱが伸び、ある程度大きくなったところで最後にトウが伸び出し、花が付きます。まるで逆さま。
昔、我が家ではフキノトウを食べる習慣はなかったように思います。
ですから、意識してフキノトウを採るということはありませんでした。
かつて県北部で仕事をしていた折り、たまたま「ばっけ味噌」をご馳走になったことがあります。
「ばっけ」とはフキノトウのこと。それまでは「ばっけ」も「ばっけ味噌」も知りませんでした。
「ばっけ味噌」はフキノトウと味噌を和えたもので、これが独特の風味で美味しい。
もっとも、我が家ではせいぜい天ぷら程度ですが。
フキノトウの採り頃は短い。苞葉が開いて中の花が見える前の蕾のうちです。


これくらいまで。


左のはぎりぎり、右のはまだ硬く早い。


20数個持ち帰りました。


凍害で葉先が黒変しているのが気になりますが、今年はしょうがないでしょう。
ささやかな早春の香りを味わいました。
当地のような寒冷地でも確実に春に向かっていることを知らせてくれます。


我が家に残る一通の古文書(後)

2022年02月27日 | いえ

前日からの続き。
我が家に、何故一通の古文書が300年近くもの間残されていたのかを考えてみます。


まず古文書にある百姓久三郎と水呑久右衛門の関係についてです。
久三郎から久右衛門に石高の一部を譲渡することによって久右衛門は新たに百姓になった訳です。
そして、水呑久右衛門を別家にしていることからみると、二人には血縁があったと考えるのが相当です。


この古文書は土地の権利と身分を証明するものとして扱われてきたと思われます。
それが故に、長い年月大事に保管されてきたのでしょう。
とうの昔に意味をなさなくなった古文書ですが、今日まで破棄せず残されてきた訳です。
3年ほど前、我が家の過去帳を作る際、家系を詳細に調べました。


父は当家の6代目と明記されているので、小生は7代目に間違いありません。
残されていた位牌や戸籍謄本などから2代目以降は明確に分りました。
問題は初代。
残されていた最も古い位牌から嘉永5年(1852年)没の人に間違いないと推測できました。


位牌には行年、俗名が明記されていませんでしたが、後に幸い墓石から判読でき、行年78歳、俗名久次と分りました。


ちなみに相方とみられる人は慶応4年(1868年)没で行年77歳、俗名は判読できませんでした。
2代目の没年は明治12年(1879年)で行年66歳、初代没後27年です。


ところで、江戸時代、一般庶民は公式な苗字(名字)即ち姓を持たないのが普通でした。
姓を持つことができたのは特別な名士だけだったと考えられます。
それが、明治初期に戸籍法や平民苗字制度が制定され、一般庶民も姓を持つようになります。
大概はその時点で○○家が誕生したと思われます。
当然、我が家も2代目の時代に現在の苗字を名乗り○○家となったのでしょう。
そして、我が家ではその時の先代をもって、初代としたものと推測されます。
我が家には、かつて古い墓地がありましたが、墓碑の多くは風化し読み取れなくなっていました。
それは現在の墓地に集約され、中にはっきり天明年間(1780年代)と分る墓碑があります。


また、古文書に記されている屋敷名は現在の地名と一致します。


久右衛門なる人物が別家として新百姓になったことがこの古文書の肝で、この人が我が家の実質的始祖だった可能性が極めて高い。
そうでなければ長い間この古文書が保管されているはずがありません。
ただし、苗字を持たなかったため○○家とはならなかった。
おそらく昔は専ら屋号が使われ、△△の久右衛門と呼ばれていたのではないか。
この辺りでは、今でも屋号が日常的に使われます。
明治初期に苗字制度が出たことで我が○○家が誕生。時の先代を初代としたと結論づけました。
我が家初代の没年嘉永5年(1852年)と実質的始祖が新百姓になった元文元年(1736年)では110年余りのブランクがあります。
古文書の久右衛門家の構成は4世代となっています。


この中で一番若い4世代目の孫太なる子は享保20年(1735年)で2歳。
我が家初代久次の生まれたのは逆算すると1775年でこの間にも40余年のブランクがあります。
つまり、我が家の実質的始祖と思われる久右衛門までは初代からさらに数代遡り、そもそもは水呑と呼ばれる貧農であった。
これがこの古文書から紐解く小生の結論です。
以上は、父からの言い伝えなども全くなく小生だけの推測です。
なお、今日、我が家の本家とおぼしき家は存在しません。
江戸時代、士農工商の身分制度が厳格にあり、農は最上位の士に支配されていました。
農は人間の生存に最も必要な食を担うため形式だけは2番目に位置づけられていました。
工はもの作りで生存に欠かせず3番目、商はものを動かす商売で形式上は最下位の位置づけ。
しかし、金がものを言う世ともなって豪商が生まれ、実際の地位は逆転、商が上位で時には商が士を支配することも。
現代はと言うと、彼の地のように未だ士(軍隊)が力で支配する国はあるものの、大方は士は政に変化。
物事の最後は全て政治が決めると公言する方もいる。正しいかどうかは別物らしい。
農工商はどんなものだろう。
さらに全く新しい分野ITが加わりました。
GAFAはじめ人間の生存には最も遠いはずの産業が跋扈し、支配しようとしています。


我が家に残る一通の古文書(前)

2022年02月26日 | いえ

しばらくぶりに「いえ」に関わることを記録に留めます。
我が家に一通の古文書が残されています。
この存在を知ったのは、27年前に父が亡くなった直後。
登記簿謄本などとともに残されていたものです。
このような古ぼけた紙袋の中に、もう一通の文書とともに入っていました。


この古文書について、父から聞かされてことは一度もありません。
亡くなる前は長く病床にあり念頭にもなかったろうと思います。
当時、チラッとは確認したものの簡単には判読できないため、長らく放置していました。
少々じっくりと見ることとなったのは、勤め人稼業から解放された後。
我が家の位牌を過去帳に替えようとした際、改めて見直すこととなりました。
小生には完全には判読できませんが、推測も含めて解釈しました。
これが1枚目。


享保20年(1735年)3月付けの、藩内家臣横山某から奈良坂・梅沢某宛てのもの。
百姓久三郎の田畑の一部を水呑久右衛門に譲り、新たに百姓としたいと願いが出ているので処理するようにといった主旨でしょうか。
2枚目。


願い出の内容が書かれています。
百姓久三郎から水呑久右衛門に田畑の一部合わせて690文分を譲渡するとあります。
さらに久右衛門を別家として新しく屋敷を設けた旨書かれているようです。
ここには久三郎屋敷に当地集落名が記載されています。
3枚目。


久右衛門の家族構成は4世代の6人に下人が2人で計8人。
本人が78歳とは少々驚きですが、家長とはそのようなものでしょうか。
譲渡の趣旨とその見届け人についても書かれているようです。
4枚目。


譲渡人久三郎、譲受人久右衛門(新百姓願人)双方と見届け人の親戚、組頭、肝煎の署名捺印。
享保20年閏3月付けで堀内某宛の願い出になっています。
5枚目。


元文元年(1736年)10月に決裁が終わり認められたと解釈できるでしょうか。
この古文書は享保、元文年間ですから江戸中期のものです。
少々、調べてみると士農工商の時代、農即ち百姓にもランクがあって上は庄屋、名主と言った豪農から、一般の百姓、そして下は下人まで存在していました。
藩主から土地を与えられ年貢を納めるものだけが、百姓として認められていたのです。
水呑百姓(みずのみびゃくしょう)は、今でも蔑みの言葉で用いられることがあります。
名の通り、貧しくて水しか呑めないような百姓を指す、江戸時代の貧農のことです。
我が家に残る古文書には単に水呑と記されています。
水呑百姓は石高(田畑)を所有していないため年貢を納める必要はありません。
しかし、村の構成員とは認められず、発言権もない低い身分でした。
小さな百姓の次男や三男は水呑として生きていかざるを得なかったのかもしれません。
然らば、何故この古文書が我が家に残っているかです。
それは明日。


冬囲いした畑のハクサイを取り込む

2022年02月25日 | 畑:葉菜類

畑に置いたまま冬囲いしたハクサイを、全て取り込みました。
品種はトーホク種苗の中晩生種「郷秋85日」。
ハクサイは12月に2通りの方法で冬囲いしています。
半数は室内に取り込み、半数は外葉を縛り畑に置いたままにしました。


これまで主に中に囲ったハクサイを消費してきたので、畑のは数個穫ったのみです。
畑に置いたままにすると、次第に結球中で花芽が生長し、割れてきます。
今年はここに至っても気温が甚だ低く、そんなことはないと思いますが、このまま放置はできません。


偶然にも昨年と同日の取り込みとなりました。
昨年は今頃好天で、僅かに頭の割れ始めたものがありました。
これは多少頭が尖っているような気もしますが。


今回も、助っ人の応援がありました。
全て畑で枯れた外葉を外してから、作業場の下屋に運び込みました。


外葉は枚数が多くしっかりと縛っているので、大半問題はありませんでした。
しかし、凍害を受けた株も若干あり、外葉だけでなく内葉を少し剥いだものがあります。
割れ始めたものは全くありませんでした。


今年の天候では割れよりも凍害が問題だったようです。
殆どの株が大きな外葉を十分確保できたので、凍害は最小限で済みました。


4キロ級の大玉。


試しに一つを割ってみます。


ぎっしりと詰まっています。


黄芯系特有の表面から数枚で柔らかそうな黄葉です。
ぱっと見、肉眼では花芽が確認できませんでした。
間違いなく花芽はできているはずですが、酷寒で生長が遅れているようです。
株裏の芯に包丁の先を差し込み十字を入れ、トウが伸びないおまじない。


すぐ消費する数個以外は、新聞紙に包んで作業場の中に囲い直します。

こちらはすでに中に取り込んで囲っているハクサイ。


大玉が残っています。


包んだ新聞が濡れてきたので、包みを解き外葉を整理。


鮮度は殆ど変わりません。


包み直します。


新聞紙に包んだハクサイは逆さまにして保存します。


これも逆さまにすることでトウが生長しにくくなると言われます。
右6個は前から取り込んで囲っているハクサイ。
段ボール、新聞紙で覆いをし、終了です。


助っ人は4月一杯かかって消費すると言っていますが、どうでしょう。


再び厳しい寒波でナバナ「寒咲花菜」は苦しい

2022年02月24日 | 畑:花菜類

再び厳しい寒波に見舞われています。
一旦、寒さが緩んだかに見えましたが、ぶり返しました。
当地、この時期としては滅多にない二日連続の真冬日を記録しました。
降雪は回数は多いものの降雪量は1、2月トータルで30センチに満たず、例年の半分以下。
昨年も少雪でしたが、今年はさらに下回り異常に少ない。
同じ寒冷地でも、日本海側が大雪となっているのとは実に対照的です。
それだけ今年は冬型の気圧配置が多いと言うことでしょう。
当地方は雪がちらつき寒風吹きすさぶ気温の低い日が多くなっています。
ナバナ「寒咲花菜」を見ているとよく分ります。


苦しい姿になりました。凍害で終了した株が出ています。


それでも耐えている株があります。

ここに来て、個体差が大きくなってきました。


このくらい厳しい状況は過去になかったかもしれません。


収穫開始から3ヵ月以上経過しているので、すでにかなりの量を穫ってはいます。
ただし、今穫れているのは遅れ気味の側枝(子茎)。


普通ならこの1次側枝(子茎)からでた2次側枝(孫茎)が穫れていい。
これが、このように伸びきれず、変色しています。


例年なら今の時期になると春の陽気の日が結構あって、それで孫茎が伸び出します。
今年は真冬の天候が長く続いていると言うことです。今どきに連続の真冬日とは。
それでも花芽は健気。


このような状況下でも、それなりに穫れています。


寒さに当たった花菜はとりわけ美味しいので最後まで穫り続けます。
果たして孫茎が穫れるまで持つ株はいくらあるか。

こちらはアスパラ菜。


これほどの姿になったのを見ることはあまりありません。
暖冬の年には、この時期にもアスパラ菜を穫っていました。
今年の冬は本当に厳しい。


水墨画「いも3種(ジャガイモ、サツマイモ、サトイモ)」

2022年02月23日 | 水墨画:菜果
本画仙 色紙  

いも3種を水墨画で描きました。
いも類の代表的な3種、ジャガイモ、サツマイモ、サトイモです。
いも類はいずれも貯蔵に向きますが、我が家で今残っているのはジャガイモだけになりました。
ジャガイモのモチーフは男爵イモ。
かつては何種か作りました。それでも、結局のところ汎用性があって貯蔵のきく無難な男爵イモです。
サツマイモはベニアズマ。
サツマイモも近年は様々な品種が出ています。小生はサツマイモをあまり食さないので、よく分かっていません。
サトイモは土垂。
実は作っているのは蔵王いもと言う名で売られているもの。
多分、石川早生系のサトイモだろうと思います。
以前、長く自家採種で作ってきたのが土垂です。小振りながら粘り、とろみが強く美味しい。
残念ながら種を絶やしてしまいました。



貯蔵のタマネギとジャガイモ今年は貴重

2022年02月22日 | 畑:土物類

長期の貯蔵をしているタマネギとジャガイモ。
皆から今年は貴重だと言われています。
と言うのも、例年にない高値が続いているからです。
これは出荷量の大半を占める北海道産が夏の天候不順で不作になったため。
秋冬野菜の市況が低迷したのとは対照的です。
長期の貯蔵では度々よくチェックする必要があります。
腐敗や萌芽をしているものを見たら早めに処置することが大切です。
こちらがタマネギ。


畑で欠株が出た分、昨年よりは残量が少なくなっています。


品種は「ネオアース」。
吊しとコンテナに並べて乾燥した後、中に取り込んで貯蔵しました。
今年は玉の大小を気にせず消費することにしましたが、大玉はほぼなくなり残りは中玉が中心です。


少なくなってきたので、コンテナを纏めてもいいのですが、まだそのままにしています。


まだ腐れや萌芽は確認していません。皺の出てきたものが若干あります。
「ネオアース」も早い年は今時分から萌芽の始まることがあります。
萌芽には年次差、個体差があるようです。
当地、今年は積雪量は少ないものの気温が低い。完全に冷蔵庫の状態なので貯蔵の条件は良い。


住居の中や日の当たるような暖かい所での保管は禁物。萌芽が早まります。
昔は早生から晩生まで3種ほど作っていましたが、今は「ネオアース」のみです。
当地のような寒冷地では早生種を作ってもそれほど早くは穫れません。
貯蔵性の高い品種を長く食した方がメリットが大きい。
その点「ネオアース」は抜群。やや腰高の姿と肌が綺麗です。
今時分になると、外皮が自然に剥げ、綺麗な狐色になっています。


昨年は、少々萌芽したものまで4月いっぱい食していましたが、今年はそれほどの残量ではなさそう。

こちらはジャガイモ。


昨年は不作だったので腐敗が出ないようしっかりと乾燥させ、日の当たらない涼しい場所に保管しています。
品種は全て「男爵」。
不作で大玉が少なく、残っているものも中玉、小玉が多い。


それでも思いのほか残っています。


芽は年内から伸び始め、放置すればこの時期には催芽した状態になってしまいます。
芽が伸びると芋の栄養が奪われ萎びてきます。
芽が出始めたらできるだけ小さいうちに搔いてしまわないといけません。
助っ人がみんなやってくれました。


これなら殆ど劣化していません。


今年はジャガイモの値段が高いからか丁寧に扱われているようです。
近年、購入種より自種の出来がかなり悪いので、昨年から全て購入種にすることにしました。
自種を取る時は、今時分の芽の処理に迷うことがありました。
今は食用だけなのでみんな搔いてしまえばよく、管理が楽です。

先日まで貯蔵していたサトイモは終了しました。


水墨画「デンファレ」

2022年02月21日 | 水墨画:草花
画仙紙 半切3/4     
          

大分前に描いた掛軸をしばらくぶりに取り出し、虫干しを兼ねて床の間に暫時掛けてみました。
タイミングは?ですが、ここで記録に留めることにします。


数年前、墨画会に出品したもの。
コロナ禍で、どんよりと空気がよどんでいるので、気分を少し変えてみたい。
洋蘭は華やかさがあり、明るい雰囲気にさせてくれます。
デンファレもその一つ。
鉢物としてだけでなく、切り花として祭事やブライダルの装飾花などにもよく用いられます。
掛軸の上部の方だけを拡大してみました。


デンファレは、正確にはデンドロビウム・ファレノプシス。
ファレノプシスはコチョウランのことです。
花の形もコチョウランの雰囲気を漂わせています。
いかにもデンドロビウムとコチョウランの交配種を思わせる名です。
草花に疎い小生も、昔は単純にそう思っていました。
しかし、実はデンファレはデンドロビウムの一種であって、ファレノプシスは無関係。
紛らわしい名前を付けたものですが、姿を見ると付けたくなる気持ちは分ります。


タラノキの管理と篠竹採り

2022年02月20日 | 野山

タラノキの管理と同時に篠竹(しのだけ)採りをしました。二日に跨がる作業となりました。
春になるとタラノキから吹き出す新芽がタラの芽です。
タラの芽は代表的な春の山菜で、山菜の王様とも言われます。
もともと何株か自生していたタラノキを、毎年手入れをして、自然に増殖させました。
今では、ここに数十本のタラノキが群生化しています。


周囲には篠竹も群生しています。


篠竹は繁殖力が強いので、タラノキと篠竹が混在している状態になってしまいます。


放置するとタラノキが駆逐されてしまうため、篠竹刈りが大事な作業です。
一方で篠竹も有効な資源。色々と活用できます。
当面の利用として欠かせないのがサヤエンドウの支柱用。
篠竹採りが、同時にタラノキの管理にもなっているのです。
タラノキの周囲1メートルくらいまで刈払い機で根元から切り倒します。


タラノキと混在している篠竹は細くて短いため殆ど使い物にはなりません。


使える篠竹は太くて長いものだけ。主にタラノキの周囲にある篠竹です。
刈払い機ではタラノキ近くまでは刈れないので、タラノキのごく近くのものは手刈りします。


刈り払った篠竹を整理したので、大分すっきりしました。


これで、春になれば良いタラの芽が出てくれるでしょう。


太くて長い篠竹だけを選び、纏めました。


これだけでは少ないので別の場所からも篠竹を採ります。


この辺りが採りやす所。


刈払い機で刈り倒します。

良いものだけを選び出します。


篠竹は葉を少し整理し、支柱にしやすいよう先を尖らせます。


このくらいの篠竹なら申し分ありません。
ストックされている篠竹もあるので、十分な量が確保されました。


今年のターサイと縮み雪菜は特に小さく縮んだ

2022年02月19日 | 畑:葉菜類

ターサイと縮み雪菜が小さく縮みました。
ともに9月21日の種播き、11月半ばから収穫を始めたので、すでに3ヵ月。
ターサイと縮み雪菜は厳寒期に姿が変わり、そして、この時期になれば小さく縮んできます。
それでも例年に比べると今年はその程度が強い。
こちらはターサイ。


ターサイは初め茎が立っていますが、次第に地べたに這うように広がります。
厳冬期を迎えれば葉の縮みが強まり株自体が縮んできます。
終盤になればこんな姿になりますが、例年ならもっと先でこれほどではありません。


今年は早い。やはり厳冬のためでしょう。
外葉はほぼ枯れているものが多い。


株が重なるほどの密植状態でしたが空間が多くなりました。


小さいながらも葉は濃緑肉厚なので十分食べられます。でも助っ人は穫る様子がありません。
すでに中心には花芽がはっきりと確認できます。


気温が上がってくればトウが伸び出します。
このトウは小振りですが美味しく食べられます。
これは縮み雪菜。


縮み雪菜はターサイの変異した株から育成されたと言われており、初めのうちはターサイと酷似しています。
しかし、生育するにしたがって、違いが出てきます。
気温が下がればターサイと同じく地べたに張り付くようになりますが、ターサイほどではありません。
今では外葉は枯れ、変色しています。


縮み雪菜も例年以上に小さく縮んでいます。


今年に限って言えば、ターサイより厳冬の影響を受けているようにも見えます。


こちらも中心には花芽がはっきりと確認できます。縮み雪菜のトウも美味しく食べられます。


今、店には縮み雪菜が出ていますが、これらはハウス栽培。
露地の秋冬野菜は終わりの姿のものが多くなってきました。
こちらはチンゲンサイ。野鳥が好んで食べているようです。


レタス類も放置されています。
グリーンリーフレタス。


サニーレタス。


玉レタス。


昨年は今頃も穫っていました。
今年は片付けを待つだけ。



ラッキョウに追肥と土寄せ、三年子花ラッキョウは健在

2022年02月18日 | 畑:土物類

越冬中のラッキョウに追肥と土寄せをしました。
今年のラッキョウは少々変則。通常の栽培と三年子の花ラッキョウ栽培の二通り。
これが9月に植え付けた普通のラッキョウ。


スペースの関係で2条植えです。


沢山の落ち葉です。近くにある栗の大木の落葉が多い。


発芽はまずまずでしたが、その後欠株が出ています。


両肩と条間に粒状の速効性肥料を施しました。


スペースが狭く土寄せに管理機は使えません。
土は適度に湿気っているので軟らかく、鍬での作業は容易です。
落ち葉は構わず土と一緒に寄せてしまいます。


しかし、スペースが狭く少々間に合わせの感。特に条間は中耕しただけです。
厳冬と言うこともあってか勢いが良くないので、追肥の効果に期待です。
今年はまず種の確保が第一。


これが三年子の花ラッキョウ。


こちらは1条植え。


事情があって昨年半分を収穫せず、そのまま残して三年子の花ラッキョウにしたもの。
三年子の花ラッキョウ栽培は初めてです。


厳冬で葉色がくすみ、枯れた下葉があるものの相変わらず葉の数は凄い。


1条植えなので作業はしやすい。
畝の両肩に追肥。


こちらも沢山の落ち葉ですが、かまわず土寄せ。まずまずです。


2年にわたり秋と春の土寄せをしているので結構高い畝になりました。


三年子の花ラッキョウと言えば福井が有名。
初めての経験なので、どんな風になるのか穫ってみないと分りません。
葉の様子からすると相当の分球数になることは確か。


水墨画「南天に雪」

2022年02月17日 | 水墨画:草花
本画仙 色紙   


今年は「南天に雪」のタイムリーな写真を撮ろうと目論んだものの思うに任せませんでした。
今年は厳冬ですが、当地、降雪の回数が多い割に降雪量は例年よりずっと少ない。
当日に粗方溶けてしまうことが殆どです。西高東低の気圧配置ではこのようなことが多い。
危険なのは南岸低気圧が北上するとき。東京にも雪が降るような時です。
過日、そのような時がありましたが、その時も少しばかりの降雪ですり抜けました。
しかし、これは偶然で、これまで2、3月の重いドカ雪で何度も痛い目に遭ってきました。
まだまだ油断は禁物なのです。
南天の方はと言えば、残念ながら例年より早く実がなくなってしまいました。
純白の雪に真紅の南天はよく映え、画になります。
南天は難を転ずると言われる縁起物。折に触れ繰り返し描いてきました。
「南天に雪」を描くのは二度目。難しい。
今回も工夫が少々足らなかったようです。。
コロナ禍を転ずる「南天に雪」とは行きませんでした。


南天に雪

2022年02月16日 | 

我が家には南天が方々にあります。
先人が植えたものが大半ですが、自然の実生から生えたものも多数あります。
「南天に雪」は絵になるので、今年はこれを撮りたいと思っていました。
ところが、残念ながら思うに任せませんでした。
日本海側は大雪になっていますが、当地方は逆に少ない。
雪の降る回数は結構あるものの降雪量、積雪量とも10センチを越えた日が1日もなく、今までのトータル降雪量は平年の半分にも達していません。
年初は度々雪が降っていたので何時でも撮れると思っているうちに実が落ちてしまいました。
それでも一応記録に留めおくことにします。結局、年初のものが大半になってしまいました。
南天は難を転ずるとする縁起物。
例年なら正月は床の間に南天を生けるのですが、今年は喪中のためそれもなし。
家前の「南天に雪」。


雪は多すぎても少なすぎても具合が悪い。難しいものです。
南天は3種あります。
最も多いのはやはり赤。
「南天に雪」も映えるのはやはり赤の南天。


純白の雪との取り合わせが、目出度さを増幅させます。
これは薄ピンクからオレンジ色の南天。これでは雪が少ない。


家裏の南天。


敢えて少し雪が溶けてから撮ってみましたが。


「南天に雪」は雪の量と南天のバランスが必要です。難しい。


これは白南天。


白南天は数が少ない。
実のボリュームも赤南天に比べるとずっと少ない。
そもそも赤南天よりも弱いのでしょう。自然増殖している南天もほとんどが赤です。
白南天と言っても純白ではなく、薄いアイボリー色。


白南天に雪は引き立たないのはやむを得ません。。
こちらは薄ピンクからオレンジ色の南天。


ちょっと見には白南天に見えますが、違います。


白南天より実が多く、丈夫です。




この南天のことを母は「ハラコナンテン」とか言っていました。
どういうことか尋ねたことがないので不明です。
生けるときは白南天より実が多いのでこちらの方が使いやすい。
こちらは石垣の南天。


これは自然の実生としか考えられません。


残念ながら雪が殆ど留まってはくれません。「南天に雪」と言うわけには行きませんでした。
雪のない時の石垣の南天。


よくもこんな所に生えたものです。




生命力に驚かされます。
このしぶとい南天にあやかって難転と行きたいもの。


小カブを綺麗に穫り尽くす

2022年02月15日 | 畑:根菜類

小カブを未だ穫っています、まだまだ十分に旨い。


今年の小カブはバラツキが少なく、無駄なものが殆ど出ません。
品種は「耐病ひかり」。種播きは9月17日。


生育は極めて順調。
11月早々から少し小振りの小カブを収穫開始、休むことなく穫り続けてきました。
すでに3ヵ月以上経過しました。
一時、凍結の兆しも見えましたが、大したことなく過ぎました。


旬の小カブは青々とした葉が畝を覆い尽くしていました。
さすがに、今その面影はありません。


株間が2、30センチ間隔まで広がっています。


そして外葉は枯れ、中心の葉が残っているだけなので空間が目立ちます。


葉は黄ばみが強くなってきましたが、新葉は元気です。


今頃になると、繊維分で硬くなってきますが、今年はそれほど感じません。
皮を剥けば、気にせず食せます。
「耐病ひかり」は多少大蕪になっても味が落ちないのが利点です。


小カブも厳寒期には体内に糖分を蓄え、甘味と旨味が一段と増します。
未だ綺麗な小カブです。


ただし、本来の小カブには濃緑の葉としっかりした葉柄が必要です。
残っているのは短い新葉が中心なので、あくまで自家用。
連日、絶えることなく食卓に上がってきた小カブの浅漬け。これが飽きません。
残りは僅かとなりました。今年は最後まで綺麗に穫り尽くします。


タマネギのマルチ栽培にばらまき追肥

2022年02月14日 | 畑:土物類

越冬中のタマネギにばらまきの追肥をしました。
4条の黒マルチが3ベット、植え付け本数約500本です。


9月6日の種まき、11月3日の植え付け。
品種はタキイ種苗の「ネオアース」1品種。


近年、トラブルが多く越冬時の姿がイマイチのことが多い。
それでも収穫時には大玉で豊作という結果オーライが続いており、真に納得はできていません。
何故結果オーライなのかの原因もよく分っていませんが、追肥が奏功していることは確か。
今年の姿はと言うと。まずまずと言ったところか。


昨年は越冬時に欠株がかなり出たので、それから見ればずっと良い。
今年の欠株はごく僅か。ネキリムシの被害です。増えなければいいですが。


厳冬のため葉先が枯れているものがありますが、これは気にしません。
芯の2、3葉がしっかりしていれば問題ありません。


越冬時に心配されるのはトウ立ち。
あまりに育ちが良すぎて大苗で越冬するとトウ立ちのリスクが高まります。
一方、貧弱すぎると収量が上がらないので、昔からトウ立ちが少し見えるくらいが良いと言われてきました。
我が家のは育ちが良すぎるような苗ではないのでトウ立ちの心配はないでしょう。
追肥に、粒状の速効性肥料をマルチの上からばらまきました。


追肥も水に溶けないことには効き目がないので、近年は早めにやるようにしています。


以前にも書いていますが、昔は追肥をしたことはありませんでした。
マルチ栽培では全量を元肥でやるものと決めつけていました。
理屈上、緩効性、遅効性の肥料を組み合わせてやれば追肥は必要ないはずと。
マルチの上から追肥しても効率が悪く、無駄になるだけと思っていました。
ある時、高齢の方がマルチの上から肥料をばらまいているのを見ました。
試しに自分でもやってみると、効果抜群。目から鱗というものです。
それが、たまたまだったのかどうかは分りません。
以来、マルチ栽培でのばらまき追肥を続けています。
ベットは緩いかまぼこ形に作ってあります。
ですからベットの中ほどを中心にばらまきます。


そうすると自然に転がって適当に植え穴に入っていきます。


植え穴を狙ってやるということはしません。
マルチ上に留まっている肥料も雨に溶ければ流れて入るものもあるでしょう。


生育は物足りない感じですが、根張りは悪くないようなので追肥の効果は期待できそう。
追肥をするようになり、ベト病が殆ど出なくなったのも大きな効果の一つ。
生育後半に肥え切れするとベト病が出やすくなります。
今年の追肥もうまく効いてほしいもの。